2002年03月03日(日) |
3-10 ふりかえり番外編 |
番外ってもたいしたことないですが。 とりあえず日付が追いついたので。与太話なんかを。
わたしは、すきをできるだけ伝えたくて(それは自分もそうして欲しいから、というのもある)、できる限りいっしょに居たくて、たくさん求めてしまって。 愛されたいと、おもう。 しあわせになってほしいとおもう。 でも、思いすぎている。 カウンセリングでも「彼女のことでいっぱいね」と言われたし、実際そうだった。今でも、そうだ。朝起きればいちばんに考えることだ。 想いすぎている。それって、負担?重い? それを問うことすら重いであろうに。 相手のすべてのしあわせを願う。ギゼンシャ?そうなのかもね。わたしは本気だけれど。 相手の痛みはわたしの痛み。自分でもわからないけど、悩みや苦しみを傲慢とも言えるほど自分のことのように感じて、自分が苦しくなる。つまり、想いすぎてるってことなんだろうね。 想いが過ぎるっていうのは、まあどうかと思うけども、想われたいって人にはかなり有効であろうけど、不幸(?)なことにわたしの想い人はあまりそうは思わないようで。 放っておいてくれるのがいちばん、な人なので。 わたしは、かまって欲しいし、かまいたい。つまり、ウザイ、と。 本質的に反りが合わないわけですよ。悲しいことにね。 性格相性診断を真に受けてこういうこと言ってるわけですが、でも当たってるんだもんよ・・・ だから、その現実が悲しゅうて過去の仲がよかった時期を思い出しては、あの頃のようにまたなれないだろうか、と考えたりしてしまって。 違う、というところが魅力的でもあって、苦痛でもある。 そう、ある種の苦痛にすら成り果てている。今と今までのわたしにとって。だから「つらい」と感じるんだろうな。 考えすぎなの。何度も言われる。自覚も多分してる。でも止められないことのほうが多い。 気持ちを整理して。また明日からも動いていかねばならない。・・・自分を追い詰めるような言い方・・・ だめだな、まだ時間がほしい。
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