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とりとめのないもの

2009年04月23日(木) 4/25 胃は満ちている


通常職に、メロンパンとロールケーキ1/2切れを加えたのだから、当然であろう。
最近、摂取量も微増(…ということばが正確かどうかはややあやしい)しているし。
胃が拡張気味だ。
ああ、火曜日には到底、何も変わっていない、むしろ増加してしまった感もあるのだった。

カーテンは、外の景色を遮るので、20センチ強だけ開けてみた。雨だから、誰も外を通らないだろうし。
わずかでも、外の景色が見えるだけ違う。
密室と窓のある部屋くらい違う。
窓は大事だ。
内と外をつなぐ、重要な通路(扉?トンネル?)なのだ。
気持ちがまったくもって変わってくる。


執着というほどではないにしろ、固執はしている。
日々、考えている。
つなげている。
思い出し、未来を創造し、期待してしまっている。
それもこれも、時間がたっぷりあるからだろう。

だから、もし次の仕事につけたら、そうではなくなるのではないかという期待がある。
仕事と私事の割合が、前者に比重が置かれるようになるだろう。
その方が、もしかしたら私の人生にとってはいい割合なのかもしれない。
いままでにおいて、そういう運びになった機関は本当に数か月だけだった。
それが、半年になり、1年になったらどうなるんだろう。どんな未来があるのだろう。未知の世界だ。もしかして、自分にとっては、生活が荒れたりして結果よくないってことになるかもしれないという不安はある。
でも、それはやってみないことにはわからないのだ。
ダメになったら、その時は違う道を選ぶとか、一休みするとかすればいいのだ。
そういえば、替えがいない体制というのは不安定だな。



雨の日は、慎重に行動しなければなsらない。
外に出たら濡れそぼってしまうし、ただでさえ低気圧で気分が低調になりがちだ。
今までの人生において、雨の日のよい思い出というのがなかなかすぐには思い出せない。
きっと、すぐれない日を送ってきたのだろう。
そう思い込んでいるだけで、案外たのしくんやってきたのかもしれない。
でも、この雲の重さとか、色調のトーンダウンとか、からだを動かしたくなるような空気でないところが、さえない印象を持たせるのだろう。

では、雨の日はどのように過ごすのが賢明か。
日々、一所懸命に生きている人ならば、休養のときとなるであろう。
では、日々休息している私の過ごし方とは?
逆に、雨の日にがむしゃらになるとか?笑
あまり想像がつかないな。
やることに変わりはないのかもしれない。
さらにゆっくりのんびりと過ごすとか。
うぅん。たまにならいいかもしれないが、それもなんだかおもしろくない。



いま、「雨の日の過ごし方は?」と、質問のメールを送ってみたくなった。
へんなこと聞くって思われそうだが、多少の変なことをしても許される、というか、だいじょうぶな気がする。
気がしてるだけかな。
受け止める度量はあるだろう、と思っている。
こっちもさんざん、受け止めてるしな。おたがいさまっていう部分もある。

今までと違うのは、そこで大いに悩んだりうじうじしなくなってるところ。
とてもよいことだ。
前進が見られる。前向きに。すばらしいことだね。これは、もらったもの。
いきていく上で、だいじなこと。
だから、いろいろ、ほんとうにいろいろあるんだけど、であえてよかったのだ、と心から思う。
私の人生の(という考え方ばっかりしてるかな最近は)数か月だけを通り過ぎていくだけかもしれないけど、それはそれは重要な痕跡を残していくのだろう。すごいひとなのだ。ことば足らずで、どうすごいのかを的確に表せないのが、ちょっとく安くもあるのだ。

ああ、こんなに書いていたら、お昼に間に合わないではないか。どうしようか。間に合わないな。でも、やっぱり帰ろうかな。お昼はうちで食べてから行くとして。
この判断のあいまいさや遅さも、いままでの人生において(またでた)
今調べたら、下実的に見て、間に合わないことが判明した。
以前なら、それでも足掻いてどうにか無理して(やること省略して)お昼にダッシュ駆け込みするところだが、ちょっと大人の余裕(というか分別なのか)を持つことができた今(とえらそうな書き方だが、それがふつうのことなのであろう)、お昼は諦めて、別のルートを探そうと思っている。
これも進歩。
さいきん、ずいぶんと前に進めているなあ。苦笑
親にも、さみしいからというのもあるけど、よくメールしているな。
コミュニケーションは、やはりだいじなんだな。
だって、自分が誰かからメールきたらやはりわずかでも、うれしいもの。
めんどくさいときもあるけれど、送信してくれるってことは、私のことを考えていてくれたからであって、それはほんとうにありがたいことだね。
電話くれてるあいつは、ほんとうにそこんとこ適当にやっていそうで、わけがわからないが、それでもうれしいのだよ、わたしは。

話がそれた。いつでも脱線。
とりあえず、日記を書いたら、ちょっとネットサーフィンをして、支度して、でかけるか。
あ、お昼。
いまだに胃が重い…でも、残った食材が気にかかる。
お土産買って、うちに帰ろ。本読んでまたご飯に出て。またうちに帰るかな。どうかな。







今の関係は、なぞなのです。
向こうにとっては、きっとある一定の基準があって、それに沿った行動をしているのかもしれないんですがね。
一見、気まぐれに見えて、ラインが引いてありそうな気がする。覚えていなくても、ここまでというものが決まっているような。

そこに、吐いたりするほどの悩みは今のところなく、それをそれとして受け止めている自分がいることは、不思議にも思える。
現状次に会える日日が決まっているという設定からかもしれないし、それを忘れて過ごしていても(無意識に分かっているからか)、あまり不安定にはならない。電話があったからかな。昨日はなかったけど、それでも。
具合悪かったからかな、と思ったり、今までもそういうことはあったという経験則もある。
落ちつけている。
それが意外にもしっくりくることばかもしれない。
ある程度やはり、こちらに興味を持たれているというかすかな自信がすこしずつ植えられてきている。
半年にも満たない付き合いではあるが、その中でみえているもの、知っていること、かんじたこと、私の総合判断。
それが、頼りない太さではあるものの、ゆるぎない芯となって私の中にだいじにたしかに存在する。
そこが、いちばんたいせつなことのように、おもえる。


たとえば、さっきの雨の伺いメールも、送りたいなあと思う反面、送らなくても大事には至らないということを知っている。
今までだったら、「あのとき、送らなかったから…!」という形の後悔をいくらでもしていただろう。

あがいても、自分から求めてもあまり返ってこないことに気付き、諦めも手伝って慣れてきているのだ。
そういう境地も、悪くはないかなと思えている。ここ重要。
結局は自分の感情の、気の持ちようの、落とし所なのだ。
それがずれていると、なんだかしっくりいかない。
どうやって自分を納得させるか。
だますようでもあるけれど、それで快適に生活してゆけるのなら、と思う。




時計とラジオの影が、45度の角度で机の色を変えている。
太陽は隠れて見えないのに、確実にそのひかりはここに届いている。
暗いと思える雨の日も、ひかりはあるのだ。
ほんとうにくらい、嵐のひんなかも知っている。
もしかしたら、そのイメージが根付いているのかもしれないな。今、そこに到達した。
心象風景。



あいまいさ。下手な楽観主義のようなもの。どうにかなるだろうという見通しの甘さ。
私の失敗の要因。失敗というか、うまくいかない要因かな。
てきぱきとしていないってことだね。だらりーん。
こんな自由時間も、期限のあることなのだろうかしら。
それとも、このままずっとずっと続いていくのかしら。
期待なら、いくらでもしてます。
思い描く未来。笑ってしまうほどの幸せな家庭だとか。そこまで明確な像を結ばなくとも、うまくいくことを漠然と。もしくは、部分的にはっきりとした。



お腹が苦しいなあ。
そういうときは、迎え食べだ。
あら、なんだか前向きな発言が結局ここに集約しちゃったよ。
そういう軽さもありつつ。

ああ、雨の日の慎重な過ごし方についての考察は。
何かをことばにしないと、ことばにしても忘れてしまうのに、ことばにすらしないと、流れていってしまう。


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