| 2009年05月02日(土) |
ルネッサンス、そして |
思考の回転数が速まっているとかんじるときがある。
それが訪れる割合は決して多くなく、また長時間にわたるものでもない。
しかし、その時に多くの物事を思考することで、 未来のことを決めたり、方向性がみえてきたりすることは往々にしてあるのだった。
読んでいる本に文体が影響されやすいので、今回はこんな固い調子で。 まだ半分しか読み終えていないのだが、とても活動欲を刺激させられる良書に出会えたと思っている。 とはいえ、普段からそんなに読書をしてこなかったので、”良書に出会った”などと偉そうな口を叩けるわけでもないのだが。
常々、特に転職してから、彼に出会ってから、自分の人生の薄さに、取り戻しようのない膨大で広範囲に亘る後悔と、それによって発生する自信の喪失及び劣等感が付き纏っていた。 持て余す時間。 追い詰められるでもなく、亡羊と過ごす時間。 他人との接触への渇望。 したいことがみつからないという、ありふれた事象に囚われ、とりあえず目の前にあることを片付けつつも、確固とした歩みではない足取りでただ時間とともに人生を送ってきた。 一度は見つけた、希望の職場も、時代の波に抗うことはできず去ることとなり、またしても目標を見失っていたのだった。 そうだった。 その事実すら、ことばにしてこなかったから、自覚できなかったのかもしれない。
今からでも、遅くはないのだ。 そういう根拠のあまりない閃きが、頭のどこかで明滅している。 モチベーションの持続がどこまで続くかは、不明瞭だが 今この時点で、私がとてつもなく前向きになっている事実だけは揺るぎのないものだ。
小学校で途中失速したこと、中学では頑張れた方だったこと、高校ではやはり途中で折れてしまい、そのまま大学で周囲の空気に流され、ろくに勉強しなかったこと。 悔やまれるが、悔いている時間がもったいない。 勉強など、今この瞬間からいくらでもできるのだ。 学生時代にしなかった分、そのときは別のことを学んでいたのだ。そういうことだ。 ひとと比べて過去を決め付けるよりも、振り返らずに前進する方が有益だ。 もちろん、それだけの精神的余裕があって、はじめてなせることではある。 このように、やる気に満ちている状態というのは稀有で、持続するというのは困難であろう。 だがその原因は、息抜きや気分転換を取り入れること、できるときにはやっておくこと、そういった基本的な当たり前なことを、今までしてこなかったからかもしれない。 完璧主義による、わずかな欠落も許さぬ状況は、生産性がないのである。
こうしてみると、今この時点の自分がいるのも、 学生時代ぱっとしなかった過程を経て、さまざまな問題と付き合って、何もしない期間もあり、そして見えてきた憧憬。それに伴う多くの出会い。そこから生まれる刺激や考察。 全てはなるべくしてなっている。 無駄はなく、無駄だと思える時間すら、人生に組み込まれたひとつのプロセスなのだと。 確信するに至った次第である。
自分がこれから、なすべきこと。 いや、べきとつけるのがよいのかは果たしてわからないが、 とにかく、この瞬間からの人生を一歩踏み出す場面において、項目の整理をつけておこう。
・仕事に集中する 再来週から始まるので、間が空いてしまい、モチベーションを保っているのは難しいと思われるが、生真面目な性格なので仕事に対しては真剣に取り組む所存である。 さらに、上を目指してとにかく下積みを大切にし、よくものごとを覚えておくようにすること。自分でできることを増やし、またできないことへの線引きを柔軟に行う。
・勉学 簿記2級取得を目指す。 また、語学の勉強も少しずつ平行して行う。 ・読書 時宜にかなった本を選び、情報や感情や歴史などさまざまなものを吸収する 新聞をとるか、迷うところ。
・趣味 久しぶりにギターに触ったら、楽しくてうれしかった。 持ち帰ることにする。 パンは来月行くかもしれない。
うん、まあこんなところだろう。 家事はまとめて週末することになりそうだ。弁当も8割は作りたいところ。夕飯を水分摂取に当てようかなと。気温も上がるし、野菜スープの作りおきなども頭をよぎったが…帰宅時間が9時以降になるときびしいな。
世界が、回り始めた気がする。 あれもそれも、うまくいくような気がする。 私に向かって扉が開かれた。 風が吹き込み、光が差し込む。 新緑の眩しさや、蛙の合唱、夜風の気持ちよさ。 すべてが私を包み、踏み込む大地は私をやさしく受けとめている。
スタートラインにすら、ようやくたどり着けた状態の私がいたタリーズ。 あのガラス窓からみつけた風景。 夏の名残の強い日差しと、道行く人々。 私は、もうそこの住人になっており、俺の街へようこそといえるほどになった。 あのときからは想像もできないような、人生の宝といっても過言ではない出会いに支えられ、また家族の大切さも再認識し、地元への愛も深め。相互作用で、少しずつ周りもうまくいき始めている。わかる。空気が違ってくる。
今日、回転する思考がたどり着いたのは、今の自分からしたらとても届くとは思えないような地点。 そこへ辿りつくまでの道のりは、いったいどういうものなのか。まずは足りない部分が多すぎるんじゃないか。ってところから始まるような物語なのだけど、夢としてそれを追うのもいいのかもしれない。 目標は、夢は持っていたほうが上を向いて生きられる。 まずは今を生きること。 シンプルにいったら、それだけなのだ。 誠実に。アンテナを伸ばして。
----------------------------- 関係のない話だが、 自分でも根拠のはっきりしない自信を、唐突にもつことがある。 それはたいてい、他者からの励ましであったり 前向きさに引かれて、のものであることが覆いように思う。
今回、大きな腹(妊娠ではない)を抱えて、だが吐こうとしなかったのは、 自己肯定をしたからであり、ありのままを受け入れる、という態勢になったからである。 覚えている限り自分史上類を見ないほどなのであるが、ここからがスタートだと思いたい。 すぐに成果が形に現れないので、挫折しそうになるだろう。それも何度も。 そんな弱さを乗り越えて、すこしずつでいいから前に進みたい。 まずは、帰ったら体重計を買う。よし。
先日の件で、私だけにもたらされた話でないことがあっさりと判明した。 つまり、信頼する人がそこここにいた、という結果なのだろう。 まあ、いつの時点で話をしたかな知る由もないのだが、結果として、私だけではなかった、ということだ。シンプルにいえば。 それがとてつもないショックだったかというと、案外そうでもなく、ああ、そうなんだと結構あっさりしたものだった。 さらには、居合わせた人にまで話してるし。えっ その程度のもの?と拍子抜けしたが、きっと済んだから言えたのであろう。
さて。 多方面からあれこれとアドバイスを頂戴するが、たいていは離れたほうがよい見切りをつけたほうがよい、といった類のものである。 自身、まだ客観的になれていないところもあると思う。 自分のことなのだし、ましてや恋愛において客観視できたらそれは最高にクールだとは思うのだが。 いろいろなやり取りがあり、それが自分だけに向けられた特権ではにこともわかり、でがらしみたいな真似をされ、本当に行動の意味が分からない・繋がってない、もしくはただの遊びなのか判じかねることばかりで、常に振り回され街道まっしぐらであるのだが、恋は盲目という一語で片付けられてしまうのかもしれないが、いまだに、それでも信頼をしているし、好いている気持ちに変わりはないのだった。 むしろもはや、ときめきを通り超えてもっと近しい、家族といったらかなりおこがましいような気もするが、それに近いと思われる感情を抱いているようだ。 頼りにしているし、適当なことを言われてもうんそうね、と流しつつも信じてしまうし。 それはそれで、私だからこその感情なのであろう、と肯定したくなった。 同じことをされてどう思うかは千差万別であり、たまたまそれはどうかと思うというような人が多いであろうことをされてきてるのだろうけど、自分はそれでもおっついてきているし、まだこの先もいけると予想している。 なぜなら、これまで振り落とされずにこられたという自負が少なからずあるからだ。 それでも、猜疑心が皆無になったわけでもないし、不安になんて数え切れないほどなったし、これからもなるだろう。 この歳で、結婚生活を想像できないような人と好きってだけで関るのは、そうとう遊びが足りないからなのかと思われる向きも確実にあるだろう。 自分としては、いずれいっしょになれたら、と願わないわけがない。 だが、今は向こうの流れに身を任せていようという気分なのだ。 なぜなのか。 向こうがこちらに気があるという自信があるのか。これは100%イエスとは言いがたい。しかし、少なからず可能性がゼロではないということは、しっている。 だが、同時に自分以外の異性にも関わりが皆無ではないということもしっている。 妾でも、という思いがないわけでもない。 健気?にもそう思ってしまうのだ。民族性なのかなんなのか。 こちらの気持ちを知った上での向こうの行動だということも、その裏づけになるであろう。 逆に、利用されているだけだという意見もあろうが、そうそう酔っ払った人間に利用されている感もない。本能のままに動いているだけだろうあれは、と直接的に関ってかんじるのだ。 だが、全てに於いて確証が、ない。 だから不安に陥るし、何度も様々な可能性について考察してしまうのだ。 そして、不意に向こうがひょっこりとまたいつもと変わらず電話を寄越すのだ。その、繰り返し。 そうかくと、キープされてるのか?と思わなくもない。 だが、キープするだけの人材(?)なのか、という思いが真っ先にきてしまう。 だとしたら、気楽な友人、あたりであろうか。 そんなのいくらでもおろうに。 となると、もう四六時中気楽な友人とコンタクト及びコミュニケートしたいというわがまま放題の稀有な人間、とでも結論付けた方がうまく着地するだ ろうか。 8…9割方当たっているといえなくもないが。
そんな人間と関れただけでも、貴重な経験さしてもらっていると考えられるし、それ以上にその魅力に引き付けられてしまっているのだから、まあ始末に負えないのは自分の方かもしれない。 とにかく、彼を好きなことは、揺るがない私の柱のようになっている。 人から何を言われようが、それは柱を微動だにさせる力ももっていないのだ。 それが揺らぐとしたら、直接的になにかがあってのことだろう。 手ひどい仕打ちや、こちらからの勝手で多大な期待を裏切る行為。 もしくは、ほんとうに些細な言動からそうなることもあるかもしれない。劇的なことなど、そう滅多にあるものではないのだ。 私はあちらに過大な評価を寄せている。 それはあながち的外れなものではないと確信しているので、その辺は大丈夫と考えている。 感情を差し引いても、客観的事実のみで判断しうる結果なのだ。 その資質や性格・実績に対しては尊敬の念を抱かずにはいられないし、だからこそ出会えた事への感謝の念すら抱くのであった。 人生っておもしろい、と確実に思えるようになったのも、彼のお蔭だ。 断言してもいい。 広い視野を持ち、他を尊重する姿勢、気くばり、慣習・マナー、知己。 褒めすぎではなく、事実なのだ。
さて、なにがいいたかったのか忘れてきてしまったが、 結論は自信もてよ!(自分に)というところであろうか。 それを教えてくれたのも彼なので。 ありがたいことだと、思っている。 うん、だから、自信をもって好きだぞ、と。 それだけだ。そのシンプルな答えを、いいたかっただけなのだ。
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