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艦長日誌 西暦2007年3月4日 ![]() さらに奥へ進むと謎の階段が。ずいぶん長くて急だ。上に何があるか、登って確かめてみる。登りついた先は、団地に水道を供給するポンプの建物?その先には公園と住宅街が広がってました。まぁこの高台の上に団地があることは分かってたが、急に現実に戻った感じ。 ![]() 来た道を引き返して別の路地へ。こちらにはこんな古びた鳥居が。「田営社」の石の額が落ちて参道の階段に置かれている。参道を登るも、途中から藪となり社は分からず。 ![]() 降りてきたらちょうど近所の年配の方がいて、その方の話だと鳥居の前の舗装路をそのまま登っていくと社があるとのこと。早速急なコンクリート舗装の道を登っていくと急に開けた場所に出て、そこに社があった。流造で思いのほか立派。風雨に削られたか読みにくい石碑には、元和三丁巳歳に設立された旨が刻まれていた。西暦にして1617年、江戸時代初期ですねぇ。ちなみに下の壊れた鳥居には享保十?年と刻まれてました。こちらは八代将軍吉宗のころですね。本殿の周囲に多数ある石祠には文久二年の文字、幕末です。 ![]() 歴史の刻まれたこの神社も、下にある民家の一部の氏子さんが来る以外は訪れる人もほとんどないんだろうなぁ。すっかりアスファルトとコンクリートに支配された現代だけど、こういう地元の歴史・文化が刻まれた存在は必要だし大事にすべきだと思うなぁ。 田営社から降りてきて、自宅近くを流れる井路にそって自転車を走らす。井路は高台の斜面に沿って続いていて、斜面には地元の家々のお墓が多い。井路の途中には大床神社がある。朱塗りの社殿でよく目立つ。 ![]() こちらの神社の隣には不動明王や仏像が安置された土壁の小さな小屋があった。ある仏像の石碑には、永興の臨済寺と上野の宝戒寺(金剛宝戒寺)の名前がある。うん、興味深い。 ![]() ここでデジカメのバッテリーが切れたので本日の探検は終了。おなかもすいたので近所のパン屋さんでパンを買い、大分川の川原で遅めのランチタイム。風は強いが暖かく、ぽかぽか気持ちいいひと時。 夜は長湯までドライブして温泉に入り、正直屋でちゃんぽんを食べる。あっさり味だがしっかり野菜と魚介の出汁が利いたスープがおいしくて全部飲み干せます。今日も一日平和でよい一日でありました(^^)
ぐん
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