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2007年05月01日(火) 石見銀山遺跡散策 1日目

艦長日誌 西暦2007年5月1日

 石見銀山遺跡への旅初日。温泉津駅で車中泊して一夜明けた朝、夜のうちにかなり強い雨が降っていたようだが、朝起きてみると晴れ間が覗いている。早速石見銀山を目指す。

 石見銀山遺跡は銀山の坑道(間歩と呼ぶ)が集まる銀山ゾーンと、国指定の重要伝統的建造物群保存地区でもある大森ゾーン、そして周辺ゾーンに大きく分かれる。まずは銀山の町として栄えた大森ゾーンを散策。このゴールデンウィークから交通規制が始まり、乗用車は原則石見銀山駐車場に停めてバスまたは徒歩でのアクセスとなる。今回は折りたたみ自転車を準備、自転車で大森の街並みへ向かう。

 最初に訪れたのは羅漢寺。江戸時代、銀山で働いて亡くなった人々を供養するために25年の歳月を掛けて五百羅漢が作られ、またそれを護る為に羅漢寺が建立された。羅漢像はそれぞれ違う活き活きとした表情で見ていて飽きない。羅漢像の安置された岩窟の前を流れる銀山川支流には三つの反り橋が建立時そのままに残っている。



 銀山川沿いに自転車を走らせる。大森の街並みの裏側を通る感じ。新緑と石垣、大森の古い町並みが調和して美しい。


 道路沿いに井戸神社がある。大森代官所の第19代である井戸平左衛門を祀る。享保大飢饉の際、西日本各地で餓死者が出る中、井戸平左衛門が私財や裕福な領民から募った資金で米を買い集めると共に幕府の許可を待たずに代官所の蔵を開いて領民に米を与え一人の餓死者も出さなかったことによる。また当時は薩摩藩から持ち出し禁止のサツマイモを苦労して取り寄せ栽培成功し、芋代官様と慕われた。代官職にあったのはたったの2年だが、領民に慕われた良い代官だったようだ。

 大森代官所跡は現在、石見銀山資料館として銀山に関する歴史資料、鉱物標本などを公開している。最盛期は世界の三分の一の銀を産出したといわれる銀山の採掘の様子や鉱山を巡る歴史を見て回る。さほど大きいわけではないが結構時間がかかった。

 昼食は代官所跡前にあるお店で「代官そば」をいただく。かけそばと割子そば、天ぷらがセットになっててお得です。


 代官所跡のすぐ横にある城上神社へ。重層式入母屋造の拝殿が見事。内部の鏡天井には「鳴き竜」が描かれていて、この下で拍手を打つと反響して聞こえる。境内は緑が多くて清清しく、樹齢三百年の相生の松や亀石などあり。


 天気が怪しくなり肌寒くなった。龍源寺をお参りしているときに雨が振り出すがすぐに止んだ。雨が止んだ隙に向かったのは熊谷家住宅。鉱山業、酒造業、掛屋、郷宿、代官所御用達などを勤めた石見銀山御料でもっとも有力な商家のひとつで、修復復元された広い屋敷とそこに収められた家財が当時の暮らしぶりを想像させてくれてとても興味深い。ここはかなり長い時間掛けてみて回った。写真は2階からの小蔵と庭の景色。


 江戸時代の雰囲気を今に伝える町並みを見て回る。郵便局ですらこの町の景観に合うような造り。西性寺、観世音寺、妙蓮寺などを見て周り、町並み交流センターでは石見銀山の歴史などを伝えるビデオを鑑賞。武家屋敷の河島家住宅を見終わるころには16時を回っていた。今日は時間切れでここまで。
 
 駐車場に戻り、温泉津温泉へ向かう。もちろん温泉目当てだが、その前に温泉津の町も散策。こちらも重要伝統的建造物群保存地区で、石見銀山遺跡の周辺ゾーンにも入っている。古き良き温泉街の雰囲気。龍御前神社裏の岸壁上にある祠から町を見渡すと、瓦屋根が立ち並ぶ素敵な景色。


 町の中に点在する寺社を見て周った後はお目当ての温泉へ。今日は二つある共同温泉のひとつ薬師湯へ。明治5年の浜田大地震の時に地殻変動で大量に噴出し始めたため「震湯」の別名を持つ。若干茶褐色がかったが湯いかにも効きそうで気持ちいい。

 今日は温泉津の「ゆうゆう館」駐車場で車中泊。


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