![]() |
![]() |
今日は久しぶりに、おしゃべりを愉しんだ。 午後からある女性詩人の講座があり、終わってから希望者10数人で、講師を囲んでお茶を飲んだ。 私は、幸いというか、皆が遠慮して講師の隣に行かないので、人から押し出されるようにして、講師である詩人の隣に座ったので、直接お話しできて楽しかった。 講師も、今日は時間があったのか、ゆっくりしていてくれた。 それが終わって、帰りかけたが、たまたま私の近くにいた女性がトイレに行くというので、私も私もと言う人が5人で、トイレに行き、「なんだかお腹空いたから夕飯すませちゃう」と、一人が言い出し、それもまた、5人が同意してパスタの店に入ったというわけだった。 書きたいのは、こちらの話である。 50代2人、60代3人のおしゃべりは、次々と話題が変わり、女だけの気安さと、同性だけが分かり合える感覚の早さも手伝い、大いに盛り上がった。これで男が一人でも加わっていたら、こんな風にはならないのである。多少なりとも、気取りが出るし、いいにくいこともある。 私たちは、「雨夜の品定め」の現代版男性編を話題にして、勝手なことを言い合い、気がついたら2時間近く経っていた。いつも帰りを気にする人が、珍しくゆっくり出来るというので、私も「終電車で帰ればいいわ」などと言って、誰も時計を見ずに、時が経ったのである。 さすがに終電車と言うことにはならなかったが、心地よい疲れを味わいながら、帰途についたのであった。 私は、中学からずっと女子ばかりの学校で育ったので、同性の集まりの善し悪しを経験している。 今の若い人たちは違うだろうが、私の少女時代、どんな集まりでも、男と女と両方いる場合は、長は男、副が女という、役割分担のようなものが出来てしまうが、女子校にはそれがない。長も副も、力仕事からお茶くみまで、全部女だけでしなければならない。リーダーシップも、発言力もつく。年頃の女の子は、男の子がいると、意識せずとも、かわいい女を演じてしまったりするが、女子校では、異性の目を気にせず、のびのびと、過ごすことが出来た。 だから、女子校育ちは、怖いもの知らずというか、妙に大胆なところがある。社会に出て、一番戸惑ったのは、女性の中で、女だけの時と、男性がいる時とでは、極端に態度の変わる人がいたことだった。そして、男性が、いかに女というものを理解していないかを知って、愕然とした。 女性の、本当の姿は、男の人にはなかなか見えない。もちろん、女も男を理解していない点が多いが、どちらかというと、男の人の方が、わかっていないと思う。 「女だけの集まりなんて最低」と、言い放った女性を知っている。私という女が同席していながら、男の人にそう言ったのである。こういう女は、同性の中では、本当の友達づきあいをしてもらえないが、男の人、女でも上の立場にいる人には好かれるのだから、何とも不思議である。 女同士は、ごまかしがきかない。その代わり、気取りをなくして胸襟を開いた間柄では、本当の話が出来る。 私は、そういう関係を、男の人とも作りたいと思っているが、なかなか難しい。同性の友達とは、やはりどこか違う。魅力のある人は、ファンも多いので、自分だけで独占するわけに行かず、そのために、時としてつらい思いをするからである。これは恋ではないと、自分の心に言い聞かせているが、やはりそれに近いものがあるのだろうか。 そこへ行くと、話の合う女同士は、理屈抜きに楽しい。時々、こういう機会を持ちたいものだと思った。 2002年03月18日 01時46分16秒
|
![]() |
![]() |