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昨夜、家人が、新しいプログラムを送ってやると言って、容量の大きなメールを添付ファイル付きで私のメールに送ってきた。 それを解凍してインストールしたが、途中でエラーがでて、強制終了となった。 今朝、ホームページの更新をしようと、ファイルをいじっていたら、文字トレイがでなくなったので、家人に応援を頼み、あちこちいじっていたら、とうとう、ウインドウズが動かなくなってしまった。 メーカーに訊いて、言われることは全部やってみたが、どうもだめなので、再インストールしかありませんという。 ところが、前回再インストールしてから調子が良かったので、しばらくファイルのバックアップをとっていなかった。再インストールするのは、難しくないが、データは全部消えてしまう。 ホームページは、前回の失敗の後、ウエブ上からテキストをコピーして、作成ソフトに貼り付け、背景の画像や写真、色をまた設定し直して、すべて新しくしたばかりである。再インストールすれば、ジオのツールは、そのまま残るが、作成ソフトにある分は、ウエブ上は表示されていても、原稿はすべて失われることになる。 もちろん、メールもなくなってしまう。ヤフーから取り込めるようにしてあるので、これからくるもの、すでに取り込んだものは大丈夫だが、大部分は、メールソフトのトレイに、そのまま入っているのである。 ショックだった。情けなくて、涙が出た。もう、インターネットなどやめようかと思った。この一月、深夜まで苦労して、書きためたものが、全部失われるとは! 所詮、器械の中の世界、あだ花なのか。この中にこもっている私の世界は、空虚な箱でしかないのか。人間より、器械の方が、力を持っているなんて。ミスを許さない世界なのか。 手書きで書いたものなら、消しゴムで消さない限り、残るであろうに。 ネットで、人と繋がっていると思うのも、もしかしたら、幻想かもしれぬ。 安易に書き、安易に送り、誰でも入れるが、心の届かない面もある。ネットの会話の、時として感じる空虚さ、冷たさ。削除すれば、消えてしまい、何も残らない。 人間的な感情まで、消えてしまいそうな危うさを持ったネットという世界。 私に本当にふさわしいところなのかどうか、この機会に考えてみたい。 2002年03月21日 00時15分47
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