沢の螢

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ワールドカップ
2002年06月05日(水)

今日は日本の初戦、6時からの対ベルギー戦に備えて、電話やパソコン関係の用事をすませ、連れ合いも外出したので、独りテレビの前で、アイロン掛けをしながら、終わりまで見た。
なかなか迫力ある試合で、日本のゴールも2回あり、思わず歓声を上げてしまった。
結果的には、引き分けになったが、一時は、勝つと思われる展開もあったので、伯仲して、良い試合だったのではないかと思う。
サッカーで思い出すのは、ブラジルにいたときのこと。
在住中、ワールドカップの年に当たり、その期間は、国を挙げての興奮で、仕事も学校も、半分休み、飛行機まで欠航になってしまうには驚いた。
金融機関も休んでしまい、バスの運転手も、ブラジル戦の日は、出てこない。
息子の通う日本人学校も、通学バスが来ないので、現地にあわせて、休みにしてしまった。
親が危篤だからというので、帰国しようとした人が飛行場に行くと、クルーがサッカー観戦に行って、飛行機が出ず、泣いて訴えたがダメだったという、嘘みたいな話も聞いた。
日本ではとても考えられないと、最初は思うが、何年か住んでいると、そんなことも不思議に思わなくなり、何となく納得してしまうのである。
だからサッカー選手の社会的地位は高い。
街中での話題も、サッカーのことが多いようだし、国のサッカー競技場の周辺は、いつも熱気があふれていた。
そのころのサッカーは、ブラジルが世界で1,2を争う地位にあり、ライバルはイタリア、アルゼンチン、負けて帰ると、興奮した人たちから半殺しの目に遭うなどという話もあって、選手も、命がけだったのかもしれない。
私は、あまりサッカーには興味が無く、何であんなにみんなが大騒ぎするのだろうと、思っていたぐらいだった。
しかし、帰国して、しばらく経ったとき、ブラジルからサッカーチームがやってきて、日本のチームと親善試合をした。
それを見に、国立競技場に行き、試合を目の当たりにして、とても懐かしかった。
雪の中の試合で、暑い国から来たブラジルチームは、寒さに対応できなかったらしく、負けてしまったが、彼らにとっては、まさかの敗退であったはずだ。
この10年ぐらいの間に、日本のサッカーは、ずいぶん強くなり、ワールドカップに参加できるまでになったが、それには、ブラジルから教えに来た人たちの力も、大きな役割を果たしている。
ジーコ、ラモス、ロペス、いま活躍しているサントス、みなブラジル人である。日本女性と結婚して、帰化した人もいる。
テレビ観戦しながら、ブラジルにいたときのことも、いろいろ思い出した。

2002年06月05日 01時27分1



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