沢の螢

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緑色の心
2002年09月10日(火)

趣味の分野の話である。
同好の士が集まったところで、当然ながら、男がいて、女がいて、みな程々に節度があって、品格のある交流を愉しんでおり、低俗なことはないにしても、そこに、魅力的な人がいて、それを憎からず思っている異性がいれば、やはり、何かもやもやとした空気が漂ってくるのは、珍しいことではない。
頭が良く、人間的にも人を惹きつけるところがあり、その人と話していると、何か満ち足りた気持ちになってくる・・こういう人は、男女を問わず、近づいて、付き合って見たいと思うのは、自然のことであろう。
私にも、そういう人がいる。
決して二人だけになることはないし、心の内をさらけ出したこともなく、向こうが私を、どう思っているかは知らないが、その人の存在があると言うことで、私の心は潤い、豊かになっている。
その人の感性、豊富な文学的知識、詩的な表現力、そういうものをすばらしいと思い、趣味の場で、同席するだけの間柄だが、今の私には、その人の存在無しには、考えられない。
その人と知り合ったことで、私の詩的精神は、磨かれてきたし、些細に示唆されることから、たくさんのことを教えてもらった。
埋もれていたものを引き出してもらい、育ててもらったと言っていいかも知れない。
だから私にとって、そのひとは、精神生活の支えであり、ひそかに慕う人であり、時にせつない対象でもある。
でも、それをその人に打ち明けたり、あからさまに表明したりは、絶対にすまいと、心に決めている。
口に出したら終わりだと思うからだ。
言わずにいるからこそ、その人も、屈託無く、接してくれているのだと思う。
気づいているかどうかはわからないが、お互いに黙っていることで、拮抗が保たれ、冗談も言い合えるし、時には、ケンカも出来る。

しかし、ここまで書いたことは、実は過去形である。
最近になって、私は、その人と、もう今までのような付き合いはしないことにした。
その人の才能や感性を慕う人は、私だけではない。
周りにはいつも、才気溢れる人たちがいて、同じように、関心を持ち、交流を愉しんでいる。
その中にあって、私は、だんだんつらくなってきたからである。
その人を独り占めする権利は、私にはない。
でも、おおぜいの中の一人でいるのも、愉しくはない。
自分だけが知っているわけでないその人の一面を、他の人からきくと、やはり、心穏やかでなくなる。
これも、嫉妬というのかなと思う。
音信がないと気になり、かといって、うるさくつきまとうのも、私の何かが許さない。
そんなことを感じるようになって、ごく最近、ちょっとしたことがきっかけで、私は、その人を中心とする集まりから抜けた。
それからひと月経つ。
風の便りに消息を聞くくらいで、一切の音信を絶っている。
ひそかに慕う気持ちは変わらないが、遠くにあるからこそ、美しいのだと、自分の心に言い聞かせている。



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