沢の螢

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忍ぶれど
2002年09月12日(木)

私の周りで、なにやら喧しい。
誰さんと誰さんがどうしたとか言う、男と女の話である。
惚れ合っていても、それぞれに枷があって、人目を忍ばなければならない恋は、大昔からあった。
そうした苦しみの中から、文学も哲学も生まれたのである。
「忍ぶ恋」、いい言葉だ。
でも、そんな言葉にふさわしい、質のいい恋は、いま存在するのだろうか。
ときに、見聞きするのは、人目をはばかるどころか、堂々と、手に手を取っての恋路である。
独身の男女の話ではない。
周りが大人だから、見て見ぬふりをしているが、心ある人たち、ことに女性の間では、眉をひそめたい光景としてうつる。
そんな話が、囁やかれはじめると、話はどんどん尾ひれが付いて発展していく。
そして、時に、集団の和を乱し、不明朗な空気が流れはじめる。
魅力ある人が多く集まっている場で、お互いを憎からず思う二人がいても、おかしくないかも知れない。
「奥さんがいるのに」なんて、ヤボなことを言うつもりはない。
せめて、人目を忍んでほしい。
誰にもわからないように、完全犯罪でおこなうのが、節度を持った大人の恋ではないだろうか。
人知れず、苦しみに耐え、たっぷりと、恋の情緒を味わってほしい。
それを、太陽のもとに曝して、市民権を得ようなんて、さもしい根性を持たないでほしい。
時代がどんなに変わっても、人の意識というのは、案外と古典的なものである。
面と向かって批判されないからと言って、周りが認めていると思ってはいけない。
礼儀正しい大人は、よけいな口出しはしないと言うだけなのだから。
人目をはばかるべきものが、大手を振って歩いていたら、美しくないではないか。
秘めた恋は、忍んでこそ価値がある。
あるとき、集会の場をデイトに利用する人がいて、女性たちの反感を買い、総スカンと言うことがあった。
でも、男の人たちは優しい。それを庇うかのように、付き合ってあげていた。
若い人の、人目を物ともしないラブシーンも、見苦しいものだが、それ以上に、私は、中高年のいちゃついた光景を見るのがきらいだ。
高校生じゃあるまいし、「見えないところでやってよ」と、言いたくなる。
それとも、見せびらかしたいのだろうか。
これは、もてない人間の僻みかと思っていたら、結構同じように感じている人がいて、ひとしきり、話が盛り上がった。
悪のりして「もてない女の会を作ろうかしら」と、冗談を言ったら、「そこに入れて」という人がいて、驚いた。
女同士は、仲良くしようね、が合い言葉である。




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