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私の周りで、なにやら喧しい。 誰さんと誰さんがどうしたとか言う、男と女の話である。 惚れ合っていても、それぞれに枷があって、人目を忍ばなければならない恋は、大昔からあった。 そうした苦しみの中から、文学も哲学も生まれたのである。 「忍ぶ恋」、いい言葉だ。 でも、そんな言葉にふさわしい、質のいい恋は、いま存在するのだろうか。 ときに、見聞きするのは、人目をはばかるどころか、堂々と、手に手を取っての恋路である。 独身の男女の話ではない。 周りが大人だから、見て見ぬふりをしているが、心ある人たち、ことに女性の間では、眉をひそめたい光景としてうつる。 そんな話が、囁やかれはじめると、話はどんどん尾ひれが付いて発展していく。 そして、時に、集団の和を乱し、不明朗な空気が流れはじめる。 魅力ある人が多く集まっている場で、お互いを憎からず思う二人がいても、おかしくないかも知れない。 「奥さんがいるのに」なんて、ヤボなことを言うつもりはない。 せめて、人目を忍んでほしい。 誰にもわからないように、完全犯罪でおこなうのが、節度を持った大人の恋ではないだろうか。 人知れず、苦しみに耐え、たっぷりと、恋の情緒を味わってほしい。 それを、太陽のもとに曝して、市民権を得ようなんて、さもしい根性を持たないでほしい。 時代がどんなに変わっても、人の意識というのは、案外と古典的なものである。 面と向かって批判されないからと言って、周りが認めていると思ってはいけない。 礼儀正しい大人は、よけいな口出しはしないと言うだけなのだから。 人目をはばかるべきものが、大手を振って歩いていたら、美しくないではないか。 秘めた恋は、忍んでこそ価値がある。 あるとき、集会の場をデイトに利用する人がいて、女性たちの反感を買い、総スカンと言うことがあった。 でも、男の人たちは優しい。それを庇うかのように、付き合ってあげていた。 若い人の、人目を物ともしないラブシーンも、見苦しいものだが、それ以上に、私は、中高年のいちゃついた光景を見るのがきらいだ。 高校生じゃあるまいし、「見えないところでやってよ」と、言いたくなる。 それとも、見せびらかしたいのだろうか。 これは、もてない人間の僻みかと思っていたら、結構同じように感じている人がいて、ひとしきり、話が盛り上がった。 悪のりして「もてない女の会を作ろうかしら」と、冗談を言ったら、「そこに入れて」という人がいて、驚いた。 女同士は、仲良くしようね、が合い言葉である。
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