山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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今朝の目覚めも悪い。薬のせいなのか、すっきりと目覚めない。天気も良くないからかもしれない。
痛み止めの薬の量を少し減らしてもらってからは、日中の眠気やムカつきは少々減った。先日薬剤師から聞いたところによると、この「コンチン」という痛み止めは医療用のモルヒネだそうで、できればこういうのはあまりお世話になりたくないものだ。できるだけ少ないほうが良い。
朝食後、急な腹痛にみまわれトイレに走る。薬剤師によると「コンチン」は100%の人に便秘をもたらすそうだ。問題はその度合いであるが、それに悩まされ続けている。さすがに摂取量を減らしたので便秘は解消されたが、逆方向へいった。この辺の加減が難しいところである。
午前中は妻が出かけている間にプロジェクトXを見る。今日は「絶体絶命650人決死の脱出劇 土石流と闘った」であった。
昼食前にはいとこの有泉智子・芳明夫妻が見舞ってくださる。私の父親の様子を見てきた後に寄ってくれたそうだ。ちょうどパソコンで「ソンバン」先輩の中国のリポートを読んでいるところだったので、話題はパソコンに集中した。まず壁紙にしている背中の傷を見せた。これには感動してもらえた。智子は学校事務、芳明は郵便局勤務だが、職場ではエクセルが使えることがステータスのようである。
芳明氏から宿題をもらった。「全国の県庁所在地で、県名と同じ名前の都市に県庁があるところと、そうでないところがあるが、これはどういう理由によるものか。」というものである。ある程度察しはついているらしいが確証がないらしい。もし読者の中でご存知の方がおられたらご教示いただきたい。
昼食後、東京事務所長の風張知子さんがきてくださった。今週は八戸市の将来にもかかわるイベントが目白押しだったので、それらに出席するため急遽帰八したのだそうだ。岩手県主催の県境不法投棄への対処についての説明会や、昨日開催された海の八戸ツアー&セミナー(政策推進室所管)などだ。彼女と話していていつも感じるのは高い見識と前向きさだ。こういう人物だからこそ東京事務所長にも抜擢したのだろう。
そして今日病室を訪れた理由は、『短歌指南』のためであった。人は痛んでいるときに良い歌ができたりるすものなのだそうだ。そう言って短歌入門書を一冊、歌集を一冊差し入れてくれた。これはいよいよまじめに取り組まなければならなくなってきた。
午後4時過ぎ、高専時代の同級生、房間建設の房間忠志社長が見舞ってくれた。鶏の卵を持ってきてくれたのだが、鶏が卵を産み始める最初の卵で「クスリグイ」と階上の地元では言うのだそうで、その名の通り薬になるそうだ。中には黄身がきちんと形成されていないものまであるらしい。彼からは今の八幡の自宅を建築してもらって15年になる。
夕食直前、政策推進室の山本さんが来てくれる。新しい診断書ができていたので、これをお願いした。またお借りしていた本を返した。昨日のセミナーもうまくいったようだ。いろいろ忙しそうだががんばってほしい。
| 2003年08月30日(土) |
【写真付】平穏な一日 |
いつもと同じ朝がきた。土日は何にもない。
午睡の後、妻が自宅へ戻ると、それと入れ替わるように同級生の岩舘幹悦さん、松田一さんの二人がきてくれる。二人とも同級生であるというほかに、同じ八幡に住んでおり、消防団も一緒だった。今日は先日の地区運動会の報告に来てくれたということだ。準優勝までの経緯やどんな人たちが活躍したのか、こと詳細に教えてくれた。
 1時間ほど同窓会に興じたあとに、また入れ替わるように大崎俊夫・祐子夫妻が見舞ってくださった。二人もとても素敵な花のアレンジメントを持ってきてくれた。部屋の中が明るくなる。
昨日のうちに依頼されていた友愛の新聞への記事を送った。50周年の集いの時の感想を綴った。今年5月文京区音羽の鳩山会館で行われたものだ。使用する写真についても問い合わせがあったが、事務局に任せることにした。
| 2003年08月29日(金) |
【写真付】親父もダウン? |
朝食前に、田面木の叔父がきた。どうしたのかと思ったら、夕べわたしの父が高熱を出して動けなくなり、救急車で病院へ連れて行ったというのだ。妻と二人で一瞬フリーズする。でも今朝は既に熱は下がり、落ちつたとのことだ。叔父はここへ来る前に父の様子を見てきたのだった。
息子がこんな病気で長期入院しているところへ、今度は親父が入院したのでは、世話をするほうが足りなくなる。お袋がついてはいるものの、父と同様高齢だ。あまり頼りにならない。朝食後さっそく妻が様子をみにいく。幸い夏風だろうということで、熱はほとんど下がり、数日中には自宅へ戻れるのではないかということだ。少しは安心した。
 午後には消防団でお世話になっている、隣の町内の山田雅啓夫妻が見舞ってくださる。素敵なお花を持ってきてくださった。奥さんはここ労災病院にお勤めだが、今日はこの時間非番だったのだろう。当然消防団の話や、先日行われた地区の運動会の話を聞かせてもらった。あとは元気になって一緒に飲むだけだ。がんばって回復するからもうちょっと待っててね。
先日慶長さんが来てくれたときに、一緒に来てくれた大坪さんから来た話では、花火大会で上がった「ねこ」の顔に似た花火は、私たちはドラえもんかななどと話していたが、実は「タマちゃん」だったそうだ。そういわれてみると頭の格好とかねこではなかった。あざらしのタマちゃんだったのだ。とにかくひげが3本確認できた。
朝からとても眠気がする。朝食後すぐに眠り、昼食後にもまた眠った。ここ数日似たような感じが続いている。午後、薬剤師の人が来て、現在飲んでいる薬について詳しく解説していった。その中で1日3回飲んでいる強力な痛み止めが眠気の原因かも知れないという話になった。日中眠気が強いようだと、薬の分量がちょっと多いかもしれないらしい。主治医の先生と相談してくださるそうだ。
午前中に整形外科の外来に呼ばれた。先週のCTやRIやMRIなどの検査結果が出た。例の愛想の悪い整形の先生が言うには、腰の骨に一部もろくなっているところがあり、それが痛みの原因ではないかということだった。写真でも一部抜けているところがあった。放射線療法を化学療法と組み合わせるなどの方法があるらしい。内科の先生と相談して治療法を決めくださるそうだ。
なんだ、ぎっくり腰かなんかだとばっかり思っていたら、一連の病気から来る痛みだったのか。リハビリなんかやってる場合ではなかったのだ。これはちょっとショック。来週放射線科の先生から見てもらい、電気をかける(と長谷川先生は言った)治療をしてもらうらしい。腰は体の要だ。これが悪いと本当につらいものだ。
5月に友愛青年連盟の50周年の集いがあったが、そのときの流れで、友愛の新聞へ掲載する記事を頼まれてしまった。いったいどんな記事を書いたらいいのだろう。とりあえず「集い」のときの感想でよければそうしたいのだが、なんとかなるだろう。
| 2003年08月27日(水) |
【写真付】「藤九郎」というえんぶりのお菓子 |
今日の松井は先発を外れた。ニューヨーク・ヤンキースのトーリ監督によると、松井は最近スランプで、しかも疲れも溜まっているらしい。よって今日はディフェンスで使うんだそうだ。
試合開始直前、アメリカ国歌が演奏され、選手たちは帽子をとり胸に当てる。松井のクローズアップが映し出されたが、なんとガムをにちゃにちゃ噛んでいた。「国歌吹奏⇔ガムにちゃにちゃ」これってOK?
今日の始球式は、今季限りで引退を表明しているというロジャー・クレメンスのお母さんが登場した。体調を崩しているということであったが、星条旗をあしらったはではでの上着を着て、バッグを持った選手がエスコートしていた。そしてマウンドのずうーっと手前から、最初はちょっとためらった後キャッチャーめがけて放った球はストライク。球場は割れるような拍手と歓声に包まれた。クレメンスとひとしきりハグしたお母さんにエスコートの選手の持っていたバッグから1本のチューブが見えた。点滴をしながらも始球式を引き受けたようだ。
肝心の松井は9回表の守りからレフトの守備についた。これで連続試合出場記録は更新を続けている。
今日はスポーツ健康課の野里さんと磯島さんが来てくださった。眠っているときだったので、ちょっと寝ぼけた対応をしてしまった。スポーツ健康課は我々の政策推進室の向かい側にある。最近どうも山村が見えないが、海外へでも行ったのだろうかぐらいに思っていたらしい。入院したというのはつい最近聞いたそうだ。意外と伝わらないものだ。
その野里さんだが、最近脳梗塞のため3週間ほど休んだのだそうだ。眠気がする、言葉がつながらない、なんか変だと思い、脳外科の診察を受けたら梗塞が見つかったという。でも既に復帰しているから軽くて済んだのだ。不幸中の幸いだ。本当に良かった。
市役所の郷土芸能保存会の面々も来てくれた。中崎会長、佐々木益澄、石橋敏行、磯島隆、山田正行の各氏だ。今年の虎舞の様子を写真に収めたCDと、会長が作ったえんぶりのCDをもってきてくれた。今年もたいへん盛り上がったそうだ。
 また、吹上のお菓子屋さんで「藤九郎」というお菓子を出しているというので、「奥さんに」といって持ってきてくれた。その包み紙の絵柄がとても良かったので写真で紹介しておきたい。
そして一個ずつの包みには、この菓子のネーミングの由来が書いてあるのだが、それがちょっと気になるところが何箇所かあったので、こちらも紹介しておきたい。これでいいのだべが。
♪エンヤエンヤとえんぶり摺りの藤九郎殿が参って候 ♪正月の祝いに松の葉をば持ちて祝いたるものかな
当八戸地方の代表的郷土芸能”えんぶり”の摺り初めの唄です。舞い手を太夫といい、太夫のうち指導者を”藤九郎”と言うことからこの名が出来たのでございます。 現在重用無形民族文化財の国指定となっておりこの由緒ある芸術は素朴で庶民的な味わいの深いもので御座居ます。 このイメージをもとに製造されたものがこの 銘菓で御座居ます。 店主謹白
今日も天気が悪い。新聞のお天気欄でも、テレビの予報でもお日様マークだったのに、ずうーっと雨が降っていた。異常気象も極まれりといったところか。
今日で便が出ていないのが3日目である。今日の私のメインの仕事はこの便の始末である。朝のうちに排便を促す効果のあるレシカルボンという坐薬をもらう。これをいつ使うかが問題である。朝食後便意をもよおすが、ガスのみで本物は出てこない。その後すぐに眠気を催したのでベッドに横になる。坐薬は午後使用することにする。
やがて母がやってきた。バスを乗り継いで来たそうだ。八幡から1時間もかからない。しばらく話をして午前中に別の病院にも行くと言ってまたバスで帰っていった。
昼食後、便意をもよおす。今度は本物だ。レシカルボンを使用しなくて済んだ。
午後3時過ぎ、田面木の叔父が来てくれた。今日は叔父だけ(奥さんは来ていない)だったので、叔父とゆっくり会話ができた。お盆前には孫が二人はやてに乗って東京からやってきたそうである。12日間いたそうだが「まいった」そうだ。携帯電話のメールやゲーム機の話など、おじいちゃんたちはついていけなかったようである。
今年の天気にもまいったようである。叔父たちは自宅の近くで畑を作り、さまざま野菜を作っているが、今年のできは良くないそうだ。(収穫するとよく我が家にもおすそ分けをしてくれる)とにかくあせらずに養生することだと励まされた。
夕方、先日来て下さった佐藤先生の話を思い出した。先生もそろそろ還暦に近く、男はみんな前立腺のチェックをしておいたほうがいいといわれてしたそうだ。 「前立腺がんの検査はいがったんだよ、血液検査だすけな。そごさ横になってあっち向けずんだよ。何すんだべと思ったら、突っ込んでかまされだんだよ。こやすずのお前覚えでらったが?」 いわゆる触診であるが、私は知っていた。先生はかなりショックだったらしい。その話し振りがおかしくてしょうがなかったが、傍らで聞いていた妻は笑いをこらえるのが大変だったらしい。
| 2003年08月25日(月) |
Time heals all wounds. |
だんだん腰の調子も良くなってきたかと思ったら、今朝起きるときにはいけない感触があった。今日はインターフェロンの注射もあるし、大事をとってボルタレン50mgを使う。(たまたま手元に25mgがなかったため)薬に頼ってばっかりだが、痛めてしまってからでは遅い。
午前中注射を待っていると、新井田の伯父が来てくれた。月に1回の診察の日だ。伯父はペースメーカーを入れているため毎月診察に来ている。先月は病院に来ていながら、私のところに寄るのを忘れてそのまま自宅に帰ってしまい、奥さんに叱られたと話していた。 「今日は間違えないで来たな」 とご機嫌でやってきた。前回は4階だと思って、4階をさんざん捜したそうだ。今日は最初から6階へ上がってきた。伯父のところは子供はたくさんいるが、みんな別居しているため寂しそうだ。当然話題はその子供たちのことになる。これもやはり普段聞いてくれる人がいないということの裏返しか。
午後主治医の長谷川先生がおいでになった。今週のインターフェロンの注射で最初の1クールが終わる。その段階で整形外科の先生とも相談し、同じ治療を2クール目にやるか、あるいはさらに強い薬を使うか決めるんだそうだ。
9月の上旬で診断書を出している「3ヶ月」が経過するので、新たに診断書を出さなければならない。先生に相談したら、あまり短く細切れになってもいけないので、新たに「3ヶ月」の診断書を出してくれるそうだ。万一それ以内で済んだらそれに越したことはないし、ということだ。当初見込んでいた「半年はかかるだろう」という予想が、そう外れていないということか。そんなに簡単には治ってくれないらしい。
そんな中、東京の白井さんが掲示板に書き込みをしてくださった。「Time heals all wounds.」どっちみち長くかかるんだから、あせらず「時の流れに身をまかせ」るしかないだろう。先日「通りすがり」さんが書き込んでくださった言葉は「日にち薬」。どちらも似たような意味と解釈していいのだろう。あせらず、ゆっくりということか。
夕食後、松葉保育園の営田友子さんが夫の英治さんと見舞ってくださる。私の妻が保育園でお世話になっている。長期休暇をとり迷惑を掛けている。先日行われた舘地区の運動会で我が八幡町内は準優勝したそうだ。数年前までいつもビリを争っていたが、最近はたまには優勝しても良いのではないかと気合を入れている。昨年は4位、一昨年は3位と健闘している。私がいたらきっと優勝だったに違いないと思うと残念で仕方がない。
「安静にしていることもつらいもの それも治療のひとつと割り切る」
「世界中駆け巡り来る友の顔 今日は目の前輝く笑顔」
| 2003年08月24日(日) |
【写真付】妻も獄中バースディ |
今日8月24日は妻の誕生日である。こういう状態なので何もして上げられないが、とりあえず「誕生日おめでとう。」そして「ありがとう。」と言いたい。これまでの入院生活約3ヶ月間、日夜献身的に介護してくれている。本当に感謝してもしきれない。これから続くであろう何十日かの闘病生活でもまた同様にお世話になる。苦労をかけるがずうっと面倒を見て欲しい。元気になったら何倍もお返しをするから。(何回目の誕生日かは内緒)でも妻の誕生日まで獄中バースディになってしまった。申し訳ない。
日曜は検査や特別な治療などはないので、午前中に妻が自宅へ戻った。その間、たまっていたDVDを鑑賞することにした。今日は「ブリジット・ジョーンズの日記」(Bridget Jones's Diary)にした。これは先日アマゾンで注文したものである。
午後にはホームページつながりで知り合った原田千絵子さんが見舞ってくださる。彼女は私のホームページの掲示板に書き込みをしてくれたのを契機に知った。今年のお正月には福田先生と飲んだときに呼んだことがあった。冬季アジア大会の直前で、確か福田先生からアイスホッケーの講義をしていただいた。その彼女が昨日は慶長さんと食事をしたらしい。こっちもホームページつながりである。内緒の話をたくさんきいたそうだ。本当にこういう輪の広がり方はおもしろい。彼女はまた渡英を考えているらしい。
 夕食前に書道クラブの佐藤翠洋先生が来てくださる。今日は倉石のヨーグルトと「いわし+ひえめし」別名「けがじ弁当」を持ってきてくださった。なんかのイベントがあったらしい。夕べ書道クラブの例会で私のホームページの話題になったそうだ。しかし先生のパソコンがウイルス感染したらしく、私のHPのチェックはできていないらしい。
誰が名づけたか知らないが、この「けがじ弁当」いわしの油と塩加減が絶妙で大変おいしかった。湊育ちの妻は「ほっぺたが落ちる」と言っていた。佐藤先生は塩の振り方がとってもいい加減でしょっぱいと思うよと話していたが、そのいい加減に振った塩がちょうど良かったのだろう。こんなのを食べたら、病院の食事が食べられなくなるのは止むを得まい。
夕食後、今度は池本室長が来て下さった。先日の知事への要望のとき、新聞でも話題になっていた三沢市長が怒ってドタキャンした話の裏話とか、最近の室の仕事の話を詳しく教えてくださった。10月にはイベントが目白しだという。その頃までに復帰できるか。ぜひ復帰してみんなと一緒に仕事をしたい。
| 2003年08月23日(土) |
【写真付】ワシントンの慶長さん、小渡さんらと来てくださる |
今日は天気が下降気味である。午後から雨になった。それを予測してか、朝から腰の調子がよろしくない。よほど気をつけないとまた大きく痛めてしまいそうである。午前4時半にトイレに起きるが、危ない感触だ。ベッドに戻った際ボルタレン25mgを使う。
最近痛み止めの飲み薬も増やしているのに、緩和される気配があまりしないのはなぜだ。昨日のMRIで1時間も硬いベッドに固定されていたのでその疲れもあるに違いない。別の看護婦さんが来るたびに同じことを言っている。でもそうでも思わないと、あまり良くならない説明がつかない。
午睡の後、トイレに行く。今日の高校野球決勝はどちらが勝っただろうかとテレビをつけようとしたら、音喜多博さんが現れた。「トイレに行ってたの?」どうして分かったのかと思ったら、さっき一度部屋に寄ってみたらしい。そういうやり取りをしているうちに、慶長寿彰さん、小渡章好さん、大坪秀一さんがやってきた。慶長さんの里帰りに合わせて皆で見舞いに来てくれたそうだ。
世界銀行勤務の慶長さんは約3週間の休暇をとって家族と共に帰省したそうだ。この休暇中にブリスベンで行われるリバー・フェスティバルに行くそうだ。病気でなかったらぜひ一緒について行きたいところだ、と話したら、来年行こうということになった。ぜひ実現したい。お土産に世界銀行のロゴ入りペンセットとホームページ作成に関する本を2冊差し入れてくださった。
 私が6月に入院する直前に、慶長さんがNHKの地球ラジオという番組に出演した。出張先のスリランカからの出演だった。布団の中で苦しみながら聞いたのを思い出した。MDに録音したままになっている。あれからもうそろそろ3ヶ月になる。スリランカは政府と反政府組織「タミールの虎」との内戦後の復興が課題だ。もう何度もスリランカに出張しているそうだ。バグダッドでは国連がテロの標的にされた。他の地域でも国際機関が狙われたりしないよう祈りたい。慶長さんも気をつけて。
やはりホームページの話題にもなる。私のHPはさておいて、慶長さんのHPはしっかりチェックして欲しいものだ。特に小渡さん、慶長さんのHPにたどり着けないらしい。検索で絶対に引っかかるはずなのに不思議だ。奥さんは私のHPをも見てくださっているというのに、ぜひちゃんと見て欲しい。その小渡さんが帰り際にカメラ付き携帯で私の写真を撮っていた。
今夜はこの4人(他にも参加者が増えるのかもしれないが)は私を肴にたっぷりと飲むんだろうな。うらやましい。かだりたい。
さすがにそれぞれの分野でリーダー的活躍をされている4人であるだけに、いろんな話題にとても刺激を受けた。慶長さんにおいでいただいたのはもちろんのこと、小渡さんにもきていただいたのには感激した。はやく復帰して皆さんと一緒に、いろんな活動に参加したいものだ。
夕食前に同じ地区でお世話になっている若松利雄さん夫妻が見舞ってくださった。利雄さんが以前うちの母と同僚であったことや、お嬢さんがうちの娘と同級生であることなどでしばらくお付き合いをいただいている。先日行われた、舘地区出身の市職員で組織している舘会の会合に私が欠席したので、知り合いにたずねたところ、入院していることを知ったそうだ。心配していただいて本当にうれしい。
夕べの花火大会は見事だった。労災病院東病棟6階611号室はオーシャンヴューの窓越しに最初から最後まで残らず見た。八戸の花火大会をこんなにじっくりと見たのは初めてである。よその花火大会はきっともっとゴージャスで盛大なのだろうが、一旦は消えた花火大会ではあったが市民の気持ちで継続された。しかも2回の延期を経ての開催だ。感激もひとしおである。
大曲や隅田川など、よその花火大会は見たことがないが、きっと盛大なのだろう。これまでに私が見た花火ですごいといえるのが2回ある。
一度目は、1984年、日中青年友好交流に参加し、北京の天安門広場で打ち上げられた、数万発の花火である。我々は国慶節の前夜にあたる9月30日、天安門広場に集まった中国青年数万人と共に歌ったり踊ったりの大野外パーティに連れ出された。そしてあの広大な広場を埋め尽くした若者たちのそのさらに外側の四方からものすごい数の花火が打ち上げられた。そのすごさといったら言葉に表現できないほどだ。上を見ていると花火の残骸が落ちてくる。私などは残骸が目に入り、中国側の少女に介抱してもらった。言葉は通じないものの、優しさは十分に伝わってきたのを覚えている。
二度目は、1995年、シンガポールで行われた「日シ郷土祭」に八戸市の三社大祭が参加した際、会場の陸上競技場で打ち上げられた花火である。私たちは山車の製作に短い時間でがんばっただけに、この日の美しい花火は感激も新たであった。
夕べの花火は、病床から見ていたのは若干皮肉ではあったものの、市民の手によるものという感動は伝わってきた。今後継続されることを期待したい。
体に金属が入っているとMRIはできないのか。これは昨日看護婦さんたちの間でも議論になったことであるが、それは金属の種類によるらしい。磁化しないものは大丈夫なのか。私の体に入っているのはチタン合金だ。こいつは磁石にくっつかないので大丈夫?
結局今日のMRI検査は強行(?)された。先日のCTと同じように細いベッドの上に横たわり、ベルトで固定され1時間もの間じっと動かずに我慢していなければならない。かたいベッドに腰を固定したので、今にもブチッと切れそうであった。しかもここ労災病院のMRIは一段とやかましいような気がする。村上脳神経外科や市民病院でもMRIに入ったが、こんなだったろうか。細いトンネルの中に入ってものすごい圧迫感の中、機関銃で撃たれているような音が耳元でするのだからたまらない。途中で「もう許してくれ」と言いたくなったが、なんとかこらえた。終わってみると、当初40〜50分という話だったのが、ちょうど1時間かかった。
これで一連の検査は終了ということになる。来週の整形外科の診察を待つことになる。どういう診断になるのかな。自分ではぎっくり腰だと思うけど。
階段を一段だけ踏み外した。腰にズキンという痛みが走って目が覚めた。夢で良かったとは思ったが、本当に空脚を踏んでいた。体を休めるために睡眠をとっているのに、寝ている間に痛めるとはなさけない。今日は検査もあるし、ボルタレン50mgを使う。
今朝から久々の青空だ。ちょっとは夏らしくなった。妻と交替した娘が「暑い、暑い」といいながら部屋に入ってきた。付き添いの手伝いも今日までだ。今夜の新幹線で東京へ戻る。アルバイトに精を出すそうだ。
今日はCT検査がある予定だ。しかし、あるというだけで何時ごろなのかさっぱりわからない。一日中気にしているのは大変だ。生殺しというものだ。看護婦さんに、せめて午前とか午後とかぐらい分からないか聞いてもらうことにした。そうすると外来の患者さんが済んでからになるので、午後3時以降という回答だった。これで心と体の準備ができるというものだ。
昨日はRI検査、今日はCT検査。さらにMRI検査もやるのか。自分としてはもう検査は十分だ。もう許して欲しい。まだまだ検査の予定はあるのか看護婦さんにきいてみた。MRIは磁気共鳴による診断装置であるから、金属が入るような手術をしていればできないらしい。そうか、もうおしまいか。
光星学院が東北高校に1−2で負けた。惜しかったが良くやった。ご苦労様。明日から応援する楽しみがなくなった。貴乃花がいない大相撲のようなものだ。しかし、これでデーリー東北も高校野球以外のまともな記事が増えるだろう。今日の一面トップを見たか。「光星快進撃 8強」だぞ。むつ市長が自分の支持者に中間貯蔵施設の計画を漏らしたとか、三沢市が県への重点要望説明会直前にケツをまくって帰っちゃったとかいうニュースのほうがよほど重要ではないのか。
午後3時過ぎCT検査に呼ばれる。心配した看護婦さんが検査室まで同行してくれる。今日もやはりコルセットの着脱が最大のポイントだ。今回は一人が腰を持ち上げておいて、横からコルセットを抜いた。装着はその逆である。腰を再び痛めないよう本当に気が抜けない。
夕方、妻神次長が寄ってくださった。白銀南地区でのタウンミーティングがあるそうだ。前回は白銀地区だったのに、今度はすぐ隣の地区、べう別にやらなければならないほど、それぞれ人口規模が大きいのか。舘地区は一発だったなあ。昨日の重点要望での裏話や県の財政再建の話題に花が咲く。次長の情報によると、土曜日にワシントンから帰省している慶長さんが来てくれるらしい。楽しみに待っていたい。
夕食前に反対側の病棟に入院している女性患者二人が、花火大会を見たいがために、ハーバーヴューである我々の病室を物色して歩いていた。なんとかもぐりこみたいらしいが、何しろ窓側の一人は私もまだ口さえきいていない。今日は中村さんと仲良くしよう。
今夜は花火大会だ。窓から八戸大橋が見える。市川方面からこちら湊側に向けてヘッドライトが長い列をなしている。彼らは開始時刻までに良い場所をキープできるのだろうか。
久々に坂本達の「夢の架け橋プロジェクト」のメルマガがきた。ギニアで井戸を掘ることになったらしい。その視察へ行ってきたそうだ。その後の講演予定も掲載されていた。9月には青森県にも来る。せっかくだから転載しておく。
┌────────────────────────────┐ │ 今後のスケジュール★│ └────────────────────────────┘
【講演会情報】
新しい講演会情報を更新しました NEW!!
---------------------------------------------------------- 【東京都新宿区】 日時 : 8月29日(金) 16時〜18時 詳細未定、お問合せください tatsuoffice@yahoo.co.jp ---------------------------------------------------------- 【東京都東久留米市】 チャリティーイベント SPUTNIK Presents Charity concert JAZZ NIGHT 2003 〜with Window of Peace〜 日時 : 8月30日(土)18時30分(開場18時) 会場 : 東久留米市市民ひろば(本町3-3-1 TEL0424-70-7813) 入場料 : 2000円(軽食付き) CAST : 沢田駿吾(ジャズコンサート) 坂本 達(トークショウ) 原宿表参道欅合唱団「音傳」(合唱) ♪この他、歌のイベントもご用意しています。 また、Window of Peace(平和のオブジェ)の作成に参加す ることもできます。 (注:作成費として、別途1000円が必要になります。)。 ♪今回のチャリティーコンサートの収益金は、 Window of Peace普及活動及びカンボジア支援(井戸の無い 村に井戸を設置します。)に充てられます。 アクセス : 西武池袋線東久留米駅から徒歩5分 (注)お車でのご来場はご遠慮ください。 ---------------------------------------------------------- 【東京都日野市】 『真剣に生きる』能城律子さん、坂本達さん講演会 (能城律子さん=世界127ケ国を旅し、世界中の「女性と子ども たち」とふれあい、余命3年と宣告された2度の癌を克服し、 59歳からあの過酷なパリ〜ダカールラリーに挑戦を続けるスー パーウーマン。起業家としても、世界で初めてのホテル内ベビー ルームを開業、17万人の子どものお世話されてきた方です) 日時 : 9月3日(水)午後1:30〜3:25 会場 : 日野市第三中学校 体育館 東京都日野市程久保650 TEL 042−591−2228 (京王線高幡不動駅下車) 対象 : 全学年生徒、教職員、父兄、一般(予約不要) ---------------------------------------------------------- 【福岡県福岡市】 「自転車世界一周 4年3ヶ月の夢」 〜人は助け合って生きている、自分のできることからやろう〜 日時 : 9月4日(木)13:30〜15:30 (受付13:00〜) 会場 : アクロス福岡 大会議室7階 主催 : 社団法人 福岡県青少年育成県民会議 入場 : 無料 予約不要 ---------------------------------------------------------- 【大阪府三島郡】 「笑顔に会いたくて」4年3ヶ月有給休暇で世界一周 日時 : 9月6日(土) 10:30〜12:00 会場 : 大阪府三島郡島本町「ふれあいセンター」 三島郡島本町桜井二丁目 075−961−1010 主催 : 日本ボーイスカウト島本第一団 後援 : 島本町教育委員会 入場 : 無料(250名) お問合せ先 : 日本ボーイスカウト島本第一団 丸谷登 090−1074−8161 m_noboru@f8.dion.ne.jp ---------------------------------------------------------- 【大阪府高槻市】 日時 : 9月12日(金) ※詳細未定 ---------------------------------------------------------- 【愛媛県宇摩郡土居町】 日時 : 9月17日(水) ※詳細未定 ---------------------------------------------------------- 【福岡県大牟田市】 日時 : 9月19日(金) ※詳細未定 ---------------------------------------------------------- 【宮崎県都城市】 日時 : 9月20日(土) ※詳細未定 ---------------------------------------------------------- 【青森県五所川原市】 「夢を語れる大人になろう、伝えたい3つの法則」 『こどもの文化』あしゅまるまつり 日時 : 9月27日(土) (開場11時30分) 12時〜12時30分 Aおはなし会 B粘土細工体験 12時30分〜1時 あしゅまる隊あいさつ 五所川原小学校バトン部による歓迎発表など 13時〜15時 坂本達氏講演会 会場 : 五所川原小学校体育館 五所川原市新宮岡田161 主催 : 『こどもの文化』あしゅまる隊有志 後援 : 五所川原市教育委員会・東奥日報・エフエム青森・ NHK青森放送局 参加費 : 大人700円、子ども無料 (定員300人) 予約・お問合せ : TEL0173−38−1130、 merry612@jasmine.ocn.ne.jp (高橋) ---------------------------------------------------------- 【青森県弘前市】 「やった! 自転車世界一周の交流」スライド&トークショー 日時 : 9月28日(日)13:00〜15:00 会場 : 弘前パークホテル 主催 : (財)ラボ国際交流センター青森地区 弘前市きらめき女性塾4期生"結" 国際交流を考える会 後援 : 弘前市教育委員会・東奥日報・陸奥新報・NHK・ ATV・RAB 対象 : 子ども〜お年よりまで! 入場 : 無料、整理券発行(パークホテル、紀伊国屋書店、 弘前文化センター、東奥日報社) 講演後懇親会 : 要予約、会費1,000円(当日) お問合せ : TEL/FAX 0172−34−0104 yaekos@smail.plala.or.jp 要予約(佐藤) ---------------------------------------------------------- 【福島県安達郡岩代町】 日時 : 9月29日(月) ※詳細未定 ---------------------------------------------------------- 【富山県小矢部市】 日時 : 10月2日(木) ※詳細未定 ---------------------------------------------------------- All rights reserved 2002 Tatsu Sakamoto
今朝の天気もパッとしない。それに併せたように腰の調子もあもりよろしくない。今日はインターフェロンの注射もあるし、あらかじめボルタレン25mgを使用する。
例の一番奥の患者とは口をきいていない。隣の人が毎朝「おはようございます」と声を掛けるのだが反応がなく、最近はそれもやめたようだ。今朝妻がカーテンを引いたとたんに顔が合ったので「おはようございます」とあいさつしたら、なにやらボソッと返事をしたらしい。きっとびっくりして間違えて返事をしたんだろうと私は思う。
午前10時ごろインターフェロンの注射をした後横になる。ちょうどそこへコルセットの業者が来て、かねてより背骨の一部が当たって痛かったところを補正してもらった。声を掛ければいつでも来てくれるとのことだ。さすがにうまく直してくれた。もっとはやくお願いすれが良かった。
昼食直前に「骨シンチ」(骨シンチレーションあるいは骨シンチグラムとかいうらしい。)のための注射に呼ばれる。戻ってくると昼食が配られていた。今日はサンドイッチだ。昨日母が買ってきてくれたサンドイッチを思い出す。食事中に娘が両親を連れてやってきた。父の顔を見るのは久しぶりだ。顔色も良く元気そうだ。しかも車椅子から立ち上がる動作は私より数段よろしい。母はケーキとシュークリームを買ってきてくれた。あわせて昼食とする。
妻と共に両親が帰った後、主治医の長谷川先生がおいでになった。血液検査の結果、なんだかの数値が、入院当初は10,000超だったのに対し6,000ぐらいまで下がってきており、治療の効果が出てきているとのことである。
午後3時、骨シンチ検査に呼ばれる。RI(Radio Isotope)検査室でガンマカメラという機械で撮影される。どんなけんさかというと、
1.RI検査とは、 ガンマ線という放射線を出す放射性同位元素を含む注射をして、体内に入って臓器や病変部に取り込まれた薬から出る微量のガンマ線をカメラで撮影する検査である。
2.検査薬から放出される放射線 RI検査では影響の少ないガンマ線が用いられている。ガンマ線を放出する放射性同位元素の中でも寿命の短いものが用いられ、きわめて微量が投与される。
というようなことが検査の説明書には書いてある。きわめて細いベッドに仰向けに縛り付けられ、顔の数センチメートルのところまでカメラが上下したり前後したり移動する。ものすごい圧迫感だ。これで30分我慢する。それより大変なのがコルセットの着脱だ。その細いベッドに寝てからコルセットを足元のほうに引っ張って抜く。検査終了後、付けるときはその逆だ。ところがなかなかうまく入らない。自分で腰を持ち上げられないからだ。助っ人を呼んでなんとか付けてもらう。そしてこの細いベッドから起き上がるのも一苦労だ。自力では無理で、やはり検査技師の人から抱き起こしてもらう。やっとこれで検査終了だ。なんとか腰を痛めず切り抜けた。
次長からお借りした「なぜま中国か」という本を読んだが、あの「EM」を褒めだしたので途中でやめた。どうも信用できない。
新知事が若手県職員との懇談会を始めたが、その中で県立美術館の年間運営費が8億円に上ることが明らかになったそうだ。なんでこういう会合で出てくるんだろうか。それまでわからなかったのか。しかもコンペの段階で維持費は考えていなかったというからたまげた。まじめに検討しているんだろうか。三村新知事はハコモノは作らないという方針のようだが、この際、総合芸術パークなんかやめて、県立屋内スケートリンクの建設費に回してもらってはどうか。
朝の起きがけがどうも怪しい。ベッドから立つのが最大のネックだ。左手で妻の手につかまり、右手でオーバーテーブルにつかまり、まっすぐ上に向かって立ち上がるのだが、ちょっとでもバランスが崩れると腰に傷みが走る。やっと立ち上がって車椅子に移る。
今日は検査も治療も予定が入っていない。腰が痛い間はもちろんリハビリも休みだ。土曜日に痛めてから3日間安静が続いた。今日で4日目。午前中主治医の長谷川先生がおいでになり、相談の結果、痛み止めの飲み薬を増量することになった。昨日も別の痛み止めと骨を丈夫にする薬を追加しており、薬の量が増えてきた。そのせいかどうかはわからないが、昨日からイマイチ食欲が落ちた。薬に負けちゃいかんと思い、無理にでも食う。
昼前に久しぶりに娘と一緒にお袋が来た。火曜日は親父がデイケアサービスを利用する日で、母は家で一人きりだ。みんなで食べようとサンドイッチを買ってきた。そういうことになると、病院の食事には手がつかない。理由は言わなくてもわかると思う。楽しく4人で昼食会をした後、お袋は妻と一緒に自宅へ戻っていった。
夕方自宅から戻った妻と娘に手伝ってもらい、軽く清拭後着替えをする。コルセットを緩めた瞬間、左の腰にグラッとくるものがあったが、一度締めなおし、もう一度気合を入れてやり直す。妻はあまり怖がらずにとは言うが、また「ギクッ」とか「ズキッ」とくるのではないかと心配でたまらない。
でも妻が言うとおりあまり怖がっていても良くならない。なんとか回復への糸口をさぐりたい。掲示板には通りすがりの人から「日にち薬」という言葉をいただいた。日にちが経てば治る、あるいは日にちが経たないと治らない、時間が解決するというような意味合いだろうと思う。
どこかでRDF貯蔵庫が爆発し、消防署員2人が死亡したそうだ。冥福をお祈りする。
腰の調子が悪いので、本格的に診察をしてもらうことになった。 8時過ぎにさっそく腰椎と股関節のレントゲン撮影に呼ばれる。数枚撮影して病室に戻る。
しばらくしてリハビリテーション診療科に呼ばれる。写真を見ながら「急性腰痛だと思うけど」と言いながら、やはり整形外科の先生に診てもらうよう指示される。
昼食中に整形外科に呼ばれる。とても無愛想な若い先生だったが、あれこれ診察した後、やはりいろいろレントゲンの追加とか骨シンチとか検査をしないといけないことになった。
部屋に戻って途中だった昼食を済ませる。そしてまたレントゲンに呼ばれる。今度は背中の手術した部分を数枚撮影した。
さすがに疲れた。
今日もほとんど寝ていた。 何も語ることはなし。
昼食後、いとこの有泉智子・芳明夫妻が見舞ってくれる。彼女もいろいろと体調が悪いらしく、さまざまな健康食品を食べているらしい。その中から、これまで効果があったと言う「にんにく卵黄」を持ってきてくれた。試してみるか。
午後、浪岡実明・正行家族が見舞ってくれる。お盆にうちに寄って私が入院しているときいたそうだ。お花も持ってきてくれた。彼女とは同級生でありいとこであり、でも会うのが久しぶりだ。いつも父のことを心配して、うちにもよく寄ってくれていた。
今日は朝から天気もあまり良くなく、風が強い。夕方にはガスもかかってきた。この分だと今日も花火大会は中止か。
| 2003年08月16日(土) |
マタ、コシヲイタメテシマイマシタ |
ナゼカ マタ コシヲ イタメテ シマイマシタ。 キョウハ ネタキリデス。
ウエダセンパイガ キテ クレマシタ。
家の玄関の引き戸の脇に、赤い郵便受けが取り付けてある。郵便物があるかどうかチェックに行った。何通かの郵便を見ながら、何かきな臭さを感じ、家の裏手に回ってみようとして家の脇に回ろうとしたら、そこに積み上げられてるゴミが燃えていた。その火はすでに軒にまで達していたのだ。自分だけでは手に負えない。 『火事だ!』 そう叫ぼうとしたが、声が出ない。 『火事だ!』 そんな声じゃ誰にも聞こえない。もと大きな声を出さないと。 『火事だあ!!!』
妻に揺り起こされた。 「夢でも見ていたの?」 唸っていたらしい。夢の中で叫んでいたのが、実際に声に出ていたのか。夢で良かった。しかも出てきた家は昭和63年まで住んでいた、以前の家だった。
昨日八戸高専バスケットボール部創立30周年のパーティがあった。それに出席した大鰐町の山内剛夫妻が、帰る前に見舞ってくれた。二人ともバスケ部の後輩である。 「山村さん、どしたんだっきゃ、こたに痩へでまって。」 確かに少しは痩せたが、2〜3キロのものだ。それよりわざわざ来てくれて本当にうれしい。
八戸市役所のパソコンが100台以上ウイルスに感染したそうだ。ローカルニュースでやっていた。なぜだろう。セキュリティはどうなってるの?ニュースでは県庁と八戸市役所といっていたが、よそではなかったのろうか。弘前市は?青森市は?知りたいなあ。
| 2003年08月14日(木) |
【写真付】福田先生が来てくださる |
私がこの病室に入ってから約一ヶ月、まわりの3人は入れ替わってしまい、徐々に主のようになって来た。
昨日窓際の空いていたベッドに新しい患者さんが入った。昨日の午前中、一人の女性がつかつかと黙って部屋に入ってきて、奥の空いていたベッドで荷物をひろげた。何事かと思って横目で見ていると、ご主人の入院準備なのか。遅れてやってきた看護婦さんと慣れた感じで話している。
お昼ごろになると看護婦二人に連れられて中年の男性が重い足取りで入ってきた。 「K藤さんです。よろしくお願いします。」 という看護婦の声に、こちらも振り返って 「よろしくお願いします。」 と返したが、その男性は全く反応せず、咳き込みながらゆっくりとベッドまで進んだ。挨拶もしたくないくらい具合が悪いのだろう。だから入院するんだ。そう思うことにした。自分も最初の日はこうだったのだろうか。
看護婦とのやり取りに聞き耳を立てていたわけでもないが、何度か入退院を繰り返しているらしい。看護婦には口をきくみたいだが、その口調はいささか横柄だ。昼食を届けた看護婦に 「そごさ置いでけんだ。」 (字にするとそれほどに感じないが)
今朝、朝食前に彼が私のベッドの前を通過したので「おはようございます」と声をかけたが、振り向きさえもしなかった。そんなにコミュニケーションしたくないなら個室に入ればいいのに。こっちが疲れるぜ。
今日はインターフェロンを注射していないのに、午後からまた熱が上がりだした。一応胸の写真を撮ってみることになったが、結果は特に異常はなかったようだ。
午後は熱のためずうっと寝ている。腰にも良くない。また変になりそうだ。
夕方、武蔵野大学で教授をされている福田弥夫先生が見舞ってくださった。ついさっき八戸に着いたそうだ。先生に会うのはお正月以来だが、ホームページにもしょっちゅう書き込みしてくださるので、そんなに久しぶりの感じがしない。妻も松田一氏から聞いているので、福田先生とはどんな人なのか興味があったらしい。いろいろと最近掲示板に書き込んでくださった話題で盛り上がる。
 お土産に先生から頂戴したのが、私は知らなかったが、浅草名物「芋きん」であった。これがなかなかおいしい。そしてレトロな箱に入り、レトロな包装紙に包まれている。箱には
土手の めいぶつ まんまる 月夜 いつも 芋きん ほうや ほや
なんて書いてあったり、包装紙には「墨田八景」が印刷してある。
浅草 晩鐘 柳橋 夜雨 向島 秋月 大川 暮雪 今戸 帰帆 吉原土手 落雁 待乳山 青嵐
あとの一つは包装紙がちょうど切れていて見えない。ネットで検索してみたが、「隅田川八景」というのは広重の時代からあるみたいだが、上記の場所とはちょっと違うみたいだ。こういうのを頭の片隅に入れながら浅草を散策するなんていうのもいいかも知れない。
妻に言わせると、入院生活で私の特技が活きているそうだ。どんな特技か。 ・粗食に耐えうる。 ・どこでも眠れる。 だそうだ。 病院食はまずいというのが相場だが、昔に比べたら最近の食事はかなり向上しているのだろうと思う。しかし所詮病院食、減塩やO-157対策などで味気ないものになってるのは否めない。生ものは絶対にないし、焼き魚などもかなりしっかり焼いている。そんな病院食も毎日残さず食う。自分でもグルメではなくて良かったなんて思う。
病院の夜は結構うるさい。突然急患が入ったり、看護婦さんが走り回ったり、一晩中咳き込む人がいたり。そんな中、たまには目覚めるものの、ほとんどしっかり眠っている。物音で眠れないということはない。付き添っている妻は意外と神経質なのか、物音がすると眠れないらしい。そこで以前海外旅行に出かけるときに、飛行機の中で眠れないと困るからと買った耳栓を貸してやったら、ぐっすりと眠っている。私のほうが格段に睡眠に入りやすい。
さて、この二つは果たして私の特技と言えるのだろうか。
今日はリハビリを休んだ。夜中に上がった熱が下がりきらなかったためだ。昨日の夜から抗生剤の薬も1個増えた。9時ごろにボルタレン25mgを使用。11時に37.0度まで下がったところで今日の注射をする。
巷は今日からお盆。早い時間に娘がきて妻と交替する。我が家と妻の実家と両方の「ホカイ」をしなければならない。「ホカイ」とは、今日のデーリー東北天鐘欄に詳しい。
今日は職場の若い人たちと、伊藤祐三叔父が来てくれた。
 政策推進室の今野、佐々木、山本の三氏が見舞ってくださり、ついでに私が職場で定期購読している雑誌などを持ってきてくれた。最近、室の仕事に関する記事がデーリー紙上に掲載されており、その様子を聞くことができた。これからまだまだ忙しくなりそうだ。こんなときに不在で本当に申し訳ない。
さて彼らはケーキを持ってきてくれていた。つい話に夢中になってしまい、これは皆で食べながら歓談するのだったと、彼らが帰ってから気がついた。失敗した。箱を開けてみるとたくさん入っていた。娘と「どうする?」と思ってはみたものの、食うしかないだろう。娘は一気に3個いった。私もいただいた。残った分は妻に期待したい。
叔父には背中の傷をパソコンの写真で見せてやった。 「やややっ。」 と顔を近づけて見入ると、これは30cm以上あるだろうと言い出した。写真を見た人は誰でもそれ位に見えるらしい。しかし、実際には20cm弱だ。叔父は測量会社で派遣社員として働いており、先日の台風の時には河川の流量観測で休日にも呼び出され、雨の中大変な作業だったと話していた。
yahooカレンダーを追加した。私の生活パターンがわかると思う。もし、遊びに来ていただける方、参考にしていただけるとありがたい。
10時半にいつものとおりリハビリに行った。今週は担当の先生がお休みなので、別の先生がみてくださっている。でもエアロバイクだけやればいいみたいだけど。そして最後に、 「今週だけ早くきていいよ。9時ごろにくれば空いているから。来週は高橋先生がくるので、今週だけね。」 その先生の都合に合わせてほしいらしい。別にかまないけど、注射の時間とかずらしてもらわないといけない。
今朝起きたときには平熱であった。いつもどおりの日課を過ごす予定だった。ところが午後2時の検温で37.6度あったので氷枕をもらい横になった。一眠りして3時ごろ38.1度になっていた。ボルタレンサポ25mgを使う。 4時:38.1度 5時:37.7度 6時:37.0度 7時:36.7度 と下がってきた。昨日もそうだったが、坐薬は1時間を過ぎてからでないと効いてこないようだ。溶けて吸収されるまでにやはり30分以上はかかるのだろう。
ということで、午後は寝ていた。といってもずっと眠れるわけでもない。今日はCDを聴いた。東京の和田瑞穂さんからいただいた、「Stairway to the stars」というタイトルの「Trapezium」というグループが演奏したジャズアルバムだ。このアルバムはある天文台の台長がプロデュースしているユニークなものだ。「星空への招待」にふさわしい静かなジャズ演奏である。
今日は道路維持課の楢山則夫さんが来て下さった。市庁野球部の部長もしていらっしゃる。 私もこれまで二十数年間野球をやらせもらったが、私の職場での野球人生は、この楢山さんを抜きにしては語れない。道路建設課時代にどんなに野球を教えていただいたことか。また朝野球チームの市庁ホームランズに誘ってもらったり、市庁野球部にも入れてもらった。クローバーリーグのチーム「ポパイ」でエースピッチャー(?)ができたのも楢山さんのいろんなアドバイスがあったからこそだ。
夕食後、同級生であり八戸市消防団舘分団副分団長、櫛引八幡宮責任役員総代、そして松葉保育園園長の松田一さん夫妻が見舞ってくださる。彼とは共通の話題が多い。福田先生の話まで出る。ちょうど福田先生が老眼になった話で盛り上がる。松田氏もだいぶ離さないと見えないとか。
夜も7時を過ぎると外から「八幡馬のうた」が繰り返し聞こえてきた。近くの町内で盆踊りを始めたらしいが、窓からはどこでそれが行われているのかわからない。8時を過ぎると子供の時間が終わり大人の部に入ったらしく、「八幡馬」ではなく、私の知らない曲がかけられていた。これがもし私たちの地区だったら、最初八幡馬は同じでも、大人の時間になると「ナニャドヤラ」に突入する。ここからプロのような人たちが登場する。それにつられてちょっとは自信のある人たちが輪に入り、婆たちが二手に分かれて掛け合いで歌う、あの無伴奏で意味のわからない、それでいて神秘的でエキゾチックなナニャドヤラの踊りは佳境に入っていく。
八幡の住人の結婚披露宴では、よく余興の最後に八幡馬の踊りをやる。誰かが舞台に上がって踊るのではない。会場に「八幡馬のうた」が流れると、この日招かれた人たちがおもむろに席を立ち、大きな輪になって踊りだすのだ。きれいな着物を着てきたおばさん、留袖の親戚のかっちゃ、黒い礼服の隣のとうちゃん、みんな踊りだす。この一体感がたまらない。
そんなことを考えているうちに、どこかの町内の盆踊りも9時前には静かになってしまった。
「八幡馬のうた」
1.三の木戸から八戸かけて お馬の出どころ菊どころ それ シャンシャンシャンシャン わたしゃ八幡の八幡馬 ソリャ 八幡馬
2.月の出るまで何願かける 八幡様の鈴が鳴る それ シャンシャンシャンシャン 曳いて戻らんせ八幡馬 ソリャ 八幡馬
3.金らん模様の千代紙着物 花嫁乗せて鈴つけて それ シャンシャンシャンシャン おらも曳たや八幡馬 ソリャ 八幡馬
4.引いた手綱は元禄手綱 根城を越えて川越えて それ シャンシャンシャンシャン 鈴が鳴る鳴る八幡馬 ソリャ 八幡馬
朝一で現在中国にいるソンバン先輩からメールが入る。やはり中国国内ではgeocitiesへのアクセスがブロックされているらしい。せっかくソンバン先輩のHPが中国から更新されるのを楽しみにしていたが残念である。ポルノサイトでもあるまいし、なぜアクセスできないのか不思議でしょうがない。
数分後、中国の先輩に対しメールを返信する。ほんの数分後だ。さらに数分後、また先輩からメールが届く。片や中国大陸、一方は日本国内にいながら、チャットまでいかないが、ほとんどリアルタイムでの会話に二人ともある種の感動を覚える。グローバルなIT社会を堪能している気になる。
今日は夕べに引き続き体がだるい。夕べはちょっと熱があった。氷枕などの対処をしたため今朝は平熱に下がっている。今週リハビリは高橋先生が休暇のため、簡単なメニューだ。ストレッチの後エアロバイク10分間で終了。腰に対する負担は最小限だった気がする。
今日からインターフェロンの接種をする。午後2時過ぎ、アレルギーなどがないかテストをしてから右肩に皮下注射。しばらく娘と歓談後、午睡をとる。
午後5時過ぎ、熱っぽさに目を覚ます。ナースコールでそのことを伝えると、看護婦さんが既に氷枕を準備して来てくれた。体温計をあてると38.8度。やっぱり普通に高熱が出るのだ。氷枕のほかにボルタレンサポ50mgを用いると熱も下がり始める。 午後7時:38.1度 午後8時:37.4度 午後9時:36.7度 その後再び熱が上がることはなかった。 強い薬で副作用が出るというのは当たり前のような気がするが、薬に対して体がちゃんと反応していると思うとなんとなくうれしい。この感覚は変だろうか。仮に反応がないと寂しい気がする。薬が効いているのかどうかわからないと思えるからだ。
今日以前港湾振興対策室でお世話になった大澤さんがおいでくださったが、ちょうど不在にしておりお話できなかったのかが残念である。
夕刻熱が最も高い時間帯には、労災病院のすぐ近所で酒屋とコンビニを経営している佐川さんが立ち寄ってくださった。龍翠書院でお世話になっている。雅号は竹孝。佐川酒店では『三島の泉』というオリジナルの酒をおいている。題字を我らの石橋龍翠先生が揮毫したのものだ。純米から大吟醸までそろっているので、酒好きの方試して欲しい。佐川酒店にしかおいていないそうだ。
| 2003年08月10日(日) |
【写真付】赤門と加賀藩 |
台風一過、廊下の窓からのぞく病院の建物の隙間の空は真っ青。とてもよい天気になりそうだ。こういう日は気持ちも良く、雨や曇りの日に比べ体調も数段良いような気がする。気がするだけではなく実際に良いに違いない。
日曜ということもあり、病院の駐車場はガラガラだ。朝食後妻と散歩に出てみる。やはり車椅子を歩行器代わりにしたままではあるが、正面玄関から外に出てみる。久しぶりに強い日差しを浴びながら歩いてみた。その駐車場の一角に大きな針葉樹がある。その下は絶好お日陰になっているため駐車場のロットがないにもかかわらず、2台の車が日差しを避けて駐車していた。その脇を通ってほとんど車のない駐車場を一周する。爽やかな朝の散歩であった。
昼食前に八戸高専図書館にお勤めの石川正子さんがその友人で私が書道クラブでご一緒している内城京子さんと見舞ってくださった。石川さんは我々が学生のとき、つまり昭和50年ごろ、土木工学科の事務職員として採用された。そのため我々学生より年下の事務員だったので、学生と職員という関係ではなく、まるで同級生のような付き合いになった。それは四半世紀上経過した今でも続いている。
先週彼女は研修で東京大学の図書館へ行ってきたそうだ。全国から図書館職員が集まる500人規模の研修で、最後に試験やリポート提出があり、なかなか厳しい研修だったらしい。毎年「リポートを送ったけど届いていない」とか、では控えを送れというと「控えは取っていない」などという輩がいるそうで、そういうことのないよう注意されたそうだ。
 東大といえば赤門。おみやげに「赤門もち」と「加賀鳶」という、東大赤門前の「扇屋」というお菓子屋さんの銘菓を届けてくださった。江戸時代は現在の東京大学のあるところに加賀藩の藩邸があったそうで、「赤門」は文政十年加賀藩主前田斉泰に嫁いだ十一代将軍徳川家斉の息女溶姫のためにたてられた朱塗りの御守殿門である。 また「加賀鳶」というのは鳶職人で編成された加賀藩お抱えの火消し人夫のことをいい、江戸時代の大名火消しの中でも威勢の良さと見事の火消し活動で名高かったそうだ。
お菓子の箱には当時の江戸本郷の地図が入っていた。「加賀宰相殿」という大きな屋敷が見えたり、隣には「水戸殿中屋鋪」などが並んでいる。かつてこういう場所だったということを知って現地を歩くと面白みが増すのではないだろうか。隅っこのほうには「小石川片町」などという表示もあり、この「小石川」というのは大岡越前などに良く出てくる幕府直轄の療養所がこの辺にあったんだろうなということを伺わせる。
夕食前にNPO法人「循環型社会創造ネットワーク」事務局長の音喜田博さんが来てくださる。今日の新聞でも報じられているとおり、昨日新エネルギーフォーラムが同法人の主催で開催された。その裏話も含めていろいろ伺うことができた。音さんも市役所を退職されたことでだいぶ肩の荷が下りたようだ。リラックスしてがんばってほしい。
| 2003年08月09日(土) |
【写真付】冷麺とじゃじゃ麺 |
左足がだるい。ずっしり重い感触がある。しかも動かすと痛みもある。これは昨日と一昨日外出してかなり筋肉を使ったのではないだろうか。しかも左側に偏ってだ。二日とも妻の軽自動車での移動であったが、コルセットをしている身にとっては先ずシートの角度が合わなかった。目的地に到着すするまで吊り輪につかまったままだ。しかも緊張してかなり強く引っ張っている。結果として足も踏ん張っていたのだろう。だるくてだるくてしょうがない。娘からシップ薬を貼り付けてもらう。それで気がついたのだが、腿の太さが足りない。筋肉が落ちたと思われる。これではちょっと歩けば負担がかかるわけだ。市民病院にいたころは腿の筋肉が緩み「髀肉の嘆」をかこっていたのがうそのようだ。
台風が来なければ今晩が花火大会だったのに延期になった。ここ東病棟611号室は窓の下にポートアイランドのシーガルブリッジが見え、館鼻漁港のイカ釣りの明かりも光っている。花火大会には特別席だったのに残念である。
 昼食は娘と二人で食べることになった。先日下水道事務所の人たちが差し入れてくれたカップめん版の「盛岡冷麺」と「じゃじゃ麺」を試してみることにした。インスタントで冷麺があるというのははじめてみたわけだが、中身の麺は生もので、いわゆるインスタントとは違う。賞味期限さえ今月の19日までだ。
まず、封を切り、調理方法を確認する。 具材やスープの素を取り出し、麺を開封しどんぶりに入れる。 熱湯を注ぐ。 それぞれ3分と4分待つ。 お湯を切り、冷麺は水洗いをし十分に冷ます。 スープや味噌ダレを入れかき混ぜる。
これでできあがりだ。写真をみてほしい。白っぽい盛岡冷麺の風合いが出ている。じゃじゃ麺のほうも同様の麺であるが、若干太い。普通の中華麺を想像していいたが、盛岡風のじゃじゃ麺はこの麺を使うのか。
さて味のほうはどうか。娘の評価は上々である。特に冷麺は冷やし方がちょっと足りなかったもののうまかったらしい。じゃじゃ麺のほうは、これ以外に食ったことがないので比較できる材料がない。リサーチが必要か。
今日の風子さんからのうた
『細かったこともある脚』風子 短歌のコーナーを開設していただいたのですがご期待に添えるかどうか心配です。でも楽しんで、時々書かせてもらいますね。
最近の脚事情から一首
ルノアールの描きしような太ももを もてあましおり 浴槽の中
画家つながりでもう一首 橙のダンライトに照らされたローランサンの描きし女
| 2003年08月08日(金) |
【写真付】運転免許更新に行く |
二日連続で外出許可をもらった。今日は運転免許証の更新手続きをしてきた。つまり昨日の床屋は今日のための前段であったわけだ。免許証の更新の際には必ず顔写真を撮影する。そのためにヘアスタイルを整えた(?)わけだ。
午後1時過ぎ、城下にある八戸警察署へ行くと、入り口を入って左側に運転免許更新手続きの窓口がある。まず�,料觚�へ行くと交通安全協会の人が「免許更新の方ですか?」と声を掛けてきて、手続きを手伝いながら整理券をとってくれた。31番。視力検査、写真撮影が済むと後は講習を待つ。更新時の講習は4つの区分に分かれたそうだ。 �〕ノ姫薪昭垤崕�(30分) ��一般運転者講習(1時間) �0稟娠薪昭垤崕�(2時間) �そ蕾鷙洪啓垤崕�(2時間) もちろん私は�〕ノ姫薪昭垤崕�で30分だけ。まるで免許証を作る時間稼ぎの時間を講習に当ててるようなものだ。
最近は免許証の更新手続きは誕生日の前後1ヶ月になった。以前と違い誕生日が過ぎても1ヶ月は更新ができる。これはいわゆる「うっかり失効」が後を絶たず、年間78,000件もあるのだそうで、これを救済するためにとられた措置だという。 かくいう私も平成4年の免許更新時にうっかり失効をしてしまい、青森市の三内丸山遺跡の近くにある免許センターへ行ったことがある。恥ずかしい思い出だ。
今日の講習から 他県から来た人たちから指摘されたマナーの悪さ。 ・緊急自動車へ道を譲らず、交差点を開けていない。⇒到着の遅れ ・針路変更・右左折等の合図が悪い。⇒追突事故・レーンの渋滞 ・八戸管内のマナーの悪さ、飲酒運転の多さは県下一。 ・酒気帯びの基準改正で二日酔いも検挙。
「寝てた人はあと30分聞いてもらおうかな」なんていう講師の言葉をよそに、新しい免許証をもらいそそくさと病院へ戻ってきた。
駐車場へ入ると、病院の出入り口のほうへ歩いてる集団の後姿に見覚えがある。 「ますみー!」 と声を掛けてみるがかすれた声では届かず振り返ってもらえない。6階まで上がるとそこに下水道建設課の久保、大久保、佐々木、工藤の4人の元同僚たちがいた。昨日きてくれたのは彼らだったそうだ。昨日佐京さんと交わした会話を再現することになる。 「何やってらすか?」 「車椅子押してら。」 下水道事務所にいたときの感覚で、私と大久保だとどうしてもこうなる。漫才のようなものだ。そういえば業務課の女の子たちには「ダジャレーズ」という異名までもらっていた。
私の笛の師匠である熊谷忠勝さんが佐藤篤史さんと一緒に来てくださる。やはり笛の話で盛り上がる。
 ちょうど夕食の時間、1回ホールでミニコンサートが開催された。ちょっとだけ行ってみることに。バンドのメンバーは半分以上がリハビリテーション科の先生たちだ。ドクターの上田先生も赤ちゃんを連れて見に来ていた。演奏はおいといて、病院内のサークル活動文化部の軽音楽部だそうだが、こうして患者さんたちを集めてコンサートが開けるのが素晴らしい。
7時ごろ部屋に戻ると、久保貞二さん岩澤昭治さんが見舞ってくださった。久保さんは池本室長と同級生だということで、このHPのURLを教えてもらって病状を知ったそうだ。お二人ともトラ舞やえんぶりでは大変お世話になった方たちだ。
昨夜は23時ごろ廊下で英語の会話が騒々しかった。例の米軍人のところに仲間が来ているらしい。昨日の日中も迷彩服の男女が数名見えていた。 今朝の7時ごろに部屋の前を通るともういない。既に退院したようだ。看護婦さんたちに 「もういなくなっちゃって寂しいね」 とからかうと、 「何言ってんの、通じなくて大変だったんだから。」 「でも昨日はお世話になりました。」
午前2時ごろには「胸焼け」と思われる症状で目が覚めた。胃の付近に強い圧迫感と痛みのような感触。30分ぐらいも苦しんだだろうか。ゲップをしたら少し楽になった。 これは食べ過ぎが原因である。体重が落ちてきたことを心配するあまり、昨日は家族にいろいろ食わせられた。昼前に娘がケーキを持ってきたのでホットコーヒーとフルーツタルト。昼食後、おやつに娘の買ってきたアボカド。面会の宮司さんたちと十六茶。夕方娘のおやつトッポと飲み物はティー・オレ。夕食後妻のカレーライスを3口ほど。健康なときでもこんなに食ったことはない。我が家の家族は単純である。そしてそれに同調する自分がいる。
胸焼けしている間はやはり眠れない。眠れないといろんなことを考えてしまう。 40年前、小学校2年のときのことだ。授業中に担任の先生が自習を命じた。そして私に教壇の前に来るよう命じ、一枚の原稿を差し出した。 「1回目は声を出さずに読みなさい。一通り読んだら、今度はそれを声に出して読みなさい。」 何のことかわからないが、言われるとおりに読み始めた。半分まで読んで不審に思った私は先生を振り返りたずねた。 「先生。Y君、死んだの?」 先生はそれには答えず、今度は声を出して読むよう指示した。 私は声に出して読み始めたが、やはり先ほどのところまでいくと声が震えて読めなくなってしまった。その原稿はY君への弔辞そのものだったのだ。それでも騒々しい教室内で誰かがその様子に気がつきからかいに来た。 「こいつ、泣いてら」 その輩には相手になる気にもならなかったが、先生に対して、Y君が死んだのかもう一度確かめる気にもなれなかった。 次の日も自習時間に呼ばれた。今度は教壇に座布団が一枚敷かれ、昨日の原稿は筆で書かれた巻物になっていた。前の日と同じところで声にならなくなった。葬式でも同じだった。
小学校へ上がる前に、幼稚園とか保育所などに通わなかった私には、新しい友だちはなかなかできなかったが、いろんなことを知っているY君が好きになった。そして私が今まで知らなかった新しいことを教えてくれるY君と遊ぶようになっていた。ところが突然Y君は学校へ来なくなった。
Y君が白血病という病気だったというのは後で知った。今ではいざ知らず、40年前、白血病は完璧に不治の病であった。
どうも起き掛けが腰の調子が良くない。ややもするとギックリ腰になりそうだ。リハビリのときでもベッドから起き上がるときにひねりそうだ。あまり怖がっていてもだめなのだが、油断して痛めてもいけない。
昼食後、初めての外出許可をいただき散髪に行ってきた。主治医の先生には「病院内にも床屋はありますよ」といわれたが、やはりかかりつけのところへ行きたいと話したら許可してくださった。予約の時間まで少々あったのでピア・ドゥへ電池や雑誌などを購入に立ち寄った。
数年前から市役所の近く、売市水門下にあるパーク理容室へ通っている。昨日あらかじめ電話をして午後2時に予約を入れておいた。ここ2〜3ヶ月来ないので、さては入院でもしたかと思っていたそうだ。察しがいい床屋だ。洗髪のときなどちょっとつらいので、さらっとやって欲しかったのだが、逆にいつもより丁寧にやってくれた。さすがに市民病院の床屋でカットしたときより格段の出来映えだ。
病院へ戻り、駐車場から車椅子を押して歩いていると、向こうから長靴姿の佐京利光さんが歩いてくる。 「何やってらっきゃ」 「車椅子を押してます。」 なんていう奇妙な会話を交わす。私の見舞いに来て下さったのだ。一緒に6階の病室へ来ていただき、しばらくお話をする。後から泉山覚さん、小川裕司さんが合流、デイルームで光星学院の試合を横目で見ながら会話が弾む。
ナースセンターの前を通ると看護婦さんが 「山村さん、3時ごろ面会の方々がどやどやとやってきましたけど、4時ごろまで外出してますと言ったら帰っちゃいましたよ。」 と声をかけられた。
本日おいでいただきました方々、留守にしており申し訳ありませんでした。
| 2003年08月06日(水) |
【写真付】「ガイジン」さんも入院 |
夕べは午後9時に横になってからさすがに良く眠った。ぴったし午前4時に目が覚めた。昨日のラジオ深夜便「こころの時代」俵萌子の「老後に花を咲かせる」の続きを聞きたかったのかもしれない。ラジオのスイッチを入れると5分間のニュースが終わり、ちょうど4時台の番組が始まったところだ。65歳で突然襲われた乳がん、復帰、交通事故など、彼女はそれを「突然老」と表現する。と、ここまで聞いていたら電池が無くなった。なんということだ。
トイレに起きる。トイレから出ると、出口方向が東側だ。ちょうど日の出が見えていた。オレンジ色の太陽が雲の切れ間からゆっくりと立ち昇ってくる姿は幻想的でさえあった。私は思わず手を合わせ静かに拍手(かしわで」と読む)を「ポン、ポン」とたたき、病気平癒を祈願した。
夜中はぐっすり眠っていたので私は知らなかったが、深夜に急患で騒々しかったらしい。しかも妻の話では「ガイジン」さんらしい。夜中に英語が飛び交っていたそうだ。私はここで、八戸港に入港した外国船の船員が急病になり運ばれたんだなと想像した。
朝食時に一人の看護婦が紙とペンを持てやってきた。いつも定時に患者から聞き取りをしている内容を英語で書いてくれというものだ。三沢ベースの病院から移送されたらしい。若い女性で夫が付き添っている。質問の内容は; ・痛みはある? Do you have any pain? ・それはどの部位? which part of? ・吐き気は? nausea? ・痺れは? feeling of numbness? ・便、尿の回数は? How many times did you have excrement/urine yesterday? 一枚の紙に書いてやった。
しばらくして看護婦さんがまたあわててやってきた。ご主人がなんか言ってるんだけどわからいないので聞いて欲しい、ということだ。彼女は今排尿にトラブルがあるがどうなるのか、というようなことを聞いているようだ。私は看護婦からきいて、排尿を促す注射を二回目は一回目の倍の量にしたので、あと一時間ほどで効果が出るだろう、という内容を伝えた。納得した様子で部屋へ戻っていった。後で何度かその部屋の前を通ったが、このだんな頭を抱え込んでかなりへこんでいる。
リハビリ再開から3日目、今日は担当の高橋先生はお休みなので、昨日あらかじめもらっておいたメニューをこなす。腰の状態はイマイチで、ややもするとまたギクッときそう。気をつけよう。
昨日リハビリへ行く前に主治医の長谷川先生からきいたが、血液検査の結果、治療の影響ではあると思われるが貧血の状態になっている。しかし輸血をするほどまでではないとのことだった。床屋のための外出のお願いをしておいた。
昼食後に長谷川先生がおいでになり、今後の治療を相談した。次はインターフェロンの投与をするそうだ。一般に熱が出るので外出やリハビリとの調整が必要だ。床屋を明日、インターフェロンの投与は来週から一日おきに月水金ということになった。この薬はけっこう副作用が強いらしい。発熱や脱毛だ。
先日「あるある大辞典」でアボカドの効用をやったそうで、それにはまった娘がアボカドを買ってきた。実の割り方、種のとり方などにこだわりながら食べさせてくれた。こだわったわりは掛けるべきレモン汁がなかったりでそのまま食べさせられた。メキシコ原産で非常に栄養価が高い果物であるそうだ。
ドクターがいない間は看護婦がいろんな英語表現を聞きにやってくる。「さっきより良くなったか?」「もっと注射をしてほしいいのか?」「1時間後にドクターが来るが、それまで待てるか?」などなど。適当に教えてやると、「通じた、通じた」と喜んでいた。
午後3時過ぎには櫛引八幡宮の營田稲太郎宮司と山田健二総代長がお見舞いくださった。当初神社では何も知らないでいたところへ、私の母が私の誕生日に病気平癒の祈願をしたので、何事かと大騒ぎなっていたらしい。お二人を前にこれまでの経過と病状についてすべて話した。良くご理解いただけたと思う。帰り際にパソコンで背中の傷の写真を見ていただいた。なんか見せたくなるから自慢しているようなものだ。宮司にはホームページからも見られるから日記も併せて読んでくださるよう話しておいた。
ところでびっくりだが、昨日眠れずに聴いていたラジオで知った俵萌子の仲間たち「1・2の3で温泉に入る会」の人たちが編集した「病気がくれた贈り物」という、会の自費出版本が、昨日メールで申し込んだばかりなのに既に今日届いた。がん体験者65人の手記である。さっそく読んでみたい。
入院してから風子さんに短歌の弟子入りをした。ときどき短歌の指導をいただいているが、形に残しておきたく、今日は「風子の短歌指南」ページを追加した。
「眠れずにじっとベッドに横たわり深夜放送癒しに使う」
「同室の人たちもみな病人(やまいびと)メール打つ手も控えめにして」
| 2003年08月05日(火) |
眠れぬ夜はラジオ深夜便 |
せっかく涼しい白銀地区の労災病院なのに、とうとうここ数日暑い夏がやってきた。実は冷房がない。それでも昨夜は浜風が入り込み一昨夜よりは凌ぎやすかった。その暑さのせいではないが、夕べは午前1時過ぎに一度トイレに起きてから、とうとう朝まで眠れなかった。
午前2時ごろからはNHKラジオの「ラジオ深夜便」を聞いてみた。この番組は1時間ごとに区切ってプログラムを構成している。今日のはこうだった。
2時台 ロマンチックコンサート(今日はクラシック)ヘンデルの音楽 ヘンデルはバッハとともにバロックの巨匠といわれ、共に1685年ドイツ生まれ。イタリアを経てイギリスで活躍。ウェストミンスター寺院に葬られている。バッハは一世紀近く経ってから認められたが、ヘンデルは生前からその名声を馳せた。
3時台 にっぽんの歌・こころの歌(今日は昭和48年のヒット歌謡曲) 沢田研二「危険な二人」で始まり、何曲か。五木ひろし「ふるさと」など
4時台 心の時代(今日と明日は俵萌子の「老後の楽しみ方」だったかな?) 現在72歳の俵萌子氏が赤城山の麓に「俵萌子美術館」を設けることになったいきさつや、病気をしたとき、交通事故での挫折、70歳を過ぎてからパソコンに取り組み始めたきっかけなどを語る。また、病気を契機に取り組み始めたボランティアの団体で、がん体験者の手記「病気がくれた贈り物」を自費出版した。 お話の中で俵氏の好きなことば「今日がいちばん若い」について語っていた。何かをやるかやらないか躊躇しているとき、「今日がいちばん若い。これから先、今日より若い日はやってこない」と考えることにより、何事にも挑戦してきたそうだ。50歳を過ぎて車の運転免許を取るときも、70歳を過ぎてパソコンに手を染めるときにも。
何気に感動した私は、前出のがん体験者の手記「病気がくれた贈り物」を俵萌子ホームページを介して注文した。
ラジヲを聞きながらとうとう朝になってしまった。眠くないのだからしょうがない。いつもどおりの生活を始める。ベッドから起き出す時に腰を痛めないよう慎重を期す。ベッドで腰痛体操をした後起き上がる。トイレなどを済ませ、車椅子を歩行器代わりに軽くフロア内を歩く。途中体重計に載ってみる。どうも少しずつ減少気味だ。出された食事は全部、そのほかにも果物などを摂っているのに減るとは気持ちが良くない。もうちょっとこってりしたのが食いたい。
リハビリは再開二日目。夕べの睡眠不足とまだまだ腰の様子を伺いながらだったので、昨日と同じぐらいのメニューで止めておく。歩く格好が良くなっただけでも上出来。
体重が少し落ちてきたので、妻がカロリーの高いものを食わせたがる。お昼には何とかサンドとたこ焼きを買ってきた。病院食と併せて食べる。以後いろいろ食わせられそうだ。
昼食後、睡眠不足解消のために横になってみるが、なかなか寝付かれない。音楽CDを聴いてみる。ちょっとだけ眠れたかもしれない。
ここ2・3日、娘とアイスタイムをしている。売店からあるいは自販機から娘に買ってきてもらう。アイスは苦手なのだが、治療の最中に氷をなめさせられてからは、これに慣れる必要があると考えたからだ。ちょうどお祭りが始まって暑くなったから、食ってみることにした。今日までのメニューは 8/2 セブンティーンアイス・チョコナッツコーン 8/3 セブンティーンアイス・チョコミント 8/4 ジャイアントコーン・アーモンドチョコ 8/5 ジャイアントコーン・チョコアンドバニラ である。毎日娘と何にするか相談するのが楽しみになってきた。
今夜はぐっすり眠ることができるだろうか。看護婦さんたちも心配してくれた。
山形県尾花沢はスイカの名産地だそうだ。 今朝のおはよう日本で山形のおじさんが花笠祭りやおしんとともに紹介していた。
おいしいスイカの見分け方。 �ー別詫佑�際立っていること。 �⊆蠅里劼蕕巴,い燭箸�鈍い音がすること。 これが熟していると言うことらしい。
ではスーパーなどで売っている切り売りのスイカはどう見分けるか。 �ー錣凌Г�濃いこと。 ��果肉の色が鮮やかで締まっていること。 この辺を見て購入すると美味しいスイカにあたるらしい。
ちなみに暑くなると「スイカ割り」のゲームが開催されることが多くなるが、これにはれっきとした競技規則があるそうだ。(JSWA:日本すいか割り協会)なる団体がルールを制定してる。その一部を紹介すると、 �.好ぅ�との距離はL=9.15m �∨世離汽ぅ此‖世毅毅磽躇米癲�長さ1m以内 ��審判員はその年のスイカを10個以上食べていること などだそうだ。尾花沢のおじさんは国際ルールだとかと言って紹介していたが、なかなかあやしいルールでもある。
しかも団体の略称【JSWA】はどこかで聞いたことがないか。日本下水道協会のそれである。すいか割り協会のほうはホームページなどない。
腰の調子も改善してきたので、今日月曜日からまたリハビリを再開した。金曜と土曜は痛みのため寝ていたことを話すと、担当の先生は、腰にあまり負担のかからない、とりあえず歩く訓練をしてくれた。
午後の自主トレにフロアを歩いていると、エレベータの前で高専の先輩松坂洋司さんに会う。忙しい合間にわざわざ見舞ってくださった。会社が中国に工場を進出するので中国を行ったり来たりの生活が続いているらしい。SARS解禁第一号の中国渡航も経験した。明日からのまた中国だそうだ。
そして今日8月4日が彼の誕生日である。私と同じ獅子座生まれ。別名ホモ座というらしい。彼の職場で言われたそうだ。獅子座の同僚は、なんとなくそれくさい輩が多いらしい。福田先生と獅子座はいい男が多いと言う話をしたばかりだったので、ちょっとそれはやめてほしい。他にこの話をご存知の方がおられたらご一方いただきたい。
ところで中国からは私の元のHPを開設しているgeociteisが見られないらしい。それは彼の会社の100M回線からでも高級ホテルからでも田舎町のホテルのダイヤルアップでも事情は一緒で、(回線の速さにはもちろん関係ないが)、どうやら中国政府が何らかの情報操作でブロックしているのかもしれないらしい。これも事情に詳しい方がいらしたらお知らせいただきたい。ちなみに彼のホームページもgeocitiesである。中国の写真など豊富だ。以下に紹介しておく。ぜひ一度ご覧いただきたい。 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/1355/
夕食前に下水道事務所の工藤、畠山、熊野の三氏が来てくれた。しかも盛岡冷麺とじゃじゃ麺のカップめんを持ってきてくれた。これは前回工藤氏が来てくれたときに話していたやつだ。カップめんで冷麺を食すとどういう按配なのか楽しみである。やはり若い3人とは看護婦の話で盛り上がる。どうしても市民病院と比較してしまう。市民病院入院中は看護師さんたちの写真撮影がかなわなかったのが全く残念である。ぜひなんとか入手したいものである。
部屋に戻ったところで当労災病院の看護師である都市政策課石黒さんの奥さんが、カスピ海ヨーグルトを持ってきてくださる。私のHPを読んだ石黒さんが、私が便通で苦労してることを知り、「便通対策にはカスピ海ヨーグルトだべ」と届けてくださったものだ。主治医の長谷川先生ともご相談くださったらしい。皆さんいろいろ心配してくださり、本当にうれしい。
夕食後、下水道事務所の小島氏が来てくださる。自宅が労災病院のすぐ近くだ。彼とは市役所入庁時、道路建設課での先輩だった。とはいえ同年齢なので、よく一緒に遊んだものだ。あるとき「きよし」で飲んだ後、近くにある成人映画専門の地下劇場へ行き、オールナイトの映画を見に行った。幸いというか不幸にというか、そのとき入り口には誰もいなかった。彼の「おい、入るべ。」に誘われ、後ろの席で30分ほど見ていたが、アルコールのせいもあり、半分眠りかけていたところへ、後ろからドスの利いた声で 「おめえたち、銭払わねえで入ったべ。」 元気の言い彼は 「払えばいいんだべ。入る時誰もいながって」 と返した。それを聞いたドスの利いた声の主は 「ちょっと外さ出だ方がいいんでねえが?」 われわれ二人は映画館の出口までは落ち着いたふりをして歩いていったが、出たとたん猛烈にダッシュした。振り返らなかった。なぜか二人とも市役所の前までノンストップできていた。酔ってはいたが、二十歳過ぎの頃である。まだ若かった。
その彼も大きな病気を経験しており、経験談は大変参考になった。二人とも当時の体型だけは変わっていない。
今日から蒸し暑くなった。冷夏の影響と、労災病院が白銀地区にあるという立地条件によると思われるが、比較的涼しい毎日を過ごさせてもらっていた。市民病院にいたときには、入院したとき既に冷房が入っていた。それを考えるとここは天国だった。(昨日までの過去形)しかし、今日からさすがに蒸し暑い。
さて「ベッドにいて便意をもよおしたときはどうするか。」
トイレの仕方については、これまでいろんな便話(造語)を書いてきたが、今日はガスをもよおしたときにどう対処しているかを今日のテーマとしてみたい。
まず、「便意=ウンチ」ではない。どちらかというと「便意=ガス」のほうが多い。これは私に限らないと思う。しかし、実際にトイレに入って座ってみるまでは「ウンチorガス」のどちらかわからない場合もある。
ベッドの中で、「あっ、今回はガスだな。」と察しがつく場合もある。その場合はどうするか。そのまま出す、こともある。
病室でこのガスを出すという行為をするとどうなるか。一般に「音がする」のである。一人部屋ならいざ知らず、他の3人の入院患者にちょと気を使う。
そういう状況に鑑みて、市民病院にいるときから音を出さずにガスを出す方法「屁のすかし方」を研究している。どうしたら他の3人に気づかれずにガスを放出するか、(匂いは隠せないが)そして知らん振りを決め込むかである。
そして私が極めた究極の「屁の透かし方」はこうだ。 1.仰向けになる。 2.両膝を立て、軽く左右に開き気味にする。 3.両手で両ケツのほっぺたの肉をつかみ開き気味にしてあげる。 4.肛門が緊張しないよう力を抜く。 5.楽な気持ちでガスを出す。 このとき、緊張したり力んではいけない。リラックスが大切だ。
これで音を立てずに安全にガス抜きができるはずだ。屁の音はガスの放出によって肛門が振動し音を出すのだから、とにかく力を抜くことが大事である。
ここで注意がある。上記の方法でもまれに音が発生することがある。それは坐薬を使用した直後は危険だ。坐薬は挿入後約30分ぐらいでその成分が吸収されるらしい。しかし、その薬の成分を閉じ込めているロウのような部分は溶けるものの、残骸として吸収されずに残っているのだ。これが曲者なのである。水分が多いため、どうしても「ブブブ」と音を発生する場合が多い。
もしこの方法以外にもっとよい「すかし方」をご存知の方がおられたら、ぜひ教えて欲しい。
昼食前に水道企業団の田中光彦さんが来て下さった。いつもながらダンディーな装いである。今日もこれから三社大祭のお帰りに出陣するそうだが、最近はお酒もあまり飲んでいないらしく、控えめにやるそうだ。
昼食後一段落し、妻が娘と交代したところへ、松浦富士子・伸一さん夫妻が見舞ってくださる。富士子さんと私の妻と同級生ということでお付き合いをいただいている。またわれわれの成人式の時の実行委員会のメンバーでもある。そして美しい富士子さんはわれわれのマドンナであった。そのマドンナを突然にしてかっさらっていったのが、当時秋山皐二郎市長秘書だった伸一氏である。われらのマドンナを伸一氏に紹介したのが、同じ実行委員のメンバーであり、当時秘書課勤務だった「風子」氏だと知ったのはずいぶん後のことだった。飲み会をしてはメンバー同士で悔しい思いを語り合ったものだった。伸一さんは現財政課長であり職場で大変お世話になっている。そのお二人おそろいでお見舞いいただいた。
さて、お二人がおいでくださったときに、妻がいなかったのが残念である。私はさておき、妻をねぎらって下さりたかったに違いない。話には聞いていたが、お二人ともいろいろと病に関しても先輩であり、元気付けられることが多かった。皆さんこうして励ましてくださり、本当に幸せである。
娘と歩行訓練をする。車椅子を歩行器代わりに見立て、自分で押しながら歩く。腰の痛みが再発しないよう慎重を期す。6階東のフロアを3週ほどしてベッドに横になる。そこへ来月結婚予定の鈴木哲・春日貴子のカップルが登場。9月6日の結婚披露宴の招待状を持ってきてくれた。こんなにうれしいことがあるものか。治療の1クルーが終了するのが8月末だから、最善の場合は退院ということがあるかもしれないし、場合によっては病院から会場へ駆けつけることができるだろう。
夕方畑中京子さんが、お祭り、特にトラ舞には「モツ煮込み」を食わないと、わざわざ持ってきてくださる。毎年トラ舞のベースキャンプ(準備の部屋となっている消費軽量センター)にモツ煮込みを差し入れてくださる。私だけが病院にいてお祭り気分を味わえないだろうと、本当にわざわざ届けてくださった。お祭り好きな自分の家族の準備だけでも大変だろうに、こうなると究極の世話好きと言わざるを得ない。でも最高に美味かった。他に辛口カレーもいただいたが、こちらも絶品であった。本日の夕食は当然ながら食い過ぎた。
夕食直前に政策推進室の磯嶋夫妻が見舞ってくれる。今日も本を持ってきてくれた。「新しい単位」という、単位をパロったような本だ。自分は技術系のものだから、ニュートンとかパスカルとかの単位の解説本かと思ったら、「世界単位認定協会」なる団体が、新しい単位を作ろうとしたものらしい。笑えるところがありそうなので楽しみだ。
労災病院の看護婦さんは走る。特に明け方、シーンとした廊下を走る音が聞こえる。 「タッタッタッタッ」 その音はちょっとした駆け足というようなものではない。私にはダッシュの一歩手前ぐらいの速さに聞こえる。もちろん全員ではない。若い看護婦さん数人のようであるが、とにかく走っているのだ。
この音は市民病院では聞いたことがなかった。 「タッタッタッタッ」 看護婦さんが駆け抜ける。
労災病院の看護婦さんは、みんな優しい。一人ぐらいいやみな人がいそうなものだが、今のところそんな看護婦さんに出会っていない。
看護婦さんたちは忙しそうだ。人数もそんなに多くなさそうだし、なにしろ病室を回るときに無駄話が少ない。(前にいた病院では看護婦さんたち結構世間話をしていた。)その分が患者とスタッフとのコミュニケーションが少ないかもしれない。看護婦さんの顔と名前がなかなか一致しないもはその辺に原因があるのかもしれない。
腰が痛いのは今日で何日目か。でもちょっと良くなってきた。やはり安静が一番のようである。起きがけとかいろんな動作に腰をかばい、腕力などを使うものだから、今度は右のわき腹の筋肉が痛くなってきた。これも凝りのようなものだろう。次々と大変である。
お昼前に北川先輩が見舞ってくださった。ベッドに横になっていたときだったので、そのままで失礼した。今日も本を3冊貸してくださった。最近腰痛で本を読んでいないので、本が溜まってきた。読む時間が少なくて追いつかない。先日次長が貸してくださった本にも手がついていないし、追いつくのが大変だ。読み始めればすぐなんだけれどね。
今朝掲示板に某市役所にお勤めの社会福祉課の主査のかたから書き込みをいただいた。とおりすがりとは言ってはいるが、日記を読んでいただいたらしく、闘病生活にエールを送っていただいた。ご自身も腰の椎間板ヘルニアで入院生活の経験があるとのことで、応援してくださっている。知り合いからの応援もうれしいが、こんな見ず知らずの方からのメッセージもまた励みになる。
いろんな人が読んでくれているのだと思うと、この日記もいよいよいい加減に書くわけにはいかなくなってきた。
街に出れば三社大祭なのだが、こっちはぜんぜんそれどころではない。腰の痛みが最大の関心事だ。これが解決しないことには次の何のステップにも進まない。
夕べは夕食後の7時から眠った。今朝の7時まで12時間寝ていた。それでも眠い。朝食後、また眠る。寝すぎか。でも眠いのだ。体が睡眠を要求している感じ。 リハビリはお休み。こっちの先生も「あまり無理しないでね。」
午後も寝る。ただただ寝る。腰は痛い。何もできず。どーなるんだろ。
夕方、ちょっとだけテレビで三社大祭をみた。スイッチを入れたらちょうど八戸市職員互助会の山車が映っていた。みんな楽しくやってるかな。
お祭りはいつも参加しているが、こうして外側から見たことがあまりない。テレビも解説によっては面白い番組になっている思う。今日の解説者は江刺家さんだ。やはり山車のテーマやその歴史的背景がわからないと見ていてつまらない。中には山車の製作過程や手法のみの解説に終始するひともおり、あれでは視聴者の心はつかめないのではないだろうか。
そういう意味では今日の江刺家さんや、あるいは正部家さんなどの郷土史家が解説するのがふさわしいと自分は思う。
今頃山車小屋の前では、ブルーシートを広げて車座に座り、お通りが終了した後のご苦労さんの乾杯が済んだ頃に違いない。市長か助役が来てみんなをねぎらっているかな。この雰囲気がいいんだよね。どさくさにまぎれて観光客も入り込んでいるかもしれない。トラ舞の人たちも大丈夫だったかな。人数は足りただろうか。
明日もまた天気がいいといいな。
で、今年のお祭りについて「市のホームページ」でなにか紹介されていないだろうかと見てみたらびっくりした。何にびっくりしたか。
確かにトップページから三社大祭の紹介ページへリンクがあった。しかし、その内容だ。今年の山車の題材などは一切ない。なんと
「平成14年度山車題名」 「平成11年度山車一覧」
などというとんでもない過去の情報が掲載されているではないか。これの情報源は観光課だろうか。全国に発信するのにこんな情報で恥ずかしくない?市のスタンスとしてこんなもんでいいの?
山車の題名ぐらい新聞にも載ってるぞ。観光協会でも知ってるだろ。今日のうちに今年の山車の写真は撮っただろ。今すぐにでも新しくできるよね。
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