山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年09月30日(火) 同級生作家の短編集

同級生の作家岩舘弘道氏の短編3作を読んだ。

「イブに届いたフィッシングロッド」
クリスマスを数日後に控えた冬のある日、飲んで帰った幸治はすやすやと眠る息子の寝顔を見ながら、自分が子供の頃の父親を思い出していた。初めて二人で近くの沼へ釣りに出かけたことがあった。楽しみにして出かけた釣りであったが、意外な幕切れが・・・。そして幸治が息子へのクリスマスプレゼントに選択したものは・・・。

「コリドラス」
アパート住まいの主人公はコリドラスという熱帯魚を飼っている。住宅建築のセールスのためにあるアパートを訪れると、そこにはかつて学生時代に半同棲していた紀子が現れたのだ。

「首取り物語」
竹取に出かけたおじいさんは太くて大きな竹を見つけた。ナタを振り下ろすと「ザクッ」と見事に切れた。しかし、その切り口にのぞいたものは小さな女の子だったのだが、さっき竹を切ったときに首も一緒に・・・。


2003年09月29日(月) 中国方面からの使者

夕べ寝てから今朝までに4回着替えをした。風邪のせいで寝汗がひどいのだ。この着替えが大変である。何し例の「白糸縅」のコルセットをしているため、簡単に着替えられない。特に夜中は妻が隣に寝ているのでスペースがない。

で、どうするかというと、その度に車椅子専用のトイレを使う。ここには専用の手すりが付いているので立ち上がったままコルセットを着脱するのに都合が良い。(相変わらず真っ直ぐ立ったときにしかコルセットははずせない。)妻と呼吸を合わせながらコルセット、肌着を手際よく脱ぎ、逆の順番で着せてもらう。慣れたもので早い。さすがに3ヶ月もやっているのだ、うまくなるさ。

先週始まった化学療法第2ステージはさすがに強力だったようだ。点滴をしているときの4日間の高揚感はさておき、その後お休みの今日までの4日間の倦怠感というものはすごい。ずしっと重くなる。ステロイド剤による躁鬱傾向なのだろうか。それにきっと抵抗力もかなり落ちているのだろう。風邪ももらってしまった。院内でも流行ってきているらしい。

昨日意外な人からメールをいただいた。福井県武生市の道下さんという女性からだ。実は約20年前、(正確には19年前)当時の中国共産党胡耀邦総書記の招きによる日中青年友好交流で三千人の日本人が中国を訪れたとき、友愛青年連盟の団でご一緒した一人である。体調不良でどうしようもないときに「高橋信次先生の法を学ぶ会」 という組織を知り、それに救われ、友愛も9年前にやめたそうだ。自分の捜し求めていたものにめぐり合えたと語っていた。ホームページで私が闘病中であることを知り、その教えを勧めてくださったのだ。(どんな教えなのか、はホームページがある。知りたい人は上のリンクからどうぞ。)

彼女とは、その後(中国後)とくに付き合いがあったわけではないが、最近東北で地震や災害も多いし、彼女がなんとなく気になって、私がHPでも作っているんじゃないかと勝手に検索してみて私が病気だということも知ったそうだ。こうやってわざわざ辿ってきてくださったことに感謝したい。

夕食前には同級生の岩舘弘道氏がきてくれた。仕事が終わって直行してくれたに違いない。前回来てくれたときにはニジマスの焼き魚を持ってきてくれたのを思い出した。あれは本当に美味しかった。一緒に飲んだノンアルコール・ビールの味も格別だった。そういう話をしていて、やはり話題は釣りのことになる。娘さんと秋田方面へ旅行したことや、旅行先での釣りへの出かけ方とか、なかなか苦労もしているようだ。そして今日も彼が書いた物語や随筆のコピーをもらう。明日にでも読んでみよう。そのうちに何か文学賞でももらえるようになるのではと期待してしまう。

痰が絡んで咳が出るため、今晩から、朝晩2度吸入をすることになった。ワゴンに小さなコンプレッサを持ってきて電気でシューシューと白い煙が出てくる。看護婦さんは誘発されて咳が出るかもしれないけど、とは話していたが、実は私は吸入には慣れている。鼻が悪くてガキの頃から耳鼻科通いをしていたのだから。だから今でも少々の風邪であれば耳鼻科へ行くとすぐに治る、と思っている。もちろん鼻風邪とか軽いやつだが。


2003年09月28日(日) 風邪か?

風邪をもらったらしく、鼻水が流れ、痰が絡む。微熱だ。痰を出すために咳き込むと、背中や腰、わき腹が痛い。寝ているのが精一杯だ。

それでも一日は過ごさなければならない。寝ていても腰が痛いし、苦痛である。今日予定していた一時帰宅は見送りだ。

朝8時からのNHK「ふるさと発見」で、仙台市消防局のレスキュー隊をやっていた。レスキューの東北大会に優勝し全国大会にこまを進める。そして見事全国制覇を成し遂げるのだが、この練習風景がすごい。安全をスピードを競うものだから、我々がやっているポンプ車操法なんかよりずっと実践的だ。どうせ練習するんだったらこういうのに時間をかけるべきだろう。消防団も変わらないとね。

とにかく今日はつらい。一つよくなれば何か一つよくないところが出てくるとは情けない。


2003年09月27日(土) 【写真付】京子オリジナル

週末はいつものように何もない。ゆっくりと朝がやってくる。明日は外出許可を取って一時帰宅をしようと思っている。

朝食時に思ったが、のど越しのイガイガがなくなってきた。今朝の食事もまだお粥だが、おかずのハムも食べられた。良くなってくると腹も空いてくる。夕べまではほとんど流動食みたいなものだった。お粥に味噌汁、おでんのはんぺん、煮込んだ大根、卵豆腐、ヨーグルト。しっかりした食事がしたい。

髪も伸びてきたことだし、病院の床屋へいった。だんだん寒くなってくるので、もう伸ばすことにした。床屋のおばさんは「こないだぐらいでいいの?」ときくので、そろそろ伸ばすので裾のほうだけ短くしてもらいたいと話し、やってもらう。おばさんは「こないだよりだいぶ楽そうだね。」なんていいながら始める。それはそうだ。一ヶ月も経ってるんだから良くなってないとね。

途中で背後から鏡を覗き込み、「ノゾムだじゃ。」と声を発する輩がいる。「まっちゃん」こと同級生の和田雅道巡査(階級は不明)だ。ずいぶん顔色もいいし安心したと言ってくれた。彼は兄を数年前特殊なガンで亡くしている。それがあるから私が入院していると聞いて心配してやってきてくれたという。売市のアパートからチャリをこいで25分かかったそうだ。太っているから痩せなきゃ、とはいいながら一向に痩せない。私が散髪をしてもらっている間ずうっと妻にしゃべっている。本当にしゃべるおまわりさんだ。でもこうして心配して来てくれる気持ちがうれしい。

最後にホームページのアドレスを聞かれたが、散髪の最中に説明のしようがなく、「山ちゃん」と「闘病記」をキーワードに検索すると引っかかるよ、と教えてあげた。YahooかGoogleで。「まっちゃん」これ読んだら書き込みしてね。

昼食はうどんだった。昨日から妻に、日曜に一時帰宅したらおいしいうどんを食わせてくれとせがんでいたのだが、一日早くそのチャンスが訪れた。とはいっても病院食。やはり明日おいしい讃岐うどんをゴチになりたい。

午睡の後、消防団の前村忠徳班長が来てくださった。今年度は既にポンプ車操法大会に八幡のチームが参加することになっており、かなりのトレーニングを積んでいるそうだ。毎夜8時ごろ厚生年金会館のテニスコート脇の道路に投光器をつけて、舘分団総出で練習しているそうだ。大会は10月19日、怪我をしないよう最後までがんばってほしい。私もはやく全快して消防活動に参加したいところだが、なかなかそうもいくまい。若い新団員を入れるチャンスであるかもしれない。

前村さんと入れ替わるように、私の「第二のおかあさん」である住宅課の畑中京子さんが差し入れを持ってきてくださった。スパゲッティ・ミートソースとところてん、それにウニ、いくら、切り込み(塩辛)など。私の日記の中で、食事が満足にできないでいることを読んで、のど越しの良いものをわざわざ作ってきてくださったのだ。これが「母」ではなくてなんだろう。本当にありがたいの一言につきる。どれも美味いに決まっているが、特に切り込みは「京子オリジナル」で、最高の味である。

柳町課長からいただいたお花
夕食前になって柳町介護保険課長が来てくださった。「ここへ来る前に関所があった。」とかいいながら、お花のアレンジメントを抱えてきてくれた。課長には開発指導課時代にお世話になっている。最近デジカメを買ったそうで、その話題になる。実は私もといいながら、昨日届いたばかりに超薄型デジカメを見せびらかす。先日ここのHPの掲示板で、福田先生と昔の真空管時代の話で盛り上がっていた。

花の写真は「カードデジカメ」で撮影したもの。131万画素。やはりおもちゃの域を出ない。


2003年09月26日(金) 地震、地震!

午前4時50分ごろ、うっすらと縦揺れを感じ始める。だんだん強くなるが、初期微動が長いことから、震源までは遠いと感じる。そうしているうちに大きな横揺れに転換する。結構強い。テレビをつける。NHKのみが地震情報を流している。震源は北海道十勝沖方面だ。

午前5時10分ごろ、また先ほどと似たような地震動を感じる。余震だ。余震のほうが強く感じる。結局朝まで地震情報に釘付けだ。入院でもしていなければ、災害対策要員として真っ先に出勤していただろうと思うと不思議なものだ。のんびり入院していても気になって、ずっとテレビを観ているのだから。

ずうっと起きているものだから頭がぼんやりしてきた。朝食後ひと眠りする。実はこのところお腹の調子は良かったのだが、放射線治療が終わったのと、今回の化学療法が始まったのでかまたぞろ便秘気味になった。通称「カマ」という粉薬とカスピ海ヨーグルトを再開する。

夕べ大嶋さんたちが来たときに私が話した「電子収受印」を試したものを、大嶋さんあて添付ファイルで送ってみた。こんなものあまり役にたたないかもしれないが、毎日の業務の中でちょっとした変化を付けられたら面白いのではないだろうか。

午後パソコンに向かっていると、長野にいる親戚の三島さんが見舞ってくださった。お盆やお彼岸にあわせて帰省し、そのたびに我が家に寄ってくださるのだが、今回は私も親父も入院中ということで、両方を見舞ってくださったようだ。よく長野トマトやエノキ茸ををくださったものだ。今回は軽井沢の「ごまだれ餅」をいただいた。

夕方は水戸黄門の再放送を見る。時代劇の勧善懲悪ものは好きだ。たいていがそのつど完結するのが良い。
  「あとから きたのに 追い越され
             泣くのがいやなら さーあ 歩け」


2003年09月25日(木) 【写真付】輸血

ステロイド剤「デカドロン」のせいで、午前4時ごろからめざめていた。躁鬱病の「躁」の状態にある。仕方がないのでラジオを聴いて6時過ぎまで過ごす。途中5時半ごろ定期採血がある。

朝食のときにのど越しの様子をみるが、やはりまだまだよろしくない。上を向いて「ゴクリ」と飲み込むと比較的つっかえはないようだ。一口良く噛んでは、鶴のように上を向いて飲み込む。いい調子だ。

貧血のための輸血
食事が済むと、珍しく早速主治医の長谷川先生がやってきて、今朝の採血の結果、赤血球が6.7Hb(下限値7.0Hb)になっていて貧血状態であるため、輸血をしなければならないという。輸血の同意書を求めに来た。一通り説明を受け、同意書にサインする。適性検査のためもう一度検査採血をし輸血剤を発注するのだという。

午前中に吐き気止めの点滴と、例のデカドロン、そしていつものオレンジ色の抗がん剤を投与されている。昼食後400ミリリットルの輸血を開始した。血液バッグから途中にぶら下がっているとぐろを巻いた装置は副作用防止用の器具で特許があるそうだ。しかしこれがあるだけで従来に比べ患者側のリスクがかなり軽減されているらしい。

夕食後、総務課の木村久美子氏と政策推進室大島氏が見舞ってくださった。木村さんも私が入院しているのを最近知ったらしい。やはり推進室に来たときに「山村さんはお休み?」と聞いたのがきっかけとか。そんなもんだよね。わざわざ誰々が病気で入院中とか話題にしないから。

それより、10月は忙しそうだ。仕事の話もたくさん聞いたし、鈴木・春日の結婚式の話も聞いたし、とても元気をもらった。楽しい一日の締めくくりとなった。


2003年09月24日(水) 連続点滴途切れる!

24時間連続点滴の3日目。今朝2時に看護婦さんが巡回に来たときに、なぜか点滴のバッグは空になっていた。「あれ?」滴下速度を間違えたか。当初9時半ごろから次のバッグの予定を6時から始める。

朝食後主治医の長谷川先生がみえ、胸ののど越しが悪いのと、一昨日脈拍が速かったので、レントゲンと心電図をとることになった。

点滴の針が入ってから3日目になるので差し替えをした。その合間を利用して妻から清拭をしてもらう。

午後胸のレントゲンと心電図をとる。レントゲンの結果は良さそうだという長谷川先生のお話だが、心電図の結果はまだ上がってきていないといのこと。どうなんだろ、なにかあるのかな、と思っていたら、夕方また先生がやってきて「大丈夫みたいです」ということだった。「みたいです」というところがちょっと頼りないので、突っ込みを入れると、「食道の中まではレントゲンでは見えないので」といわれた。そっちは様子見ということらしい。

夕食後、櫛引八幡宮の営田宮司の一家がお見舞いくださった。わざわざこんな遠くまで、それも遅い時刻に恐縮である。

今日の映画「アイアン・ジャイアント」(原題:THE IRON GIANT)1999年
アニメーション界のアカデミー賞「アニー賞」9部門独占受賞
監督:ブラッド・バード
「メイン州の小さな港町。9歳のホーガースは、森の中で鋼鉄の巨人”アイアン・ジャイアント”と遭遇する。とにかく巨大だが、とても人なつこく、自分が何者かも知らない無邪気なアイアンに触れ、ホーガースはたちまち友達になる。そして、そんなアイアンを守ってやろうと決心した彼は、自宅のガレージにかくまうが、巨大ロボットをみたという噂が広まり、ついには政府のエージェントが派遣される。ホーガースは変わり者の芸術家ディーンとアイアンを守ろうとするのだが、アイアンに秘められた秘密に愕然とし・・・。」


2003年09月23日(火) 【写真付】いとこのお見舞い

点滴4本セット
第2ステージ2日目。一日に点滴5本、そのうち1本が24時間という経験をした。それほど大変だということもなかった。始まったばかりなのか、今のところ副作用ということも感じられないし、しばらくは様子見というところである。

小泉改造内閣が発足し、世の中喧々諤々である。慶長氏のHPによると欧米ではこの内閣は好意的に迎えられているらしい。構造改革路線を堅持したというところか。


千恵美ちゃんからいただいたお花
午後午睡をしようとしているところへ、田面木の叔父一家が見舞ってくださる。叔父とその妻そして娘千恵美の3人だ。いとこの千恵美はdisabledではあるが働いており、その給料から見舞いを持ってきてくれた。涙が出てきた。そしてアレンジメントのお花も。

そこへ母がタクシーで来たといってやってきた。大人数になったのでデイルームに移動した。そこでしばらく病状の話や、点滴の話とか、さらには親父の入院生活の状況とかの話になった。

そうしているうちに何度か見舞いにきてくれているいとこの有泉智子が救急車で湊病院へ入院したらしいという話題になった。彼女は頻繁に入院をしている。娘の香里が土曜日に見舞ってくれたからここ2・3日のことなんだろう。今度はこっちから見舞いに行かなくては。


娘が送ってくれたGODIVAのチョコ
母が下の娘が送ってよこしたといって、クール宅急便の箱を持ってきた。何かと思えばGODIVAのチョコレートを送ってきた。以前チョコは幸せな気分にする、という会話をしたのを覚えていたのだろう。夏休みのアルバイトでだいぶ稼いだようだ。点滴の差し替えをしに来てくれた看護婦に、内緒で一個あげた。


2003年09月22日(月) 化学療法第二ステージ

先日星野仙一の悪口を書いたら、大きな反響があった。さすがに今や人気ナンバーワン、絶頂にあるのでこちらが分が悪い。ここでちょっとだけ弁解しておくが、日記だからこそ自分の思った通りを書いたのであり、ホームページ上で特別に星野批判を展開しているわけではないのであしからず。ご理解を願いたい。(私としては、オリビア・ハッセーのほうに反響をいただきたかった。)

点滴を始める直前に新井田の伯父が寄る。今日も自分の診察が終わってすぐに帰ろうと車まで行ってから、私のところへ寄るのを思い出したそうだ。ちょっと話をしたところで看護婦が点滴のために来たのですぐに帰った。

今日から化学療法の第2ステージが始まった。今回は前回より強い薬で、1クルーが4週間の予定である。今日は最初に吐き気などを抑制するための点滴、次にステロイド剤を朝夕2回、そして何とかという抗がん剤を24時間継続でさらに4日継続だから、96時間継続の点滴だ。前回もやったが、ステロイド剤の副作用で口の中が荒れる可能性があるので、数時間後とにアイスボールによる口腔内氷冷をする。冷たいものが苦手の自分としては大変な苦痛だ。でも口の中が荒れてからでは遅いので我慢して続ける。

ところで、なぜ口内炎は起こるのだろう。労災病院の6階東病棟で製作した「口腔ケアについて知っておきたいこと」によれば、
�ーN鼎量�剤が口腔粘膜に直接作用するため。
��白血球が減少し細菌に対する抵抗力が弱くなったときに起こる感染のため。
なのだそうだ。このほかに、歯磨き、そして殺菌剤を使ったうがいが有効だそうだ。イソジンガーグルという薬を使っている。

ところでただのアイスボールははなはだまずい。飲み込まずに「ペッ」と出してもいいからとは言われるが、いちいち出すのもかなり面倒だ。そこで考えたのが、子供たちが夏の暑いときによく買ってきた「かちわり」に目をつけた。今日買ってもらったのはグレープフルーツ味だった。

石原伸晃氏が行政改革担当大臣から国土交通大臣になった。大変楽しみである。建設事業を改革と同時に進めてほしい。がんばって。

午後3時を過ぎてから高館の叔父が見舞ってくれた。相変わらず測量会社の仕事で出張が多いらしい。最近では山形県へ行ってきたそうだ。宿は上山温泉にとったものの、最低料金のところへ数人雑魚寝だったので疲れたといっていた。八戸は寒かったのに、あそこはとんでもなく暑いところだとも言っていた。このごろグランドゴルフにはまっている叔父は、町内の大会で4位になったと得意げだった。


2003年09月21日(日) パソコンの教え方

日曜で何もない日であるが、昨日に引き続き、背中の痛みとそれよりもモノを飲み込むときの食道のイガイガがつらい。痛いといっても良いほどだ。食事の途中に「オエッ」となりそうである。こんなときは寝てるしかない。

午後寝ていると、妻の兄が見舞ってくれた。パソコンを最近買ったので、自宅で孤軍奮闘しているらしいが、さっぱりわからないという。一から教えてくれといわれても、どう始めて良いかわからない。やはり、「ここがわからない」、と言ってもらったほうが、「そこはね」、と導入しやすいというものだ。そばにいた娘が「おじちゃん、後でビールを飲みながら教えてあげるよ。」とビールをたかる魂胆丸出しで、言い寄っていた。

夕方、資源循環型社会創造ネットワーク事務局長の音喜多さんがきてくれた。民間には民間のやり方があって大変だと話していた。がんばっていただきたい。


2003年09月20日(土) 放射線の副作用?

今日も背中は痛い。それより、放射線のせいか、ここ2・3日モノを飲み込むときに、胸焼けのようなのどにつかえる感触がある。考えてみれば何日か前、この感触のせいで背中を痛めたのに違いない。事情を話し、夕べから食道の荒れをカバーするためのシロップを処方してもらっている。

田中光彦さんが、就職活動で帰省している一人娘ときてくれた。うちの娘と同い年であるが、なかなかユニークで個性的なお嬢さんである。首都圏は就職先は見つかりそうだが、こちらへくるとほとんどなくて大変だとなげいていた。

午後、例のいとこの娘香里がくる。ちょうど私が午睡の準備をしていたところだった。私はそのまま眠ってしまった。彼女はちょうど保育実習に入っていて、何をやるか悩んでいたらしく、妻に相談をしていった。さすがに保母暦数十年の妻は、当たり障りなく、あまり失敗のないような方法をアドバイスしたようだ。

午後3時ごろ、県の文化観光推進課に派遣されている安原清友氏が立ち寄ってくれた。昨日メールのやり取りをしたばかりだった。弘前と五所川原で坂本達の講演会があるので、時間が取れたら行ってみたらと勧めておいたのだった。

阪神ファンの彼は、開口一番、「星野の悪口を日記に書いちゃダメですよ」と、一くさり。

知事が代わって大変だろうと話を向けたら、やはり大きく変わったらしい。それより県の動きの速さ、職員の切れ味のよさに驚いているようだった。それから見ると市の動きはまどろっこしいらしい。来年4月には市の観光課へ戻ってくるだろう。そのときは俺も復帰するから一緒にがんばろうね。



2003年09月19日(金) オリビア・ハッセーの思い出

背中は相変わらず痛い。

昨日の夜、NHK・BSで『ロミオとジュリエット』を放映してた。デカプリオのそれではない。オリビア・ハッセーのジュリエットである。確かオリビアが17歳のときである。中学生のときに映画を見に行った記憶がある。あの清純な清々しい姿に思いを募らせたものである。(5歳年上か)

まもなく結婚し、子供が生まれ、そして離婚。さらにどういうはずみか布施明と結婚し、10年近く過ごした。(後に離婚)

今日の「今夜は見せまっせ」は「布施明40年の軌跡!」であった。なんという偶然か、布施明がオリビアとの結婚生活を少しだけ語ってくれた。

以前布施明のコンサートを八戸市公会堂に聴きに行ったことがる。当時私は建設部の港湾河川課というところに配属されていたが、豊島久美子さんという大先輩がいた。ある日
「今日布施明のコンサートさ行けなくなったんだよ。あんだ、行かねがい?」
と高額のチケットをもらい、どうせお客さんはおばちゃんたちだけだろうが、どんなコンサートをやるものかと興味もあったので、突然だが布施明コンサートへ行くことになった。

確かに客層は予想どおりのおばちゃん軍団であった。しかし、私はそこで布施明の歌唱力を再認識することになった。何曲もより多くの曲を聞かせようとするサービス精神。おばさんたちを楽しませる話術。そして抜群の歌唱力。さすがだと唸った。

後日、行きつけのスナック1/2(ニブンノイチ)で飲んでいたら、カウンターのお客さんがママに布施明のコンサートの話をしだした。その彼の奥さんが行ったのだそうだが、手抜きでぜんぜん良くなかったとこき下ろし始めたのだ。私は、古い曲をワンコーラスしかやらないのは手抜きでもなんでもなく、限られた時間内にたくさんの曲を歌いたいためで、逆にサービス精神旺盛なコンサートのやり方だと反論した。そうしたら彼は
「あなたはコンサートに行ったんですか?」
ときたものだ。
「もちろん見た聞いたから言ってるんですよ。最近の曲も歌いたいだろうし、良いコンサートだったのではないでしょうか。で、あなたも行ったんですか?」

間もなくその客は帰ってしまった。


2003年09月18日(木) 【写真付】友愛の新聞

放射線治療最終回。

朝起きてみるとやはり背中の痛み残念ながらは強い。痛み止めが必要だ。

朝食後歯磨きをしていると、主任の看護婦さんが放射線科の診察に呼ばれたからと知らせに来た。はやい。外来まで降りていくと、診察待ちの入院患者が多数待機していた。今日は最終日であるため、先生も成果があったか副作用はあったかの聞き取りで終わった。

10時半からは最終回の放射線照射を受ける。これで10回完了した。あとはまた血液の治療が再開するのだろう。


友愛青年協会の機関紙「友愛」
昨日、東京の和田さんから掲示板に書き込みがあったが、友愛青年協会の新聞に私の投稿記事が掲載された。しかも和田さんとのツーショット写真入でだ。今年5月、東京は文京区音羽にある鳩山会館で行われた「友愛創立50周年の集い」に参加したときのことを綴ったものだ。このときに和田さんと写した写真が真ん中に大きく掲載されていた。記事の内容は私の以前のホームページにこの集いの報告をしているので、そちらを参照願いたい。新聞はスキャナが手元にないのでデジカメで写してみた。今回は写真をクリックすると大きく表示される。

集いの記事 ⇒ http://yama40.hp.infoseek.co.jp/030517/030517.html

今日の映画「スペース・カウボーイ」(原題:Space Cowboys)2000年
staff クリント・イーストウッド監督
cast クリント・イーストウッド(フランク役)
   トミー・リー・ジョンーンズ(ホーク役)
   ドナルド・サザーランド(ジェリー役)
   ジャームズ・ガーナー(タンク役)
「かつて空軍の英雄的存在だったフランク。今では引退している彼の元へNASAから緊急要請が入る。故障した通信衛星の修理方法を教えてくれというものだ。しかしフランクには苦い過去があった。当時、優秀なテスト・パイロットチーム”チーム・ダイダロス”のメンバーだった彼は、アメリカ発の宇宙飛行士として宇宙へ飛び立つはずだった。だが土壇場になったNASAの権限でその夢を断念させられたのだ。40年前の屈辱を晴らすべく、自ら宇宙へ行くことを条件に仕事を引き受けるフランク。さらに、かつてのメンバーも一緒に行けるよう働きかけ、こうして伝説のチームは再結成されるが・・・。」


2003年09月17日(水) 今度は背中に激痛!

放射線治療9回目。

朝食の最中に大変なことが起こった。食べ物を飲み込もうとしたときに、ゲップが出そうになったのとむせるのとがけんかした。胸が空気を吸ってどっちつかずのまま横隔膜が収縮した。胸が急に広がろうとした。その瞬間、背中の手術した部分の付近に「ズキン」というか「ビキッ」というか衝撃と激痛が走った。そして全身にビリビリと電流が走った。

しばらく全身が硬直した。

詳細は不明だが、腹筋も背筋も弱っている上にしばらく強い収縮などしたことがなかったため、むせたときに大きな力が加わり筋肉がひきつるか、いわゆる筋が違えたようになったのではないかと思われる。

一瞬骨折か、あるいは肉離れかとも考えたが、動くと痛いもののじっとしていると痛みはない。ボルタレン錠25mgを服用し、ベッドに横になり様子を見る。10時過ぎに放射線治療のため一旦起き上がるが、痛みが強いため痛み止めの坐薬をして午後まで様子をみることになり、またベッドに。

目が覚めると車椅子の上に袋に入ったりんごが上がっていた。坂牛のりんごやさん山田さんに違いない。案の定、隣の患者さんが、「山田さんという人がおいていきましたよ」と知らせてくれた。銘柄は「つがる」。

食欲がないが昼食はなんとか半分は食べる。新鮮なりんごに救われる。

午後主治医の長谷川先生が様子をみにきた。そこで無理をしないようにいわれるが、放射線ぐらいは大丈夫だろうということで、ライナック室へ。今日は娘の付き添いで、なんとか無事終了する。

ライナックから戻ってすぐ、道路建設課の巻秀信班長が見舞ってくださる。今日は残っていた夏期休暇の消化だそうだ。巻さんの奥さんは、市民病院のMRIやバイオプシィの時に散々世話になった看護師の厚子さんである。6月の日記で登場するが、中学のときは本当に私のマドンナであった。

中学では私は卓球部に所属していた。私の中学校には卓球台は4台しかなく、部活のときは体育館の4隅に4台の卓球台を置いて、4つに分かれて練習をしたものだ。2台は女子、2台が男子。体育館のフロアは半分が男子バスケット部、残りの半分の女子バレーボール部が使用した。厚子さんは1学年先輩で、そのバレー部のキャプテンだった。

そんな体育館の使い方だったから、卓球台にはよくバスケットボールやバレーボールが飛んできた。バスケットのやつらは、時にはわざとこちらに向けてボールを投げてくるやつらもいた。時にはK井川という顧問が自ら嫌がらせのように卓球台の上からパスを出して、我々の練習を妨害することもあった。そんなだから生徒たちも似たような態度だった。当然のように卓球のボールはよく潰された。

あと半分の女子バレー部の対応はさすがに違った。バレーボールのほうが飛んでくる回数は多かったが、ボールがぶつかったら「ごめん」、「大丈夫?」さすが女の子たちである。ぶつけたら謝るのが当然である。そんな部員をリードしていたのが厚子さんだった。お互い明治中のダサいジャージではあったが、素敵な笑顔にあこがれたものだ。その笑顔が市民病院で再現された。暖かかった。


2003年09月16日(火) 【写真付】星野仙一を嫌いになった理由

祝・阪神タイガース。(巨人ファンとしては不本意だが)

放射線治療第8回目。

夕焼けに染まる白銀台

おとといの夕方、夕焼けの赤みがかった光線に、高台の住宅の壁が染められ、なかなか美しい光景になっていた。まだ明るい時間帯だったので写真に撮ることができた。写真だと思ったほど美しさを伝えることができない。13日の夕方も光景とも一味違う。(13日は夕暮れだったの私のデジカメではで写真にならなかった。)

今日のスポーツ新聞やニュースは阪神タイガース優勝の記事ばかりだろう。そして星野監督を褒め称える記事もだ。星野個人で「応援感謝」の広告を出したり、数日前に母親を亡くしていたにもかかわらず優勝がかかっている大事な試合があるため葬儀には出席せず、試合に専念したという記事などの美談。本当に素晴らしい監督である。

星野仙一が引退してNHKの解説者になった頃は本当に好きだった。毎日のニュースよりも、スポーツコーナーでプロ野球の解説の時間が来るのが待ち遠しかった。軽快な語り口と明快な解説が好きだった。テレビに映る笑顔やファッションも素敵だった。女性に人気抜群の理由も分かる気がした。

それがあるきっかけで星野仙一を嫌いになった。その理由が二つある。

その後星野は中日ドラゴンズの監督に就任した。すぐに強面の熱血監督として有名になった。とにかく熱い。うまくいかないと怒鳴る、ベンチを蹴り上げる。かっこいい。が、彼がやろうとしているのは「けんか野球」だ。野球はスポーツだ、けんかではない。故意のデッドボールを容認するかような発言もあった。(彼はピッチャー出身だからそういう傾向の発言になったのだろう。実際デッドボールの応酬があったと記憶している。)

そして決定的だったのは、新庄剛選手が大リーグへいったときの星野の発言である。新庄が大リーグ移籍のニュースに、
「星野さんも今現役だったら大リーグへ行っていましたか?」
とインタビューを受けた星野が、
「もちろんですよ。こんなのが行けるんですから。」
と応えたのだ。ここで「こんなの」とは新庄選手のことである。たしかに星野の現役当時は実力があったのだろう。しかし、こんな不遜な態度、のぼせ上がった発言に私は激怒しがっかりした。

それ以来星野仙一のファンをやめたのである。そういう目で見ると、今まで頼もしく見えた星野が、今度はふてぶてしく見え出すから不思議なものだ。そうして私は星野仙一が嫌いになった。

さて、夕暮れの八戸港もいい。漁り火の見える漁港風景ではない。港内の泊地に停泊する貨物船の少ない明かりと、それが海面に反射して見える情景が、八戸港全体のうちほんの少しだが趣きがあるのだ。この2・3日でいろんな八戸港の横顔を見たようだ。


2003年09月15日(月) 外出許可で3ヶ月ぶりに帰宅

外出許可をもらい自宅へ帰った。何と3ヶ月ぶりの帰宅だ。

最大の目的は気分転換だが、一つにはシャワーをすること。もう一つは飼い猫の「ハイド」に会うこと。

私がシャワーをするときには立ったままコルセットをはずし、そのままの姿勢でシャワーを浴び、水分をふき取って肌着を着て、コルセットを締めてからでないと動くことができない。ようするに直立不動の姿勢でないとコルセットをはずしていはいけないといわれているのだ。

病院の風呂場には座った姿勢から立ち上がるための手すりはあるが、私のように立ったままシャワーをするための手すりはついていない。このため、腰を痛めてからはつかまるところのない病院の風呂場では、怖くてコルセットをはずすことができず、シャワーはあきらめ、専ら入念な清拭に頼っていた。

しばらくぶりのシャワーでさっぱり気分に浸ることができた。自宅の風呂場には、タオルをかける部分と、シャンプーなどを置く棚の部分にちょうどつかまれるところがあるのと、慣れ親しんだ自宅の風呂場ということで、安心して入ることができた。

もう一つの目的はハイドとの面会である。娘の運転する車が自宅の玄関先へつき、車を降りて家に入るまでの数十秒間、「ハイドー」、「ハイドー」と呼んではみたが、周辺にはいないらしい。(いてもシカトすることもある)家の中へ入ってからも娘に捜させたが、やはり見当たらない。残念ながら今日は面会できずに病院へ戻らなければならないのか。来た早々そんなことを考えてしまう。

帰宅途中、ラピアに立ち寄り調達した握りずしでお昼にした。いつも妻に「何か食べたいものは?」と尋ねられるが、そう聞かれるとすぐに答えられるものではない。病院では生ものは出してもらえないので、刺身とかすしとかいう話になる。アルコールのないお刺身は、自分的には許しがたいので、今回は握りにしてもらった。それに先日テレビで見たおいしそうなラーメン。一口でいいのだ。

昼食を済ませ、シャワーが済んだ頃に、父の入院先に行っていた母が帰宅した。母にハイドにまだ面会していないというと、母が捜しに外に出た。

「はーいど」、「はーいど」

人によって呼ぶときのイントネーションやアクセントが違うものだ。で、1・2回呼んだら、「ニャ、ニャッ」と声を出して帰ってきた。なんだか近くにいたようだった。

ハイドは帰ってくるたび家族の誰かが必ず洗ってあげる。妻がシャワー中だったので妻にお願いする。そして母がバスタオルで拭きながら抱いてきた。3ヶ月ぶりの再会だ。バスタオルごと受け取り、水気を拭いてあげた。かわいいままだった。しばらくすると毛づくろいのために私の膝から降りていった。

午後4時前には病院へ戻った。何もしないが疲れた気がした。ベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。30分もしないうちに、上田先輩の声で目が覚めた。こちら方面に来る用事があったので寄ってくださったそうだ。ケーキまで頂戴した。


2003年09月14日(日) 【写真付】野外コンサート開催

今日は労災病院の駐車場を利用して野外コンサートが行われた。市内の小中高校の吹奏楽部が何校か集まり、演奏を披露した。

駐車場で開催された野外コンサート
最初が湊中学校で始まり、白銀小学校、光星学院、工大一高などが出演した。湊中学校吹奏楽部OBの妻は、心得があるものだからちょっとこういうのにはうるさい。「下にいってみようか」と妻に誘われはしたが、私は自分の部屋から鑑賞することにした。最初はまばらだった観客も、2・3曲演奏する頃にはだんだん集まり始めた。

途中トランペットのソロが音をはずした。素人の私にも分かるほどだから、本人は顔から火が吹いたに違いない。経験からいって、彼は今日うちに帰るまで頭の中が真っ白かも知れない。

コンサートの途中、消防団の仲間、北山信治団員と田村浩幸団員が見舞ってくれた。北山団員は愛称が「信ちゃん」で酪農家である。最近牧場を買ったそうだ。とても見晴らしの良いところだそうで、ぜひ一度行ってみなくてはいけないと思う。なにかグリーンツーリズムの対象にならないかけしかけてみたい。
田村団員は愛称は「ヒンボ」。「ひろゆき」だから「ヒンボ」なのだが、ガキの頃はそれでよかったとしても、今は私よりかなり背も大きくパワーもある。けんかしたら勝ち目はない。そこで愛情を込めて、ときどき「ヒンボちゃん」と呼ぶ。現在鍼灸の専門学校で勉強中だ。

昼食前には田中光彦さんが来てくれた。顔色もずいぶん良いようだと言ってくださった。「ホームページがあるんだって?」の一言に、ここのURLを教えてあげた。娘さんも検索したけれどもたどり着けなかったらしい。もともと検索にかかりやすくする方法を講じていなかったのだ。さっそくmeta nameのkeywordsに、検索にかかりやすいよう、キーワードを設定しておいた。

午睡中に職場の大坪参事が来てくださる。上下のジャージ姿である。今日は大野村でのマラソン大会に出場した後だそうだ。体重が増加してきたので減量のためランニングを再開したそうだ。私が痩せたといううわさを聞いて気になり来てくれたようだ。しかし、先月慶長さんたちと来てくれたときとさほど変わらず、顔色も良いと安心してくれた。

今日の映画「リバー・ランズ・スルー・イット」(原題:A River Runs Through It)1992年
第65回アカデミー賞最優秀撮影賞受賞
cast クレイグ・シェーファー(ノーマン役)
    ブラット・ピット(ポール役)
staff ロバート・レッドフォード監督
「生真面目で、エリート大学の大学院を卒業した兄ノーマン。自由奔放で皆を明るくする天性の魅力があり、釣りの腕前はプロ級の弟ポール。美しいモンタナの大自然の下、厳格な牧師の家に育つ対照的な二人は、フライフィッシングを通して人生の多くを学ぶ。しかし、ポールはそのむこうみずな性格から、賭けポーカーにのめりこみ、危険な世界に脚を踏み入れていく。それはノーマンに、やがて訪れる悲劇を予感させたのだった。」


2003年09月13日(土) ギリシア風港町

今日から3連休で、治療はなし。どうやって過ごしたらよいのか、何ヶ月も居ると何もない日は本当に困ってしまう。

昨日次長が持ってきてくださった雑誌類に目を通す。「諸君!」と「文芸春秋」でしばらくは暇がつぶせそうた。

昼食直前に同級生の岩舘弘道氏が来てくれた。今日はヒメマスの焼き魚と例のノンアルコールビールを差し入れてくれた。病院の食事に飽き飽きしていたところだったので大助かりだ。妻と一緒に昼食を楽しませてもらった。

彼はこの日記を毎日チェックしてくれているということで、こちらとしても張り合いがあるというものだ。日記を書きながら、時々昔の思い出を挿入しているが、それがなかなかいいと言ってくれた。彼は釣り雑誌に小説や随筆を投稿しており、物書きとしてはかなり前を行っている。今度新作を送ってくれるそうだ。

午後、DVD鑑賞をしていると、水道企業団に勤めている大先輩、榎本善光さんが見舞ってくださった。八戸高専の第1期生であり、第2代同窓会長でもある。私は10期生だからもちろん卒業してからのお付き合いであるが、本当にお世話になっている。今年八戸高専創立40周年の式典があり、その出席者の勧誘のため手伝わせようと、私に電話したところ入院を知ったそうだ。

夕食前には夕焼けになった。今日の夕焼けはいつもと違っていた。病院の廊下の窓から見る東側の白銀地区は、西向きの壁が夕焼けに照らされ、全部白っぽく変色し、統一されたまるでギリシャの港街が白壁で統一されているような、そんな錯覚を起こさせる色になっていた。車椅子を押してくれる妻と二人で眺めていると、それに通りがかりの二人の看護婦も加わり、ついにはあっちの窓からはどうか、あるいはこっちの窓からはどうかとめぐって歩いていた。結局最初に見たところが最もきれいに見えていると思えた。


2003年09月12日(金) 二次会の内容知る

放射線治療7日目。今週は今日でおしまい。土日月と三日連続で休みになる。

9時半過ぎに政策推進室山本さんが寄ってくれる。自身の診察のため来たのだそうだが、予約しておいたのでもう済んでしまったそうだ。会計まで終わったというのだからやたらとはやい。

午睡の後、妻が自宅に戻る。一人でDVD鑑賞をしているところへ、妻神次長が来てくださる。職場にたまった書類を雑誌を届けてくださった。今回は会議へ出席する途中に立ち寄ってくださったらしい。さらに先日の鈴木・春日披露宴のマル秘写真を持参し見せてくれた。見たいと思っていた二次会の写真がたくさんあった。「会場にリングが設けられ・・・」とは聞いていたが、鈴木氏がパンツいっちょで格闘している姿に、現実であると認識するとともにある種の感動すら覚えた。

次長と話をしているところへ、舘分団一班の松田鉄満団員が見舞ってくれた。私が入院してからは会計の仕事を彼が引き継いでやっくれている。いろいろと消防の話も聞け楽しいひと時を過ごした。

今日の映画「パーフェクト・ストーム」(原題:The Perfect Storm)2000年
staff ウォルフガング・ペーターゼン監督
cast ジョージ・クルーニー(ビリー役)
   マーク・ウォール(ボビー役)
「1991年10月、マサチューセッツ州の港町グロースターを「アンドレア・ゲイル」号が出航しようとしていた。船長のビリーは海の男としてのプライドをこの漁にかけていた。愛する恋人クリスティーナのために海に出たボビーや他のクルーたちにとってももの漁はそれぞれの誇りや夢を賭けた、決して後戻りできない航海だった。しかしその時、彼らはまだ知らなかった。彼らの行く手には誰もまだ通過したことのない、すさまじい大嵐”パーフェクト・ストーム”との想像を絶する死闘が待ち受けていることを・・・。」

今日はタツのメルマガ「夢の架け橋プロジェクトvol.56」が届いた。世界一周をしたときにお世話になったギニアの村にお返しをしようというプロジェクトの視察の様子が書いてあった。7年ぶりのその村ではみんながタツのことを覚えてくれていた。そして暖かく迎えてくれたという。なんと感動的なシーンが再現されたことか。ぜひまたタツの話を聞きたい。28日に弘前にくるのだが、私のほうの体が間に合わないのが残念である。


2003年09月11日(木) 9.11から2年

放射線治療6回目、後半戦に突入した。

9時半、放射線科の診察に呼ばれる。前半の5回放射線照射が終了して、どんな按配か、副作用等がないかきかれた。ちょっとした吐き気はあるもののほとんど順調である。この調子で後半のあと5回を乗り切ろう。

昼食前に例のいとこの娘がハリポタの本を持て来てくれた。彼女も今日は診察の日で、短大はちょっとサボりかな?

今日の暇つぶしはやはりDVD鑑賞である。

今日の映画「バックドラフト」(原題:Backdraft)1991年
staff ロン・ハワード監督
cast カーク・ラッセル(弟ブライアン役)
    ウィリアム・ボールドウィン(兄スティーブン役)
    ロバート・デニーロ
「ブライアンはいつも兄であるスティーブンに頭が上がらない。ある日目の前で消防士である父が殉職した。十数年後、勇敢な消防士スティーブンの弟ブライアンが消防士になるために6年ぶりにシカゴに帰ってくる。 一方シカゴでは謎の連続放火事件が発生していた…。 」

昨日に続いて消防モノの映画だ。自分たちの消防団とはスケールが違うが見ていて共感する部分が大いにあった。特に今日は9.11から2年目の日。テロで亡くなった方々、それを救助に向かって被災したニューヨークの消防隊員を思い起こす。この日にふさわしい映画であった。


Web東奥で見たが、今年の県展の大賞は書道だそうだ。『審査では「力強い墨痕に渾身(こんしん)の力が託され、命が躍動する優作。あふれんばかりに筆意がみなぎっている」などと高く評価された。』そうだが、なぜ他を抑えてこの作品が大賞にふさわしいのかという評価が必要なのではないだろうか。大賞としてどんな点が他より抜きん出ていたのか解説を聞いてみたい。


2003年09月10日(水) 野外演奏会

放射線治療5回目。

東病棟6階のフロアを自主トレで歩いていると、ナースステーションの脇に1枚のポスターを発見した。「野外コンサート」である。9月6日に予定されていたが雨で中止になったため、改めて14日に規模を縮小して開催するのだろう。出演予定は白銀小学校、湊中学校の2校である。

白銀小学校では苦い思い出がある。

明治小学校5・6年のときに器楽部に入っていた。よその学校に比べて楽器も少なかったが、山田ハルという音楽の先生のもと、それなりにみんな張り切って練習をしていた。アコーディオンやピアニカ、ホルン(といってもハーモニカのおばけみたいな楽器)、木琴、鉄琴、そして打楽器、今はこれぐらいしか思い浮かばない。

私の6年のときのパートはソプラノアコーディオン、白銀小学校で演奏会があった。そのとき演奏した曲目は「ドナウ川のさざなみ」(イヴァノヴィッチ作曲)で、前奏にソプラノアコーディオンのソロがあった。私はその音楽会でそのソロをトチり、そこから演奏会を終えて学校へ帰るまで朦朧としたままだった。何度も何度も練習したのに、そのとき失敗したのだ。本当は5年生の女の子に、私よりうまい子がいたのに、山田先生が私にソロをやらせてくれたのだった。それを見事に失敗した。

このときのことが、その後の私の人生に重くのしかかっている。それまでの「オレが」「オレが」という気持ちに抑制がかかった。少しは控えることを知ったかもしれない。

器楽部で演奏した曲はたくさんあったのだろうけれど、今にして思えば、記憶に出てくるのは、上記の「ドナウ川のさざなみ」、「双頭の鷲の旗の下に」、「スペアミント」とこんなものだ。

このときの演奏会で他の学校が演奏した「小フーガト短調」にわれわれ明治チームは魅せられた。バッハのこの曲はつとに有名だが、小学生の私たちはそのとき初めて耳にした。その後の給食時間にはよくこの曲がリクエストされていた。私たちも卒業までに一度はこの曲にチャレンジしたかったのだが、その夢は叶わなかった。

昼前に収納課勤務、以前は下水道業務課にいた三浦亜希子さんが見舞ってくれた。自身の診察のために休暇を取ったそうだ。なぜか3日前に私が入院していると知ったそうで、「もっとはやく教えろよ」だって。オレが教えるわけにも行かないでば。秋には休暇を取ってハワイへ行くそうで、うらやましい限りである。

午後からは少し暖かくなってきたので、久しぶりに「せなの傷 定点観測」を更新した。天気のせいであまりいい写真は撮れなかったが、雰囲気は分かるだろう。ついでに放射線を照射するときに照準を合わせるためのマーキングも写しておいた。これにレーザーの赤い光を合わせる。

今日の映画 「オーロラの彼方へ」(原題:Freaquency)
staff 監督:グレゴリー・ホブリット
cast デニス・クエイド(フランク役)
   ジム・カヴィーゼル(ジョン役)
 「NYの空にオーロラがしゅつげんし、メッツのワールドシリーズ出場にクイーンズ中の市民が熱狂した1969年10月。
 6歳のジョン・サリバンは幸せだった。頼もしい消防士の父、優しい看護婦の母。ジョンの周りには、いつも愛と笑い声があふれていた。だが、その夢のような日々は、父の殉死によって終わりを告げる。
 それから30年、ジョンはずっと問い続けてきた。もし父が生きていたら、自分の人生はどうなっていただろう、と。父に車の運転を習い、カーブの投げ方を教わり、一緒に釣りにいくことが、どれほど素晴らしい思い出になっただろうか、と。ジョンにとって、それは永遠に手に入らないはずのものだった。NYの空に再びオーロラが輝いたその日、無線機の彼方から。若き日の父の声が聞こえてくるまでは・・・。」


2003年09月09日(火) いとこの娘

放射線4回目。そのほかは今日も何にもない。

昼食後午睡を取る。新井田の伯父が立ち寄ったらしいが、眠っていたので起こさずに帰ったようだ。

3時ごろおき出しトイレを済ませると、いとこの娘がきていた。短大の帰りに寄ってくれたらしい。この子はなかなかユニークで、私とでも話は尽きない。3時過ぎに妻が自宅に戻ってから6時ごろ帰ってくるまで、帰っても暇だからとずうっと話をしていた。結構話し好きで、彼氏の話とか好き嫌いの話とか、以前自分が入院したときの話とか積極的に話してくれる。楽しい3時間だった。「ハリポタ」4巻持っているそうで、今度貸してくれるという。

食事の時間に同級生の澤田美智明氏がきてくれた。先日の「鈴木・春日」披露宴の模様の写真をわざわざ見せにきてくれた。なかなかすごい披露宴だったらしい。さらには「闘狂スポーツ」号外というのまで出され、二人が紹介されたとか。二次会では格闘技好きの新郎のために特設リングまで設けられるという念の入れよう。さぞかし楽しかったに違いない。

なお、八戸市建設技術協会のホームページが滞っていて大変迷惑をかけている。できればここから更新しようと思うので、イベント終了後、原稿と写真をメールで送付願いたい。


2003年09月08日(月) 【写真付】モー娘

今日が放射線治療3回目。慣れたもので、10分もかからないで終わってしまう。今日はこれだけだ。ライナックのベッドから起き上がった瞬間は、なんんとなくめまいがした。一瞬吐き気もするが、すぐに慣れてしまう。

後はひまをつぶすだけだ。ベッドの端に積み上げられた本とDVDを見て、これ全部読むの?と看護婦さんにびっくりされたが、これでもなければ暇で狂いそうだ。

昼食前に妻が意外な人を連れてきた。妻が明星保育園に勤めていた頃の同僚で磯嶋淑子さんだ。義母が同じフロアに入院したのだそうだ。本当に久しぶりに見る顔であった。娘たちが保育園に通っていた頃に会ったきりだ。妻がデイルームで会い連れてきたそうだ。

昼食後、やはり睡魔が襲う。12時40分過ぎから午後2時半ごろまで眠る。これでいて夜のしっかり眠るから不思議だ。一昨晩などは、隣のベッドの人が夜中に容態が変わり、個室に移ったというのに、その騒動を知らずに眠っていた。ちょっと異常かとも思えるほどだ。

「モー娘」ならぬ「モーぶす」
夕方お化けメールが入っていた。これは写真が貼付されているに違いないと思ったら案の定先日の披露宴の写真が数枚、しかもビッグサイズだ。政策推進室の余興は「モー娘」と聞いていたが、これは「モーぶす」とでもいうか、お下劣というか、実際に見たらどんなだったんだろう。日曜に磯嶋氏から聞いたのとはイメージが違った。今日はちょうど写真ネタがなかったので、著作権は区画整理課の田鎖君にあるらしいが、ちょっと侵害してここに貼り付けてみたい。


2003年09月07日(日) 今日も映画

治療がない日の二日目。軽い吐き気がずうっと続いている。

暇つぶしに映画を鑑賞する。今日の映画は
「レッド・プラネット」(2000年 原題:RED PLANET)
スタッフ 監督:アントニー・ホフマン
キャスト ヴァル・キルマー(ギャラガー役)
      キャリー=アン・モス(ボーマン役)
「2050年、人類は滅亡の危機を迎える。生き残る道は、火星への移住のみ。”火星地球化計画”が打ち立てられ、探査のため女船長ボーマンを筆頭に6人の精鋭が火星に旅立つが、途中アクシデントが発生、ボーマン一人を船に残しクルーは火星への緊急着陸を迫られる。そこで彼らを待ち受けていたのは、過酷な任務と想像を絶する光景だった。」

これ以上書くと見てない人には楽しみがなくなる。果たして彼らは生還できるのか。

昼食後、午睡をしていると、「The磯嶋s」が来てくれた。実は熟睡していたので妻も私も気づかずに帰してしまうところだった。(妻もうたた寝をしていた)昨日の鈴木・春日の結婚披露宴の様子を教えてくれた。新郎色一色で、これほど新郎中心の披露宴もなかなかないという具合の披露宴だったらしい。二次会には格闘技会場が用意されていたとか。それはユニークはものだったのだろう。政策推進室の余興モー娘はうまくいったらしい。ビデオでもDVDでもいいから編集して見せて欲しい。

娘が自宅から郵便物を届けてくれたが、中でも最も大事なものを落としてきたらしい。すぐに看護婦さんが落し物が届いたといって届けてくれた。ひと安心して、磯嶋夫妻が差し入れてくれた「ル・スウブラン」というケーキ屋さんのプディングをいただいた。娘がマンゴープリン、私がコーヒー味。最近八戸市内では飛ぶ鳥を落とす勢いで、はやっているらしい。おいしかった。

夕刻、県新幹線・交通政策課の久保田政勝氏が見舞ってくださった。春先に新幹線の騒音等の問題で、高岩の地区説明会に来た県の担当者が久保田氏だった。実は彼とは小中学校時代の同級生である。その後の会合に私が現れないのでどうしたのかうちのスタッフに尋ねたところ、入院していることを知ったそうだ。今日は玉山村で行われたマラソン大会に出場した帰りだそうだ。健康に気を使い、ランニングを始めたらしい。知事が代わってスタッフも大変なのではないかと話したら、自分らのあたりはそれほどでもないがと言っていた。逼迫する県の財政については彼らもかなり心配の様子であった。

夕食前から「吐き気止め」の薬をもらった。食事30分前に飲むのだそうだ。夕食から試したが、劇的に効くというわけにはいかなかったが、夕食を7割程度食べたられたのでよしとするか。


2003年09月06日(土) DVD映画鑑賞

土日になって、今日明日は治療がない。しかし二日間行った放射線治療の成果(副作用)が出て、若干の吐き気が続いている。看護婦さんに話したら、
「副作用があるということは治療が効いているということ。」
という変な慰め方をしてくれた。副作用がるということは本作用があるということなんだろう。

ということでまるで食欲がない。ぜんぜん食べられないかというとそれほどでもなく、病院食の半分ぐらいは食べられる。食が進まないと話したら、これも看護婦さんが、
「出前でも取っておいしいのを食べたら。」
それはグッドアイデアだ。何かおいしいものを買ってきてもらおう。

今日の午前中は相変わらず睡魔に襲われ、11時過ぎまで眠った。それでいて夜もしっかり眠るからやはり薬による眠気なんだろう。

午後はDVDで映画鑑賞をした。昨日下水道の畠山氏が持ってきてくれた「太陽の誘い」(原題:Under Solen)という1998年のスウェーデン映画である。基本データを少々記録しておこう。
cast:ロルフ・ラスゴード(オロフ役)
   ヘレーナ・ベリストレム(エレン役)
staff:製作・監督・脚本:コリン・ナトリー
1999年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
1999年サン・セバスチャン映画祭審査員大賞受賞
「人々が待ちわびる白夜の季節を迎えたスウェーデンの田舎町。オロフはここで暮らす40歳の農夫。不器用で女性を知らず、読み書きもできないが、人を疑うことを知らず大らかな優しさを持っている。そんな彼のもとに家政婦としてやってきた美しく洗練された33歳の女エレン。ひとつ屋根の下に暮らし始めた二人はやがて自然に愛し合うようになる。しかしエレンには、隠し続けている秘密があった...。」


2003年09月05日(金) イタリア風八戸港

昨日の日記に貼り付けた八戸港を見て、東京の和田さんからイタリアの風景を思い起こす、というコメントをいただいた。どの辺がイタリア風なのか私には分からないが、きっと写真の上下を思い切りカットして掲載したのがそんな雰囲気を出したのかも知れない。改めて外を眺めてみるが、なかなかいい景色だ。まだ八戸を見たことのない和田さんからすれば、大胆にトリミングした八戸港の写真に異国情緒を感じたのかもしれない。
「Ciao, signora!」

朝食後、早い時間に母が娘と一緒にやってくる。父が入院して以来だ。
「しばらぐ」
といいながら、堰を切ったように近況を話し出した。しばらくぶりに顔を見たので安心して、溜まっていたものが出てきたのだろう。ひとしきりしゃべると安心したのか、今度は父の病院へ向かった。

今日からは土日を除く毎日、10時半から放射線の治療だ。ライナック室へ行くと、おばさんが一人治療を受けていた。すぐに私の番だ。台の上に仰向けになり胸をはだけると、昨日つけたマーキングが薄くなっていた。汗に流れたらしい。なにしろ常時コルセットを付けているのだから無理もない。今度は取れにくいインクで再度マーキングをする。放射線照射そのものは一箇所当たり約1分半。すぐに終了した。

昼食前には同級生山本恵子(旧姓:伊東)さんのお母さんが見舞ってくださった。八幡からわざわざバスを乗り継いで来たそうだ。恵子さんは中学に入ってから三戸から転校してきたので、周囲に友達がいなかった。それで近所だった私と遅咲きの幼馴染のようになっている。現在は埼玉県和光市で障害児・者の地域での豊かなくらしをつくる会であるNPO法人ポコ・ア・ポコの代表をしている。昨年八戸市の小規模作業所などを視察にきたときには一緒に施設をまわった。その彼女のお母さんが、「恵子の代理で来ました」なんていいながら、来てくださった。知事選の時に選挙事務をしていなからどうしたんだろうと思っていたそうで、心配してくれて本当にうれしい。

昼食直後には、予定通り下水道事務所の工藤・畠山両氏がやってきた。慶長氏が私に置いていったホームページ作成に関するハウツー本を渡すためだ。二人からは映画のDVDをたくさん借りることができた。これで暇がつぶせるぞ。

同室の患者さんの酸素吸入器が発生する音が、遠くからやってくる焼き芋屋の音にあまりに良く似ていたため、思わず大きな声で「焼き芋屋?」と叫んでしまった。娘は「えっ?」と立ち上がり、窓の外を確認しに行こうとしたが、私がそれを止めた。焼き芋屋であるはずがない。同室の方々には大変失礼した。大きな勘違いであった。

夕方、工事検査課の上山検査員と道路維持課の楢山班長そして栗沢君が立ち寄ってくれた。実は9月1日の日記に「楢山さんの五木節を聞きたい」と書いたものだから、それを読んだ小瀧部長に、五木ひろしを歌うのかといわれたそうだ。でも建設部にいて楢さんの五木節を知らなくてはもぐりと呼ばねばなるまい。皆さんいろいろと励ましてくださった。

夕食後、歯磨きをしにいった洗面所でその事件は起こった。何個かある流し台の右から2番目で歯磨きをしていた。一番右の蛇口は右へまわすとシャワー、左へまわすとカランから水が出るように両方ついたやつで、ここで洗髪などができるようになっているのだが、誰が使ったのか後片付けがされないまま放置されていた。そこへ「じさま」が一人きて、その蛇口を使おうとしてた。どうも慣れていなそうだったので、妻が見かねて
「おじいさん、こっちのほうが使いやすいと思うよ。」
と誘導してやろうと思ったとたん、大丈夫だといいながら、案の定右へひねった。シャワーが噴出した。方向はすっかり私の方を向いていた。だから言わないこっちゃない。妻が止めてあげようとしたとたん、あわてた「じさま」は蛇口をさらに右に回した。勢いよくシャワーが噴出した。車椅子を固定して歯磨きしていたため逃げられず、さらにそれをかばった妻がずぶ濡れになった。

当の「じさま」は悪びれもせず、病院で用意している清拭用の蒸タオルを一本差し出し、詫びもせずに立ち去った。

こういう公共の場で、こんなことをされるとさすがに腹が立つ。たった一言「ごめんなさい」で済むのにね。結局シャワーの始末や濡れた床の掃除までする羽目になった。みんなビョーキなんだから、と妻と着替えをしながら許してあげた。


2003年09月04日(木) 【写真付】放射線治療が始まる

今朝は久しぶりに快晴の朝を迎えた。本当に何ヶ月ぶりかという気がする。妻などはその明るさに時間を1時間間違え、はやく起きてしまった。でもこの天気のよさは健康を回復するような気持ちになる。

611号室から一望する快晴の八戸港
天気の良いうちに窓からの景色を写真に撮った。この部屋は花火大会のときにも書いたが、八戸港が一望できる。ハーバービューとしては最高のロケーションである。では、その写真に若干の解説を加えておこう。

まず左端に見える紅白のまだらの高い煙突は東北電力八戸火力発電所。
右方向へ目を移すと蛇行する八戸大橋。
東北グレーンターミナルの大きなサイロ。
そのすぐ右にガントリークレーンが2基並んで見える。
その手前にポートアイランドに架かるシーガルブリッジ。
ポートアイランドに建つ八戸港貿易センタービル。
そのポートアイランドにタグボートが3艘並んで停泊。
第三魚市場のかまぼこ。
そのずうっと向こうに北防波堤。

港湾の仕事をしていたときに何回となく見たアングルではあるが、当時と変わったのが、ガントリークレーンが増えたこと。シーガルブリッジがつながったこと。貿易センタービルができたこと。

午前10時半に放射線科に呼ばれた。若い先生だった。骨髄腫の治療としての放射線照射は、骨髄腫という病気によってもろくなった骨に放射線を照射することにより硬くすることにあるのだそうだ。だから病気そのものを治すというのではないらしい。X線を照射することにより骨は硬くなるのだそうだ。副作用があるとするれば、皮膚が軽いやけどのようになったり、照射直後に吐き気をもよおすことがあるらしい。

まず照射する部位を確定するため、体にターゲットになる印を付ける。赤いマジックで縦横に線を引かれた。そして照射位置確認のため、CTを撮った。この一連の機器には「SHIMAZU」と表示されていたので、CT技師の人に例の田中さんの島津製作所かと尋ねたところ、やはりそのものだった。

昼食前、高専のバスケットボール部の後輩である柳沼君が来てくれる。彼は一人で設計会社を興し、経営している。昨日は防衛庁の仕事で仙台まで行ったのでと、「牛たん」を土産に持ってきてくれた。彼には高専OBを中心に結成しているバスケットボールチーム「我楽団」の事務局をお願いしている。今後ともよろしく。

午後3時ごろ、ライナック室に呼ばれた。この放射線を照射する機器とライナックという。今度は第1回目の照射が開始される。しるしを付けた胸と腰の2箇所にX線をあてる。まず最初に計画したとおりに照射ができるか、X線撮影をした。これで部位を正式に確定し、それぞれX線を数分ずつ照射した。痛くも痒くもなかった。これを全部で10回繰り返す。土日を除くから約2週間かかる。明日からは午前10時半に放射線室に入る。


2003年09月03日(水) 【写真付】予備のコルセット

妻がコルセットの予備が欲しいという話を婦長さんにして、今日整形外科の診察を受けにいった。入浴時などもう一つ用意しておいて、濡れても別のもう一つを使えるようにしようというのだ。

整形外科の外来で診察の順番を待っていると、例の装具屋さんがやってきたので、今日はコルセットをもう一つ欲しくて来たと話した。そうしたらその装具屋さんは、無駄になるからやめたほうがいい、そのうちにメッシュの軟らかいコルセットを作らなければならなくなるし、そっちにしていはどうか、というアドバイスをもらった。プロにそう言われると最初の意欲も萎え、診察室で、は最初はもう一つ欲しかったけれども今のもので間に合わせることで先生と話がついた。保険の適用の関係か、同じものは2年間は作れないらしい。

昼前にいとこの工藤絹子さんとその母伊藤タキさんが見舞ってくれた。割と顔色が良いと安心してくれた。

午後は娘が妻と付き添いを交替する。午後はほとんどやることもないので、ただ座っているだけなのだが、それでも誰かいたほうが心強い。

そうしているうちにいとこの有泉智子の娘・香里がひょっこり来てくれる。湊高台のアパートから八戸短期大学に通っている。ここ労災病院にはごく近い。何人かある母方のいとこの子供たちが、盆正月にはよく我が家へ来て遊んだものだ。それがもう成人を迎えようとしている。その香里もまもなく成人、既に成人しているうちの娘とさまざま話をしていった。傍らで聞いていた私も楽しませてもらった。それにしてもこの年代で、私のようなおじさんのお見舞いにふらっと一人で来るというのはなかなかさばけた性格だ。

栄田さんがくれたバターサンド
夕食後、栄田正勝八戸市消防団舘分団長が来てくださる。ちょっとした用事があって北海道へ行って来たそうだ。そのお土産に夕張メロンと六花亭のバターサンドをいただいいた。ただの夕張メロンではない。わざわざ本場夕張まで行って買ってきたそうだ。どちらも世間では超有名だ。私よりも妻のほうがうれしそうだった。



2003年09月02日(火) 労災病院の床屋

今日もほとんど何もない日だ。どんどん治療が進む、というわけにはいかないらしい。

午前中に池本室長に電話を入れる。新たに3ヶ月の診断書を山本さんに渡しておいたのだが、やはり一言話しておくべきだろうと思い電話した。電話で済ませては申し訳ないが。自分としてはなんとか3ヶ月で復帰したいと強く希望はしていたのだが、こればかりは思ったとおりにいかない。6月からの3ヶ月と、今後の3ヶ月、あわせて6ヶ月だが、これからの3ヶ月はなるべく短縮できないかと希望している。

夕べからなのだが、右足の付け根、いわゆる股関節が痛い。じっとしているとなんともないのだが、立ち上がり体重をかけると痛みがある。しかも結構痛い。同じ姿勢で長時間座っていると痛くなることがあるが、そんな痛みではないだろうかと自分では思っている。車椅子に同じ格好で長い時間座っているので、そのせいではないだろうか。しかも座席に敷いている座布団やタオルの加減で股関節の角度も微妙に変わるのだろう。主治医の先生に相談したら、腰の痛みとか一連の関係があるのだろうということで、木曜日に放射線科の先生に相談してみようということであった。

床屋へ行った。ここ労災病院にも床屋が入っている。食堂の隣にこじんまりとしたスペースがあり、そこでおばさん二人がやっている。今朝婦長さんから9時半に予約を入れてもらった。料金は2,800円と市価より若干安い。○民病院の床屋は定価どおりだった上に少々雑だったと記憶している。

私がカットしてもらっている間には常連と思われる客が数人やってきて、気軽に会話を交わしていた。気さくな雰囲気で入りやすい。

午前11時ごろ、木村禮子さんが見舞ってくださる。父方の親戚で大伯母さんといったところか。売市の水門下に住んでいるので、数年前の土橋川の水害には被災し、水害見舞いに行ったことがある。今度は逆にお見舞いをいただいた。

上の娘が帰ってきた。また妻と交替で付き添ってもらうことになる。よろしく頼むよ。

尾上町で屯所が火災にあったそうだ。屯所では火を使わず、灰皿には水をかけていると分団長は言っているそうだが、飲んだ後のことだからどの程度徹底していたかはちょっとわからないかも。とにかくお気の毒。


2003年09月01日(月) 日本人の心は演歌にあり

9月1日は「防災の日」ということで、全国で防災訓練が行われていたようである。ニュースは防災訓練一色だ。本物の災害や事故のニュースよりよほどましだ。

今日も治療は何もない日。

パソコンに英辞郎Ver.52をインストールする。もう一つ、「学辞郎」をインストール。これにはロボワードfor学辞郎もついている。ところがこっちをインストールしたら英辞郎のほうの動作が変になった。回復まで少々時間を要した。

暇つぶしにテレビを観る。「今夜は見せまっせ 五木ひろし」という番組の再放送だ。私は基本的に五木演歌が好きである。実は五木本人の唄よりも、道路維持課の楢山班長の歌う五木節が好きだ。自分も一曲や二曲は歌えるようになりたいものだと思っているが、なかなかうまくはならないものだ。
「よこはま・たそがれ」にはじまり、「おまえとふたり」・「千曲川」と進んでいく。

五木演歌の中でも私の好きな曲を並べてみた。

  1971 よこはま・たそがれ
  1973 夜空
  1975 千曲川
  1979 おまえとふたり
  1983 細雪
  1984 長良川艶歌
  1985 そして・・・めぐり逢い

と、こうなるのだが、1985年以降の曲がない。私の記憶がここまでで途切れているのか、それとも五木の唄がこれ以降あまりヒットしていないということか。(五木ひろし公式ホームページで検索したので間違いない)

シャバに出たらぜひまた楢山さんの五木節を聞かして欲しいと願っている。片手にマイク、一方にはジョッキで。


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