前にも似たような話を書いた記憶がありますが、 気にせず書きます。
日曜日、山登りをしました。 メンバーは70歳超えのT教授から、 下は20代崖っぷちの夫まで。 1000メートルも無い山なので、 全員さくさくと攻めて行きます。
こういう場の常として、 「明日あたり筋肉痛が大変だね」 という話になりがちです。
そして最年長者(この場合はT教授)が 「明日ならいいけどね」 というのも、半ばお約束のセリフです。
しかし、夫の同僚であるTさんが一言、 「僕は4日後ですね」 といったのには度肝を抜かれました。 「何したっけ、と忘れた頃にやってきますよ」
Tさんたら、見かけはカッコよくて、 関東の、それも神奈川とかいう(とかいう?)所の出で、 あまつさえ湘南は俺の庭だぜ的サーファーなのに。 そんなセリフ許されません。
…おっと、少し熱くなってしまいました。 都会の人間に対する地方出身者の愛憎だと思ってください。
そしてふと、コージ苑は夫を見ました。 こいつ、体重だけは軽いせいか、 憎らしいほどひょいひょいと足を運んでいます。 そういえば、彼が筋肉痛だという話を聞いたことが無い。 中高と、伊達に運動部やってきたわけじゃないのか? コージ苑は考えました。
彼には筋肉痛になる筋肉がないからだという結論に至りました。
はいどうもこんにちはコージ苑ですよろしくおねがいしまーす。 ↑ 今さら紅白を見て、 思わず感心してしまった○マップ中○のプロ的言い回し。
メーデーの今日、めでたくまた一つ年を重ねたわけですが、 3秒ほどおかないと自分の年が思い出せない、 という事実に愕然としております。 早くもボケかしら。
というか、この小さい国では、 自分の年を意識せざるをえない状況が無さ過ぎる! 日本では、例えばデパート2階は若い人向けの、 3階は中高年向けのファッション、というふうに、 残酷なほどの住み分けがされているように記憶しています。
でもって、数年前にはやった服を着ていると、 流行を見極める力が無くなった=年取ったと見られる、とは、 酒井順子の著書にあった言葉だったでしょうか。
しかしこちらでは、年齢による境界線がどうも薄い。 どうみても50過ぎのおば様が、 10代の若者に混じって「ザラ」で試着して、 セクシィなガーターベルトが見えんばかりの ミニスカートを買っていったりするのです。
コージ苑もそういう方を見習えば良いのでしょうが、 どうも逆方向に進んでしまっているようで、 自分が人間だということは覚えているのですが、 女性であるということはどうも忘れがち。 結婚したとはいえいかんなあ、と思っております。 わが親愛なる友人のぶっひー嬢ならこう言うでしょう。
「だめよコージ苑さん!毎日きれいにしてなくちゃ!」
ということで夫、服買ってくれ。
|