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■ 絵解きの功罪
「要するに想像力が大きく欠如しているんです。と言うか訓練できてない」 先日学校へ行ったときのある先生のお話です。 「子供の読書離れが懸念されていますが、実際は結構読んでいます。しかし多くは挿絵が入っているし、映画やアニメのノベライゼーションなので自分の想像力で補う余地がないのです。これがマンガやアニメの害毒だと思う」 一概にマンガやアニメを悪者にはできませんが、過剰な絵解きが想像力の邪魔をする事実は確かにあります。
情報量が多いのはラクです。基礎知識だけでこなせてしまいますから。 マンガは字と絵を混合させて作者の意図をかなり忠実に読者に伝達できます。さらにアニメは音と動きが加わり、ほぼ完全にイメージを固定化できます。これらをどかーんと見せられれば当然理解は早いですよね。特に歴史なんかはドラマ仕立ての方が絶対わかりやすいし、面白いですもの。
それに比べて字だけで物語を読むのはかなり高度な技術が必要です。多くの人はこれまでの自分の経験や知識を総動員し、頭の中に舞台背景やキャラクターを設定して読んでいるのではないでしょうか。またそれが小説本来の楽しみ方であり、情報量の少なさを想像力で補う訓練に繋がるのです。
ジュニア向けと言われるジャンルのほとんどに挿絵が入っています。岩波等の名作ものは昔からある挿絵然とした絵柄ですが、最近の文庫作品はマンガなのか小説なのか一見して区別できないようなものも多いです。何冊か検分してみましたが、文章をそのまま絵に置き換えているという点で一致していました。 歴史物語やファンタジーの場合子供の知識ではギミックがわかりにくいから、最低限挿絵で補うのはわかります。でも現代学園もので挿絵なんか必要ですか?自分が毎日通って肌で体験してるじゃないですか。 挿絵はあくまで活字での理解を補足するためのものであり、字との相乗効果を期待されます。しかし両者が同じことを表現するのは単なるムダにすぎません。しかも「余計なお世話」が結果的に子供たちの知識欲に対する怠惰を助長してしまうのです。
同じ作品でも読んだ人の数だけ「その人の物語」が生まれるはず。人物描写で思い浮かぶキャラクターも舞台背景もみんな違うはずなのです。 しかし不用意な挿絵によってたったひとつの表現に固定されてしまうのは、読者の「想像する権利」を剥奪してるような気がします。 実はマンガにおいても同様な状況は起きています。 「最近の読者は難しいこと描くと読んでくれない」 …と、以前マンガ家のいしかわじゅん氏が嘆いていました。それまでは「この作品を真に理解するためには少なくともこれとこれとこれは読んでないとダメ」といった結構ハードな条件(しかもテキストはマンガだけとは限らない)を読者側は要求され、それをクリアすることがマンガ読みの楽しみでもあったわけです。しかし最近の若い読者は蓄積がなく過去との連携プレーができず「想像力で補う」という決定的なところが足りません。過剰な説明表現に慣れてしまって、削ぎ落とした美意識を理解できないのだそうです。
見ることの楽しみや喜びは尽きることがありません。 しかしそれと同時に、文字だけで読む不自由さとそれを自分で埋めていく面白さを知ってほしい。過剰なサービスはすぐ飽きがきます。カルチャー面に限っては人は少々飢えてるくらいでちょうどいいのです。
2003年02月28日(金)
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