女の世紀を旅する
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2002年01月29日(火) 歴史検証 〈歴史を知らない日本の子供たち〉

歴史検証「歴史を知らない日本の子供たち」
                                 2002,1.29






日本の子供たちの歴史認識不足は,いちがいに学校教育のせいとばかりとはいえない。とりもなおさず大人社会の歴史認識の欠落の縮図だからだ。

たとえば満州事変,上海事変,日中戦争,太平洋戦争,朝鮮戦争,ヴェトナム戦争,中東戦争などの現代史の知識にしたって,ほとんど人が教科書程度の知識も有していない。愛国心イコール軍国主義として,戦争を具体的に子供たちに教えることを避けてきた学校の歴史教師は怠慢である。戦争を知らずして平和を語ることは出来ない。

なぜこうも日本人が自国の歴史に無関心となってしまったのか,世間の風潮が享楽志向が強い日本では,新しい奇異な流行にだけ目が奪われ,過去のものを古くさいものとし,伝統的なものに対する畏敬の念をバカにしてきたではないか。なぜ日本の社会はこうも軽薄になってしまったのか,学生たちの歴史への関心の薄さに,実はこうしたマスコミの無節操さと喧噪がかかわっている。

数年前,スピルバーク監督の戦争映画「プライベート・ライアン」を観たが,米国の101空挺師団の悲壮な戦いがリアルに描かれていて,感心した。
この映画の舞台となったノルマンディー上陸作戦の激戦で死んだアメリカ兵の数よりも,実はもっと多くの死者が出た太平洋戦争の激戦地があるのだ。学生たちにその激戦地はどこか質問してみるといい。ほとんどの学生は答えられないはずだ。太平洋戦争や日中戦争の軌跡を学校でほとんど教わっていなから無理もないが,大人にしたってその知識の稀薄さは同様なのだ。

答えは,硫黄島の戦いで,米兵は2万数千人の死傷者を出しており,ノルマンディー上陸作戦での死者を大きく上回っている。硫黄島は東京都に属する小島であるが,こんなちっぽけの島の攻防戦で日米両軍がおびただしい血を流したことを知っている人は余り多くない。あまりにも犠牲者が多かったため,アメリカ人にとって真珠湾奇襲と同じくらい忘れられない戦場となった。

同じスピルバーク監督の名画「太陽の帝国」は,大日本帝国をタイトルにした映画だが
,この映画は1932年の上海事変から日中戦争時代に日本軍の収容所生活を体験した少年の戦争体験をていねいに描いている。ニューギニア戦線を描いた映画「シンレッド・ライン」や,昨年上映された「パールハーバ」,そして独ソ戦を描いた「スターリングラード」など,ついこの前の戦争を追憶した映画は多数制作されているが,いかんせん
日本の学生たちはこれらの映画が対象とした戦争の知識が無いから,映画が何の戦争を描いているのかさえ見当がつかない人が多い。

日本における歴史教育の,とりわけ現代史を丁寧に教えてこなかったことは日本の学校教育の失策だと断定していい。まずもって学校の先生たちが抽象的な教科書風の無味乾燥な歴史ではなく,生々しい感動するような血肉のドラマに満ちた歴史を教えなくちゃ,歴史嫌いの学生がふえるだけだ。

たとえば,なかにし礼の自伝小説『赤い月』が描いている満州国の日本人難民の惨劇について語ってあげることの方が,子供たちの歴史への好奇心をはぐくむことになる。王朝や君主や官制の詰め込みに終始せざるをえないから,ちっとも歴史のワクワクする楽しさが甘受できない。



●日本の中学生は,中国や韓国の中学生に比べて「歴史への関心」が低いことが、筑波大の遠藤誉教授らのグループの調査で判明した。その調査では,さらに今熱中しているものや、将来への希望が「ない」という日本の子ども目立って多かった。
中学3年生を対象にして、日本で約1000人、中国、韓国で各約500人から、歴史認識と生活意識を調べた結果である。


●中国、韓国での戦争行為に対する日本の態度をどう思うかという質問に、「反省し続け謝罪すべきだ」とした生徒は、中国で34%、韓国で65%だったが、日本では14%。
日本では「これからの関係を考えるべきだ」(28%)、「興味がない」(9%)が目立った。

(この質問は愚問だ。いつまでも謝罪を続けろ風の質問は,日本人の学生にしてみれば,もういいかげんにしてくれよ,と思うのは当然ではないか。こういう自虐的な質問を日本の学生に問い続ける姿勢自体に問題がある。いつまでも戦争責任ではあるまい。周辺諸国に対するナチスの戦争行為に対するドイツの態度をどう思うか,と質問されて「反省し続けて謝罪すべきだ」と答えるドイツの学生はいない。ドイツの学生はこう答えるだろう。あれはナチスがやった行為で,ドイツ国民のやった犯罪ではない,ナチスとドイツ国民を区別すべきだ,ゆえに謝罪し続けるかという質問自体がナンセンスだと論理的に一蹴するだろう。この論理による押しの強さが日本人には欠けているから,いつまでも「ごめんなさい」を繰り返す羽目におちいっているともいえる。もっとドイツ人の論理的に筋を通した態度に学ぶべきだ。 )


●自国の現代史について「誇れることも恥ずべきことももっと知りたい」という生徒は、日本では57%だが、中国は92%、韓国は86%。
日本では「そんなに知りたいと思わない」が34%で、中国(2%)、韓国(4%)との差が
出た。


●一方、自分の国に誇りを持っているという生徒は、中国で92%、韓国で71%に達したが,日本は24%にとどまった。また、自分の将来について中国で91%、韓国で46%が「大きな希望がある」と答えたが、日本では29%にとどまり、「どうなるか分からない」が29%、「全くない」が5%と多かった。


●今熱中していることを尋ねた質問では、日本の生徒は「スポーツ」(19%)、「音楽」
(15%)に次いで「特にない」が14%と多く目立った。


※日本の子供たちが日本という国に誇りを抱けないという事実は別に驚くにあたらない,ほかならぬ日本の歴史教育の貧困さと相関関係があると思うのは,私だけだろうか。世界の数ある国を眺めてみるがいい,自国の伝統と文化を愛せないような風潮を醸成している国があったとしたら,その国の青年たちの心は荒廃し,病んでいくのは当たり前の話ではなかろうか。この国はいままで国を愛する心を軍国主義の裏返しとして,バカにし続けてきたではないか,今回のテロ以来,アメリカの愛国心の高揚に,実のところ多くの日本人は当惑し,苦々しく思っているにちがいない。しかし,平和主義が幻想にすぎないことを世界の歴史は数多教えていることを知っておいて損はない。




2002年01月26日(土) 2000年と2001年に逝去した各界の有名人

2000年と2001年(平成12年・13年)「逝去した各界の有名人」


――花に嵐のたとえもあるよ,サヨナラだけが人生さ(井伏鱒二)――




【2000年2月】


二階堂進(元自民党副総裁)2000/2/3、90歳

荒井注(タレント、元ザ・ドリフターズのメンバー)2000/2/9、71歳

ロジェ・バディム(フランス映画監督)2000/2/11、72歳

橋本功(俳優)2000/2/12、58歳

田中小実昌(作家)2000/2/27、74歳




【2000年3月】

田中澄江(作家、劇作家・故田中千禾夫氏の妻)2000/3/1、91歳

鶴岡一人(元プロ野球南海(現ダイエー)ホークス監督)2000/3/7、83歳

佐々木良作(旧民社党第四代委員長)2000/3/9、85歳




【2000年5月】

小渕恵三(前首相)2000/5/14、62歳

三浦洋一(俳優)2000/5/14、46歳

ジャンボ鶴田(元プロレスラー、ポートランド大客員教授)2000/5/13、49歳

山村聡(俳優)2000/5/26、90歳

井上忠夫(作曲家、元ブルーコメッツのメンバー)2000/5/30、58歳




【2000年6月】

梶山静六(元官房長官)2000/6/6、74歳

皇太后陛下2000/6/16、97歳

竹下登(元首相)2000/6/19、76歳




【2000年7月】

ウォルター・マッソー(米俳優)2000/7/1、79歳

青江三奈(歌手)2000/7/2、54歳

黒田清(ジャーナリスト、元読売新聞大阪本社社会部長)2000/7/23、69歳

小倉遊亀(女流日本画家、文化勲章受章者)2000/7/23、105歳

真木洋子(女優)2000/7/22、51歳




【2000年8月】

アレック・ギネス(英俳優)20008/5、86歳

谷村昌彦(喜劇俳優)2000/8/6、73歳

秋山登(元大洋監督)2000/8/12、66歳

E・H・エリック(タレント)2000/8/17、71歳

観世光太(脚本家)2000/8/17、76歳

アンディ・フグ(格闘技「K−1」選手)2000/8/24、35歳




【2000年9月】

関根正雄(日本学士院会員、元東京教育大教授)2000/9/9、88歳

三国一朗(司会、俳優、エッセイスト)2000/9/15、79歳

浪越徳治郎(日本指圧協会理事長、法人浪越学園理事長)2000/9/25、94歳

工藤栄一(映画監督)2000/9/23、71歳。

坂井三郎(元零戦パイロット)2000/9/22、84歳

舛添ユキノ(評論家舛添要一氏の母)2000/9/26、86歳。

津村秀介(作家)2000/9/28、66歳




【2000年10月】

ミヤコ蝶々(女優)2000/10/12、80歳




【2000年11月】

イーバ・モリス(ギネスブックが生存する
 世界最高齢の女性と認定した英国人女性)2000/11/2、114歳

東千代之介(俳優、日本舞踊家元)2000/11/9、74歳

茶川一郎(コメディアン)2000/11/9、73歳

小野光一(プロゴルファー)2000/11/6、81歳

フランク・プールセル(ムード音楽の作曲家兼指揮者)2000/11/13、87歳

山下忠平(洋画家、日展参与)2000/11/14、96歳

歌川豊國(現役最高齢の高校・大学生として話題になった浮世絵師)2000/11/13、97歳

下元勉(俳優)2000/11/29、83歳




【2000年12月】

鈴木その子(美白ブームを生んだ美容・料理研究家)2000/12/5、68歳

如月小春(劇作家、演出家)2000/12/19、44歳

千田夏(ノンフィクション作家、評論家)2000/12/22、76歳




【2001年1月】

桂三木助(落語家)2001/1/3、43歳

中島洋次郎(元衆院議員、受託収賄罪などに問われ上告中)2001/1/6、41歳

福島幸雄(元NHKアナウンサー)2001/1/11、72歳

佐山淳(元浅草フランス座支配人)2001/1/16、77歳




【2001年2月】

杉原よ志(映画編集者)2001/2/9、88歳

ハーバート・A・サイモン(ノーベル経済学賞受賞の米経済学者)2001/2/9、84歳

バルテュス(画家)2001/2/18、92歳

井口泰子(推理作家、放送評論家)2001/2/18、63歳

スタンリー・クレイマー(映画監督)2001/2/19、87歳

蟹江ぎん(百歳を超える双子姉妹「きんさん、ぎんさん」の妹)2001/2/28、108歳



【2001年3月】

竹腰美代子(健康体操指導者)2001/3/1、70歳

久和ひとみ(ニュースキャスター)2001/3/1、40歳

上村松篁(日本画家、文化勲章受章者)2001/3/11、98歳

井田真木子(ノンフィクション作家)2001/3/14、44歳

大川功(CSK名誉会長、セガ会長兼社長)2001/3/16、74歳

鄭周永(韓国最大財閥・現代グループ創業者、前名誉会長)2001/3/21、85歳

奈良本辰也(歴史家、元立命館大教授)2001/3/22、87歳

中村歌右衛門(歌舞伎俳優、人間国宝、
 芸術院会員、文化勲章受章者、世界文化賞受賞者)2001/3/31、84歳



【2001年4月】


並木路子(歌手)2001/4/7、79歳

三波春夫(歌手)2001/4/14、77歳

勅使河原宏(映画監督、華道草月流第三代家元)2001/4/14、74歳

河島英五(歌手)2001/4/16、48歳

小島三児(俳優、元コメディアン )2001/4/16、62歳

大原直美(ジャズ歌手)2001/4/19、54歳

李 玉琴(中国清朝最後の皇帝・溥儀の元妻)不明、73歳

レオン・サリバン(米公民権運動の黒人指導者)2001/4/24、78歳



【2001年5月】


ペリー・コモ(米国の人気ポピュラー歌手)2001/5/12、88歳

團伊玖磨(作曲家、指揮者、文化功労者)2001/5/17、77歳

河本敏夫(元衆院議員、自民党旧河本派元会長
        元通産相、元国務相)2001/5/24、89歳

波多野完治(元お茶の水女子大学長、発達心理学)2001/5/23、96歳



【2001年6月】

アンソニー・クイン(米俳優)2001/6/3、86歳

中村正也(写真家、元日本広告写真家協会会長)2001/6/6、75歳

広沢駒蔵(浪曲師、浪曲親友協会副会長)2001/6/22、69歳

ジャック・レモン(米映画俳優)2001/6/27、76歳




【2001年7月】

諸井薫(作家)2001/7/20、70歳

円谷浩(俳優)2001/7/24、37歳



【2001年8月】

石黒ミヱ(国内の長寿2位)2001/8/14、113歳

ドナルド・ウッズ(アパルトヘイトを告発した映画「遠い夜明け」の原作者)2001/8/19、67歳



【2001年11月】

横山隆一(漫画家、文化功労者)2001/11/8、92歳 好奇心と創作意欲永遠の「フクちゃんスマイル」

左幸子(女優)2001/11/8、71歳

小林悟(映画監督)2001/11/15、71歳

草地貞吾(シベリア長期抑留者でつくる「朔北会元会長、元関東軍参謀)                          2001/11/15、97歳

ジョージ・ハリスン(元ビートルズの一員、ギタリスト)2001/11/29、58歳




【2001年12月】

森豊(シルクロード研究家)2001/12/8、84歳

江戸家猫八(動物ものまね芸の第一人者、俳優)2001/12/10、80歳

王恭子(プロ野球ダイエー王貞治監督夫人)2001/12/11、57歳

南博(社会心理学者、一橋大名誉教授)2001/12/17、87歳

ジルベール・ベコー(仏シャンソン歌手)2001/12/18、74歳

浅井スヱノ(北大路欣也氏の母、故市川右太衛門氏の妻)2001/12/19、95歳

南原宏治(俳優)2001/12/20、74歳

加藤シヅエ(日本初の女性国会議員の1人)2001/12/22、104歳

朝比奈隆(世界最高齢の現役指揮者、
文化勲章受章者、大阪フィルハーモニー交響音楽総監督)2001/12/29、93歳

千野香織(学習院大教授、日本美術史)2001/12/31、49歳





【2002年1月】

桂歌之助(落語家)2002/1/2、55歳

及川マツノ(長寿全国2位)2002/1/3、112歳

永昌子(放送作家・タレントの永六輔氏の妻)2002/1/6、68歳

ペギー・リー(米ジャズ歌手)2002/1/21、81歳

橋本清子(故吉村雄輝・日舞吉村流四代目家元の妻、俳優・池畑慎之介=ピーター=氏の母)2002/1/22、76歳

遠藤誠(帝銀事件主任弁護人、
    連続射殺事件の永山則夫元死刑囚国選弁護人)2002/1/22、71歳



 
 
 


2002年01月23日(水) 時事検証  アルゼンチンの悲劇

≪時事検証  アルゼンチンの悲劇の背景≫
                          2002年1月23日 





●アルゼンチンの歴史

国名Argentinaはラテン語で「銀の産地」の意味で,16世紀にスペイン人が征服した当時,この地を銀産地と思いこみ,スペイン語で「銀」を意味するラ・プラタと名付けた。1816年にスペインから独立したのを機にラ・プラタからアルゼンチンに改称した。

アルゼンチンの面積は大きく,世界第8位,南米大陸第2位であり,西はチリ,北はボリビア,北東はパラグアイ,東はブラジル,ウルグアイに接し,南東は大西洋に面する。国土の西側をアンデス山脈が南北に走り,その東側にチャコとパンパの広大な草原が広がる。1816年にスペインから独立(クリオーリョ出身の軍人サン・マルティンがアルゼンチン・チリ・ペルーの独立を指導)して以来,このパンパ地方を中心に,大規模な農牧場経営が普及し,農牧産品の輸出国として発展してきた。パンパ地方はアルゼンチンの政治・経済・文化・社会の中心地となっている。

アルゼンチンは白人中心の国である。住民の大半は,スペイン人,イタリア人などの白人からなり,97%を占める。原住民のインディオと,白人との混血であるガウチョは3%にすぎない。人口はここ100年間に,イタリア・スペインを中心とするヨーロッパ諸国からの移民の大量受け入れによって14倍に急増した。世界の食料庫としての繁栄の中で,

ヨーロッパ文化が広範囲に摂取され,首都ブエノス・アイレスは南米のパリと称されている。住民の大多数はカトリック教徒で,憲法によって正副大統領はともにカトリック教徒であることが定められている。



●第2次世界大戦後の政治・経済混乱

大戦後,ペロン独裁政権(1946〜55)が成立した。ペロンは軍部・教会の支持をえて国家社会主義的な政策を推し進め,経済自由主義路線を転換し,経済の3大重点課題として�ヽ姐饂饂困旅駘�化,��工業の育成,�9餡伴臚碍燭侶从儚�発が目標とされた。経済的自立をめざし,ナショナリズム色の濃い路線が進められ,外国資産の買収と外債支払いが次々と実施されていったが,1949年頃には外貨不足を招来することとなり,そのためペロン大統領は1951年再選後,外資導入を進める必要上,ナショナリズム路線を修正せざるをえなくなった。この時期,基幹産業の国営もしくは半官半民の経営形態が拡大されたが,赤字経営のものが多く,財政赤字が拡大していった。外貨不足,インフレも高進し,反政府機運が盛り上がり,1955年の軍事クーデターでペロンは失脚した。



●イサベル大統領の失政と,軍政の復活

ペロン失脚後,民政と,軍事クーデターによる軍政との政権交替が相次いだ。1973年の民政移管後の選挙で,亡命先のスペインから帰国したペロンが大統領に復帰し,副大統領にペロン夫人のイサベルが選出された。大衆はペロンの民族主義(ナショナリズム)的主張と,労働者優遇政策を歓迎した。しかし,高齢のペロンは翌74年7月に病死し,代わって夫人のイサベルが世界最初の女性大統領に就任したが,その統治能力の無能さと,経済政策の行き詰まりにより,国民の生活水準は大幅に低下し,極左と極右による政治テロ,誘拐が横行し,社会不安がつのった。こうして1976年にビデラ軍司令官らによる軍事クーデターが発生し,イサベル大統領は逮捕され,戒厳令がしかれた。ビデラ政権は反政府活動を徹底的に弾圧し,左派系の活動家・学生ら約3万人が殺害される悲劇を生んだ。(同じ時期,チリでもアジェンデ社会主義政権を倒したピノチェト軍事政権により数万人の左派系学生が虐殺されている。 )

失業,インフレ,財政難と,経済政策に行き詰まった軍政は,81年12月にガルティエリ政権に継承されたが,軍政批判が強まり,82年には大規模なデモに発展した。この批判の矛先をかわすため軍政は,82年4月フォークランド(マルビナス)諸島の領有権をし主張してイギリス(サッチャー首相)に宣戦し,フォークランド戦争をおこしたが,6月にアルゼンチン軍の降伏で終戦となった。84年に民政移管と動き始めたが,戦後の経済情勢は一段と悪化し,とりわけ累積債務返済のめどが立たない状況におちいった。89年には年率5000%というハイパーインフレに襲われ、商店の値札が毎日値上がりする暴騰状態におちいった。



●1990年代に一転して高度経済成長へ

 ところが1990年代になると、アルゼンチンは一転して模範的な経済体制だといわれるようになった。行き詰まりを打開できたのは「冷戦終結」という時代の転換に、上手に乗ったためだった。1989年に就任したメネム大統領は、関税を下げて貿易を自由化し、国営企業を民営化し、投資制限を解除して海外からの資金流入を増やし、政府による経済規制を減らして市場原則に任せるという「経済自由化」を行った。

 これは冷戦の勝者となったアメリカが「グローバル・スタンダード」として世界に広げていった経済体制で、アルゼンチンはいち早くその体制に転換し、90年代前半に年率8%近い高度経済成長となった。1940〜50年代、冷戦体制が作られたときの世界の変容に乗り遅れて不遇の時代を送ったアルゼンチンだったが、冷戦体制終了後の世界の変容をつかむことには成功したのだった。



●固定相場制で世界から投資を呼び込んだのが裏目に

 このときアルゼンチン経済が回復したもう一つの理由とされたのは、通貨ペソの為替変動を抑えるため、ペソの為替相場を1ペソ=1米ドルで固定する政策をとったことだった。為替相場を固定することによって、海外の投資家、特にアメリカ合衆国の投資家が、為替変動のリスクを気にせず、米国内の企業などに投資するのと同じように、安心してアルゼンチンに投資できるようになったことがあげられる。

 日本も1973年まで1ドル=360円などの固定相場制だったが、当時は第2次大戦前に激化した通貨切り下げ戦争の反省から、為替相場の安定を加盟国に義務づけた「ブレトンウッズ体制」(1944〜73年 固定相場制)がまだ生きていたころで、しかもまだ為替取引には大きな制限が加えられていた。これに対して冷戦後のアルゼンチンの固定相場制は、それよりはるかに自由になった世界の為替市場の中で固定相場を維持するものだった。

 アルゼンチン政府は手持ちの米ドル資産の総額を越えない範囲でペソを発行し、人々がすべてのペソをドルに替えようとしたとしても政府が対応できるようにしておくことで、人々に不安を抱かせず、ペソの価値を維持するというものだった。アルゼンチン政府だけで対応しきれなくなった場合は、国際金融機関であるIMF(国際通貨基金)がアルゼンチン政府に融資して支えることが前提としてあった。

 1ドル=1ペソに固定するなら、ペソの代わりにドルをアルゼンチン国内で流通させ、ペソを廃止してもいいではないか、という考え方もある。中南米では、パナマが事実上この方法を採っている。この方法の問題点は、自国通貨をなくしてしまうと、通貨の発行量を調節することで経済の過熱や景気悪化をある程度防ぐことができるのに、その機能を自ら放棄することになってしまう、ということに存する。

 逆に、厳密に相場を固定しなくても、為替が変動し始めたら、中央銀行が変動を止めるように自国通貨を売り買い(市場介入)することで、為替変動を最小限にとどめることもできる。テントが風で飛ばないように地面に打っておくクギ(杭)を「ペッグ」というが、その仕組みに似ているので、この手法は「ペッグ制」と呼ばれる。
 ペッグ制の方がお手軽なので、多くの国がそちらを選んだが、タイやマレーシアなどは、1997年に中央銀行をしのぐ巨額の資金を持ったアメリカの投機筋からの売り攻撃を受け、中央銀行が手持ちの外貨を使い果たした結果、固定されていた相場が外れて急落し、アジア通貨危機を起こして破綻してしまった。



●固定相場制が輸出の足かせに

 アジア通貨危機は、その後ロシアに飛び火した後、1999年に南米のブラジルを襲った。ブラジルも隣国アルゼンチンと同様、1ドル=1レアル前後の為替を維持していたが、為替を固定する方法がペッグ方式だったので、投機筋の攻撃を受け、レアルは大幅な切り下げに追い込まれた。

 アルゼンチンのペソは無傷で、危機に強いことが証明されたが、問題はその後に起こった。ブラジルもアルゼンチンも、輸出を増やして経済発展することを目指しているが、ブラジルのレアルが大幅に切り下げられたため、ドルで換算したブラジル製品の価格がかなり下がり、その分アルゼンチン製品の方が割高になった。通貨切り下げの後、ブラジル経済は立ち直り始めたが、アルゼンチンは逆に大不況になった。

 中南米では1994年にメキシコが通貨危機に襲われて切り下げを断行している。通貨切り下げに追い込まれる国が増えるほど、切り下げができない制度をとっているアルゼンチンの輸出産業は苦しむことになった。

 これはアルゼンチンだけでなく、アメリカにとっても困ったことだった。ウォール街を中心とするアメリカの投資家にとっては、アルゼンチンのように対ドル為替が固定している国の方が、ブラジルやメキシコのように通貨の対ドルの価値が下がってしまう国よりも投資先として好ましいからだった。

 このためアメリカはIMFなどを通じて、アルゼンチン以外の中南米の国々にも、ドルとの固定相場制を広げ、最終的には中南米諸国の通貨をドルそのものに置き換えてしまうという構想を描いた。だが、その後ドル化したのは経済が破綻したエクアドルだけで、他の国は乗ってこなかった。



●アルゼンチンの危機深まる

 そんな中でアルゼンチンの不況は1997年からしだいにひどくなり、2001年には経済成長率はマイナス11%というひどい落ち込みとなった。アルゼンチンのペソがドルと等価というのはペソが高く評価されすぎているという市場の懸念を和らげるため、アルゼンチン政府はペソ建ての国債の金利を上げ、ペソの価値を高めようとしたが、金利の高止まりは企業の資金調達コストを上げてしまい、景気への悪影響が増えることになった。

 失業率も20%に達し、政府は税収の落ち込みから、公務員の給与や年金を支払えなくなり、4000万人近い国民の4割にあたる1400万人が貧困層になり、今日明日の食べ物にも困る人々が国民の1割以上の500万人もいる状態になった。1950年代まで豊かな先進国の一つに数えられていたアルゼンチンの姿は、もはや見る影もなくなった。



●国家破綻の危機に立つアルゼンチン

 それでも、アメリカで金融界とのつながりが深かったクリントンの政権が続いている間は、IMFはアルゼンチン政府が固定相場を維持できるよう融資を増やしていた。クリントン時代のアメリカの世界戦略は、発展途上国にカネを貸す米金融界を政府がサポートし、途上国を経済発展させることで、アメリカの政府と金融機関、それから途上国の政府に成功をもたらす、というシナリオを建て前として持っていて、その中にアルゼンチンの固定相場や、中南米のドル化政策があった。

 ところが97年のアジア通貨危機以来、そのシナリオはあちこちで破綻し始め、クリントンの任期が終わる2000年末には、アメリカ本体の経済も、もはや不況突入が間違いない状態になっていた。そのため次のブッシュ政権は、国際金融を操作して成果をあげることを放棄し、代わりに軍事やエネルギーの分野から世界を動かす戦略に変えた。

 こうした政策転換の中で、行き詰まる2001年のアルゼンチンはアメリカから放置されることになった。IMFは予定されていた27億ドルの融資を実施する条件として、政府予算の収入と支出を均衡させることを求めた。アルゼンチンは不況で税収が減っており、ひどく楽観的に見積もっても、2002年度は支出を前年度より20%減らさないと均衡予算にならない。公務員給与や公的年金の支払いが滞っている中で、そんな歳出削減は無理だった。

 この手の厳しい条件は、クリントン時代にもIMFがインドネシアなど世界各国に対して行ってきたことで、ブッシュ時代になって始まったことではなかった。とはいえ、緊縮財政の一方で、アルゼンチンはブッシュ政権に好意を持ってもらおうと「テロ戦争」が始まると、600人の兵士をアフガニスタンへ平和維持軍として送り出し、パキスタンでは難民支援の病院も経営している。
 だが、そんないじましい努力も、アメリカとその配下のIMFの対応を変えるには至らず、アルゼンチン国民の間から「アフガニスタンより、自国民の支援にカネを回せ」という非難が増えただけだった。

 2001年初め、トルコが通貨危機に陥ったとき、ブッシュ政権はそんなに冷たくなかった。IMFを通じて75億ドルを緊急融資させ、連立政権が壊れそうになっていたトルコ政府を救った。トルコではイスラム原理主義勢力が元気で、経済が破綻して連立政権が崩壊すれば、イスラム原理主義の政権ができるかもしれなかった。
 トルコはイラクを攻撃する米軍に軍事基地を使わせており、アメリカが中東を支配する際には欠かせない国だったから、すぐに緊急支援が行われたのだった。緊急支援をしてもらえないアルゼンチンは、今や国家的破綻の危機に瀕している。








2002年01月21日(月) 時事検証  中国の光と影

【時事検証  中国の光と影】                                   2002年1月21日                 


★貧富の格差がドンドン拡大する社会主義体制の矛盾
★2億人近い潜在的失業者の不満はいずれ爆発しよう
★地球規模で時代は変貌しつつある.共産党の独裁体制に未来はあるのか
                   



●イスのない学校

中国西北部の青海省は,南はチベット自治区に接し、2、3千メートルの高原が広がる。その省東部にある少数民族・下隆回族の自治県の小学校を取材した日経記者の村山宏氏のレポートは興味深い。

採光の悪い暗い教室では、20人あまりの子供たちが立ったまま、教科書を手に持って声を上げている。「イスがないのですね」と村山記者が聞くと、「イスと机で170元(約2千5百円)はしますから,学校の予算がなくて購入できないのです。」

小学校の生徒数は125名、教室が狭いうえに教師は4人しかいない。午前と午後に分けて授業を繰り返している。しかし、これらの子供たちも恵まれた方だ。地域の学齢期の子どもは272人いるが、学校に通えるのはその半分以下なのである。2年生以下は10元(約150円)、3年生以上が25元(約375円)の学費を納める必要があるが、年収がなんと1000元(約1万5千円)程度で、この学費さえ払えない家庭が多いのだという。

「さっき、あなたが学校に入る前にたくさんの子どもたちに取り巻かれたでしょう。あの子らは学校に通わせてもらえない子どもたちなのです。学校のなかにいる子と一緒に遊ぼうとしていつも学校に集まってきます。授業を受けたくても受けられず、門の近くで遊んでいるのです。」

村山記者が車で乗り付けた時、校門の前で百人近い子供たちが歓声を上げて集まってきたが、校門をくぐった所で立ち止まってしまった、その子供たちの事である。



●貧困と教育不足の悪循環

中国の小中学校の運営資金は地元の行政機関が拠出している。経済発展から取り残された貧しい地域では、学校運営は苦しさを増すばかりだ。この小学校の厳校長は、まだ25歳。月収は500元(7千5百円)と村人に比べたら破格だが、北京、上海で働く教師の半分にも満たない。まだ独身で4畳半の狭い部屋に済む。壁には新聞紙を貼り付けて寒さを防いでいる。
一人の女性の先生が村山記者に耳打ちをした。「私は今年、まだ5ヶ月分しか給料をもらっていないのです。」9月のことである。こんな貧しさにもめげずに、厳校長は学期毎に家庭訪問をして、学費がなくて学校にこれなくなった子どもたちを通学させるよう親を説得して歩く。

村人3500人のうち、字の読めない人の割合は7割に達する。小学校から中学校に進学するのは、同年齢の子どもの10%ぐらい。県政府は家庭の現金収入を増やそうと豊かな地方への出稼ぎを奨励し、数百元の保証金まで与えているが、字も読めなければ出来る仕事も限られてしまう。貧しさと教育不足の悪循環の中で、厳校長らの奮闘は続いている。



●光の中国と影の中国

一方、上海などの豊かな沿海部では「貴族学校」がある。私立の小中高校で、高級な設備と一流の教師を揃えた進学校である。パソコンや音響機器を取りそろえ、外国語や情報関連の教育も充実している。修学旅行では日本など海外にまで出かけたりする。入学金と授業料は一括払いで、数万元(数十万円)から20数万元(3百数十万円)、沿海部の成金層の師弟を対象にしたビジネスである。

イスも満足にない授業料375円の学校にすら行けない子どもと、パソコン・海外修学旅行付きの3百数十万円の進学校に通う子ども。同じ国の中で、こんな両極端の光景が見られるのである。

日本が不況にあえいでいる中で、中国経済の華々しい躍進が報道され、それが日本人の自信喪失に輪をかけているが、躍進・中国というイメージは、豊かな沿海部のそれも光の当たっている所だけを見ているからである。わが国は世界でも珍しいほどに国内格差の少ない平等な「温室国家」であるが、その国内常識の色眼鏡をつけたまま、中国の光の部分だけを見ると、13億の民がそろって日本の高度成長時のような大発展をしつつあるように見えてしまう。

中国との政治的、経済的関係を考える場合に、この錯覚は危険である。光の部分と影の部分、そしてその間の矛盾・軋轢、この複雑なる隣人とつきあうには、こうした事実を知る必要がある。



●追いつめられる農民たちの窮状

中国は昨2001年末にWTO(世界貿易機関)に加盟したが、これによって、製造業の輸出が伸びる反面、国際競争力のない農業部門が深刻な打撃を受けるのは必至である。
1950年代末期、毛沢東が「大躍進」政策で農業の集団化(人民公社)を強引に押し進めた結果、数百万人とも言われる餓死者を出したが、1980年代に農民一人ひとりが農地を持って個人経営をすることで「やる気」を引き出し、農業生産高を向上させる政策を��小平が推進した。しかし8億6千万人の農村居住者が、1戸あたり0.4ヘクタール、日本の3分の1以下の土地にしがみついて、零細な農業を営んでいる。原始的な農法とあいまって、今や国内市場においても、オーストラリア米にかなわない、と言われる。すでに農村部の労働力4億9千万人のうち、25%にあたる1億2千万人が余剰と推計されている。

中国政府は小麦やトウモロコシなど主要農産物に輸入割当制を実施し、牛肉や果物など労働集約型の農産品も高率関税によって国内農家を保護してきたが、これらの保護政策が縮小、廃止された場合、970万人の農民が失業すると政府は予測しているが、その4倍との見方もある。

湖北省の武漢。市場に出入りする商人の荷物を竹竿で担いで、手間賃を貰う担ぎ屋がたむろしている。「こう同業者が多くちゃ商売はうまく行かない」と百数十キロ離れた農村から出てきた出稼ぎ農民は言う。「二人目を産んじゃいけねえんだけどよ、できちまってさ、罰金を2300元も払わされちまった。農業じゃ食えないから武漢に出てくるんだ」とはいっても、一日に10元(150円)ほど稼いでも、夕食3元、2段ベッドに4人寝る宿代が一日1元では、いくらも残らないとのこと。
食べていけない農民たちの怒りは、重税や役人の腐敗をきっかけに爆発する。2000年8月、江南省の省都 南昌の南の豊城県では、2万人の農民が腐敗役人の家を打ちこわし、農具を武器に武装警官と数日にわたって衝突した。公安部は、国内の抗議行動が98年は6万
件、99年が10万件と発表したが,WTO加盟による農産物市場開放がこの火に油をそそぐだろうことは間違いない。  



●国有企業から放り出された失業者の大群

もう一つの影がある。国有企業の惨状だ。村山記者は荒れた砂漠の真ん中にある街の国有紡績工場を訪ねた。車で乗りつけると、6、7人の労働者に取り囲まれた。工場内で仕事もなく、手持ちぶさたの工員から格好の暇つぶしにされたらしい。数十台の紡績機のうち、動いているのはわずか一台。他の労働者たちが車座になって世間話をしている。
 
「1989年からずっと赤字で負債総額は7千万元以上になるよ。悪いのはソ連、東欧の体制崩壊だね。工場の輸出のほとんどが、あちら向けだったんですが、向こうさんが経済混乱で毛布を買ってくれなくなった。これには困りましたねえ。」
宣伝部の担当者はこう語った。89年からずっと赤字でも、生産品目も変えず、輸出先の開拓もせずに、いまだにソ連・東欧のせいにしている。経営者も労働者も無気力の固まりである。80年代に2千人以上いた工場は、400人を解雇した。



●国有企業から追い出されたら

中国の国有企業は、住宅、医療、教育、仕事がセットとなった生活共同体である。国有企業に雇われている限り、生活はまるごと面倒みてもらえる。まさに社会主義の理想であった。しかし、逆に国有企業から放り出されると、人々は職だけでなく、住居も医療サービスも、教育機会も失ってしまう。失業保険は月に300元(4500円)ほどの最低賃金分しか保障されず、支給期間も限定されている。

1999年の政府統計によれば、国有企業は都市労働力の41%を使いながら、工業生産高の28%しか生みだしていない。同じく政府統計では、国有企業で働く約9000万人の30%以上(2700万人以上)が自宅待機中であるというから凄い。

遼寧省の斜陽の鉄鋼地帯の町では、鉱山の閉鎖をきっかけに2000年2月、2万人の労働者が暴動を起こし,人民解放軍が出動して、ようやく秩序が回復されたという。



●中国の金融問題はいずれ世界最大の問題へ

中国最大の鞍山鉄鋼公司は、瀕死の国有企業の典型だ。1950年代のソ連の技術を使い、50万人もの退職者やレイオフ者の生活を支え、数百億円の負債を抱えている。こんな巨大国有企業がつぶれたら、深刻な経済的社会的混乱を起こすので、政府としても潰すわけに行かず,国有銀行からの融資を続けさせている。「融資を打ち切れば国有企業は倒産するだろうし、我々も共倒れです」とある銀行家は語る。

1999年末の中国の商業銀行の不良債権率は40%と推定されているが、最悪の予測では70%と見る向きもある。そのうち20%を回収しえたとしても、中国の銀行システムの回収不能債権額は4900百億ドル。中国全体の2000年のGDPが1兆ドルなので、その50%近い規模である。ちなみに日本の不良債権総額の推定は50〜60兆円から140兆円とばらついているが、500兆円を超すGDPの10%から30%未満である。

「専門家の多くにとって、中国の金融問題は世界の最重要課題のひとつであり、ことによると世界最大の問題かもしれない」とマサチューセッツ工科大学のドーンブッシュ教授は語っている。
99年1月に広東(カントン)国際信託投資公司(GITIC)は47億ドル(約5千億円)もの負債を抱えて倒産した。広東省直轄で政府の保障付きだから焦げ付くことはないと信じて融資していた外国の投資家はあえなく見捨てられた。貸し付けの3割は日本の銀行か
らと見られている。

1999年4月、中国で第5位の国有交通銀行に対する取り付け騒ぎが河南省でおきた2000年6月には4大国有銀行のひとつ中国建設銀行に対しても、安徽省で取り付け騒ぎが起きている。預金保険のない中国では、人民が預金を守る方法はただ一つ、銀行に押しかける事だ。すでに破綻に瀕している中国の金融システムのどこかが綻びれば、中国全土で取り付け騒ぎが広がり、それを抑えるためには武力鎮圧か、大急ぎで紙幣を刷って超インフレを招くしかない。事態によっては,共産党政権の終焉につながりかねないのだ。



●宗教勢力の弾圧を進める当局

99年4月25日、突如として2万人の法輪功会員が天安門前から中国共産党幹部の住む中南海を埋め尽くした。法輪功はやさしい基本動作で、血行を促し心身を健やかにする気功術の一派。病気になっても医者にかかれない一般大衆の間にまたたく間に広がったと言われている。

政府は中国共産党独裁を脅かしかねない「邪教」として、94年から弾圧してきた。それに対する平和的な抗議を行ったのが、この2万人の集会だった。あわてふためいた江沢民は取り締まり強化を命じ、以後、ビラ撒きだけでも法輪功会員は逮捕され、これまで獄中での死亡74名から120名、労働改造所に送り込まれた者2万人という。もう一つの気功集団「中功」は会員4000万とされており、こちらも500人が逮捕されている。

中国の歴史では黄巾の乱、紅巾の乱,白蓮教徒の乱、太平天国の乱、義和団の乱など、追いつめられた民衆が宗教に救いを求め、そこから蜂起を起こして、やがては支配王朝を倒すか、その衰退の端緒を作るというメカニズムが繰り返されてきた。法輪功はこの再現かと、政府が怯えるのも歴史的背景があってのことだ。

農村や国営企業から放り出された失業者、不完全労働者はすでに2億人を超えるというから事態は深刻だ。国内をさすらう出稼ぎ労働者は7千万から1億3千万人。WTO加盟の衝撃でこの大群衆がいつ暴徒に化けるか分からない。それは金融システムの破綻を表面化させ、全国各地での取り付け騒ぎに飛び火するかもしれない。そうなれば弾圧と搾取に苦しむチベット(ラマ教徒)や新疆ウイグル自治区(イスラム教徒)の民衆も蜂起するかもしれない。いよいよ中国の社会主義市場経済も破綻するか否かの正念場をむかえよう。

日本では,躍進を続ける中国経済という光の部分にだけに関心が向きがちだが,実は大変危機的な社会状況が存していることに関心を払いたい。


2002年01月06日(日) 新春 2002年日本経済の大予測  株と円の行方は

《新春 2002年の景気大予測》(株価と円の動向は? )
          サンデープロジェクト(テレビ朝日 )
                   2002年(平成14 )1月6日


       司会  田原総一朗
       ゲスト 金子勝(まさる) 慶應大教授
           植草一秀(かずひで )野村総研 上席エコノミスト
           榊原英資(えいすけ)慶應大教授 
           高橋進 日本総研 調査部長





●司会 田原総一朗「今年は2月危機とか,3月危機とか日本経済は暗いものばっかり,下記の表を見てください」(個人消費が落ちており,デフレ経済が深刻化 )

失業率5.5%(350万人)戦後最悪(今年は6.0%をこえると予想)
倒産件数 1851件 戦後最悪
鉱工業生産 90.9%(14年ぶりの低水準)
消費者物価 98.7%(27カ月連続前年比マイナス) 
以上2001年11月の統計





★質問 今年は景気が回復すると思うか? 回復する〇 回復しない×
 金子×  植草×  榊原×  高橋○(年後半,アメリカの景気回復で日本の景気もゆるやかに上向くと )



★質問 2002年度の実質GOP成長率 (政府の見通しは0% )
金子−1.0% 植草−0.5〜−1.0% 榊原−2.0% 高橋−0.9%



★質問 株価はどうなる?
金子 2〜3月 8000円割れ 年後半に11000円へ.しかし,9月決算期に再下落の可能性
植草 2〜3月 8800円   年後半に11000〜12000円へ
榊原 2〜3月 7000円台  年後半に11000円へ
高橋 2〜3月 9500円   年後半に12500円へ




★質問 今年,金融危機が起こるのか? 起こるは○ 起こらないは×
金子○   植草〇   榊原×   高橋〇

【榊原「小泉も新春の記者会見で,金融危機を防ぐためあらゆる措置をとる,と発言したように,公的資金の投入をやれば金融危機にはならない.ただ個別の銀行が色々な困難をかかえるということはある.今回は政府がセーフティネットを設けているので,1998年3月と99年3月のような金融危機は起こらないだろう」 】



★質問 円安はどこまで進むと思うか?
金子140〜150円 (2〜3月)
植草145円 (年央 )
榊原150〜160円 (年後半)→日本の金融機関への公的資金投入を機に円安が加速化すると.ミスター円と呼ばれた彼の発言は世界の金融業界に今も影響を及ぼしており注目される数値だ.
高橋140円 (年央 )



【植草一秀氏の提示した145円近辺が妥当な限界点ではなかろうか.それ以上円安が進むと中国や韓国や東南アジア諸国の実質上の通貨切り上げで輸出力が低下し,日本への不満が高まるだろうし,外国資金の日本からの撤収もおこり,かえって日本にとって不利となることも考えられる.

しかし,円安は輸入品の高騰をもたらし,インフレ促進につながることから,今の極端なデフレを是正するのに好都合との声もあり,また輸出産業の利潤を生み,日本国内の景気回復を刺激するメリットも指摘されている.確実に日本の景気を回復させる処方箋は,株価と地価の上昇であるのはいうまでもないが.今年の日本経済は大波乱が予想されており,2〜3月に金融危機が発生するか否か,まったくもって目が離せない.】





2002年01月04日(金) 《性格診断法》で自分の気質・性格を判定してみた

《性格診断法》 私の性格・気質が客観的に判別出来た,下記に記録しておく.

テレビ番組『あるある大事典』で紹介された性格診断表でテストしてみた




 ★自分を客観的に把握しておくことは,実はやさしそうで,意外と難しいことである.「自分探し」ということは,まずおのれの気質・性格をしっかりと把握しておくことが基本となる.昔から,「汝自身を知れ」(ソクラテス)という言葉でも示されているように,自分をしっかりと握っていることは,交際や対人関係を賢明にこなしていくためにも大切なことなのだ.ウマが合う男女の関係も,実は互いに気質が合うか否かで決まるといっても過言ではあるまい.人は何をみて,聞いて,知って笑うか,ということも人間関係を識別する際のポイントなる.吉本興業のお笑いタレントに笑いこける男もいれば,くだらないと冷笑する女もいる.両者の気質に隔たりがあるからで,こうした関係は長続きしない.ウマが合うか,合わないかというのは,実は気質が合うか,合わないかということにほかならない.
自分という人間性を浮き彫りにしてくれる性格診断法は活用の価値がありそうだ.



《性格判定チェックでわかった自分の気質・性格》

★外向性はやや高い,家にじっとしていられない.性格は積極的だが,人見知りする.社交性はある 方

★統制性は低い.自己管理能力に欠けており,整理整頓も苦手.計画性を立てる几帳面さにも欠く.

★遊戯性はやや高い,好奇心旺盛で遊び心がある.創造派であり,堅実で現実的な志向は弱い.

★情動性は低い.感情表現豊かな人よりも大らかなのんびり屋のタイプを好む.しかし自分自身は感情的なところもあり,ゲラゲラ笑ったりしないが,喜びを顔に出さないが,激怒しやすいカンシャク持ち.感情的で気分屋の女たちは大苦手.クール.

★愛着性はかなり低い.対人的に打ち解けない.人間に対して冷めた眼差しで見る.他人を寄せ付けないクールさがある.概して自己本位で,親和的に他人と接することは苦手である.



●5つの性格

1.外向性→積極的か,控えめか?高い人は社交的で明るい.低い人は謙虚でも の静か

2.統制性→几帳面か,大まかか?高い人は計画性があり,責任感も強い.低い 人は細かい事にこだわらない.

3.遊戯性→創造派か,現実派か?高い人は好奇心旺盛で遊び心がある.低い人 は堅実派で保守的.

4.情動性→感情的か,穏やかか?高い人は感情表現豊かな気分屋.低い人は大 らかなのんびり屋

5.愛着性→対人的に温情的か,クールか?高い人は友好的で人当たりがよい. 低い人は冷静で自主性がある



●私の性格採点チェック    あてはまる+2 普通+1 あてはまらない0                                 各10点
《外向性》積極的か,控えめか
  1.家より外で遊ぶ方が好きだ     +2
  2.自分がしきらないと気がすまない  +2
  3.大勢でワイワイ騒ぐのが好き    +1
  4.スポーツ観戦で我を忘れて応援    0  
  5.目立ちたがりやである       +2
                    合計7   (積極的 )

《統制性》 几帳面か,大まかか
  1.部屋はきちんと片付けるようにしている 0
  2.一度決めたことは最後までやり遂げる +1
  3.責任感が強いと言われる       +1
  4.衝動買いはあまりしない       +1
  5.何事も計画を立ててから行う      0
                     合計3   (大まか) 

《遊戯性》 創造派か,現実派か
  1.やじ馬が出来ると必ず自分も覗く   +1
  2.流行に敏感だ             0
  3.宇宙人はいると思う         +2
  4.物思いにふけることが多い      +2
  5.人生は堅実より冒険だ        +2
                     合計7   (創造派 )

《情動性》感情的か,穏やかか
 1.外出した時,火の元や戸締まりが気になる 0
 2.人前で話すと緊張する         +1
 3.些細なことでくよくよ悩んでしまう    0
 4.うまくいかないと自分を責める     +1
 5.喜怒哀楽が激しいと人から言われる    0
                     合計2   (穏やか)

《愛着性》 対人的に温情的か,クールか
 1.人がよい,とよく言われる        0
 2.自分の意見より人の意見を尊重する傾向  0
 3.私は人に騙されやすい方だ        0
 4.映画を観て涙を流すことが多い     +2
 5.自分のことは後回しになりがちだ    +1
                     合計3   (クール派 )





2002年01月03日(木) 《生成の無垢 2》 (ニーチェ格言集 )



2002年01月03日(木) 《生成の無垢 2》 (ニーチェ格言集 )

《生成の無垢 2》(ニーチェ格言集)






23. 私たちは、おのれが他人に加える害を考えてみる想像力を、なんとわずかしかもっていないことか。


24. 残酷さは、張りつめた誇り高い魂の持ち主たちの気持を軽くするものだ。彼らはおのれ自身に対して絶えず苛酷にふるまうのだ。苦痛を与えるということは、彼らにとって一つの祝祭なのである。


25. 敵に対しては,第二の敵よりもまさった対抗手段はない。


26. 意志が現れるやいなや,感情は解放感をおぼえる。つまり感情は受動的なので,意志が現れるやいなや,感情は休止し,受動的にはたらかないのだ。このことを人々は「意志の自由」と名付ける。


27. 意志の不自由を感ずる者は,精神の病いをかかえた者だ。意志の不自由を否認する者は,愚か者だ。


28. おのれの情動に打ち勝つというのは,たいていの場合には,その情動を一時的に阻止し,せき止めるということ,それゆえ危険をいっそう大きくするということにほかならない。


29. おのれの理性によって大いに苦しめられている者にとっては,情動は一つの気晴らしである,つまり一つの不合理として。


30. おのれの情欲を恥ずかしがることはない。恥ずかしがるためには情欲はあまりにも不合理なのだ。


31. 意志が創造するということ,それはすべての衝動が活動するということである。


32. 人々はけっして所有しない。なぜなら,人々はけっして存在しないからだ。人々はたえず獲得するか,それとも喪失するかだ。


33. 私たちの欠点は私たちの最善の教師である。だが最善の教師に対しては人々はつねに恩知らずである。


34. 精神的な高貴さの目印は冷静な眼差しに存する。


35. 心は,感激せるものてあり,そして精神は,勇気づけ(心を強くし),危険のさい冷静にさせるものである。


36. 健康上,一種の怠惰が消化のために必要である。体験の消化のためにも。


37. 誰かが大きくなろうと努めるのは,その小ささを示すことだ。最善の資質をもつ人間たちは小さくなろうと努める。


38. もっとも権力のある人間たちが偉大な俳優であったということを見抜くのに,人類の眼差しはこれまであまりにも鈍かった。


39. ある民族が後退するときですら,その民族は一つの理想を追いかける。その民族は前進しているとつねに信じているのだ。


40. 崇高なもののうちでは居心地のよくない者は,崇高なものを何か不気味で虚偽のものだと感ずる。


41. 長期にわたる大きな肉体的苦痛は,ひとを暴君に育てあげる。


42. いわゆる愛嬌のある者たちは,愛の小銭で私たちに釣銭を出すすべを心得ている。


43. 逆上するまでは,おのれの気力を知らない者が少なくない。


44. 狡猾な人間は,通常,単純な人間であって,複雑な人間ではない。


45. 絶望している者にその者の弱さについて語るという仕方でしか、絶望している者に強さを教えるすべがないことが,しばしばある。


46. 目に見えない糸でもって人々は最もかたく束縛される。


47. 大きな愛は,お返しをしたり報いたりしようとはしない。大きな愛という海で,報いるということは溺死してしまったのだ。


48. 人々は愛さざるをえない人を,なぜ人々はいつも同時にまた憎まざるをえないのか? 愛はあらゆる苦悶のうちで最大の苦悶ではなかろうか?


49. 君が,まず第一に,またどんなことがあっても畏怖の念を吹き込むのでなければ,誰ひとりとして,君の言うことを大変まじめに受け取って,ついには君を愛するにいたる者はないであろう。


50. 私たちはおのれ自身に対してよりも,他人に対していっそう率直である。


51. 私たちが或る人間から離脱したいのなら,私たちは彼の前で卑下しさえすればよい。このことはただちに彼の虚栄心を刺激し,そこで彼は逃げ去る。


52. 人々がおのれの隣人において憎むのは,その隣人が私たちの理想をもちえないという点なのだ。


53. 愛想のよさのうちには,多くの人間軽蔑があるが,人間憎悪や人間愛は少しも存しない。


54. 不屈の者のみが,おのれ自身について沈黙してよい。


55. 真理を十分にもっているなら,人々は人間たちとの交際のためにもはや嘘を必要としない。そういう真理でもって人々は彼らを欺いて,どこへなりと望みのままに誘惑することができる術をもっているからだ。


56. 嘘は認識者たちの博愛である。


57. 大きくなろうと努めている人間たちは,普通は資質のよくない人間たちである。それが,おのれに耐えるための,彼らの唯一のやり方なのだ。




2002年01月02日(水) 人生最高の智慧 『生成の無垢』 (ニーチェ格言集 )

新春明けましておめでとうございます

本年も暗い世相もなんのそ,快活に朗らかに生きていきましよう
新春にあたり「ヨーロッパ最高の知慧」シリーズを特集してみた.深く吟味していただきたい.



《生成の無垢 1》
                  ニーチェ『生成の無垢』から


(ニーチェはすでに19世紀末に,これから到来する科学・技術社会においては「神は死んだ」というニヒリズム(虚無主義)が到来することを予想し,そのためにもはやキリスト教の価値観ではこれを克服できないという信念から,東洋思想に着目した.とくにニーチェが着眼したのは古代のインド哲学や,ギリシア哲学の知慧であり,これらの人間主義の哲学にニヒリズムを超克するための知慧を探求し続けた.「自分を最高に生きる」知慧こそが現代の日本人が見失ったものであり,目先の享楽や刹那的な生き方を,付和雷同的に追い求めて,自分個人の生き方のプリンシプルをもてなくなったところに,今日の日本人の「存在に耐えられない軽さ」が関与している.もしも21世紀の価値観多様と混乱の中で,確固たる信念体系をもって生きていく知慧をもちたいなら,ニーチェの人間洞察に関するアフォリズム(箴言)から学ぶ点が多いのである.)




1. 青年は,おのれの考えを常にあまりに強く述べる人に希望をかけ,男性は,その言葉が常にその遂行に比して控え目である人に希望をかける。



2. 経験をつんだ人間たちは,彼らがかつてきわめて愛した地域や人物へと立ち帰ることを好まない。幸福と別離とは,結局は結び合わされることになっている。人々は宝を携えて立ち去るのだ。



3. 後継者をもつということ―――このことが初めて人間を,間断のないもの,つながりあっているもの,断念しうるものにする。このことが最善の教育なのだ。
両親は,つねに,子供によって,しかも,もっとも精神的な意味でのそれをも含めて,あらゆる意味での子供によって教育されるものなのである。私たちの作品や弟子がはじめて私たちの人生という船に羅針盤と方針とを与える。



4. 私たちの本質の大部分は,私たちには未知である。それにもかかわらず私たちは,わずかの記憶を根拠として,おのれを愛し,何かまったく既知のものについて語るように語る。私たちは「自我」という幻を妄想しており,それが私たちをしばしば規定する。



5. 悲しみと官能的快楽。なぜ人間は,悲哀の状態にあるときには,官能的な楽しみに盲目的に身をゆだねる傾向がいっそう強くなるのか? 官能的な楽しみのうちにある麻痺させるものこそが,そういう人間の欲求するものであるのか?
それとも,是が非でもという情緒の要求? サンチョ=パンサは言っている。「人間があまりにもはなはだしく悲しみに身をゆだねるときには,人間は動物になる。」



6. 抑圧された気分の価値。なんらかの内的な抑圧のもとで生きている人間たちは,もろもろの逸脱へと傾く,――思想の逸脱をも含めて。



7. (対象喪失と心理的空白) 想像上の権力という泡が破裂する,これが生における主要な事件なのだ。その時人間は腹を立てて,あるいは打ち砕かれて,あるいは空(うつ)け者になって,身を引く。最愛の者たちの死,あるいは王朝の崩壊,友人の不実,ある哲学の,ある党派の支持しがたさ。そのとき人々は慰めを欲するのだ。言いかえれば或る新しい泡を。



8. 人々はためしてみなければならない。友人たちや,「私たちの幸福を心にかけてくれる」者たちのうちの誰が、あくまでそうであり続けるかを。彼らに一度粗暴なふるまいをしてみることだ。



9.  2日間の厳しい断食のあとでシャンペンを一口飲む者は,情欲にまったく近似しているなにものかを感ずる。何週間も或る暗い洞窟の中で暮らした人間の眼差しは,自然を覗き見て目の陶酔を覚える。情欲の何であるかを知っているのは,禁欲者たちだけである。



10. 発明的(創造的)な人間たちは,活動的な人間たちとはまったく別の生き方をする。彼らは,無目的な,不規則な活動が行われるための時間を必要とする。すなわち,もろもろの試みや新しい軌道。彼らは,有用な活動をおこなう者たちのように,熟知の道だけを歩むというよりは、むしろ手探りする。



11. 官能の強い人間たちは彼らの知的な力を彼らの神経が衰退する引き潮どきに初めて獲得する。このことが,彼らの生産に憂愁という性格を与えるのだ。



12. 私たちは,私たちの弱さでよりも,私たちの強さでいっそう容易に破滅する。なぜなら,私たちの弱さに関しては私たちは理性的に生きるが,私たちの強さに関してはそうではないからなのだ。



13. 勇敢さや快活な気分に満ちている心の持ち主は,ときどき多少の危険と冒険を必要とする。さもなければ彼らには世界は耐え難くなる。



14. 人々が独自の新しい道を歩みゆくとき,或る喜ばしい自己意識を維持することは,きわめて困難である。私たちは己にいかなる価値があるかを知りえない。そこで私たちは他の人々の言葉を信じざるをえない。そして,私たちが未知の道を歩みゆくというまさにこの理由で,他の人々が私たちを正しく判定することができないなら,私たちはおのれ自身に疑念を抱く。私たちは,喜ばしい,気力を奮い立たせる呼びかけを必要とするのだ。孤独な者たちは,さもなければ陰鬱になり,彼らの有能さの半分を失う。



15.人々は,堅気(かたぎ)の男と悪党との間の道徳的な違いをあまりにも大きく考えすぎている。泥棒や殺人者に対する法律は,教養がある者たちや富んでいる者たちに有利なようにつくられている。



16.恐怖からしてたいていは,他人の意見を顧慮することの説明がつく。愛嬌のかなりの部分がこれに属する。このように人間の善意は、遺伝の助けをかりて,恐怖によって育てあげられる。



17.名誉心の主要要素は,おのれの権力の感情を得るということである。称賛と非難,愛と憎しみは,権力を欲するところの,名誉心の強い者たちにとっては等しい。



18.愛着と嫌悪とは無思慮。愛着あるいは嫌悪が最初に噛みついてしまったときには,亀が棒に噛みついてしまって離れないときのように,離れることは困難である。愛と憎しみ,および亀は,愚かである。



19.なぜ愛着と嫌悪とはそれほど感染するのか? 賛否をさし控えることはきわめて困難であり,賛成することはきわめて快適であるからだ。



20.罵言(ばげん)は誰もが好きであるが、おのれ自身に罵言があびせられるのは当然だと信じる者は、誰ひとりとしていない。



21.懲罰を記憶しておれる子供たちは、陰険になり隠し立てをするようになる。しかし、たいてい彼らは忘却する――だから彼らは無邪気さを失わないのだ。



22.一人前の男においてはじめて家族の典型的な性格が完全に見えるようになる。とかく興奮しやすい、敏感な若者の場合には、それは最もわずかしか見えるようにならない。まず静けさが生じていなければならず、外からの影響の数が減少していなければならない。あるいは、他方敏感さがいちじるしく和らいでしまっているのでなければならないのだ。




カルメンチャキ |MAIL

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