女の世紀を旅する
DiaryINDEX|past|will


2002年02月23日(土) 北朝鮮の悲劇 3  数百万の死者を出した飢餓状況


《北朝鮮の悲劇 3 数百万の死者を出した歴史的な飢餓状況 》







 中国東北地方の吉林省東部、北朝鮮との国境沿いに「延辺朝鮮族自治州」という地域がある。第二次大戦前、ここは日本が建設した「満州国」の領土に属し,その時代、日本は植民地だった朝鮮から延辺やその他の満州各地へ朝鮮人の移民を奨励する政策をとっていた。

 朝鮮では、1910年に日本が植民地にしてから、日本語教育や各種の「日本人化」政策が実施され、日本人にとって朝鮮人は、満州に住む多くの中国人よりも扱いやすい人材だったため、多くの人が朝鮮から満州に移住し、日本の敗戦後も、約200万人の朝鮮系住民が延辺に住んでいる。

 延辺には日本占領時代からの建物が多く残っていたが、1980年代後半に中国が改革開放政策を始めると、この地域には韓国企業が多く進出し、新しいビルが次々と建てられた。その理由は,韓国に比べて労賃が安い上、韓国語が通じる地域だったからである。

 この地域は中国と北朝鮮、ロシアの3カ国が接する地域で、ここに国際貿易都市を造って「北の香港」にしようという「豆満江開発計画」が立案された。豆満江とは、中国の延辺と北朝鮮の国境を流れる川の名前である。

 だが1997〜98年アジア経済危機で、韓国経済は大打撃を受け、開発計画は座礁した。延辺各地には、地ならしされたまま、建物が建たずに放置されている工業団地、立派に建ったものの入居者がないビルが目立っている。



●史上最悪の飢餓状況の現出

 だが、輝かしい「北の香港」の構想が消え、再び忘却の地へと後戻りしようとしているかのような延辺の地に97年以降、異様な訪問者が増えた。夜はマイナス20度以下にもなる極寒の地に、着の身着のまま、コートも着ず、時には裸足で北朝鮮から逃げてくる人々が、後を絶たなかった。

 餓死寸前の状態で、延辺の国境沿いの町の家々の戸をそっとたたき、食料を恵んでくれと頼んだり、ごみ捨て場を漁る人が現れた。豆満江の河原近くで凍死体で見つかる人もいる。中朝国境は南北に1700キロあり、延辺はその北端に位置するが、南の方の鴨緑江沿いの国境地帯にも、北朝鮮難民が流入しており、その総数は4万人に達すると推定されている。

 北朝鮮からの難民は昨年春から目立つようになった。北朝鮮の食糧不足は、秋に収穫された作物を食べ尽くしてしまう春先から、次に食物がまかなえるようになる夏までが、最も厳しく、食べ物がなくなった北朝鮮の人々が、町を離れて農村をさまよい、その果てに食料を求め、中国へと越境してくる、ということのようだ。難民の多くは、食糧配給が途絶えた都市の住民で、農村に住んでいた人は少なかった。

 そんな中、衝撃的な報告書が当時,発表された。約2400万人の北朝鮮の人々のうち2割、500万人前後が、すでに飢餓によって死亡した可能性があるというものだ。

 これは、韓国の仏教系NGOが、1997年10月から4ヶ月かけて、北朝鮮から延辺に逃げてきた難民500人弱に聞き取り調査をした結果である。難民たちに「あなたの家族で、1995年以後に餓死したり、病死したりした人は何人いますか」といった質問をしたところ、対象者の家族のうち、30%近い人々が死んでいたことが分かった。この比率を北朝鮮全体に広げると、500万人という数字が推定できるとしている。

 近代に入ってからの世界の大飢餓といえば、1980年代中頃のエチオピアで4000万人の人口のうち100万人が死んだ飢饉、1950年代末の中国で「大躍進」政策の失敗により、人口5億人のうち3000万人が死んだといわれる大飢饉などがあったが、いずれも国民全体に対する死者の割合でみると、北朝鮮よりは少ない、ということになる。



●毎朝駅で20人が餓死していた

 さらに衝撃的なのは、聞き取りに応じた人々の証言だった。たとえば、32歳のキムさんという女性は、北朝鮮北東部の工業都市、咸興(ハムフン)に住み、靴工場に勤めていたが、かなり以前から勤務先の工場は閉鎖されたままで、過去2年間、食料の配給はほとんどなかったという。北朝鮮の食料流通の8割は、配給に頼っており、配給がないということは、食料がほとんど手に入らないということだ。彼女の夫を含む男性たちは、農作業のため、集団で田舎の方に駆り出され、そのまま戻ってこなかった。

 残された家族は、食べ物が全くないまま飢え、彼女は閉鎖された職場で手に入れた銅地金を持って中国との国境地域に行き、国境沿いに立つ市場で食料と交換して帰ってくることにした。だが駅に行っても、何日も列車は到着せず、駅で待っている無数の人々のうち、毎朝20人ほどが餓死していった。
 人々は死ぬずっと前に身分証明書を食料と交換してしまっていたので、死者の身元も分からなかった。(厳しい管理社会の北朝鮮では、身分証明書は金になる最後の財産である) こうした事情から、北朝鮮当局も、死者の数すら把握できない状況にある。

 ようやく国境沿いの町、恵山市にたどり着いたが、銅地金は警察に没収されてしまい、身一つになった彼女は、餓死を免れようと、凍てついた豆満江を夜中に渡り、中国側に入った。女性たちの中には、中国側に売られていく人も多いという。山地が多い両江道では、飢えた人々が人肉を食べたという未確認情報もある。

 6歳以下の子どもは、海外からの援助食料が配給される施設に入ることができるが、それ以外の人々は自宅で飢えるか、食料を求めてさまようしかない、との証言が多かった。



●難民の追い出しに必死の中国

 難民たちは、中国に入っても安心できなかった。中国政府は、越境者を見つけ次第、北朝鮮に送還する方針をとっているからだ。中国当局は、越境者がいることを当局に通報すると、一人見つけるごとに5元(約70円)の報奨金を出す制度を作った。逆に、越境者に食物を渡したり、雇ったりしたことが見つかれば、最高で5万元(70万円)の罰金が科せられた。

 朝鮮族は同胞ということで暖かく迎えてくれる人も多いが、延辺の人口の約半分を占める漢民族に見つかれば、通報される可能性が高い。北朝鮮に送還されれば懲罰として収容所に入れられ、死はますます近くなる。中国側では山狩りが定期的に実施され、山中に隠れている北朝鮮の人々を探し出している。このため越境者はなるべく早く国境沿いから脱出し、中国内陸部の大都市に向かおうとするが、国境近くには検問所が多く、難しいといわれる。

 こうした報告書の内容に対して、アメリカ政府や国際援助団体の多くは、大げさに語られすぎている、とコメントしており,「中国に越境してきた人々は、北朝鮮の中でも特に飢饉の被害を受けている人たちであり、これがそのまま北朝鮮全体の餓死者数をはかる根拠にはなりにくい」「聞き取り調査の対象となったのは難民だが、難民は一般に自分の苦境を大きく見せたがる傾向がある」といったことが、その理由だ。

 北朝鮮における餓死者について、アメリカ政府は100万人以下、国際的な援助機関である「ワールドビジョン」は200万人程度、と推測しており、餓死者500万人という数字は、それらをはるかに上回る。しかし、北朝鮮からの越境者に対して直接、大規模な聞き取り調査をしたのは、今回が初めてであり、その意味で報告書の内容には具体的な信憑性も含まれていると思う。




●北朝鮮を支配する奇妙な三つの経済体制

 実は、国連の食糧援助機関、「世界食糧計画」(WFP)が北朝鮮に対して行っている食糧支援は、WFPの歴史始まって以来の大規模なものだ。しかもWFPはこれまで「援助食糧の配給は末端に至るまで、問題なく実施されている」と主張してきているのに,なぜ、「過去2年間ほとんど配給がなかった」という証言が出てくるのであろうか。

 一つの可能性は、援助食糧が飢えた人々に回らず、軍や朝鮮労働党に優先的に分配されているかもしれないということだ。WFPなど支援する側の援助機関は、受け取る側の地域に代表団を派遣して、配給がきちんと実施されていることを見届けることができるよう、北朝鮮側と掛け合った。
だが、監視団はずっと地方にとどまることが認められず、一定期間がすぎれば、首都のピョンヤン(平壌)に戻らねばならない。監視団が帰った後、配給先が変えられる可能性は残っている。

 北朝鮮には、三つの経済があるといわれており,一つは軍、二つ目は朝鮮労働党、そして最後が一般の人々の経済である。以前から、この三つの経済は、生産や流通システムが別々に組まれていた。軍は国家からの食糧配給のほかに、独自の農場を経営し、そこで生産した食糧を独占的に消費してきた。今、飢えているのは、三つ目の「平民経済」に属する庶民である。

 金日成主席は晩年、中国の改革開放に見習って外資導入や経済の自由化を進めようとしたが、それによって、この三つの経済が一つに融合していく可能性があった。1991年12月にソ連が崩壊し、北朝鮮経済の根幹であったソ連東欧とのコメコン(東欧経済相互援助会議)体制が消滅したことが、北朝鮮の経済破綻をもたらしため,こうした経済の自由化の動きに拍車がかかった。1991年に中国・ロシアとの国境地帯にある羅津・先鋒地区を経済特区として開発する方針を決め、外国資本との合弁事業のための法律整備なども進められた。

しかし,北朝鮮には韓国と対立という大きな軍事問題があるため、軍の特権を減少させるような改革開放には抵抗が強く、政治的な権力集中体制を変えることもできないため、経済の自由化は芳しい成果を上げることが出来なかった。




●金日成の死去で自由化への動きが逆行

 そうこうするうちに、1994年に金日成主席が死去し,北朝鮮は極度の国家危機に立たされたため,非常事態として、軍の権限強化が行われた。金日成主席の死去に乗じ、内外の反対勢力によって、北朝鮮の体制転覆の策動がなされるかもしれない、という懸念から、経済の自由化は見送られ、軍と党の力は逆に強化されることになった。

 北朝鮮は、少ない財政を軍事力の維持に注ぎ込み続けた。1995年から2年連続で水害が発生しても、復旧に国力を挙げて取りかかるという状況ではなかった。隣りの韓国ではほとんど被害が出ない台風でも、北朝鮮では大きな被害につながってしまうという状態が続くことになった。

 北朝鮮の農業が破壊されたのは、単に天災による要因だけではない。むしろ、毎年続けて作ると地力が奪われてしまうトウモロコシを毎年作ったり、山の木々をすべて削って農地にしため、災害に弱くなってしまった、という要因の方が大きい。農業政策が根本から間違っていたのである。

 金日成主席の死後、経済の悪化がひどくなり,民間に回す物資がなくなってしまったため、工場や農場ごとに「自力更生」をさせる政策が1996年以降始まった。工場に対して、原料や燃料が足りない部分を、自分たちの工夫と努力で見つけてこい、という指令であり、この結果,ほとんどの工場は閉鎖を余儀なくされた。

 農場にとっては、農作物の一部を自由に売ってよい、という指令になった。自由市場は当初、10日に一度しか許されなかったが、そのうち毎日開いても黙認されるようになり、閉鎖された工場から外してきた機械・道具類なども売られるようになった。機能を停止した国家社会主義経済に代わり、この自由市場(ブラック・マーケット)が民間経済の主流となった。そのため,市場で売るものがなくなった人々には、恐怖の飢えが待っていた。

 役人にとって自力更生とはとりもなおさず賄賂をとることを意味した。外交官にとっては、外交特権を使って覚醒剤など麻薬取り引きなどによって自分たちで金を稼げ、ということになり、世界各地で北朝鮮の外交官が非難の的となることにつながった。北朝鮮の実態は、禁欲的な社会主義のイメージから最も遠いものになった。




●実は早急な朝鮮統一はどこの国も望まない?

 もう一つ、食糧援助が一般の人々に届いていない問題について、国際機関やアメリカが無頓着とも思える態度を取っている背景として、考えられることがある。それを説明するには、北朝鮮をめぐる国際情勢の流れをつかむ必要がある。

 冷戦が終わり、次は経済重視の時代が来る、ということが予期された時、金日成主席が最初に考えたことは、日本からの賠償金をテコに北朝鮮経済を立て直すという計画だった。冷え込んでいた日本との関係を改善し、日本から植民地支配に対する賠償金を引き出した後、その金を使って日本企業に港湾や道路、工場などの経済基盤設備を作らせる、という方法である。

 これは戦後、インドネシアなどが日本との間で行ったやり方で、その後で日本のODA(政府開発援助)増大につながっていく。この方法は日本企業に仕事が入る上、基盤施設が整えば、その後で日本のメーカーが工場を作りに行き、両国にとってメリットがあるという仕掛けだった。この線で自民党のドンだった金丸信が訪朝し、金日成主席と会って感涙にむせぶことになった。

 しかし、この動きを危険視したアメリカが介入する。アメリカは日本に圧力をかけて北朝鮮との交渉の主導権を握った後、核ミサイル疑惑をテコに新しい原子力発電所の建設を北朝鮮に持ちかけ、それから食糧援助にとりかかった。

 アメリカのクリントン政権は戦略上、ソ連が崩壊した今こそ、極東における利権を確保する必要があると考えた。ソ連崩壊後、ロシアは極東・シベリア地域での十分な国家運営ができず、権力の空白地帯が生まれる可能性があり,こうした中で北朝鮮が崩壊した場合、極東における国家間の力のバランスが崩れ、予測できない展開になるかもしれない。 この空白を埋めそうなのは中国,日本、韓国だが、いずれも勢力が拡大すれば、アメリカのコントロールがきかなくなる可能性がある。また、不安定な状態は経済にとってもプラスとはならず、アメリカ(クリントン政権)はロシアと北朝鮮の体制が崩壊しないよう、気を配らねばならなくなった。

 韓国が北朝鮮を併合すれば、大国となった韓国に対し、中国と日本が警戒感を強めるのは当然である。国民にとって隣国の統一は喜ばしいことかもしれないが、日本政府にとっては喜んでばかりもいられない。中国にとっても、社会主義体制の北朝鮮がなくなれば、韓国(米軍の基地がある)と直接国境を接するようになり,これはまぎれもなく避けたい事態ともいえる。

 また北朝鮮が崩壊したら、何百万人という難民が38度線を超えて韓国にやってくるかもしれない。北朝鮮の人々を養うことは、現在の韓国の経済事情を考えれば無理なこととも思える。もし38度線が渡れない現状が続いていれば、難民は韓国には来ないのである。

 こうした事情から考察すると、日本や中国、そして韓国までも、早急な北朝鮮の崩壊は望んでおらず、むしろ現在の体制がしばらく持続した方がいいと考えている可能性が強い。そのため、援助した食糧が軍に優先的に分配されたとしても、それはむしろ北朝鮮の体制崩壊を防ぐこととして、黙認されているふしがある。しかし,今やブッシュ大統領の登場で,半島情勢は大きく変わろうとしている。

 韓国では金大中(キムデジュン 77歳)大統領が、北朝鮮との関係改善(太陽政策)を推進し、南北直接対話を進めようとしたが,頓挫したままであり,また先月の,アメリカのブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言から,韓国の北朝鮮に対する「太陽政策」も破綻寸前にいたっている。このブッシュ
の直接対決姿勢が,意外に北朝鮮の体制崩壊と,南北朝鮮の統一という新しい事態を早急にひきおこす可能性がありえるので,今後数年間の朝鮮半島情勢から目が離せない。


2002年02月20日(水) 北朝鮮の悲劇〈2〉  北朝鮮に渡った日本人妻 


《北朝鮮に渡った在日朝鮮人と日本人妻の悲惨な運命》 2002年2月20日







 昨日,訪日したブッシユ大統領は小泉首相と会談し,テロとの戦いでの両国の協力関係を確認しあった。先月,ブッシユ大統領はイラク・イラン・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を名指しで「悪の枢軸」と呼び,国際的な反響を呼んだが,特に日本にとっては,北朝鮮に対する米国のテロ支援国家としての敵対姿勢が,今後の東アジア情勢にも大きな影響を及ぼすのは必至である。


ところで,日本人拉致事件と並んで,我々日本人が看過すべきではないは,北朝鮮の渡って消息不明となった同胞の日本人妻とその子供たち6300人の安否であり,日本の政治家やマスコミはこの重大な問題を決して忘れてはならない。朝鮮人と結婚したのだから,もはや関係ないという無責任な姿勢では困る。はたしてかれら日本人妻とその子供たちは今なお健在に暮らしているのか,その安否はどうなっているか,これは日本人拉致事件と日本人として看過できない重大問題であるはずだ。



●「地上の楽園」を信じて北朝鮮へ帰国した在日朝鮮人9万3000人

 多くの在日朝鮮人が日本で生活するようになったのは,1910年の日韓併合以来,日本による朝鮮半島支配がきっかけであった。半島の土地を日本人に奪われ,生きる糧を求めて日本に渡り,あるいは有無をいわさず強制連行され,炭鉱などで過酷な労働を強いられた人々もいた。大戦で日本が敗北した1945(昭和20)年当時,日本には200万人以上の在日朝鮮人が残っていた。祖国が解放され,期待を胸に抱いて約52万人が帰国したが,その後,祖国は朝鮮戦争(1950〜53年)で分断されてしまい,日本は1965年に日韓基本条約で韓国と国交を結んだが,社会主義国となった北朝鮮は敵対国で,日本との交流はなかった。日本政府の対応も冷たく,戦時中は法的に日本人として扱われたが,51年のサンフランシスコ講和条約で,日本にいる朝鮮人の日本国籍を剥奪した。当時,朝鮮戦争で国土が疲弊し,労働力を必要としていた北朝鮮と,朝鮮人を国外に追い出したい日本政府の思惑が一致し,在日朝鮮人の北朝鮮への「帰国事業」が推進された。当時,韓国は一方的は日本海に李承晩ラインの水域を設定し,盛んに日本漁船を拿捕するなどして,日韓関係は悪化の一途をたどっていた。このため,日本政府は,韓国との政治的軋轢をさけるため,「帰国事業」を日朝赤十字に委託したが,実際に同胞たちに北朝鮮への帰国事業を推進したのは,朝鮮総連であり,差別で生活の展望を見いだせない在日朝鮮人らは,母国は「地上の楽園」であるという呼びかけに続々と応えた。帰国事業は1984年の第187次まで延々と続き,9万4000人が海を渡った。



●帰国事業は北朝鮮の人質作戦だった

 しかし,祖国は金日成(キムイルソン)が支配する独裁国家で,しかも敵国・日本から帰還した帰国者は疎外され,国家や朝鮮労働党の政治を批判すれば,たちどろに強制収容所に送られた。現在,在日朝鮮人の帰国者の子供や孫は,40万から50万人に達すると推定されており,北朝鮮にいる家族・からは,日本にいる親族に食料や衣料品を送るようにと催促の手紙が相次いでいる。彼らは,いわゆる人質なのだ。そういう支援がえられない帰国者の家族は収容所に入れられたり,僻地の土地へ追いやられるなどの迫害を受けており,日本にいる親族の送金がかれらの生命を左右していることは明らかなのである。不景気の日本から送金を続けることに困窮した在日朝鮮人の親族の恐怖心は極限まで達している。いやはや「帰国事業」は北朝鮮にとって,在日朝鮮人をコトトロールするための人質作戦だったということなのだ。



●北朝鮮に渡った日本人妻とその子供たち6300人の行方

 上記に記したように,北朝鮮にいる「日本人妻」と呼ばれる人々が日本から北朝鮮に渡ったのは、1959年から1984年にいたる25年間,朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が中心になって推進された北朝鮮への「帰国事業」によるものだ。本国を「地上の楽園」と呼び,その「理想郷」を信じて「日本人妻」が在日朝鮮人の夫とともに海を渡った。その多くは,祖国に帰って北朝鮮の国家建設に貢献したいという希望に燃えていた。

 「帰国事業」が始まる5年前の1953年に朝鮮戦争が板門店での休戦協定で終結した。北朝鮮の国家的な目標は、朝鮮半島を武力で統一することから、経済力で韓国を圧倒することに変わった。(北朝鮮の現状からすると、この計画は大失敗したわけだが) それとともに、北朝鮮が在日朝鮮人に期待する役割も変化した。

 朝鮮戦争中は、韓国を支援するアメリカ軍の後方基地として機能していた日本で、撹乱(テロ)活動や反政府意識を高めるための運動を行い、背後から韓国側の戦力を削ぐことが、在日朝鮮人に期待されていた。当時、在日朝鮮人は朝鮮統一民主戦線(民戦)という組織を作り、日本共産党の傘下に入って、革命運動の最先端を行く人々であった。

 ところが、朝鮮戦争の休戦後、民戦は朝鮮総連に組織替えし、日本共産党とは一線を画すとともに、祖国北朝鮮との結びつきを強めた。朝鮮総連の活動の中心は、祖国の建設に貢献することであり、在日朝鮮人が日本で経済的な成功をおさめ、貯えた資金を祖国に送ることが奨励されるようになった。

 朝鮮戦争で多くの国民が犠牲になった北朝鮮では、それ以前の日本による植民地支配の影響もあり、経済基盤を復興させるための技術者や、その他の高学歴の人々が不足していた。そのため金日成主席は1958年、日本からの帰国を奨励するとの声明を発表し、1959年12月から帰国事業が始まった。

 実務は日朝の赤十字が行い、帰国は1984年まで続いた。この間に9万3千人が北朝鮮に移住した。そのうち約1800人が、在日朝鮮人の夫とともに渡航した「日本人妻」と呼ばれる人々だった。このほか、子どもや「日本人夫」も含めると、合計で6300人の日本人が、在日朝鮮人の親族として北朝鮮に移住した。



●その後はぷっつり「消息不明」

 その後、北朝鮮に渡った人々がどのような生活を送ったかについては、急に情報が途絶えてしまった。「2〜3年後には日本に里帰りできる」と言い残して北朝鮮に渡った日本人妻たちからも、ほとんど便りが来なくなった。日本に残った在日朝鮮人たちの中には、北朝鮮に渡った親族たちの消息を知ろうと北朝鮮に行ったものの、向こうの担当者から「あなたの親族の消息は、こちらでも分からない」などと言われた人もいた。

 断片的な情報をつなぎ合わせてみると、消息不明になった人々は、強制収容所に入れられたり、罪人として処刑されてしまった可能性が高い。それが事実とすれば、なぜ、祖国建設に協力してもらおうと歓迎したはずの人々を、そのような地獄の目にあわせたのか、という疑問が湧く。

 その答えとなりそうなのが、朝鮮戦争後、北朝鮮で起きた権力闘争である。北朝鮮の権力中枢にはいくつかの派閥があり、朝鮮戦争後、戦争によって朝鮮半島を統一できなかった原因分析と、その後の国家運営方針をめぐり、対立が始まった。

 金日成を中心とし、ソ連や中国に頼らない国造りを目指す「抗日ゲリラ系」のほか、韓国(南朝鮮)で革命を起こそうとしたものの朝鮮戦争後、北に逃れてきた「南朝鮮労働党系」、中国の傘下で国家建設を進めようとした「延安派」(延安は中国共産党の革命拠点)、ソ連の傘下に入ろうという「ソ連派」などの派閥があった。この権力闘争がうずまいた。

 激しい権力闘争の結果、最終的に金日成が勝利し、他派の人々の多くが「アメリカのスパイ」などの罪名で処刑されてしまった。この流れの中で、中ソをはじめとする外国と結びついていると目される人々に対する不信感が強くなり、「帰国同胞」(帰胞=キッポ=)と呼ばれた日本からの帰国組の待遇も、マイナス面に働いた可能性がある。

 また、日本から北朝鮮に渡った人々の多くは、社会主義の考え方に共鳴した人々が多く,こうした人々は、当時の北朝鮮の一般の人々より、己れの意見をはっきり自己主張する傾向が強かった。こうしたことが、帰胞(キッポ)は危険分子という体制を作っていったとも考えられる。



●金正日(キムジョンイル)総書記就任の御祝儀作りと里帰り

 反対派を粛清してしまったため、その後の北朝鮮は、自由にものが言えない雰囲気となり、トップダウンの政策が間違っていても、それを修正することができない硬直したシステムとなっている。こうして、最初は韓国よりも優越していた北朝鮮の経済は、1980年代になるとみるみる衰退に向かった。
 北朝鮮政府は偽ドル札を作ってカンボジアや欧州などで換金しようとしたり(日本でも偽札疑惑がある)、覚醒剤など麻薬取引に手を染めたりと、汚ない手段での外貨調達を試みたが、国家財政の窮乏化は人々の暮らしを悪化させ続けた。

 北朝鮮が崩壊し、権力の真空地帯ができることは東アジア全体にとって危機的なことだ、とアメリカのクリントン政権などが考えていることを看て取った北朝鮮政府は、30年以上続けてきた強固な「自主独立」の姿勢を捨てて、アメリカや韓国、日本などからの援助によって国家体制を維持する方策に転換した。

 しかし,援助要請を掲げて近づいてきた北朝鮮に対し、日本政府がつけた条件のが、日本人拉致事件と日本人妻の一時帰国であった。北朝鮮では1997年10月に金正日が党総書記に就任したが、この時のお祝いに国民に少しはうまいものを食べさせる必要があり,日本からの援助米をもらう代わりに、15人の日本人妻を一時里帰りさせる、という交換条件に応じた。

 北朝鮮政府は本来、国民を外国に行かせると、海外の豊かな生活を見てしまい、祖国に失望することになるため、国民をなるべく出国させない政策を取っており,そのため、日本に行く日本人妻は、誰でも良いというわけではない。 選ばれたのは、多くの帰胞(キッポ)が行方不明になる中で、例外的に高い地位と名誉を得ていた15人の女性たちだった。エリートである朝鮮労働党員が少なくとも2人以上含まれていたし、金正日総書記からお褒めの言葉をもらった人や,夫が病院の幹部や外交官という人もいた。 また、帰国事業より前、日本の植民地時代に朝鮮に渡った人や、戦前は樺太(サハリン)にいて、その後北朝鮮に移った人も15人の中に含まれていた。北朝鮮政府がこうした人をまぜたのは、戦前の植民地支配に対する補償要求につなげたいとの意志があったから、とみられている。



●外交の下手くそな弱腰日本

 一方、日本政府にとっても、1997年の日本人妻の一時帰国は、在外邦人に対する援助策というより、外交上のカードであった。そもそも、帰国運動で大勢の在日朝鮮人が北朝鮮に渡った際、日本政府は厄介払いができてちょうど良い、と考えていた。当時,在日朝鮮人は、反政府運動や左翼運動の先頭に立っていた。その経緯からすれば、彼らと一緒に北朝鮮に渡った日本人妻もまた、日本政府にとっては、ぜひとも帰国してほしい人たちではなかった。

 日本を経由した韓国へのスパイ潜入、日本人の拉致、マネーロンダリング、麻薬持ち込みなど、北朝鮮による日本での工作活動は、日本の公安警察が最大の監視対象としているものである。日本政府としては、日本人妻に関する情報を北朝鮮政府から引き出したいところだった。 しかし結局、北朝鮮政府が選んだ15人の帰国以外には、得たものは少なかった。この背景には、中国残留孤児の帰国以来、厚生省が、日本人妻の帰国事業も手がけたいという意志を持っており、北朝鮮に対して強硬策を取りたかった外務省を押し切ったという経緯がある。両省とも、仕事がなくなると省庁再編で権限を縮小されてしまうから必死だったのである。

 外交面からみれば、日本は北朝鮮に完全にしてやられた、といえる。とはいえ、元をたどれば、朝鮮人が日本に住まざるを得なくなったのは、日本の植民地支配が原因であり、在日朝鮮人を今でも差別しているのは日本政府、そして日本社会の方であり,その点に関して日本人は彼らの不幸な背景を察してやる配慮を忘れてはならない。


  

 



2002年02月16日(土) インフルエンザとその予防  「あるある大事典」から

 【インフルエンザとその予防法】   「あるある大事典」から 
                     2002年〈平成14〉2月16日
 ――普通の風邪と区別してかかる必要がある――


しめしめ今年はまだインフルエンザにかかっていないぞ。もうすぐ春だ。しかし,報道によると,最近の寒気団到来にともない関東と九州で流行し始めているというではないか,今後数週間は油断は禁物だ。そこで,あの恐ろしいインフルエンザにかからない予防法を調べ,対策を講じておくことにしてみた。最新の医学研究で定評がある「あるある大事典」から引用した。




●爆発的な繁殖力

空気中に浮遊している時には全く繁殖活動はしないものの、体内に入ると1個のウィルスが24時間に100万個に増えるという凄まじい繁殖力がある!!



●インフルエンザの猛威

1918年のスペイン風邪 世界で死者2400万人というから凄い!!
1957年のアジア風邪 死者 我が国だけで100万人!!
1968年の香港風邪 香港型のインフルエンザの猛威
1977年のソ連風邪 死者 我が国だけで10万人



●新型インフルエンザのルーツは?

中国雲南省のある地域 そこは、現在でも人間と動物達が共棲している。 実はその環境が未知の新型ウィルスを生み出すのに最適な環境であった。元々、インフルエンザは鳥の世界にだけ存在するもので、我々人間には感染ことはなかった。 しかし、人間と鳥の両方のウィルスを受け入れることのできる豚によってウィルスが変異、人間に感染するようになった。



●この冬流行しそうなインフルエンザウィルス

B型ウィルスと香港A型ウィルスが12〜1月に流行。 後半にソ連A型ウィルス(2〜3月)が出てくる可能性がある。



●風邪にかかりやすい体質チェック   あなたは何項目あてはまりますか?

1 どちらかというと痩せ型である→皮下脂肪がないため、寒さを感じやすい。体温調節ができない。2 あまり汗をかかないほうだ→体の熱の放射率が低い
3 よく肩が凝る→血管が収縮してウィルスの抗体の働きが鈍く、風邪にかかりやすい。
4 会話をしていると聞き役→精神的に発散できなく、自律神経が鈍くなり、ホルモンを作れない。
5 買い物のときよく迷う→精神的に発散できなく、自律神経が鈍くなり、ホルモンを作れない。
6 失敗を忘れられない→ストレスがたまり副腎皮質の機能が低下。 ビタミンCを吸収しにくい。
7 1日10本以上タバコを吸う→ビタミンCを破壊する。
8 食生活が不規則になりがち→栄養の吸収率が弱くなり、栄養不足につながる。
9 夜、なかなか寝つけない→睡眠不足で体力の回復が鈍くなる。
10 寝起きが悪い→低血圧のため、血液にある抗体の力が鈍くなる。

7項目以上 …風邪にかかりやすい体質   4〜6項目 …標準体質   3項目以下 …風邪にかかりにくい体質



●風邪のメカニズム

それはウィルスや細菌が鼻や口から侵入して粘膜に付着することから始まる。 粘膜に入ったウィルス、特にインフルエンザ・ウイルスの場合は恐るべき増殖力を発揮し、1個のウィルスが1時間後には100個、24時間後にはなんと100万個に達する! 2〜3日たつと、くしゃみ・鼻水・咳が出はじめる。 症状は身体の上から下へ進行して行く。

風邪のごく初期にくしゃみとか鼻水が出る。これは防御反応であり,ウィルスを外へ出そうということですから、これを薬を使って無理に止めようとすると、かえって状況を悪化させることにもなりかねないので注意を要する。

風邪をひいた人の喉からウィルスのサンプルを検出し、咳・くしゃみでどのくらい空気中にばらまかれるのか測ってみると,咳1回で約10万個、くしゃみ1回で約200万個のウィルスが出ることがわかった。くしゃみで吐きだされるウィルスの量は莫大であることに注意したい。
予防にはやはりマスクが効果的で,ウィルスの侵入を約3割減らすことができる。



●ウィルス危険ゾーンを知れ!

風邪ウィルスのサンプルを採取したところ満員電車のつり革、カラオケBOXのマイク、公衆電話の受話器、映画館の椅子、デパート、タクシー、居酒屋、自動販売機、バス内、など多いことがわかった。

採取した所        ウィルス推定
1 カラオケBOXのマイク   4000個
2 公衆電話の受話器     3000個
3 満員電車のつり革 1000個




●正しいうがいの仕方 

『お茶』でうがいをするのが一番良い。 お茶入りとお茶無しの2種類のシャーレでインフルエンザウィルスの培養をしたところ、お茶を入れたシャーレのウィルスは絶滅。 お茶の殺菌効果がわかった。 お茶の渋みの成分カテキンに殺菌効果があり,全てのインフルエンザウィルスに効果がある。 静岡県の坂部小学校では、生徒にお茶の入った水筒を持参させ、登校時と下校時にうがいをさせている。その結果、過去5年間の欠席率1%のみという。




●風邪予防法 間違い探し

1 帰宅後、暖まるまでコートを着ておく × 
【コートに付着したウィルスまで一緒に持ち込んでしまう。玄関の外で叩いてから持ち込みましょう。】
2 うがいをする ◯  
3 室内温度を30度にする ×
【室内の温度を25度以上にすると寒さへの抵抗力が弱くなる。】
4 体操で血行を良くする ◯  
5 風邪予防の為、ビタミンCを摂る ◯  
6 飲み物で身体を芯から温める ◯  
7 ホットカーペットで直に温まる ×  
【身体全体が温まった錯覚を持つため正しい体温調節がとれなくなる。しかもウィルスがいる可能性もある。】
8 風呂上がりはすぐ厚着して冷えを防ぐ ×  
【厚着をすると肌の新陳代謝が悪くなり,抵抗力が弱まってしまう。】
9 冷えないように手袋、くつ下を付けて寝る ×  
【温度感覚のアンテナである手足を覆う事で温感が鈍り抵抗力が弱くなってしまう。】



●熱を下げる正しい方法

感染してから4日から5日目、ウィルスと実戦部隊であるマクロファージの攻防が激しく、さらに体温も上昇。 風邪の熱の許容範囲38度を超えた場合,熱を下げることが大切となる。
氷のうの効果は? 氷枕や氷のうを額にのせるのは気持ちが良いだけで気休めにすぎない。本当に熱を下げるには、氷のうをわきの下にはさむと効果があがる。
実験の結果,額に氷のうをのせた人は
38.2度→38.1度(-0.1度)
脇の下に氷のうをはさんだ人は
38.4度→37.8度(-0.6度)



●感染から5〜6日目で病状が回復するがが,二次感染の合併症に注意を!

感染から5日から6日目に、病状が一時的に回復するがが、ウィルスによって粘膜が荒らされたままなので、別の細菌による二次感染の危険性がある。
二次感染による死因N〇1は『肺炎』
1 医者に風邪と診断されやすい
2 薬の力を過信する
3 仕事などで弱った体に負担をかける
4 発熱、咳など体の危険信号を無視する

命に関わる合併症
�’戞 ̄�
��脳 炎
��心 筋 炎
健康な男性が二次感染から死に至るまでの平均日数23日

合併症の兆候とは?
1 37度以上の発熱が1週間以上続く
2 黄色味おびた鼻汁が出る



●免疫力を高めるためには?
免疫力を高めるためには、ビタミンCを豊富に摂取し、抵抗力を正常に回復させるのが風邪を早く回復させる近道!

★ビタミンC
  ・風邪の回復を早め、二次感染にかかりにくい体を作る
  ・水に溶けやすく、体内でもすぐに吸収される
  ・新鮮な野菜、果物に多く含まれている
  ・市販の錠剤でもOK!

※健康時の注意
 ビタミンCは健康時いくら摂取しても、風邪の予防効果には限度がある!
※風邪による疲労時
  体内に吸収されたビタミンCはコラーゲン(タンパク質)の生成を促進。
  ウィルスによって荒らされた細胞の修復をする。

◆ビタミンCの所要量
  ・通常の所要量は1日 50mg
  ・風邪の場合は1日 250mg〜500mg
  ・風邪の場合の1日のビタミンC摂取量は?(1日500mg摂取)みかん1個のビタミンC含有量は   35mgなので1日14個必要。

◆ビタミンCの摂りかた
  ビタミンCは一度に1日分をとるより、毎食後3回に分けて摂るほうが効果的。
◆ビタミンCが豊富な果物 BEST5
  品 種 ビタミンC含有量 風邪の場合 
1位 アセロラ 1700mg/100g 5個 
2位 グアバ 270mg/100g 2個 
3位 いちご 80mg/100g 40個 
4位 キウイ 80mg/100g 4〜5個 
5位 パパイヤ 65mg/100g 1.5個 

◆ビタミンCを摂っていればウィルスの死滅から1〜2週間後、ウィルスとの戦いで荒れ果てた細胞が元の元気な細胞へと回復していく。


2002年02月05日(火) 世界文学者の言葉 《人生について 3 》

 《人生について 3 》 箴言集

         ―― 年齢と老いについて ――






1 その年齢の知恵を持たない者は,その年齢のすべての困苦をもつ。
                       (ボルテール)



2 吾十五にして学を志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順(したが)う。
  七十にして心の欲する所に従えど矩(のり)をこえず。
                 (孔子『論語』)



3 二十代の恋は幻想である。
  三十代の恋は浮気である。
  四十歳にして初めて真の恋を知る。
                (ゲーテ)




4 十歳にして菓子に動かされ,
  二十歳にしては恋人に,
  三十歳にして快楽に,
  四十歳にしては野心に,
  五十歳にして貪欲(どんよく)に動かされる。
  いつになったら人間は,ただ叡知(えいち)のみを追って進むようにな
るのであろうか。
         (ジャン=ジャック=ルソー )




5 人間は四十を越したら,だれでも自分の顔に責任をもたなければならない。
                   (リンカーン)




6 わたしは,「四十にして惑わず」という言葉の裏に四十は惑いやすい年齢であるという隠れた意味を認めたい。
                  (寺田寅彦『厄年とetc』)




7 世間,分別も四十に及ばざれば,定まらぬものだ。
           (江戸時代の僧侶 鈴木正三〈しょうぞう〉)




8 人間の一生は一刻一刻と過ぎ去る。
                (三木清『哲学的人間学』)





9 愛する者,親しい者の死ぬることが多くなるに従って,死の恐怖は反対に薄らいでゆくように思われる。
                (三木清『人生論ノート』)




10 老齢は明らかに迅速なり。ともかくわれわれに必要以上に迅速に切迫する。
                 (プラトン『饗宴』)





11 老齢を堪えがたくするものは,精神,肉体の働きが衰えていくことではない。思い出の重荷である。
                 (サマセット=モーム)




12 ああ!青春! 人は一生にひと時しかそれを所有しない。その残りの年月はただ思い出すだけだ。
                 (アンドレ=ジード)




13 もし私が神だったら,私は青春を人生の終わりにおいたであろう。
                (アナトール=フランス )


2002年02月04日(月) 世界文学者の言葉 《人生について 2 》


  《人生について 2》   箴言集








1.なんのためにあなた達は生きているのですか.国のためですか.
  家のためですか.親のためですか.夫のためですか.
  子のためですか.自己のためですか.愛するもののためですか.
  愛するものを持っておいでですか. 
           (武者小路実篤『お目出たき人』 )





2.人生はわれわれをからかうのだ.人生は諸君に本物を愛しているような 錯覚を与えて,にせ者を 愛させる.恋にはちゃっちな情事をもたらし,名誉にはくだらない成功をもってくる.
            (ジュリアン=グリーン『真夜中』)




3.ぼくらは謙虚ではなくちゃいけない。静かな生活の美しさを知るべきだよ.
「運命」の眼にさえも気づかれないで,そっと人知れぬ一生を終わるべきなんだ.
             (モーム『月と六ペンス』 )  




4.人生は生きねばならない.生きるためには戦わなければならない.名は揚げなければならない. 金はもうけねばならぬ.命がけの勝負はしなければならない.                       
(徳富蘆花『思い出の記』)




5.千年後にも人間は「ああ,人生はなんとつらいものだろう!」と嘆き続けるにちがいない.そし てまた同時に,今とまったく同じように死を恐れ,死ぬことをいやがるにちがいない.
               (チェーホ フ『三人姉妹』)




6.生まれたものに死はかならず来る.
 死せるものはかならずまた生まれる.
 さけられないことをなげいてはいけない.
 生まれる前には,存在は人の感覚に明らかでない.
 生まれて死ぬまでの間だけ明らかであり,
 死とともに,また明らかでなくなる.
 ここになんの悲しむべきことがあろう.
 生きているすべてのなかに住むかれ(最高神)は,
 永遠にうちこわされることがない.
 だから何者のためにも,けっして嘆くことはないのだ.
        (古代インド叙事詩『バガヴァッド=ギーター』)





7.生まれ死ぬ.死ぬ生まれる.かくて人生は常に新しく,常に新鮮である.貴きものが死ねば,また貴きものが生まれる. 
             (武者小路実篤『若き日の思いで』)
 
 
  
                








2002年02月03日(日) 世界文学者の言葉 《人生について》 

  《人生について 1》   箴言集






1.花に嵐のたとえもあるよ,サヨナラだけが人生さ!  (井伏鱒二)



2.まこと人生,一瞬の夢,ゴム風船の美しさかな。   (中原中也)



3.人間にとってただ3つの事件しかない。生まれること,生きること,死ぬことである。生まれるときには気がつかない。死ぬときには苦しむ。そして生きているときは忘れている。
                   (ラ=ブリュイエール )



4.未来はためらいつつ近づき,現在は矢のように飛び去り,過去は永久に静かに立っている。
                       (シラー )



5.自分が歩んできた過去を振り返ってみると,何とたくさんの素晴らしい一生に一度の出会いがあったことか。 
                  (井上靖「わが一期一会」)




6.まことに,人生の遭遇ほど,味なものはない。 (折口信夫)



7.よしどうであろうと人生はよいものだ。  (ゲーテ )



8.楽しまずして何の人生ぞや。  (吉川英治 )




9.人はだれでも,おのれひとりの生涯をひとりで生き,おのれひとりの死をひとりで死ぬものである。 
                       (ヤコブセン )



10.この世の中で,いちばん強い人間とは,孤独でただひとり立つ者だ!                      (イプセン )




11.人はひとりであるときいちばん強い!  (吉田紘二郎 )





12.ほがらかに死んでいくために,わたしは生きようと思う。 
(ゲレルト『寓話と物語』 )




13.生まれてしまったということは確かにわれわれの結末なのだ。死ぬということは問題外である。生きることがわれわれの悦びであり法則なのだ。 
             (サローヤン『君が人生のただ中に』 )




14.ひとは多くを願うが,かれに必要なものはごくわずかなのである。人生は短く,人間の運命にはかぎりがあるから。 
                       (ゲーテ )






2002年02月02日(土) 2月 アナリストたちの予測 円安は140円方向へ

いよいよ2002年の2月相場が始まった.

予測どおり,東証は下落を続け,9300円割れから一段の下げが生じよう.
円安〈現在134円台〉も予測どおり,135円から140円へ一段と円安が進むことが予想される.この2月から3月にかけての株式・債権・為替相場は,大きな波乱が予想されるので目配りが欠かせない.

以下に,各証券会社の主席アナリストたちの最近の予測を掲載しておく. 






 
●円相場/130〜140円程度の水準は、アジア諸国に悪影響はない

クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券会社、グローバル為替調査部
ストラテジストの小笠原悟さんは、「現在の円安は抑制気味の財政政策と
超金融緩和政策といった ポリシー・ミックスを反映したものであり、ファン
ダメンタルズにそった動きであ ると判断される」と、語る。

<中期的には、150円超の急激な円安は想定していない>
 ただ同社では、中期的なスパンで、150円あるいは160円を超えるよ
うな 急激な円安を想定しているわけではない。「現状では円安がこのまま
一本調子で進むとは想定しがたい」と言う。日本人投資家のリスク許容度
は極端に 低下しており、たとえ海外投資家が日本売りを仕掛けたとして
も、国内からの 資金フローが滞っている。そこで、「当面は年度末にかけ
て、日本勢の一部 のリパトリエーション(資金の国内環流)が大幅な円安
進行を抑制する場面も ある」と、予想している。

<円安を促す本格的な資金フローが起きる条件は?>
 円安を促す本格的な資金フローが起きるには国内景気が回復し、投資
家 のリスク許容度が改善に向かう必要がある。ただこの場合、景気が良
くなれ ば輸入は増加し、海外からの対内投資も活発化する。また、仮に
日本が景 気回復への道筋をつけることに成功すれば、日銀が緩和政策
を転換すると の思惑から、円ショート(売り)の蓄積には神経質にならざる
を得ない。

<円安で日本の国内需要が改善すれば、アジアにも恩恵>
 こうして、「円安傾向が単純に持続するわけではないし、日本の国内需
要や 対外投資意欲の改善に至れば、アジア諸国もそのメリットを受ける
ことにな る」。一部のアジア諸国から円安牽制発言が相次いでいるが、
同社では、 「現在想定している130〜140程度のドル/円の水準は、
アジア諸国に対して特に悪影響を与えるものではない」と、判断している。




●為替政策/円安に「待った」をかける外国人の債券売り

 UFJキャピタルマ−ケッツ証券・投資調査部長の斎藤満さんは「長期
金利の上昇が日本の円安誘導に『待った』をかけることになった」と語る。
デフレ回避のために採られたはずの円安策が、一般物価の下落に歯止
めをかける前に、株や債券という資産デフレを助長する形になってきた
からだ。斎藤さんはすでに、円安が往々にして株価を押し下げてしまうこ
とを指摘しているが、「最近になって日本の債券相場の悪化(長期金利
上昇)も、円安と関わっている、との認識が財務省のなかにも出てきたよ
うだ」として、当局の為替に対する物言いも変わってきた、と言う。

<限界的には外国人の債券相場への影響が増大>
 今月になって「外国人」による円債投資が大きく売り越しとなった場面
があった。その主たる要因は欧州中銀が日本国債を売ってきたためと
される。債券市場においても外国人投資家が、円安による投資パフォー
マンスの悪化から、円資産を売る動きが指摘されるようになったとして、
次のようにコメントする。「外国人投資家による円資産保有はさほど大き
くないとは言え、株の売買における『外国人』の割合が半分を占めるよう
になったように、限界的には相場におよぼす影響が大きくなりつつある」。
ドルを中心に、外貨で投資評価される外国人投資家にしてみれば、継
続的に円安が進み、それだけドルなどでの投資成果が目減りする時期
に円資産を持っていることは得策ではない、ということになる。

<「一般物価の下落」より「資産価格の下落」がはるかに重要>
 ところで、今の日本経済で消費者物価などに見られる「一般物価の下
落」よりも、土地・株といった「資産価格の下落」の方がはるかに重要な
問題であり、これがバランスシートの悪化を通じて、需要不足をもたらし
ているとともに、「不良債権問題の元凶もここにある」と言う。円安誘導が
資産デフレを助長し、その資産デフレが景気を冷やし、ひいては一般物
価の下落を誘発しかねない状況になってきたことを受けて、「金融の量
的緩和を進める正当性が問われることになる」と言う。




●金利動向/先進国金利は、「下げ」から「かなり違ったピクチャー」へ

 住信基礎研究所・主席研究員の伊藤洋一さんは、2001年における
先進国全体の金利動向は「下げ」から、「今年はかなり違ったピクチャー
になろう」として、長期金利が上昇する懸念があるとの見通しを示した。

<米国金利の上昇は、やや大幅になる可能性>
 まず米国は今月下旬のFOMC(公開市場委員会)を皮切りに、次の
トレンドに入る前に短期金利は横ばいに入るとした上で、こう語る。「長
期金利はどちらにも振れる展開となるが、基調は強含みだ。すでにそ
の兆候は始まっている」。景況の改善を受けて長期金利は上昇するは
ずであり、この上げは「今までの下げすぎの回復分を含めてやや大幅
なものになるかも知れない」と言う。欧州についても、ユーロ導入に伴う
インフレと景気改善の可能性があり、「政策金利はしばらく据え置かれ
る可能性が高い」と見ている。

<日本は2%前後という水準への相場下落も>
 日本については、長期金利は「トラップ状態」にあると見ることができ
ると言う。つまり、「景気が悪化すれば国債増発から需給関係の悪化
が連想され、一方で景気が改善すれば直ちに金利上昇の恐れが出る、
という『どちらにしても』状況の出現である」。こうした状況から、すでに
上げ基調が始まっていると見る。最近、話題に上ることが増えている
国債暴落については、暴落=2%前後という水準を想定しているとす
れば、「その可能性は十分あると見た方が良い」と言う。

<世界経済を巡る環境は去年とは大きく違ってくる>
 伊藤さんは、今の世界経済が抱える問題は、当面の回復よりも「そ
の後」だと言う。「24日のグリーンスパン米FRB議長の議会証言を読
むと、当面のアメリカ経済に対する楽観論と、その先の経済へのかな
りの不安感が見え隠れしているが、それは自動車販売時の金利ゼロ
適用による販売増など、将来の景気回復の原動力をすでに使ってし
まっている可能性があるからだ」。これに世界的な金利上昇が重なり、
「今年の世界経済を巡る環境は去年とは大きく違ってくる可能性が高
い」と予想する。世界経済は全体として一旦持ち上がったあと、今年
末になっても「弱い成長力」に悩んでいる危険性が強いと言う。



 

●経済政策/「量的緩和=国債偏重」はしばらく続く

<オニール発言は、日本政府に対する一種の助け舟>
 UBSウォ−バ−グ証券会社・経済調査部チ−フエコノミストの白川浩道
さんは、為替市場では、米国のオニール財務長官の発言が大きな材料に
なり、 円・ドルが一時的に135円台に乗せたことに関連して、同長官の発言
は、「米製造業者の強いド ルへの不満に同意しないというもの」として、次
のように語る。「こうした発言は、米国の経済指標 が最近、改善している
ことを背景に、米国政府としてのドル高許容度が幾分上昇していることを
示唆するものでしょう」。

日本政府とすれば、米国経済のファンダメンタルズが改善することによってもたらされるドル高はウェルカム。「日本は構造改革を先送りし、円安政策によって解決を図ろうとしている」との批判をかわしやすくなるからだ。その意味では、「オニール長官の発言は日本政府に対 する一種の助け舟になったといえる」と語る。

<来週末(2月9日)のG7で、140円程度の円安容認メッセージ>
 白川さんは「来週末に予定されているG7会合では、140円程度の円安は
容認、といったメッセ ージが出てくる可能性があります」と予想する。1−3
月期の金融政策については、「とにかく 量での緩和」といった日銀、財務省
チームの基本スタンスに、大きな変更を迫る ような展開とはならない。「量
での緩和=国債偏重といった、日銀のスタ ンスは当面続くでしょう」。債券
相場の下落リスクはありるが、日銀、財務省は 、「緩やかな円安容認、の
方を取るもの」とみている。米国経済に対する見方が徐々に改善している
なかで、大幅なトリプル安といった懸念が出てこない限り、政府 ・日銀は、
量的緩和モードをさらに進めてくるものとみていいと言う。

<次回の日銀会合は、国債買い切りオペの更なる増額を視野>
 次回の日銀・金融決定会合(7、8日)では、「国債買い切りオペの更なる
増額を視野に入れたい」と言う。 ただ、インフレ・ターゲットの導入といった
期待にショックを与える政策オプシ ョンは、まだ打ち出せる状況にはないと
みている。



●失業率/デフレによる実質賃金上昇も、失業率上昇の要因だ

 BNPパリバ証券会社・経済調査部チ−フ・エコノミストの河野龍太郎
さんは、現在の失業増加の最大の原因は、2000年末以降の内外のIT
ブーム終焉であるとしながらも、「デフレ によって実質賃金が上昇して
いることが、大幅な雇用の数量調整を引き起こしている側 面もある」と
語る。景気は在庫調整の進展によって、循環的には4-6月に底入れし、
7-9月から景気は持ち直すとみており、想定される景気回復のペース
は極めて緩慢である。このため、当面、雇用の悪化は避けられず、
「失業率が6%台に乗せるのは、時間の問題だと思われる」と見ている。

<製造業の就業者は1年間で87万人も減少>
  2001年12月の失業率は5.6%(5.55%)と前月(5.45%)から0.1%ポイント
上昇し、過去最悪を更新した。雇用者数、就業者数は、それぞれ3万人、
22万人減少して、失業者数は前月比6万人増加した。有効求人倍率は
0.51倍と前月から0.02ポイント悪化した。なかでも製造業は、著しく悪化
しており、同部門の就業者は1月から12月の間で87万人も減少 した。
これは、「アジア通貨危機、金融恐慌下にあった97-98年を上回る減少
であり(97年33万人減、98年33万人減)、工場閉鎖などによる地方経済
の深刻さを物語っている」と言う。

<企業収益低迷→実質賃金上昇→雇用維持一層困難、の悪循環>

 企業収益の低迷から、2001年7-9月時点の労働分配率は製造業が
86.9%、非製造業は 84.5%まで上昇した。本来であれば、生産性の低
迷に合わせて実質賃金が切り下 げられるべきだが、デフレと名目賃金
の下方硬直性によって、実質賃金はさらに上昇し 、企業収益が圧迫さ
れているのである。そして「これが雇用の維持を一層困 難にしている」
と言う。企業は雇用コスト削減のために、正規雇用を削減し、コストの
安い非正 規雇用に置き換える動きを続けており、2001年平均の非農
林業雇用者に占める常用雇用 の割合は86.8%と7年連続で低下した。




カルメンチャキ |MAIL

My追加