女の世紀を旅する
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2004年11月28日(日) ドル急落とアメリカ経済のハルマゲドン


ドル急落(102.5円)とアメリカ経済のハルマゲドン
                 2004/11/28
    



円高ドル安が急激に進んでおり,政府の介入なしにこのまま行けば,100円割れは必至の情勢だ。

100円割ったらドルを買いたいという人もあるようだが,危険だろう。大台割ったら95円,そして90円に落ちる可能性の方が高く,場合によっては80円台も視野に入れておく必要があろう。底値をしっかり確認するまでは買いは控えたいところだ。


1985年の「プラザ合意」(ニューヨークのプラザ・ホテルで開催されたG5〈先進5か国蔵相会議〉でアメリカ経済を救済するためにドル高是正で合意)の結果,当時1ドル240円台であった円相場は急上昇し,1987年2月には150円台に到達し,それは80年代後半の円高不況となってあらわれた。その後,87年2月に,パリのルーブル宮殿に集まったG7が「ルーブル合意」でドル安,円高に歯止めをかけようとしたが,この合意は日米間の貿易収支不均衡のために効果があがらず,その後も,徐々にドル安,円高傾向は続き,1995年4月に一時,1ドル79円をつけるところまで大幅に下落した。

プラザ合意の背景となったのは,1980年代初頭から「強いアメリカ」をめざす「レーガノミックス」により,軍事費の増加と減税が実行され,財政赤字が増大したことがあげられる。そのためドルの高金利政策が実施され,ドルが流入しドル高がおこり,アメリカの輸出を困難にして,貿易赤字を増大させた。当時,「双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)」に苦しむアメリカでは保護主義が台頭したことなどもあって,プラザ合意で各国の通貨当局が協調介入し,この結果,日本の円は10年間で240円から79円への超円高を体験することとなった。

今回の円高ドル安,ユーロ高ドル安は,レーガン時代よりも深刻な「双子の赤字」ゆえに,場合によってはアメリカ経済に深刻な打撃を与え,それが日本や世界経済にはねかえってくる危険があり,注意が怠れない。


時価1ドル=102.5円 1ユーロ=136.3円 【2004年11月28日】


以下はSAKAI TANAKA氏のリポートからの抜粋。





●ドルの自滅――レーガンと同じ過ちをくりかえしたブッシュの政策


 以前から予測されていたドルの下落が、現実のものになり始めている。ブッシュ政権は2001年の就任直後から、財政支出の増加と、最裕福層に対する減税とを同時に行って故意に財政赤字を拡大させることで経済を活性化できると主張する「レーガノミックス」の政策を開始した。911後には、これに軍事費の急増も加わり、クリントン時代の8年間で黒字に転換したアメリカ財政は、ブッシュの4年間で財政赤字が危険水域とされるGDPの5%を超えるまでに悪化した。


 その一方で、アメリカ国民の消費意欲は衰えず、輸出が振るわない中で輸入が伸び続けた結果、経常赤字(貿易赤字)も増え続けている。今年1−9月の赤字額(年率換算値)は5920億ドルで、昨年の4960億ドルからさらに増加した。


 財政赤字と経常赤字という「双子の赤字」は、かつてレーガン政権時代にアメリカ経済を悪化させた元凶で、レーガノミックスは大失敗だったと総括されているが「新レーガン主義」を自称するブッシュはレーガン時代の過ちを繰り返した結果、アメリカは再び双子の赤字を抱えるに至った。

 11月17日、アメリカのジョン・スノー財務長官が「(当局の介入など)
市場原理以外の作用で為替を動かそうとする努力は、歴史的にみてうまくいかないことが分かっている」と述べ、ドル安になっても市場介入はしない姿勢を表明した。これを受けてドル安が加速した。


 11月19日には、FRB(アメリカの中央銀行)のグリーンスパン議長は「経常赤字が増えすぎると、ある時点で外国投資家が突然ドル建ての資産を買いたがらなくなり、ドルの急落や金利の急騰が起きる」という意味の発言を行った。これは市場関係者に「ドル安容認」のサインと受け取られ、ドル急落に拍車がかかった。その後、米当局がドル安傾向に歯止めをかけようとする努力がほとんど行わなかったため、ドル安傾向が定着した。


 11月25日には、ドルがユーロに対し、これまでの史上最安値である1ユーロ=1・3178ドルを割り込み、最安値を更新して下落した。




●差し迫る経済ハルマゲドン

 米大手投資銀行のモルガン・スタンレーのチーフ・エコノミストであるステファン・ローチは先週、機関投資家を集めた私的な会合の席上で「アメリカが経済的な大破綻(ハルマゲドン)を回避できる可能性は10%しかない」と語り、参加者を驚かせた。ローチは、アメリカの経常赤字がドルを下落させ続け、FRBは国債発行を消化するため金利を上昇させる結果、米経済の減速は間違いないという。アメリカが間もなく不況に陥る可能性が30%、しばらくは延命策で何とか乗り切るがいずれ破綻する可能性が60%、破綻しない可能性は10%と予測している。


 こうした大破綻の予想は、以前から散見されていた。UPI通信の経済担当主任記者だったイアン・キャンベルは昨年、何回か破綻を予測する記事を書いている。昨年12月の記事では「ブッシュ政権は米経済が崩壊し始めたときに政権に就き、崩壊を食い止めるために減税と戦争をやって経済を再活性化しようとしたが、2005年にブッシュがおそらく再選されるころには、もはや打つ手がなくなっているだろう」と書いている。


 またアジア・タイムスのぺぺ・エスコバルは、昨年5月に書いたビルダーバーグ会議に関する記事の中で「欧州の有力なユダヤ系銀行家によると、西欧は大規模な金融破綻に瀕しており、それを回避するために中東など世界規模で戦争が行われているのだという」と書いた。


「世界システム論」の学者イマニュエル・ウォーラーステインは、以前の著書で「アメリカは1980年代から衰退期に入っており、レーガン以降の歴代政権は、アメリカを延命させるための政策をあれこれ打ってきた」といった意味のことを書いている。パパブッシュは湾岸戦争で、クリントンは経済グローバリゼーションで、今のブッシュはテロ戦争とイラク戦争で自国の延命を図ろうとした。しかし、延命策は尽きつつあるように見える。

「双子の赤字」を減らせないアメリカはいずれ破綻するという予測は、昨年末あたりから、あちこちの記事で見かけるようになっており、その「いずれ」がいつなのか、という時間の問題になっている感がある。





●どんどん増えるイラク戦費

 ドル安を止めるためには、アメリカの財政赤字と経常赤字を減らすことが必要だ。しかし、財政赤字は減らすことがほとんど不可能だ。

 その理由の一つは、イラクで必要な戦費がどんどん増えているためである。
イラク侵攻直前の2003年初めには、米政府は毎月の戦費を22億ドルと概算していた。しかし、ゲリラ戦の泥沼が少しずつ明確になってきた同年7月には、国防総省は毎月39億ドルを使っていた。そして、イラク人を組織してイラク軍やイラク警察を作る米軍の試みが、敵前逃亡などによって何度も失敗し、完全にゲリラ戦の泥沼にはまっている現在は、毎月58億ドルが消費されている。


 最近、米議会で審議された来年9月までの財政年度の支出予算案(3884億ドル)は、増加幅が前年比1%の伸びに抑えられるなど、財政緊縮の努力は行われている。だがその一方で11月18日には、財政赤字額の上限が8千億ドル引き上げられて8兆1800億ドルに改定されている。財政赤字(米国債)が法律で定められた上限まで発行されてしまい、もっと国債が発行できるよう法律改定しないと政府が日々のお金に困る事態になり、上限を引き上げざるを得なくなったためである。


 財政赤字の上限は、2002年に4500億ドル、昨年にも9840億ドルと毎年引き上げられており、クリントン時代には黒字だった財政は、ブッシュ政権になってからものすごい勢いで金を使いまくり、急速に赤字体質に陥ったことが分かる。米政界では、1年以内に再び赤字上限の引き上げを行う必要があると予測されている。こんな状態なので、従来は想像もできなかった米国債のデフォルト(債務不履行)が、世界の投資家の懸念として立ち上がってきても不思議はない。




●もう消費できないアメリカ

 もう一つの経常赤字の方は、ドル安が続いてアメリカ人が買う輸入品の価格が上がれば、消費が減退して輸入が減り、赤字の拡大は止まる。しかし、それは米国民の生活水準が落ちていくことを意味している。ドルはこれまで世界の基軸通貨(備蓄通貨)だったため、アメリカでは政府が財政赤字を増やしても強いドルを維持でき、アメリカの人々は世界から安く輸入された商品を買って豊かな生活を謳歌することができた。しかし、ドルが下落して基軸通貨でなくなると、そうした特権は失われる。

 アメリカではすでに、最裕福層は減税でさらに豊かになる一方で、中産階級が貧困層に転落していく二極分化の傾向が拡大している。多くの企業は、従業員を入れ替えるたびに給料を下げている。給料の伸びは、インフレ率を下回り、多くの人が収入減となっている。各地の地方自治体も財政難で、学校の閉鎖や行政サービスの低下を引き起こしている。


 消費ブームの結果、アメリカにおける個人消費の額は1995年以来毎年4%ずつ伸び続けており、これは世界の伸び(2・2%)の2倍である。ところがその一方で、人々は金を使い果たし、貯蓄率は先進国では最低水準の0・8%である(欧州やアジアは8%前後)。クレジットカードの債務不履行率も史上最高の4%になっている。アメリカではここ数年、政府も個人も金を借りて使いまくり、今になってそのつけが回ってきている。


 今後は、企業年金の支払い停止の危機も指摘されている。アメリカの企業年金の破綻から救う役割を果たしている政府系の「年金給付保証公庫」によると、今後、団塊の世代(ベビー・ブーマー)が大挙して定年退職する時期が来ると、公庫として620億ドル必要になりそうだが、公庫には390億ドルしか資産がなく、差額分に入ってしまった人々は、年金を受け取れなくなるという。米議会とブッシュ政権は、この問題を解決する必要に迫られているが、政府自身が財政赤字で首が回らない中、人々の年金が救われる可能性は低い。


2004年11月20日(土) 中国脅威論:原子力潜水艦侵入問題と日中関係

中国脅威論: 原子力潜水艦侵入問題と日中関係

                       2004/11/20

 先日,日本の安全保障を脅かすような事件がおきた。いずれ東アジア情勢は中国の覇権とアメリカの覇権との衝突が予想されるが,より具体的には中国と日本の国益をかけた対立と衝突が近未来に起きるのは必至と私はかねてから予想している。共産党支配の中国は政治優先の国であり,党と国益のためなら軍事行使もいとわないことに留意しておかねばならない。

 今回の原潜侵入事件に対してTANAKA SAKAI氏が国際的な視点に立った鋭い問題点を提起しているので,以下に紹介しておきたい。




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 11月10日、沖縄の石垣島沖合いで、中国の潜水艦が日本の領海を侵犯した事件は、小泉政権で政策決定する人々にとっては「飛んで火に入る夏の虫」だった観がある。

 日本政府は、冷戦終結でソ連が消滅した後、日本にとっての「脅威」として、これまで北朝鮮を挙げてきた。特に1998年のテポドン発射の後、日本国内では北朝鮮の脅威性が強く打ち出されるようになったが、最近では、北朝鮮の問題は6カ国協議で解決が模索されている。北朝鮮の問題は、うまく解決できれば、日本、中国、韓国、ロシアといった東アジア関係国が協調体制を確立する最初の契機となる。

 韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は11月13日、ロサンゼルスで行った講演の中で「北朝鮮は、核とミサイルを外国の威嚇から自身を守るための手段だと主張しているが、この主張は一理ある」と述べ、北朝鮮の核保有を容認する姿勢を見せた。


 韓国だけでなく中国も、従来から「北朝鮮は核兵器を持っている」と断定するアメリカに対して「持っていないのではないか」と主張する傾向があり「北朝鮮が核兵器を持っていたとしても、周辺諸国やアメリカとの関係が安定すれば、核を使うことはない」と考えて、北朝鮮から無理やり核を除去して東アジア地域を不安定化させるより、核保有を黙認しても北朝鮮を東アジア諸国を中心とした国際社会に受け入れ、地域の安定を維持した方が良いと考えているふしがある。

 その一方で、アメリカは東アジアの問題より前に、イラクを中心とする中東の問題に没頭させられる時期が続きそうで、北朝鮮問題に対しては従来以上に「タカ派的な投げやりな態度」になるのではないかと予測される。




●改憲論議のタブーを乗り越えさせた中国の黒船

 こうした中で、日本だけが北朝鮮を敵視しつづけることは得策ではないとする見解もあるようだ。北朝鮮を真ん中に置いて、韓国、中国、ロシアがエネルギー関係などで経済関係を強化していくことになったら、日本だけが東アジアの新しい発展のチャンスに乗り遅れてしまう。そうした理由から、小泉政権は北朝鮮への敵視をほどほどに止め、代わりの仮想敵を探すことにしたのではないかというのである。代わりの仮想敵とは「中国」である。

 小泉政権は、日本の防衛方針である「防衛計画の大綱」を作るための予備的な議論を行う首相の諮問機関として「安全保障と防衛力に関する懇談会」を作り、今春から議論していた。そこでは中国を日本の仮想敵国とすることが検討され、懇談会が10月に提出した提言にも、沖縄方面での防衛(島嶼防衛)に重点を移すことが盛り込まれ、中国脅威論を前提とした防衛政策が作られつつあった。


 11月7日には、防衛庁が「海洋資源問題、尖閣諸島問題、台湾問題の3点について、中国が日本を攻撃する可能性がある」と内部協議で検討し、それが防衛計画の大綱に盛り込まれることになりそうだと報じられ、日本では「中国の脅威」がいっそう煽られた。


【ニュース  防衛庁が十一月末にも策定する新防衛大綱に向けた部内協議で、中国が日本を攻撃する可能性について「海洋資源権益をめぐる対立」と「尖閣諸島領有権問題」「中国・台湾間の紛争からの波及」の三つのケースを具体的に想定していたことが11月7日、分かった。

 今後の防衛力整備のための予測分析だが、中国の脅威に対する警戒感を強く示したもので、東シナ海のガス田開発や尖閣諸島をめぐり日中間で対立が続くなか、中国側の反発を招きそうだ。

 この想定は、防衛庁が九月にまとめた「防衛力のあり方検討会議」(議長・防衛庁長官)最終報告に明記された。アジア地域の軍事情勢を分析する中で中国の日本攻撃に言及している。同庁は最終報告を新大綱のたたき台と位置付けたため、公表しなかった。

 関係者によると、報告書は中国が「台湾や米国への対抗を念頭に軍事力を強化し、将来はアジア・太平洋地域で最大の軍事力を持つ」と予測。
その上で,
(1)中台紛争が起きた場合、在日米軍に対する支援を日本に行わせないため局地的に対日攻撃

(2)尖閣領有権問題で中国の国内世論の批判が中国共産党に向かい、指導力を脅かすほど拡大すれば、世論の矛先を国外に向けるため尖閣諸島に武力行使

(3)日本が断固とした対応を取らないと中国が判断した場合、海洋権益で不法な行動に出る−の3ケースを列挙した。

 さらに「(中国は)軍事手段での国際問題解決が自らの発展を妨げることも認識して武力行使には慎重」と分析する一方、「主権の確保、領土の保全、海洋権益の拡大、共産党一党独裁の堅持には断固対処する公算が大きい」と明記、状況によっては武力行使に踏み切る可能性を指摘した。〈東京新聞〉】

 そしてその3日後の11月10日、中国の原子力潜水艦が石垣島沖で領海侵犯したことが確認され、日本は大騒ぎとなった。中国政府は11月16日に遺憾の意を表明し、日中の対立は一段落したが、日本の言論界が「中国脅威論」で持ちきりになる中、翌17日には新しい防衛計画の大綱の要旨が発表され「南沙諸島などの領土問題や中台関係」という表現で、日本に脅威を与える事項として中国関連の問題が盛り込まれることが明らかになった。


 また11月17日には、日本国憲法9条を改訂し「自衛軍」の設置を明記することを盛り込んだ憲法改訂案を自民党が発表した。これまで日本国内でタブーとされてきた憲法改訂論議は、故障の結果間違って領海侵犯してしまったとされる中国の「黒船」によって実現されるかたちとなった。


【ニュース  自民党憲法調査会(保岡興治会長)は11月17日、憲法改正草案大綱の素案をまとめ、同日の憲法改正案起草委員会に提示した。前文を含む現行憲法の全面改正を目指すもので、焦点の9条については「戦争放棄」をうたった1項は残すものの、「自衛軍」の設置と集団的自衛権の行使を明記した。象徴天皇制は維持するが、天皇を「元首」と明確に位置づけ、女性天皇も認めた。

 素案は前文に盛り込む「基本的考え方」と、「総則」から「改正」までの9章で構成。今年1月からの調査会の議論を踏まえ、調査会幹部がまとめた。年内に大綱をまとめ、結党50年の来年11月に党の憲法改正草案として正式決定する。
 安全保障に関する規定では、「個別的、集団的自衛権を行使するための必要最小限の戦力を保持する組織として、自衛軍を設置する」とし、現行の憲法解釈では認められていない集団的自衛権行使の容認に踏み込んだ。また、自衛軍の任務として、「国際貢献のための活動」を明記、海外での武力行使を伴う活動にも道を開いた。  一方で、武力行使を伴う活動を行う場合、原則として事前の国会承認を義務づけるなど、一定の歯止めをかける規定も整備。「国民の責務」として「国家の独立と安全を守る責務」を挙げたが、徴兵制は否定している。非核3原則も憲法に盛り込むとした。

 天皇については「元首」としての位置づけを明確化。「皇位は世襲で男女を問わず皇統に属する者が継承する」として、女性天皇を容認した。「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌とすることも「総則」に盛り込む。〈朝日新聞〉】




●中国は「日清戦争のときのように負ける」

 中国の潜水艦や探査船などが琉球列島の近くをうろうろするようになったのは、最近に始まったことではない。中国は、東シナ海での海底油田・ガス田の開発や、沖縄本島と宮古島の間の海域を抜けて中国の潜水艦が太平洋に出入りする水路を設定するために、1995年ごろから日本の排他的経済水域に調査船などをたびたび派遣し、尖閣諸島の領海内に入り込んだりもしている。

 しかし、日本側はこれらの中国の行為に比較的寛大だった。最近、日本側で問題になっている東シナ海での中国による海底油田・ガス田の開発についても、今年に至るまで「日本側も対抗して開発を進めるべきだ」「中国に開発を停止させろ」といった主張は、日本国内では大きな声にはなっていなかった。

 実際のところ、中国の軍事力は、日本と比較するとまだかなり低い。反日色が比較的強い香港の新聞「連合早報」は10月25日付けで、東シナ海のガス田(春暁ガス田)問題で日本と戦争したらどうなるかを予測する分析記事の中で、次のように書いている。

 〈 中国の新型国産潜水艦である「宋級」は、日本の「おやしお」「なるしお」系の潜水艦に比べ、総合的な戦力ではるかに劣っている。信号傍受能力など情報戦でも日本の方がはるかに進んでいる。空軍も日本は完全にアメリカの水準をこなしており中国よりずっと上なので、日本と戦争したら日清戦争のときのように中国は完敗するだろう。だから、日本と戦争するよりも、むしろ日本から止めろといわれている春暁ガス田の開発をいったん停止し、日本との関係を改善し、日本側と合同で開発できる状態にして再開した方がいい。中国はガス田の開発を止める交換条件として、日本に「台湾を支持するな」と要請することもできる。〉




●米軍の再編との関係

 日本がこれまで東シナ海における中国側の排他的水域侵犯行為を黙認する傾向があったのは、日本政府が中国に気兼ねしすぎていたからだ、という見方もあるが、日本政府はこれまで中国を敵視する必要がなかったのが、
ここに来て仮想敵を新たに設定する必要が持ち上がり、そのために中国に対する敵視が強められたのだとする考えがある。仮想敵国を必要とする原因を作ったのは、日本に対するアメリカの軍事的な関与が変化しているからだという見解である。

 アメリカはここ1〜2年、日本や韓国、ドイツなどを含む全世界に駐留する米軍について、駐留している国(在日米軍の場合は日本)を守る機能を縮小ないし停止し、駐留米軍は世界全体で「テロ戦争」などを行うための軍隊に衣替えする、という世界的な軍事再編を実施している。


 これは見方を変えると、アメリカが日本の防衛から手を引き、自衛隊が日本を防衛を主導せざるを得ない時代が始まっていることを示している。しかし、当事者であるアメリカは、軍事機密保持のためか、軍事再編の意図を曖昧にしたまま計画を進めたいようで、日本側でも「米軍がいなくなるので自衛隊を増強せねばなりません」と明確に言うことができない。

 そのため、日本が軍事的にアメリカの傘の下にあるという言い方を続けつつ、中国という仮想敵国を新たに作り、その脅威に対処するということで日本の防衛力を強化し、在日米軍の撤退に備えるということではないか、と思われる。




●日本は外交の上でもっと好きにやればよい

 しかし日本政府はその一方で、中国とあまり仲が悪くなることができないというジレンマがある。アメリカは、外交的に中国に大きく譲歩し、東アジアの安定はアメリカが守るのではなく、中国を中心とした地元の諸国で自主的にやってほしいという態度を強めている。加えて、日本国内で反中国の意識が高まると、呼応して中国で反日意識が高まり、中国で商品を売ったり作ったりしている日本企業が不利益をこうむるというマイナス面もある。

 EUはアメリカのGPSに対抗するかたちの人工衛星を利用した位置確認システム「ガリレオ」の開発を進めているが、中国は最近、この開発に本格的に参加することを決めている。また中国は、アメリカがイランを敵視する分、イランと石油開発などの事業で合弁する一方、イランの核兵器疑惑を国連の場に持ち込むことに反対するイランの味方をしている。


 中国はまた、インドとパキスタンの和平交渉を取り持つなど、アメリカに対抗しつつ世界を安定させる大国の一つになりつつある。国際社会で力をつけている中国の存在をアメリカは容認しているということは、日本が中国と対立を深めてしまうことは、下手をすると日本の孤立につながりかねない。


 今回の領海侵犯事件では、マスコミなど日本の言論界では「政府の対応は生ぬるい」「中国の傲慢を許すな」など、戦前の日本の鼻息の荒さはこんな感じだったかもしれないという感じの好戦的な論調が一気にあふれたが、これと対照的に、小泉首相など日本政府の対応は、中国に対して好戦的な態度をとらず、早急かつ穏便に騒ぎを終わらせようと努力していた。

 この差は、日本政府はアメリカが中国を今後の東アジアの中心と考え、日本も中国と協力してアジアの安定を守ってほしいと希望していることを知っているのに対し、言論界ではそうした大状況を勘案しない人々が大半だったことを示している。

 中国が世界の大国としてふるまえるのは、アメリカに対する気兼ねがあまりなく、アメリカが嫌う国々との関係を密接にしたり、ガリレオなどアメリカに対抗する事業にも参画できる自由をもっているからだ。日本が中国に対抗しようと思ったら、日本もアメリカに対する気兼ねをやめて外交的にいろいろやれば良い。世界の多極化がしだいに確定的になり、日本にとっても外交的な可能性が広がっている。だが、日本では政府にも、マスコミやネット上の言論界にも、そのような発想はほとんどない。

 アメリカ政府自身、日本にもっと好きなように振る舞ってほしいと思っているのではないかと感じられるが、その一方で、日本側は以前に「大東亜共栄圏」の時代に世界に出て行って失敗した教訓からか、臆病になっているふしがある。日本の言論界では、被害者意識に基づいた脅威論ばかりが目立つ。これでは、中国と同じ土俵にすら立てない。日本が中国より外交的に劣った存在である状態が固定されてしまう。日本の「国益」を考えているのなら、日本の言論人は、今後,世界の時流と大局を深く読み解くことが求められよう。


2004年11月14日(日) 名著への旅:「生きる楽しみはあるのか」(『人間の限界』)


名著への旅:「生きる楽しみはあるのか」(『人間の限界』)



【霜山徳爾(しもやまとくじ)著 『人間の限界』(岩波新書)から】





第一章「生きる楽しみはあるのか」の一部抜粋









●遊ぶ

「人は遊ぶ時にのみ真に人間となる」というのがシラーのよく知られた言葉である。最近,レジャー時代ということに連関して,多くの遊戯論が書かれているが,「人間はいったい真に遊びえるのか」という問題に触れたものはない。週休2日制になったり,レジャー産業が盛んになったりしているが,人々は本当に遊びを楽しんでいるのだろうか。どう見てもそれはしばしば退屈の変形のようにしか思えない。つまり多忙や疲労からのレクリエーションであるよりも,倦怠と無為からの逃避ではないのか。

人生の乏しさと貧しさこそ,同時に遊戯の前提でもある。

かつて「シベリアおもちゃ」という言葉があった。もう若い人は何のことだか判らないだろう。戦後,ソ連に抑留されて長い強制労働に服した日本人捕虜が,収容所内で拾ってきた小さな木片などを,たんねんにきざんでつくった櫛(くし)とか人形などの細工物のことである。「よほど退屈でひまをもてあましたのですね」とある学生はその話しをきいて言った。私は思わずこの体格の良い,マンガの本をかかえた若者の顔をまじまじと見てしまった。捕虜たちは毎日の重労働で,ひまな時間などありはしなかった。あるのは飢餓と疲労だけで,手すさびなどするどころではなかった。それにもかかわらず彼らに「シベリアおもちゃ」をつくらせたのは何か。それは,このような非人間的な状況の内でも,なお人間でありたいという無意識の哀(かな)しい願いである。

たしかに遊戯的なものは人間にとって何か重要なものである。われわれになじみがないが,ヒンズー教の有する思想の内で,心をひかれるものに,この地上の一切の事象は「リラ」すなわち,神の舞踏のたまゆらの戯(たわむ)れである,という考えがある。これはただれるような暑熱と烈しいモンスーンの風土における,考えられないような貧しさ,その内での多産多死,生誕と喪の慌(あわただ)しさから,何千年の間に,おのずから生まれた洞察だろう。この世で繰り返される毎年のような飢餓や重い疫病も,すべてそこでは神の戯れのまぼろしになる。

バートランド・ラッセルは,十歳の時から,たえず自殺へのいざないに抵抗しなければならなかったという。そうであればこそ,彼の言葉によれば「星と風と海原(うなばら)の世界」に住み,それと戯れることができた。一般に人間は現実が貧しいほど,ささやかな夢に酔い,はかない遊びに招かれ,おのれは歌うすべを知らなくても,何か不易(ふえき)の旋律のようなものにひきつられる。

およそすべての芸術には遊戯的な因子を欠くことはない。いわば人間の内から売られて天の俘虜となった詩人の憂愁の歌――これも一種の「シベリアおもちゃ」である。

遊戯には日常性の内にないあるまろやかさがあり,また遊戯はすべての陶酔がそうであるように,いわば永遠を欲する。それは疲労を知っているが,嫌悪を知らない。遊戯の象徴とされるものは,昔からきまって,球や毬(まり)であり,円環である。したがってしばしば指輪,腕輪,ネックレスなどによって表現される。これらをする習俗があらゆる民族に普遍的であることからも判るように,これらは単なる装身具ではない。無限の遊びにさそわれたい,という無意識的な願いの現われでもある。ことにネックレスなどに使われる瑠璃(ラビスラズリー)石の色は,古代から,限りないものへの,人間のはかない夢の象徴である。また古代では,しばしば相互に尾をくわえて丸くなっている二匹の蛇の形態によって,遊戯の無限と英知を表現した。

人間はホモ・サピエンス(知恵者)であると同時に根源的にホモ・ルーデンス(遊戯者)である。ニーチェはその病誌によれば,遊びが逝(い)ったために早く失われた幼年時代を,ふたたび取り戻したいという望みをもっていた。彼は『ツァラトゥストラ』の内で「一切の身体が舞踏者であり,一切の精神が鳥になること……これが私のアルファであり,オメガである」と述べている。貧しい運に逢い,幼少時に遊ぶことも許されない逆境にあった人間は,人格の形成の上で大きなハンディをもっている。今日でも早期幼児自閉症に対しては,遊戯療法が主力になっている。遊戯はここでは心を広げさせる何ものかであり,何か故郷的なものである。遊戯は過去を担(にな)い,未来を先取りするものではなく,こどもの存在様式にも似て,「現在的」である。過去にとらわれ,未来におびえる成人は,もともと遊べないのである。そうであるばこそ,遊戯における享受は,この現在性と結びついて,人をいざなうのである。もともと遊戯は跡をとどめず,失うために求められ,終わるために始められる。しかし,蜉蝣(かげろう)のいのちであろうとも,せいいっぱい生きられる「現在性」の一瞬の充実感こそ,人間にとって切実に必要なのである。

「ああ,今の瞬間の豊かさよ,汝はまことに限りない。どうしてお前のうちにとどまらずにおられよう」 ――これは西欧のある聖者(スピランのマリア・テレジア)の言葉である。このけじめが分明でなくなると,遊びは汚され,頽廃してしまう。遊びは空しい夢であってこそ意味深く,深い山林からきた漂鳥のように消えてこそ,精神的なものへと濾過される。しかし,実利や実用の世界がくればただちに脆(もろ)くも崩れてしまう。

遊戯には,正常と異常とがあるだろうか。ロジェ・カイヨワはその『遊びと人間』の内で,遊戯の原則的な四つの類型をあげている。すなわち

� 峩チ茵廖覆気泙兇泙糞綉擦離好檗璽帖ぞ�棋,碁など)

�◆嶂Ц�(ぎょうこう)」(ルーレット,その他のギャンブリング)

��「擬態(ぎたい)」(こどものゴッコ遊び,演劇など)

�ぁ屬瓩泙ぁ別樅繊法廖淵好�ー,スケート,回転遊びなど)

そして,その異常として「競争」は規則無視の攻撃となり,「僥倖」は迷信に,「擬態」は分裂病に,「めまい」は薬物嗜好になるとしている。後の二者の異色ある指摘は興味深い。しかし,これらは異常というよりも,遊戯が自然に行きつくところの果てであり,限界なのである。





●賭ける

こどもの遊びは「これこれと遊ぶ」という形から始まり,まもなく「これこれして遊ぶ」こと,および「これこれを得るために遊ぶ」ことへ発展する。こどもの場合には,成人のような執着はまだ始まらず,諦念の日々も遠いから,遊ぶことに心のすべてを傾けることができる。あらゆる種類のごっこ遊びにおいてこどもは真に熱情的に遊ぶ者でありつづけ,いきいきした生命の充実感を味わい得る。

重い疲労の日,粉飾された倦怠の夜,を繰り返す成人と異なり,こどもがそのことに成功するのは,こどもが「信頼する」被保護性の雰囲気の内に遊んでいるからである。一般に「信」の成立は人間性の良い発展と結びついている。恵まれたこどもは,その信じる成人から決して見棄てられることはないという思うゆえに,安んじて遊ぶし,おのれにたのむところを得るのである。信ということは,常に一つの「賭(と)する」ことである。なぜならば,信とは,前もって他者の誠実さを先取りすること,だからである。したがって,信はその本質上,いわば盲目なものである。前もって見たり識ったりしていることは,知識ではあっても信ではない。

ビンスワンガーはその名著『人間存在の基本形式と認識』において「人間存在における遊戯の意味は,世界へ堕する……転落する……ことから解放されたいという実存的な傾向の現実化である」としているのは興味深い。しかもこの現実化は真剣に「賭すること」によってのみ求められるのである。

現在の遊戯の一部は長い歴史をもち,古い呪術的な典礼の名残りでもある。舞いの遊びには元来,明らかに多くの宗教的な意味があった。独楽(こま)も賽子(さいころ)も由来をたずねれば,もともと古い神事において,隠された宿命を問い,あるいはそれに影響を与えようとする手段でもあった。もとより遊戯は宗教的な典礼とは異なる。聖なるものは超地上的であり,遊戯的なものは脱地上的である。宗教的なものは畏敬と不安にみたされているが,遊びは明るい,軽やか解放である。

最近の多くの祭りのように,宗教から聖なるものが失われ,儀礼的なものだけが残っている時に,遊戯的なものになるというべきであろう。しかしそれは遊戯的なものの価値を減らすことには少しもならない。遊戯はやはり「世界へ堕すること」,あるいはあえて言えば「超地上的なものへ堕すること」に対する不安を軽くさせる方法である。現代の人間も,古代ギリシアの人々と同様に,運命(モイラ)の前に投げ出されている。運命はもと「定数」といったように,いわばきまったものであり,理非もなく,正邪もない。それは非情で,かつ常に残忍である。

人間は幸せというものがどんなに空しいか,そして哀(かな)しみごとは迅速に,限りなく来ることを識っている。この日常のありふれた経験が,人間を「賭けること」に――人生の一回限りの使命に対してであれ,あるいは手段を選ばぬ賎しい金もうけであれ――呼びかける。人間はあえて危険を冒したいのであり,それは適当な節度をもって,あるいはまた際限もなく,行なわれる。極端な例は,とどまることを知らないギャンブリングである。

いったいこの「賭すること」は何のためであろうか。われわれはすでにその答えを自分の体験から知っている。それは克(か)つことであり,獲得の勝利であり,僥倖(ぎょうこう)の喜びであり,かりそめの幸福感である。ここに遊戯のもつ明るさも理解され,またある英国の生理学者が自分の専門の学問を「世界でもっともすばらしいゲーム」と呼んだのに共感することができる。

日常性のマンネリズムに陥ち込んでしまうかわりに,人生の賭けでは,失われた,あるいは隠された意義を思い切って発見しようとする生命の充足感が求められる。しかしそのようなことがわれわれの賭けに恵まれることはまことに稀である。人生の半ばを過ぎた,疲れた市井の人が,団地の狭い一室で寝ている時,きまったように屈葬の形をとっていることが多いのは哀しい。彼も人並みに何かに賭けたのであろう。しかし獲たものは色あせた平凡な結実(みのり)だった。人生のゲームはあたかも決して守られない約束のようなものである。そうであればこそ,人間はますますそれへと駆り立てられ,東漂西泊の心労を癒(いや)したいと思う。

ここでわれわれの注意を,ある種の人間に向けてみたい。その人間というのは,普通あまりかんばしくない風評を立てられ,たとえば「山師」「博打打ち」「ほら吹き」「冒険家」「流れ者」のごときである。それは事実「堅気な」市民ではなくて,その人間としての存在が全く情熱的にある「賭けること」に身を売り渡しているような人間である。それはドストエフスキーの作品によって,われわれが知っているような人物である。しかし,われわれも,彼と恐らく共通するあるものをもっていないだろうか。

もしわれわれが虚心におのれの内面に耳を傾けるならば,遠い昏(くら)い潮騒のように,おのれの内にひそむ一人の冒険家,ひとりの犯罪者,一人の賭博者が呼ぶ声が聞こえないだろうか。そのことは,われわれが,すべての社会的制約や市民性の常識から自由になり,ひとりの作家の眼をもって,このようなアウトサイダーたちを見る時に,われわれの内に生じてくる,あの不思議な,切ない共感からも明らかである。今日では,人が現代社会によく適合すること,リスクのない「幸福な」マイホームということのみ説かれ,人生への不敵な挑戦,すなわち「賭ける」ということは過小評価されている。人間はアメリカ人がよくいう「心の平和(ピース・オブ・マインド)」だけしか求めないものなのだろうか。リルケやハイデッガーなどの賢者が,なぜに「深淵に向かっておのれを賭する」ところに人間性の本質を見たのだろうか。

しかし,真に求められているものは,めくるめく勝利の享受よりも,実はむしろ「賭ける」ことの戦慄それ自体なのだ。賭けることの意味は必ずしも成果,勝利,獲物ではなく,問題であるのは緊張と弛緩,侵襲と恍惚,戦慄と陶酔,限定より無限へ,ということである。これこそ澱(よど)んだ日常の限界を何とかして破ろうとする努力であろうが,しかしやはり末期の破滅は予定されている。


2004年11月04日(木) ブッシュ大統領が再選


ブッシュ大統領が再選、ケリー氏敗北認める

2004/11/04


 2004年米大統領選は11月2日、全米で投票が行われ、3日朝(日本時間4日未明)までの開票作業で、共和党ジョージ・ブッシュ大統領(58)が民主党候補のジョン・ケリー上院議員(60)を破って再選を決めた。

 ブッシュ氏は、州ごとの選挙人数で過半数の270に迫る254を獲得、勝敗のカギを握った選挙人20人のオハイオ州でもリードした。ケリー氏は米東部時間3日午前11時(日本時間4日午前1時)過ぎ、ブッシュ大統領に電話をかけ、ブッシュ氏の勝利を祝福し、敗北を認めた。

 ブッシュ氏は、全米得票総計では51%を獲得し、ケリー氏の48%に350万票あまりの差をつけた。共和党は、大統領選と合わせて行われた上下両院選でも、議席を上積みして過半数を維持した。

 民主党筋がAP通信に明らかにしたところによると、ケリー氏はこの電話の中で、「米国が分裂していることを何とかしなければならない」と語り、大統領もこれに同意した。

 2人の会話は5分ほどで、ケリー氏が「おめでとう」と述べると、大統領はケリー氏を「強い、尊敬すべきライバル」とたたえたという。ケリー氏は同日午後、敗北を国民向けに認める。ブッシュ大統領がその後、勝利宣言を行う。

 開票ではブッシュ氏が南部、西部、ケリー氏が北東部、西海岸など、双方がそれぞれの地盤で勝利した。勝敗のカギとなった中西部などの接戦州では、ケリー氏がペンシルベニア州などを獲得したものの、ブッシュ大統領は、フロリダ州を40万票近くの差で獲得。さらに、オハイオ州も2日開票分で13万6000票の差をつけ、勝利を決めた。

 民主党陣営は一時、民主党副大統領候補のジョン・エドワーズ上院議員(51)がオハイオ州で暫定投票分の集計が残っているとして、「最後の1票が数えられるまで戦う」などと述べ、法廷闘争も含めた姿勢を示した。だがこの後、ホワイトハウスのアンドルー・カード首席補佐官は、支持者に対し「オハイオ州の州務長官から、票差(約13万6000票)は暫定投票を考慮しても統計的に(ブッシュ勝利が)覆らないと報告を受けた」などと語り、ケリー陣営に圧力をかけていた。

 ケリー陣営は3日朝から選対参謀らの会議を行い、オハイオ州での逆転が困難と判断した。

 今回の大統領選は、イラク戦争を巡り両候補が激しい論戦を展開。ケリー氏は「向こう4年間でイラク駐留米軍撤退」を訴え、「民主化実現まで駐留」とする大統領と真っ向から対立した。両候補は、財政や医療保険改革、銃規制など内政の主要分野でも激しい論戦を演じ、国論が二分した。

 しかし、ブッシュ大統領は今回、全米の総数で約5849万票を獲得し、ケリー氏の約5496万票に350万票以上の差をつけた。


2004年11月01日(月) 《 心に残る名言 4 》


《 心に残る名言 4》          2004/11/01








● 友人はそれぞれわたしたちの中にある世界を表している。その友人が来るまで生まれなかったにちがいない世界である。その出会いによって始めて新しい世界が生まれるのだ。 (アナイス・ニン)

☆違った人と接するたび、今まで自分でも気付かなかった、自分の新たな一面を発見することができる。




● 生きているということは誰かに借りをつくること。生きてゆくということはその借りを返してゆくこと。  (永六輔)

☆生きていれば、たくさんの人に助けられたり、迷惑をかけたりもします。
そしてまた、自分も他人の失敗を許し、必要な時には助けてあげましょう。




● やがていつかは身も軽く、心楽しい朝が来よう。(米の女流作家マーガレット・ミッチェル)

☆色々なことがありますが、いつかは解決し、心の軽くなる時がきます。




● 夜寝る時、今日は一日幸せだったなと思う。そうすると次の日また幸せがくるわけよ。何でも幸せ幸せっていっていると、幸せの神様が集まってくる。(声楽家 奥田良三)




● 最初から和尚はいない。ふき掃除から洗濯まで、小僧の苦労を重ねてこそ大和尚になれる。 (実業家・安藤楢六)

☆どんな大人物にも下積みの時代があります。若い時の苦労はとても大切なものです。




● 鼠の気持ではチーズしか得られない。大きいものを得ようとするなら
狼の気持になれ。 (映画「錨を上げて」監督:ジョージ・シドニー)

☆大きな目標を達成するには、それに見合った大きな心構えを持ちましょう。




● 人間は頭で理解するが、感情で動く。説得力とは、とりもなおさず
人の感情にストレートに訴えかける術である。 (実業家・大山梅雄)





● 趣味をもたなければ、天才も高等な馬鹿にすぎない。(仏 ことわざ)

☆仕事でも趣味でも、自分の才能を発揮できるものを持つことが大切。





● 人生の節目となる瞬間は、自分ではそれとわからない。
(映画「フィールド・オブ・ドリームス」 監督:フィル・アルデン・ロビンソン)

☆何気なく過ごしている日常でも、自分の人生を変える、きっかけのような出来事がすでに起こっているかもしれません。





● 人がいちばんしなくてはならないのは、自らと握手することだ。
(映画監督 ヘンリー・ウィンクラー)

☆自分を許し、自分を好きになりましょう。何をするにも、まずそれからでないと上手くいきません。自分を愛せない人間は決して他人を愛せません。



● この世は絶え間のないシーソーだ。 (仏の思想家モンテーニュ)

☆悪い事もあれば良い事もあります。いつもずっと同じではありません。





● 至福は事物の中にあるのではなく,その人間の好みの中にある。人が幸福であるのは,自分の好むものを持つことによってであって,他の人たちが好ましいと言うものを持つことことによってではない。
(仏の思想家ラ・ロシュフーコー)




● 本気ですればたいていな事はできる。本気ですれば何でも面白い。
本気でしていると誰かが助けてくれる。 (教育者 後藤静香)




● おもしろきこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり。
(高杉晋作)

☆退屈でつまらなければ、自分で面白くしましょう。


カルメンチャキ |MAIL

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