女の世紀を旅する
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| 2004年12月31日(金) |
2004年 内外10大ニュース |
2004(平成16)年 10大ニュース 2004/12/31
■【 国内10大ニュースの解説 】■ (共同通信)
今年の日本は、6月から10月にかけての台風、集中豪雨、猛暑、10月の新潟県中越地震と大きな災害に見舞われ、天変地異の怖さを思い知らされた。イラクには2月に復興支援の目的で自衛隊が派遣されたが、現地では邦人3人が殺害、人質事件では「自己責任」論も噴出した。12月には対米重視で一年間の派遣延長を決定したが、出口は見えないままだ。
北朝鮮の拉致被害者家族の帰国が5月に実現、曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんの来日も実現した。しかし、偽の遺骨を提出するなど北朝鮮政府の不誠実な対応も明らかになり、日朝交渉は展望が見えないまま。政界は7月の参院選挙で民主党が躍進。自民党は低迷したが、小泉純一郎首相の人気は健在。国民年金保険料の未納問題は、政界にまで波及、成立はしたものの年金改革法の審議に影響した。
三菱自動車、西武鉄道、ダイエーといった大企業が、不祥事や経営悪化で伝統あるブランド力を失い、戦後日本経済をけん引したカリスマ経営者も引退を迫られた。6月には長崎県で小学校6年生の女児が同級生を殺害、子どもの虐待や通学途中の誘拐など、子どもをめぐる事件が目立った年でもあった。
皇室は皇太子妃雅子さまについての皇太子の「人格否定」発言で話題を投げ掛けたが、12月には天皇家長女の紀宮(のりのみや)さま(35歳)と黒田慶樹(よしき)さん(39歳)のご婚約が決まり明るいニュースとなった。社会現象では韓国のテレビドラマ「冬のソナタ」(ペ・ヨンジュが人気化)をきっかけに「韓流」ブームが加速した。
●1位 新潟県中越地震で死者40人 土砂に埋まった車の中から救急隊員に救出された皆川優太ちゃん=10月27日、新潟県長岡市●●新潟日報提供●● 10月23日午後5時56分ごろ、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード6・8の地震が発生、川口町では震度7を観測、40人が死亡し負傷者は約3000人。走行中の新幹線が初めて脱線した。避難生活者は一時10万人を超え、被災者の多くは仮設住宅暮らしを余儀なくされた。新潟県によると、住宅や道路、橋の倒壊など被害総額は約3兆円。
●2位 イラクで邦人殺害、自衛隊を派遣 クウェートから国境を越え、イラク入りする陸上自衛隊本隊第1陣の車列=2月8日、イラク南部のサフワン(共同) 5月27日、バグダッド近郊で日本人フリージャーナリスト2人が銃撃を受け死亡。10月26日には邦人1人がイラクの武装組織に拘束され、その後遺体で発見された。人質邦人救出をめぐっては「自己責任」が議論になった。2月にイラクの復興支援を目的に自衛隊が派遣され、南部サマワで支援活動に当たった。政府は12月に派遣の1年延長を決めた。
●3位 台風の上陸が最多の10個
10月にかけ台風が相次いで日本列島に上陸、集中豪雨も加わって各地で多数の死者・行方不明者が出た。内閣府によると、被害総額は1兆2000億円。中でも10月に襲来した台風23号は猛威をふるい、野菜などの高騰を引き起こした。8月は全国で記録的な猛暑、東京では過去最長の40日連続の真夏日となった。
●4位 拉致被害者の家族帰国
5月22日、拉致被害者の蓮池さん、地村さん夫妻の子ども5人が帰国。曽我ひとみさんは、娘2人と夫のジェンキンスさんと7月に再会。ジェンキンスさんは軍法会議で実刑判決を受けたが、11月に刑期を短縮して釈放された。日朝実務者協議で持ち帰った横田めぐみさんのものとされた遺骨は、DNA鑑定の結果、偽物と判明、北朝鮮に対して経済制裁を求める声が強まった。
●5位 プロ野球大再編 選手会はスト
プロ野球は、近鉄とオリックスが合併、インターネット大手の楽天の参入により50年ぶりに新球団が誕生、通信大手のソフトバンクも福岡ダイエーを買収するなど、大再編が起きた。再編をめぐる日本プロフェッショナル野球組織との交渉が決裂し、選手会は9月に史上初のストライキを決行した。
●6位 三菱自動車,西武など不祥事
6月10日、三菱自動車製大型車の欠陥事件で同社元社長らが業務上過失致死の疑いで逮捕され、三菱ふそうの前会長らも虚偽報告容疑で逮捕。西武鉄道は、少数株主の保有比率を有価証券報告書に虚偽記載していたことが判明し、堤義明氏が西武グループの全役職を辞任。西武鉄道は上場廃止。ダイエーは10月13日、自主再建を断念。産業再生機構に支援を要請するなど、有名ブランドが相次いで失墜した。
●7位 小学6年の女児が同級生を殺害
6月1日、長崎県佐世保市の小学校で、小学6年の女子児童が同級生女児にカッターナイフで首を切りつけられて死亡した。女児は補導され、自立支援施設に送致された。奈良市では11月17日、小学1年女児が下校時に誘拐・殺害された。親による子どもへの虐待が頻発、下校途中に児童生徒が狙われる事件が増加、子どもの安全が脅かされた。
●8位 国民年金未納問題が政界に波及
4月、国民年金保険料の未払い・未加入問題が政界に波及、福田康夫官房長官が5月に辞任、民主党の菅直人代表も未納の発覚で代表を辞めた。未納問題で国会は混乱したが、6月5日、将来の保険料負担増と給付抑制を柱にした改革法案が成立した。
●9位 参院選挙で民主党が躍進,自民は低迷
7月11日に投開票された参院選挙は、民主党が順調に票を伸ばして50議席を獲得したのに対して、自民党は改選議席を下回って49議席にとどまった。民主党は、小沢一郎代表代行が年金の未加入期間があったことから代表選への立候補を辞退、5月18日、両院議員総会で岡田克也氏を新代表に選出した。
●10位 79年ぶりで鳥インフルエンザ
1月12日、農林水産省などは山口県の養鶏場で79年ぶりで鳥インフルエンザが発生したと発表。その後、大分、京都府でも発生、兵庫県姫路市の浅田農産社長が京都府の同社農場で飼育する鶏に感染の疑いがあると知りながら届け出を怠ったとして、3月31日、京都府警に逮捕された
■【 国際10大ニュース解説 】■
イラク開戦が十大ニュースのトップとなった昨年に続き、ことしもイラク情勢を筆頭に、戦争、テロの暗く重いニュースが並んだが、アテネ五輪、米大リーグでの日本人選手の大活躍が一服の清涼剤となった。
イラクの連合国暫定当局は6月、暫定政府に主権を移譲したが、その後も反米勢力の抵抗はやまず、11月には月間の米兵死者が開戦以来の最多を記録。一方で、米調査団が開戦時に大量破壊兵器は存在しなかったと議会に報告、戦争の大義は大きく揺らいだ。
11月の米大統領選挙では、大統領交代を通じた米国のイラク政策転換を期待する声が欧州などで高まる中、ブッシュ大統領がケリー上院議員を破って再選。議会でも共和党優位が確立した。
イラク戦争に絡み、スペインで3月、列車同時爆破テロが発生。ロシアではチェチェン独立派によるテロが相次いだ。アラファト・パレスチナ自治政府議長の死で中東情勢の先行きは不透明さを増し、経済成長を続ける中国では、胡錦濤国家主席が党、政府、軍の三権を掌握した。
年末のスマトラ沖地震(M9・0)は大津波を引き起こし、南アジア各国を中心に日本人観光客らを含む12万4千人超の死者、行方不明者を出した。
9月に史上初めて1バレル=50ドルの大台を突破したニューヨーク市場の原油先物は、その後も不安定な値動きを続けた。鳥インフルエンザでは12月、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、中国、韓国が今冬の流行を防止するための閣僚級会合を開いた。
●1位 スマトラ沖地震と津波で12万以上の死者・行方不明
12月26日、インドネシア・スマトラ島沖で発生したマグニチュード(M)9・0の史上最大級の地震は、インド洋に大津波を引き起こした。スリランカ、インド、タイ、マレーシアなどを襲った津波は、プーケット島などの人気観光スポットも直撃、日本人観光客らも行方不明となった。インドネシアも含め南アジアを中心に死者・不明者は12万人以上の大災害となった。
●2位 イラク情勢混迷 テロ頻発
連合国暫定当局は6月28日、暫定政府に主権を移譲したが、その後も反米勢力の抵抗やイラク治安部隊などを標的としたテロはやまず、米兵死者は11月に月間としては開戦以来最多の136人を記録。12月21日には北部モスル近郊で開戦以来最大規模の米軍基地への攻撃が発生。開戦当初からの死者は1300人を超えた。アブグレイブ刑務所での米兵による組織的ともみられるイラク人捕虜虐待も発覚。米調査団が、開戦時に大量破壊兵器は存在しなかったと議会に報告し、戦争の大義が大きく揺らいだ。
●3位 ブッシュ米大統領再選
イラク戦争、テロ対策を主要な争点として11月2日に行われた米大統領選挙で、ブッシュ大統領が大接戦の末、民主党候補のケリー上院議員を破り、再選された。閣僚十五人のうちパウエル国務長官ら七人の退任が確定。大統領は後任の国務長官に腹心のライス大統領補佐官を指名するなど、忠誠心を重視する人事を進めた。共和党は議会選挙でも上下両院での優位を拡大した。
●4位 アテネ五輪で日本大活躍,金16個
108年ぶりに生誕の地アテネで8月に開かれた五輪で、日本は金16、銀9、銅12の計37と、史上最多のメダルを獲得。金は過去最多の1964年東京五輪と同数で、うち九個は女子選手が獲得した。平泳ぎで金メダルを取った北島康介の言葉「チョー気持ちいい」は流行語に。
●5位 米大リーグで日本人選手活躍
マリナーズのイチローは今季通算262安打で大リーグの1シーズン最多安打記録を84年ぶりに更新。松井秀喜もヤンキースの主軸として活躍、リーグ優勝決定シリーズの記録を次々と塗り替えた。メッツの松井稼頭央は初打席初球の先頭打者本塁打で鮮烈デビューを果たした。
●6位 アラファト議長死去
パレスチナ解放運動のシンボルだったヤセル・アラファトパレスチナ自治政府議長が、東エルサレムを首都とするパレスチナ国家樹立の夢がかなわないまま、11月11日、パリ郊外の軍病院で死去した。後継議長選挙は来年1月9日に実施されるが、イスラエルとの和平の先行きは依然不透明だ。
●7位 チェチェン独立派のテロ
ロシア南部・北オセチア共和国で9月1日、チェチェン独立派の武装集団が多数の児童らを人質にして学校を占拠。3日に特殊部隊が突入したが、人質300人以上が死亡する惨事となった。モスクワの地下鉄爆破、チェチェン共和国大統領爆殺、国内線旅客機2機の同時テロによる墜落も発生。再選で国内権力を強めたプーチン・ロシア大統領は治安対策として中央集権強化案を発表した。
●8位 中国で権力継承完了
中国共産党は9月19日の中央委総会で江沢民(こうたくみん)党中央軍事委主席の退任と胡錦濤(こきんとう)党総書記の同主席就任を承認。胡氏が党、政府、軍の三権を掌握して権力の引き継ぎが終わった
●9位 原油先物,初の50ドル台
ニューヨーク市場の原油先物相場は9月27日、ナイジェリアの治安情勢などを理由とした投機で史上初めて1バレル=50ドルの大台を突破。10月に史上最高値の55・67ドルを付けた。その後も、投機筋の思惑から下落と上昇の不安定な値動きを続け、今後の世界経済に暗雲を投げかける要因となった。 ●10位 アジアで鳥インフルエンザ猛威
今年に入り東南アジアを中心に猛威を振るったH5N1型などの高病原性鳥インフルエンザは、世界保健機関(WHO)のまとめで、ベトナムで20人、タイで12人の計32人の死者を出した。各地の観光産業にも大きな打撃を与えた。東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓は12月、再流行が懸念される冬を前に閣僚級会合を開き、感染防止策を協議した。
| 2004年12月28日(火) |
スマトラ沖地震の津波で死者2万2000以上の大惨事 |
スマトラ沖地震の津波で史上最悪の惨事。インド洋沿岸各国の被害拡大中 2004/12/27
● 津波で死者2万2000人超え、史上最悪の惨事に 12月26日に起きたスマトラ沖地震の津波の被害は27日、インド洋沿岸各国で拡大、ロイター通信によると、死者の合計は約10カ国で2万2000人を超えた。1896(明治29)年の明治三陸沖津波(約2万2000人死亡.岩手県での死者多数)を上回り、地震による津波として史上最悪の惨事となった。日本人は、タイ南部で8人が行方不明となるなど20人以上の安否が未確認。津波の経験が少なく、地震・津波の国際的情報網が確立していない各国が直撃され、救援活動も難航、犠牲者がさらに増えるのは必至だ。
ロイター通信が伝えた各国の死者はスリランカ約1万人、インド約6600人、インドネシア約5000人、タイで839人など。約6000キロ離れた東アフリカでもソマリアで16人、ケニアで1人など死者が出た。
インドネシアのユスフ・カラ副大統領は27日、スマトラ島で1万人が死亡した可能性があると語った。
タイのプミポン国王の孫のプン氏(21)も南部プーケット近くのリゾートで死亡した。
タイでは死者のほか、7000人以上が負傷、死傷者の70−80%が外国人とみられる。さらに約1100人が行方不明となっており、「かなりの外国人が含まれる」とみられる。タイ海軍の艦船、ヘリコプターは日没とともに事実上、この日の救難活動を停止。プーケットに駆け付けたタクシン・タイ首相は「遺体回収の道のりは長い」と述べた。
スマトラ島沖などでは27日も余震が続き、各国とも被害規模の大きさに対策が追いついていない。各国の救援隊が現地に向かい、日本の国際緊急援助隊医療チームはスリランカへ出発した。
スリランカ北東部のタミル人居住地域、インドネシア・アチェなど紛争地域は被害実態の把握も遅れている。倒壊した家屋も多く、各国で略奪や疫病流行の懸念が強まっている。
米地質調査所はマグニチュード(M)8.9としていた地震の規模をM9.0に修正した。1900年以降で4番目の強さで、阪神大震災の約1400倍のエネルギー。(共同)
■【明治の三陸沖津波】 1896年6月15日、三陸沖の太平洋で発生したマグニチュード(M)8.5の地震。地震の揺れによる被害はなかったが、押し寄せた津波の波高は最大38.2メートルに達し、 民家などを破壊。岩手県の約1万8000人を中心に、宮城県、北海道などで計約2万2000人が死 亡した。津波は地震から約35分で三陸沿岸に襲来。北海道の襟裳岬で約4メートル、ハワイでも軽い被害が発生、北米大陸まで到達。 【明治以降の特に大きな地震】 1923 関東大震災 M7.9 死者 142000 1896 三陸沖津波 M8.5 死者 21959 1891 濃尾地震 M8.0 死者 7273 1995 阪神大震災 M7.2 死者 6430 1948 福井地震 M7.1 死者 3769 1933 三陸沖津波 M8.1 死者 3064 1927 北丹後地震 M7.3 死者 2925
●津波2波、ホテル倒壊 スマトラ沖地震で目撃者証言
「潮が遠く、遠く、遠く引いていった。満月のときの干潮かしらとみんなが不思議に思っていると、『水の壁』が押し寄せてきた」――タイ・プーケット島のパトンビーチで大津波に遭遇した女性はそう語った。インドネシア・スマトラ島沖の震源から6千キロ以上離れたアフリカ東岸まで到達した津波の姿を、本紙の取材や外国通信社電などから再現する。
波が引く「予兆」は震源地近くのスマトラ島北端のナングロアチェ州でも起きた。ランチョク村に住むズルハムさん(35)は26日午前8時(日本時間同10時)すぎの余震の直後、「沖に引いていた海水が一気に押し寄せ、3メートル以上になった」と話す。
同10時ごろ、約600キロ離れたプーケット島のバンタオビーチにいた東京都内の女性(41)も津波がくる直前,潮が引いて「カニや魚が置き去りにされた」という。沖合の海の色が茶色に染まるのを目撃した人もいた。
専門家によると、津波は大洋を渡るとき時速700キロ以上に達する。
同島の建設作業員シダさん(32)は「1度目は5メートル、2度目は10メートルの高さがあった」と証言する。
バンコク在住の会社員二村浩高さん(43)は、同島の北約60キロのビーチで、バリバリバリという音とともに「20メートルの高さの濁流のような波」を目にした。海側に点在するコテージの壁や屋根がめくれあがっていた。「竜巻か」と思ったが、次の瞬間には「逃げられない」。とっさに子供2人に浮輪をかぶせ、両脇に抱えた。
ピピ島に滞在していた都内の会社員三浦真樹子さん(30)は、ホテルの4階にいて、約6メートルの高さの下の階まで波が来るのを見た。同島のホテル従業員は「津波はあちらからもこちらからも押し寄せ、島の中心近くでぶつかり合った」と話した。
マレーシア・ペナン島沖で漁をしていたジャミールさん(54)は陸に向かう白波に気づいた。
「とても美しいが、普通の高さじゃない」と息をのんだ。3〜4波に分かれて津波が同島を襲った。
スリランカでも、同国南岸のハンバントタ付近に2波が押し寄せ、ホテルなどを倒壊させた2波目は5メートル近くの高さに達した。震源と反対側の西岸に面した保養地カルタラでも2.5メートルの高さになったという。
「ゴーッ」「オーッ」「爆弾の破裂音」。海岸にいた人々は、津波の音をさまざまに表現する。「海を見慣れた住民はすぐに逃げたが、海水浴客は尋常でない波に見とれていた」と逃げ遅れた原因を話す人もいた。
スリランカのコロンボでは「津波を見よう」という見物客が波打ち際に集まった。現地の男性は「穏やかだったのでそのまま泳いでいると突然大きな波をかぶった」と語った。 (朝日)
●日本人20人が行方不明 ボランティア7人も連絡取れず
外務省の27日午後4時の発表によると、津波に巻き込まれたタイ・プーケット島周辺の8人と、スリランカのツアー客ら12人の、日本人計20人が行方不明になっている。
外務省によると、プーケット周辺で津波で流されて行方不明になっているのは、計5家族の大人4人、子ども4人。子どもはすべて小学生以下。いずれも津波に流された様子を、家族などが目撃していたという。
スリランカ南部のハンバントタでは、大陸旅遊(本社・東京都新宿区)のツアー客と添乗員の計12人が行方不明になっているという。
同社は27日午後、東京都内で記者会見を開き、「タイ・スリランカ野生動物と瞑想(めいそう)を共にする旅」ツアーの20人が、スリランカ南部で被災したと発表した。8人の無事は確認されたが、添乗員1人を含む12人の安否は分からないとしている。20人の内訳は、東京都11人、埼玉県1人、神奈川県6人、大阪府1人、兵庫県1人。3〜16歳の子ども5人が含まれている。
一方、これとは別に、国際協力機構(JICA)が同日、スリランカ、モルディブ、タイに派遣されているボランティア計7人と連絡がとれなくなっていることを明らかにした。 (04/12/28)
| 2004年12月20日(月) |
《 中国が抱える試練 2 》 |
前回からの続き
※ そもそも,なぜ中国当局が靖国参拝問題や尖閣諸島問題で強硬な主張を貫き通すかというと,そこには中国共産党が対中戦争の過程で,すなわち日本との抗戦の中で成長し,中国の覇権を掌握した点を見逃してはならない。
日本という敵があればこそ,国民をまとめる共産党の存在意義は輝くのであり,常に日本を仮想敵国にしておかないと,一枚岩としての中国共産党体制は崩れてしまう。共産党員だけが特権階級のエリートとして君臨しているという社会的矛盾がいたるところに露呈し始めている。民衆の共産党への不満はいずれ爆発するだろう。
そこに視点をすえておかないと,なぜ中国の政治行動が近年,露骨なまでに反日的な姿勢を強めているかを理解することができない。
伊藤洋一氏のリポートもその点をズバリ指摘しており,注意を払いたい。
《 単位から個人に 》
政治はどうか。天安門事件の直後に中国に行ったときにはそうは考えなかったが、今回天安門に立って一つ考えたことがある。この相も変わらぬ茶色の門の中央に掲げられている毛沢東の写真を見ながら、「この写真が外れるのは、いつになるのだろうか」ということだ。むろんこれは修辞で、問題意識は中国における共産党一党独裁の終焉の日は何時になるか、という点だった。
どう考えても、今のすさまじい勢いで進む市場経済化、そして経済の煌びやかさが体制としての社会主義と齟齬をきたし、共存を難しくする局面があると思えるからだ。革命時の実績を持たない胡錦濤政権の実権掌握は、私には社会主義体制の延命にではなく、終焉を速めるようなものに見える。
滞在中に北京の知り合い何人かにこの問題をぶつけた。皆笑うだけで、「さあ」で終わってしまう。想像が出来ない、というのです。いや想像が出来ないだけでなく、中国の体制が変わることが世界のために、そして日本のために、さらには中国自身のために良いことなのか悪いことなのかも分からない。この意見には私も賛成です。なぜなら、それはこの巨大な13億を超える民を抱える国が少なくとも一時期は不安定化の状況の中をくぐることになるからだ。
しかしでは今の中国がそのまま20年後もあるか、といったら確信はない。ごく最近でも中国での変化を強く感じている人が北京には数多くいた。例えば旧知の間柄で、今回で北京を含めて中国駐在が三回目という時事通信の村山支局長は、最近の中国で一番の驚きであり、しかも中国の指導部に深刻な危機意識をもたらしたのは、例の日本と中国がアジア・サッカーの覇権を争ったサッカー場での反日運動だった、というのだ。この騒動の全貌は日本にも伝わっていないし、ましてや中国ではそのごく一部でさえも伝えられていない。
何が中国の指導部にとってショックだったのか。それはああいう反日の動きが出たことではなく、それを必要に応じて抑えられなかったことだというのだ。以前だったら、指導部が抑えようとしたら抑えることが出来た。中国の共産党支配は国営企業、農村社会など各単位を党ががっしり抑えて、その政治意識を押しつけていく、浸透させていくというプロセスだった。それが今まではワークした。天安門事件のような武力を使って抑え付けた事件もあったがあれは例外で、中国は今までは民衆感情の爆発を抑制してきた。
しかし今回の事件は違った。重慶のサッカー場での日本チームへの中国民衆の仕打ちは、対戦相手が中国でなかったにもかかわらずモノがピッチに次々と投げ込まれる酷いものだったらしい。あまりにもひどく、そのまま北京の工人体育サッカー場に持ち込まれれば国際的非難を浴びそうだった。で、中国の指導部は北京では日中の決勝戦は整然と行おうとしたし、一部の指導者はそれを日本に約束した。にもかかわらずそれが出来なかった。
中国民衆は、日本公使の車までボコボコにした。これにはさすがの中国も日本に謝罪せざるを得なかった。それが中国の指導部にはショックだったというのです。民衆に対する自らの指導力、そしてコントロールする力の著しい低下。
あのときサッカー場に居て、実際に場内の雰囲気を見ていたと言う友人を持つ住友信託北京事務所の甲斐さんの話を伝聞で聞きましたが、日本で伝えられているような「一部が跳ね上がり、全体を先導した」といった類のものではなく、君が代の段階からサッカー場全体が異様な雰囲気で、とても「一部の人間の」と言えるような状況ではなかった、という。つまりそれは中国民衆の激しい反日感情の横溢が顕著に表れた事件だったらしい。
中国側の観客席にいた日本人は、あまりの恐ろしさに意に反して中国側のチャンスの時にはそれに併せて手をたたいた。そうしなければ危なかったという。
直前まで北京のサッカー場に来て試合を見る予定だった曽慶紅・国家副主席が来なかったのは、「とても望むような試合会場の雰囲気には出来そうもない」と事前判断した指導部が、「リスクを避けた措置」だったと思われている。国家副主席が来ているのにあの荒れようでは、中国の指導部の権威が問われるし、それを許したとなれば対日関係上だけでなく、中国指導部の統治能力への疑念に繋がる。逆に言えば、最初から「抑えられそうもなかった」「抑えられないと分かっていた」ということだ。
ではなぜ、サッカー場に集った中国民衆には中国指導部の意向が反映しなかったのか。キーワードは「単位から個」だ。この言葉を使ったのは村山支局長。ポイントは、中国において支配プロセスの中で重要な役割を果たした「単位」が崩壊して、今や若者を中心に「個の時代」に入りつつある、そこではしばしば政府のコントロールが効かない、というのだ。「個」は、日本と同じように独立した行動意識を持つ。持つが、例えば夜中のチャットなどでインターネットを通じて感情を相互に高ぶらせている可能性が高い。彼らは政府の号令より、ネットの共有感情を大切にして生活している。
「単位」というのは、中国では例えば国営企業とか集団農場などの組織を指す。中国政府はそれらを支配単位にして、支配のピラミッドを形成してきた。むろん毛沢東の紅衛兵運動など思想運動もあったが、日常的には「単位」支配で民衆をコントロールしてきた。その「単位」を通した支配が、効かなくなってきている。例えば国営企業は行き詰まり、大量のレイオフが発生している。また、農村社会の共同体意識は崩れ、大量の農民が都市に出稼ぎに出る一方、農村社会でも利益優先の考え方が支配的になった。中国も「単位」が中心ではなく、「個」が前面に出てきている。
その「個」が「砂」のように希薄な関係で集合し、しかし時として大衆として集う社会を作り上げている。それを権威である方向に動かそうとするのは難しい、ということだ。先進国では当たり前でが、中国もやっとそうなってきたと言える。それは時代の趨勢だが、コントロールは難しい。「個」は分散しているが、夜中のインターネットでの通信やチャットの中でいくつかの固まりを作って、感情を爆発させる。
最後には国民をコントロールできる、と今まで思っていた中国指導部には愕然とする事態だろう。愕然としたばかりか、「かなり強いショックを受けている筈だ」という人が多かった。中国の指導部にとって整然と開きたい筈の2008年のオリンピックは、もう目の前だ。
北京市内を走るとすさまじい建設ラッシュで、選手村の建設、施設の建設はもう始まっている。アテネのように直前まで施設建設が続けられる、という状況は北京では起きそうもない。しかし、今度は「国民がどう動くか分からない」状況に直面している。具体的には日本や台湾が登場する試合がどういう展開を見せるのか。
中国は「単位から個」への大きな変化の中で、今までとは異なった政治状況に直面しつつある。そしてそれは、少し先の中国の政治意識を思わぬ方向に向かわせるかもしれない。指導部に向けられることもあるかも知れない。先に私の想念として「毛沢東の写真のない天安門」を考えたと言ったが、それは私の勝手な想像とは言えないだろう。
《 抗日戦争の中で育った中国共産党 》
外からは見えないが、中国の指導部が見直し始めたであろうと思われるのが、愛国教育の中身だ。北京の街を歩いていると、今でも国民が優先すべき事項を指示した立て看板があって、そこには第一に「愛国」がうたわれている。漢字が読める日本人の私には分かる。
今の中国の体制下において、「愛国」とは何か。これは日本人がよく認識しなければならないと思ったのだが、中国共産党の結党から発展、そして蒋介石を追い出して戦争を遂行し、そして政権を取るまでのプロセスは、「対日戦争、対日愛国運動」と表裏一体だ、という点だ。つまり、中国共産党の権力への道は、反日戦争、反日思想教育の歴史そのものなのだ。
江沢民が90年代に盛んに行ったと言われる「愛国=反日」教育についても、何人もの人から「もともとあったもの。それを江沢民は強化しただけ」と聞いた。考えてみればそうだ。中国共産党の歴史は、「反日闘争」そのもの。彼らは、今回のサッカー場での民衆の動きを見て、「やりすぎた」とは思っているかもしれない。だから、少し修正しようと。しかし、やり過ぎをどう修正するかは大きな問題だし、反日に繋がりやすいからと言って愛国教育を止めるわけにもいかない。
なぜか。登場する次のキーワードは「革命後50年」「政権の正統性」だ。中華人民共和国の成立は1949年10月01日ですから、今は既に55年がたとうとしている。革命後50年たって、実際の革命運動での英雄的役割を認められた人々は政界を去りつつある。英雄としてたたえられた毛沢東、周恩来、��小平らは、革命運動での戦果や統治で「政治家としての正統性」を与えられていた。しかし、胡錦濤もそうだが、今の指導部にはトップになるまでの強い実績はない。一世代前の、そして��小平のお墨付きをもらった江沢民でも、自らの統治の正統性を裏打ちするために90年代に国をまとめる愛国教育をした。その愛国感情が、中国のネットを覆っている。
村山支局長は、「日本で言えば今の中国は、日本の維新後50年くらいの明治から大正への時期に当たる」との見方をする。指導部も代わり、革命(明治維新も一種の革命です)の理念は薄れ、社会の流動化が進む。日本の大正時代がそうでした。まさに今の中国は、サッカー場での出来事を見ればそうなっている。指導部の意志が民衆に伝わらない、というよりも民衆から無視される時代に入っている。
中国の指導部には、他の多くの国の指導部がそうであるような「選挙で選ばれた」というような正統性は存在しない。胡錦濤だってなぜ彼が江沢民の後任になったのか自ら説明できない。今はニューヨーク・タイムズの報道をきっかけに、私が北京滞在中には今回の会議では江沢民が辞める、辞めないの話になっていたが、それにしても中国の指導部は自らの権力者としての正統性の担保に苦慮している。彼らはほっておけば「砂」と化しかねない民衆をなんとか政治にとって粘着力の残るものとするためにも「愛国教育」が必要だ。しかし、その愛国教育はどうしても「反日」と表裏一体になっている。
正統性がない政権が正統性を主張しようとしたら、「その政権でうまくいっている」という証、国民に対する説得材料がほしい。中国の場合それは「経済発展だ」と多くの人が見る。有人衛星を打ち上げるのも入るかもしれないが、日常的に「この指導部で良い」と思ってもらうためには「国民を豊かにする」ことしかない。それが出来れば、国内は治まる。ということは、今後の中国の指導部は、今まで以上に「成果」にこだわるだろう、ということだ。
もう一度確認しておくと、「中国共産党の歴史は、抗日運動、対日戦争の歴史そのものであり、中国の愛国は直ちに反日に繋がる要素・様相を色濃く持っている」ということである。これは生半可なことでは消えそうもない、日本人が心しておくべき事実だと言える。
革命での実績という「政権の正統性」を失った中国指導部が、「政権の政治の成果」として国民に提示できる最大のものは経済発展だ。しかしこれは100%保証されものではない。景気は先進国でも制御が難しい。問題の一つは、中央の統制が必ずしも地方に対して効かない、という事実だ。「個」化した民衆に対しても中央政府のコントロール力は弱くなっているが、地方政府に対しても弱くなっている。なぜなら、地方も豊かになることを急いでいる。だから隣の省が製鉄所を作れば我もということになる。それを足し合わせると、国としては過剰投資になる。が、地方はこれを中央政府に隠れてもやろうとする。中国の経済政策はコントロールを失いやすい。ということは、制御が難しいということだ。
軍の最高指揮権を確保し、中国の実質支配に入った胡錦濤政権。しかし、彼が直面する問題は大きい。
| 2004年12月19日(日) |
中国が抱える試練 1 |
〈中国が抱える試練1〉
以下は伊藤洋一氏の最新の中国リポートの一節である。ずばり中国の内政の諸問題をあぶり出しており,一考にあたいする。
中国にとって、2004年の秋は一つの橋を渡った時と言えるかもしれない。正式メンバーではないものの、先進国クラブと言われる先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)にアメリカ政府から正式に招待され、正式会合後の晩餐会に参加したのだ。出席したのは金人慶(Jin Renqing)・財政相と中国人民銀行(中央銀行)の周小川(Zhou Xiachuan)総裁。今までのように「中国の事は中国が決める」という頑なな、非開放的な姿勢ではなく、投資過熱の問題、金利引き上げの是非や人民元為替制度の柔軟性拡大の問題を先進諸国と話し合った。今までの中国とはかなり違った姿勢だ。
世界における中国の位置づけは、今微妙なところにある。その微妙さと、一方での巨大さが、この国を良い意味でも悪い意味でも突出させて見せる。まず中国は、どう見ても先進国ではない。なにせ国民一人当たりのGDPを3000ドルにしたい(それを小康社会と呼ぶ)と言っているのだから貧しい。韓国の同GDPは実績で10000ドルだから、その三分の一が目標と言うことになる。日本は実績で30000ドルに近い。上海や他の大都市の華やかさとは別に、中国は全体を見れば依然として貧しい国だ。それは中国の田舎に行けば直ぐ分かる。
だから、中国はG7の正式メンバーではない。中国は自らを「巨大な開発途上国」と言っている。何よりも他の先進国に比して異質なのは、経済体制では市場経済を理想にしながら、中国が一般国民による公正な選挙も行っていない社会主義国だと言うことだ。しかし、他の先進国が関心を逸らすことが出来る普通の途上国でないことは明らかだ。中国の経済状況の変化や経済政策が世界経済に影響を与えるまでに至っている。日本を上回る大量の石油を消費し、世界最高額の外資を受け入れ、世界のマーケットを震撼させる。
2004年の秋(9月11から16日)に、私(伊藤洋一氏)としては同年3回目の中国訪問を行った。ラジオ局の番組製作に参加する形で行ったもので、前2回(3月と4月)の中国訪問が主に中国の企業(日本との合弁を含む)取材だったのに比較して、中国の経済政策を当局者に聞くための旅だった。この2004年秋の我々の北京訪問と相前後して、中国の軍の指揮権を含む最高指導者には胡錦濤が就任、��小平から権力を禅譲された江沢民時代(1990年の10年と2000年から2004年までの14年間)が終わり、文字通り胡錦濤時代の始まりとなった。
胡錦濤は2004年の第16期第4回中央委員会総会(4中総会)で中央軍事委員会主席の座を江沢民から引き継いだ。今までも党の主席などの地位は持っていたが、軍の主席の地位こそが、中国の最高権力者の証であり、胡錦濤はそれを手にすることによって中国の最高指導者の地位をやっと獲得したことになる。「胡錦濤時代の中国」の始まりである。
《 微妙な、しかし揺るぎなく大きな存在 》
実は私にとって北京訪問は久しぶりだった。中国の他の都市はしばしば行っているのに、北京に前回行ったのは確か天安門事件(1989年6月)の後だった。その時北京を案内してくれた友達が天安門で地下に通じる通路を指して、「ここから人民解放軍の兵士が大量に上がってきた」と解説をしてくれたことを思い出す。今回の北京でも通訳の人が「私はあの事件の翌日に天安門にいた」と当時のことを話してくれたが、そういう意味では私の記憶にある北京は実は14年前の北京である。
天安門の前は、当時と変わった印象はしなかった。しかし、驚いたのが天安門の前を走る道路(東長安街)沿いの風景だ。天安門事件の直後に北京に行って宿泊したのは長富宮というニューオータニの関連ホテルだったが、その時かなり上の階の自分の部屋から東長安街を見下ろして、「寂しいところだ。ビルも少ないし、街も茶色っぽい」と思ったことを思い出す。人民服を着た人は普通に見かけたし、人々の表情も暗いものだった。王府井(わんふーちん)も、「これが聞いていた繁華街?」と首を傾げたものだ。何せ片道1車線の道路で、人と車が寄り添うように危なく行き来していた。
しかし今回はどうだ。東長安街の変貌ぶりには驚いた。天安門から長富宮の近くまで歩いたが、道路が広いのは相変わらずだが、王府井は全面改装されて日・祭日は広い歩行者天国になり、その直ぐ近くにグランド・ハイアット・ホテルが完成し、その先には世界的なブランド・ショップが高いビルの一、二階を占め、人々は綺麗な衣類を身に付けていた。今回北京の街を歩きに歩いて、人民服を着た人に出会ったのはたった一人だった。しかも小綺麗で、当時の普段着としての人民服ではなく、ファッションに近かった。女性の化粧はまだ下手だが、着るものに関してはかなり前進した。
中国の大都市の変貌・先進国化は、今年だけで私が行った上海、成都、大連などでも見られるものだ。瀋陽のように10年前の中国を色濃く残している都市もあるにはあるが、中国の都市、そこに住む人々、そして彼らの生活様式は限りなく先進国の我々に接近している。中国がただの途上国でないことは明らかである。都市には年収が10000ドルに接近したり、それを超える人が多いのだろうことは容易に想像が付く。でなかったら、ブランド・ショップなど立ちゆかない。一説によれば、個人金融資産が1億円以上の人の数は日本より中国の方が多い、と聞いた。人口が13億で日本の10倍であり、経済も著しい発展を遂げている国・中国で、「日本より金持ちがいる」と言われても、私は驚く気にはなれない。街の比較的値段が高く、美味しいレストランには、数多くの中国の人が家族連れで押し寄せていた。90年代の初めには見られなかった光景だ。
しかし、繰り返すが中国は先進国ではない。だから、G7にもアメリカ政府の招待でやっと閣僚の金人慶・財政相と中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁が出席することが出来た。今までは中国はG7には次官級しか派遣できなかった。中国から参加した二人にとっても、自らの国が獲得しつつある椅子の大きさを感じた一瞬だろう。他の国の正式メンバーからの参加者、特にカナダのようにGDPで既に中国に追い抜かれていたり、フランス、ドイツ、イギリスなどもうすぐ追い越される国々にしてみれば、中国の参加は何かしら脅威に感じる初G7会合だったのではないか。容易に想像が付くのは、双方にとって居心地の悪い、神経を使う出会いだった筈だ。だから、中国に対する露骨な批判は聞かれなかった。比較的素直にものを言ったのは、招待主であり11月2日に選挙を控えているアメリカだった。
ポイントは、先進国としてもG7に中国を呼ばざるを得なかったということだ。2004年秋のワシントンにおけるG7の焦点は「石油」と「為替、具体的には人民元問題」だったが、この二つともに中国の欠席では話が進展しない。討議の意味さえなかった。だからアメリカは中国を招待し、中国も世界に自らの政策を説明する責任があり、説明した方が将来にわたって有利と考えたのだろう。
まず石油。10月に入ってWTIでバレル54ドル(執筆時点)にまで上がった石油の高騰について言うならば、明らかに中国の影が大きい。10月初めの新華社通信の記事に以下のようなものがあった。
「中国の今年1〜8月の石油対外依存度は40%に達した。2002年は32.6%だった。経済の高度成長にともなって2020年には60%を超えるとの見方も出ており、原油の国際相場を底上げする要因になっている。 税関統計によると、1〜8月の原油輸入量は7996万トンで前年同期比39.3%増、石油製品輸入量は2531万トンで36.4%増だった。」
前年同期比で4割の石油輸入を増やす中国。しかもその中国の石油消費量は既に2004年の段階で日本を抜き、そう時間を置かずにアメリカに接近すると見られる。中国は1993年に石油の純輸入国になって以来、一貫して輸入を増やしている。中国の今の経済成長が続き、またそのエネルギー使用効率の悪さが改善されないとすれば、中国の需要が増え続けることは容易に想像できる。中国は既に石油輸入量で韓国を抜いている。この「需要増加予想」が世界の石油価格高騰の主要因となっている。現象的にはロシアのユーコスの問題、ナイジェリアの労働紛争、メキシコ湾を襲ったハリケーンの影響など様々な要因が挙げられるが、根本要因は中国の石油輸入増加である。2004年秋のG7が「原油高」を一つの討議材料としたときから、中国の参加は必要だったのだ。
もう一つの「人民元問題」。これはアメリカが熱心だった。一時は日本も熱心だったが、日本の対中貿易収支は2004年には大幅黒字になって、切り上げ要求のトーンを落とした。対して、中国に対して恒常的に大幅な貿易赤字を出しているアメリカが、大統領選挙とのからみで人民元を切り上させる意図を持って「人民元制度の柔軟性向上」を中国に要請していた。それを国際会議の場に持ち出そうとするなら、G7が最適だ。
人民元がどこの国の通貨かと言えば、当たり前だが中国である。しかし従来のG7の枠組みでは、中国が入る余地がない。となれば、正式に来て貰って閣僚がいる前で説明して欲しい、というのがアメリカの気持ちだった。当事国がいなければ話し合いも出来ない。つまり、G7が直面している二つの大きな問題において、中国がいなければ当事者のいない会合になってしまって格好がつかなかったのである。だから、中国を呼んだ。
しかしだからといって、その結果出てきたG7の声明は中国に強く自覚を促すようなものでもなかった。当たり障りのない、新味と言えば原油高に対する産油・消費両サイドへの要望を入れた、それ以外は従来のG7の声明とあまり変わらないものだった。なぜか。中国はしゃくに障る面があるが、だからといって排除できない、先進国にとってむしろ自国のお客さんにしたい国だからだ。
では、中国はG7の正式メンバーにはなれないのか。規模は十分である。GDPで見た中国の経済規模は既に正式メンバーのカナダを上回っている。他のG7メンバー国との関係を見ても、日本にとっては既に中国がアメリカを抜いて最大の貿易相手国になった。アメリカにとっては日本以上に赤字を抱えた貿易相手国である。ヨーロッパに目を転じると、スペインでは安い中国の靴に対する暴動事件まで起きている。各国にとって「中国」が実感できる、相手にせざるを得ない貿易相手国、世界経済にとっては重要な構成要素になりつつある。そういう点から見れば、中国は早くG7のメンバーになった方が良いように思う。
しかし問題はそう簡単ではない。そういう問題意識を抱えながら、2004年の秋に中国経済を動かす人々、その周辺にいる人々にインタビューした結果を以下に報告しよう。中国が時間を置かずにG7の正式メンバーになるのか、という問題意識に関して言うならば、私の結論は「少し先になる」というものだ。この問題を考える上でのいくつかのキーワードは
「グラデュアリズム」 「最善よりベストな選択としての次善」 「安定と効率」 「合法より合理」 「信用システムの欠陥」 「政治的リスク」 「桎梏(しっこく)としての社会主義」
の7つである。私はこれを今の中国を経済中心に語るときの「七つのキーワード」と名付けた。2004年秋の北京訪問(9月11日〜16日)では
李揚・中国社会科学院金融研究所所長(元・中国人民銀行貨幣政策委員) 夏斌・国務院発展研究中心金融研究所所長 呉軍対外経済貿易大学金融学院院長、丁志杰副院長、何自云副教授 王元龍・中国銀行国際金融研究所副所長 の合計6人の方と長時間のインタビューと意見交換を行った。実質二日間でこれだけの方に会ったのできつい日程だったが、「曖昧さの中を突っ走る中国経済の力強さと裏に潜む脆弱性」が良く理解できた。 まず「グラデュアリズム」(gradualism)。漸進主義。インタビューをした多くの人の口から、「ロシアと比較した場合の、中国の改革の特質」として
「社会の安定を壊しても急進的なことをするという姿勢は取らない」 「効率を求めすぎると安定が失われる」 「最善と思えるものをあえて避け、次善策のなかに最も良い結果をもたらすものがあると考えることも可能」
との発言があった。中国のインテリには、ソ連やロシアの改革がよほど反面教師に映っているようで、あそこまで安定を失って改革することはない、との思いが強いようだ。なぜ彼等がそう考えるのか。その理由の一つは、ソ連やロシアになくて中国にある重荷、「13億人」という人口である。中国銀行国際金融研究所の王さんの口からは、
「改革もいい。しかし中国の為政者にとって重要なのは13億人の民をどうやって食べさせるかだ」
という��小平が言った有名な言葉が出てきた。通貨問題の担当者の口からこの言葉が出てきたことの意味合いについては後に説明する。筆者もこの言葉を知っていて、中国の為政者の政策を理解する上では一つのキーワードだと以前から思っていたが、今の政策通の口から出てくるとは思わなかった。斬新主義は時間がかかる。いくら日本やアメリカがいらいらしても、中国は「グラデュアリズム」を選択している。そしてしばらくその方針を変えそうもない。
ここから、次の二つのキーワードが繋がってくる。
「最善の策よりベストな選択としての次善の策」 「安定と効率」
前者は、最善の道を取るのは望ましい。しかしそれを取ると大きな社会的混乱と、先行き不透明な状態が訪れるとしたら、中国は次善であるかもしれないが社会の安定維持と民を食べさせ続ける道を選ぶ、というものだ。確かにソ連とロシアの改革は騒々しかったし、ロシアは依然として急速な人口減少の中で政治・経済とも混乱状態の中にある。その混乱状態の中で、プーチン大統領の権限拡充が続く。しかも、テロリストの活動も活発だ。「中国はその道は取らない」と多くの人がはっきり述べた。効率を求めて安定を壊しては何もならない。「安定と効率」の両方を大切にするのが中国の政策であり、それは結果的に「漸進主義」になる、というのである。
確かに今までの中国は「安定と効率」のバランシング・アクト(均衡作業)に成功したし、それ故に今の繁栄があるとも言える。貧富の格差が大きいとか、いくつかの部門で投資の過熱が見られるとか弱点はある。しかし、ほぼ毎年中国のどこかの都市に行っている私のような人間から見れば、中国は着実に豊かになっている。それは世界経済の奇跡というにも等しいと思う。今のところ中国では「漸進主義」は成功している。
しかし中国が着実に忘れてきたもの、今後しなければならないことはいろいろある。西側のマスコミで良く言われるのは「都市と農村の格差拡大」「農村の失業者問題」だ。しかし、「中国にはもっと重要な問題がある」というのが私の印象だった。
それは社会主義体制の下でおざなりにしてきた市場経済に見合った法体系の構築の問題である。ちょっと考えれば分かるが、我々の経済行動は法律に守られているから安心なのである。その法律が契約を担保し、それによって所有権が移転する。基本的には市場経済では財産私有制が基本である。土地、建物からあらゆるものに所有権があり、それが移転し、担保として稼動することによって経済が成り立っている。
しかし社会主義はそうは考えなかった。少なくとも今までは。今でも中国では土地は国のものだ。経済で一番重要な資産の一つである土地が国有なのだから、少し考えても分かるが中国の経済は先進国のそれとはかなり違う。つまり「信用のシステム」が全く違うのである。違うのに市場経済を導入しようとしている。と、どうなるか。法律から見れば曖昧、どちらかというと疑わしいことが一杯出てくる。法的不備が山積しているのである。山積しているが、それを法律問題、政治問題として解決してから前進しようとしたら、ちっとも前に進まない。
そこで出てくるのが「合法より合理」という考え方だ。これも数多くの中国当局者の口から出てきた。合理とは何か。それは経済の発展、市場経済の普及、そして国民の経済的豊かさだ。その為の政策を選択するときに重要なのは、その政策が「合理」かどうかであって、「合法」が先に来るのではないというのが中国のインテリ達の考え方なのである。
それはある意味で理解できる。建前としてでも社会主義の政治体制とイデオロギーをとっている国が市場経済を導入して経済活動を活発化しようとしたら、「合法」の部分を意図的に捨象せざるをない。なぜなら、"社会主義的"合法に合致しない部分が一杯出てくるからだ。それを忘れなければ、前に進めない。「将来問題が生ずる」「問題を先送りしている」と分かっていてもだ。WTO加盟で中国の法律作りは進展しているが、まだまだの部分が多い。
その象徴的問題が土地だ。先にも書いたが、中国の土地はすべて国のものである。それなのに中国ではマンション・ブームが起きているし、土地投機が盛んだというニュースが出てくる。それは何故か。土地を持っている筈の国が商業地は大方50年、宅地については同70年の定期借地権を設定して、それを売っているからである。その定期借地権を基礎に、土地の売買が行われ、マンションが建ち、それが投機の対象になっている。
しかし、誰も正確にその定期借地権の価値を知らない。タイム・ディケイの問題をどう考えたら良いのかも分かっていないし、だいたい定期借地権の権利がいかなるものであるかも正確には理解されていない面がある。筆者もこの問題を香港H株の浙江滬杭甬(浙江高速)株に投資するときに相当考えた。一体中国の高速道路会社というのは、土地を所有しているのか、定期借地権だとしたらそれがどれほど価値のあるものか、と。しかし結局よく理解できないまま投資し、これまでのところその投資は失敗していない。
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