女の世紀を旅する
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| 2005年03月28日(月) |
2008年の米大統領選はヒラリーとライスの一騎打ちか |
2008年の米次期大統領選、ヒラリーとライスの一騎打ちか
人類文明5000年の間.女性は政治能力の面や戦争に参加出来ないという理由で政治の埒外(らちがい)に置かれてきた。女性が政治の舞台に進出できるようになったのは,ほんの最近のことである。今から80年前に欧米で女性の政治的地位が劇的に改善される出来事がおこったからである。
黎明が訪れたのは第一次世界大戦で,男たちが戦場に赴いて国内の労働力が足りなくなった際,多数の女性が軍需工場の労働者として国家に貢献したことが評価されたためであった。戦争末期の1918年にイギリスで30歳以上の女性に選挙権が認められ,1920年にはアメリカでも女性選挙権が認められたのも,大戦の際の戦時体制下での活躍が評価されたためである。
民主主義は男女平等を原則としているが,日本社会では今なお男尊女卑の封建的な遺風が残っており,その傾向は今後も続くだろうし,日本では女性の首相は今のところ想像だに出来ない。
しかし,天皇が女性であってもかまわないという風潮が高まり,皇室典範も改正され,女性の政治権力に対する日本人の意識も変わりつつあるようだ。能力があるなら,女性がリーダーになってもかまわないという時代思潮は確実に国際世論に受け入れられつつある。
アメリカでは2008年の大統領候補として,ヒラリー夫人とライス国務長官の2人の女性候補の対決が起こると予想するむきがあるが,おそらくそのシナリオ通りになる可能性が高い。
孤立主義に片寄りつつあるアメリカにとって,また地域紛争,宗教紛争が頻発して閉塞感を強めている国際政局にとって,世界覇権国家の女性大統領の誕生は,もしかしたら未来への明るい希望を生むかもしれない。
2008年大統領選の候補者として、民主党はヒラリー・クリントン上院議員、共和党はコンドリーザ・ライス国務長官が浮上している。
両女史とも立候補するとは言わないが、支持者がインターネットで友の会を結成、両女史の名前入りTシャツ、野球帽、車のステッカーなどを売っている。選挙は4年後だが、インターネット選挙戦は早くも過熱気味、男性政治家が切り込む余地は今のところない。
●2008年選挙、本命はヒラリー、ライスはダークホース
ハースト系の新聞チェーンが2005年2月に実施した世論調査によれば、米国民の81%が女性大統領候補に投票してもよいと考え、53%は民主党のヒラリー・クリントン上院議員が立候補することを支持している。また、42%は共和党のライス国務長官の立候補を支持している。ヒラリー上院議員が大統領の座をねらっていることは公然の秘密だが、その対抗馬としてライス長官の名前が出たのは初めてだった。マスメディアがこれに飛びついたのは言うまでもない。
まず、保守系の新聞、ワシントン・タイムズが3月11日、ライス国務長官にインタビューして、「大統領の座をねらうか」と聞いた。同長官はこれに対し、「私はこれまでどんな役職にも立候補したことがない」と答えた。これは、「将来の立候補を否定しない、含みを残した発言」と受け取られても仕方のないものだ。それから2日後の日曜日の朝、同長官はNBC、ABCの2テレビ局のモーニング・ショーに引っ張り出される。そして、大統領選挙に立候補するのか、どうか、攻め立てられた。
ライス国務長官はこれに対して、NBCテレビで、「私は大統領選挙に立候補しないだろう」と答える。同長官はまた、ABCテレビでも、「私は立候補しないだろう」と同じように答えた上で、さらに「この答えでどう? 意味が十分伝わるかしら?」と立候補否定の意図を念押しした。AP通信はこれを聞いて、同長官は大統領の座への扉を閉ざしたと報じた。しかし、これですべてが終わったことにはならない。同長官が立候補を否定しても、支持者が結成した「友の会」がインターネットを駆使して、各地で活発な運動を展開しているからだ。
●加熱するネット選挙戦、男性政治家が切り込む余地なし
米国で被選挙権を持つ市民が大統領に立候補する場合、まず選挙資金管理団体を組織して選管に届け出る。選挙資金の献金を受け、支出を管理するためである。候補者は投票日の1年前か、早い場合は2年ほど前、この手続きをし、運動を開始するのが普通だ。しかし、ヒラリー上院議員とライス国務長官の場合、この枠に当てはまらない動きが目立つ。両女史とも、立候補の意思を否定し、選挙資金管理団体の届けもしていない。しかし、「友の会」が両女史の意図と関係なく、活発な運動をすでに展開している。熱狂的な支持者を中心とする、そんな友の会がそれぞれ複数ずつある。
ライス国務長官の場合、同長官がブッシュ政権1期目の大統領補佐官に就任したあと、友の会が生れた。そして、04年の大統領選挙では、ブッシュ大統領の副大統領候補になることを目指し、「ブッシュ・ライス2004」のスローガンを掲げた。しかし、現職のチェイニー副大統領の続投が決まり、友の会は次の目標をライス大統領の実現に変える。そして、インターネットで「ライス08」のスローガン入りTシャツ、野球帽、ステッカーなど、いわゆるライス・グッズを売り、運動資金を集めている。正式な資金集めは、候補者が選挙資金管理団体を組織しないとできない。そこで、友の会はTシャツなどを売って活動資金にしているのだ。
ヒラリー・クリントン上院議員の場合も事情は同じである。同議員も大統領選出馬を表明したことはないが、支持者は友の会を結成、インターネットで「ヒラリー08」のTシャツなどを売って、ヒラリー大統領実現を目指している。同議員の場合、08年の大統領選挙の前に、06年の上院議員再選を控えている。このため、ヒラリー・グッズは上院議員再選のための「ヒラリー06」と大統領選挙用の「ヒラリー08」の2種類がある。08年の大統領選挙に立候補を噂されている男性の有力政治家は何人もいるが、両女史のように支持者が活発な運動を展開している例は、今のところない。
●ヒラリー議員が一歩抜きん出る
マリスト大学世論研究所が2月中旬に実施した調査によれば、民主党の大統領候補レースでは、ヒラリー・クリントン上院議員が39%の支持を集めて1位。2位は、04年の大統領候補だったケリー上院議員で21%である。現状では、ヒラリー議員が一歩抜きん出ていることは間違いない。一方、共和党はジュリアーニ前ニューヨーク市長が25%で1位、2位はマケイン上院議員で21%。ライス国務長官はまだ調査対象に入っていない。しかし、インターネットでは、ヒラリー議員に対抗するにはライス長官しかないという意見が圧倒的に多い。
ヒラリー議員は大統領選に出馬するとは言わないが、それをねらっていることは、誰も疑わない。同議員は学生時代から大胆なリベラル派で知られたが、上院議員としての活動は中道派、問題によっては保守派に近い。イラク戦争を支持し、戦場を2回も訪れて兵士を激励したことが、それを示している。また、賛否が分かれる妊娠中絶問題では、「女性にとって中絶は悲劇」と述べ、保守・リベラル両派の共感を呼んだ。これも、同議員が大統領選出馬に備えて、支持拡大をはかっている証拠と見られている。
ヒラリー議員に比べ、ライス国務長官の立場ははるかに堅苦しい。同長官は3月11日、ワシントン・タイムズのインタビューで、「支持者が立候補を期待していることは知っているが、私がブッシュ大統領の後継を目指して立候補することなど想像もできない」と語った。同長官の場合、国務長官在職のまま立候補は無理、辞職して立候補しても、共和党主流が支持するか、有色人種を嫌う白人至上主義者がどう反応するか、など難問が多い。インターネット上では、ヒラリー上院議員と互角の戦いだが、08年はそこまでが精一杯。民主・共和両党が黒人の女性大統領候補を指名するようになるには、あと何回かの選挙が必要だろう。
| 2005年03月16日(水) |
映画「オペラ座の怪人」に深く感動した |
《映画「オペラ座の怪人」に深く感動した》
この映画には圧倒され,感動し,熱い思いがこみあげてくる。
ダイナミックな旋律の音楽が素晴らしいのみならず,主演女優エミー・ロッサムが大変魅力的で,優雅なのも印象に残る。
映画の序幕の場面から心ふるえる音楽で感動がこみあげてくる。生涯の思い出に残る映画となろう。すべてが豪華絢爛で演出家も出演者も巧みだ。美とは飽きがこないことであるなら,この映画全体がまさに美そのものだ。たぶんこの映画は何度観ても飽きない魅力をもっているのだろう。歌唱を含む音楽の数々にも美意識をくすぐられる。文句のない傑作であり,近年これほど驚愕をおぼえた映画を私は知らない。
以下に映画のストーリーを記載しておきたい。
★【イントロダクション】
■世界中を虜にした哀しい愛の物語
19世紀のパリ、オペラ座では謎の怪人・ファントムの仕業とされる奇怪な事件が続発していた。
美しく若きオペラ歌手クリスティーヌは、ファントムを音楽の天使と信じてプリマドンナへと成長するが、ある日、仮面の下に隠されたファントムの秘密を知る。幼馴染みの青年貴族ラウルに愛されながらも、孤独な魂と情熱を持ったファントムに心を惹かれるクリスティーヌ・・・。
日本でも有名な「キャッツ」や「エビータ」など、大ヒットミュージカルを生み出した天才作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーの代表作「オペラ座の怪人」は、ガストン・ルルーの原作をもとに、美しい旋律で綴った究極のラブストーリーだ。1986年のサラ・ブライトマンなどを配役したロンドン初演では世界中の大絶賛を浴びた。
これまでに世界18ヶ国で大ヒットロングラン。本年度中にはギネスブックの観客動員数記録を塗り替えるとも言われている。この不朽の名作ミュージカルが、20年近い年月を経て、遂に完全映画化。ロイド=ウェバー自身のプロデュースにより、完璧な形で実現した。
■豪華絢爛! ダイナミック!
息を呑むほど美しい装飾や豪華な衣装。そして隅々まで贅を尽くした美しいオペラ座やミステリアスな地下の隠れ家のセット。映画化にあたり、劇場という枠を越え、映画ならではの数々の名シーンが盛り込まれている。
冒頭の廃墟となったオペラ座が過去の輝きを甦らせるシーンでは、最新のSFXを駆使。目を奪われるダイナミックな映像で、私たちを現在から過去へ一瞬のうちにワープさせる。また物語の象徴ともいえるシャンデリアには、なんと世界的にも有名なスワロフスキー・クリスタル製!逃げまどう観客の中を巨大なシャンデリアが落ちていくシーンは、息を呑むスペクタクルだ。
幻想的な墓地でファントムとラウルが対決するシーンでは、スリリングなアクションで手に汗握る。さらに劇場版では描かれなかったファントム出生の秘密が明かされるのも見逃せない点のひとつだ。メガフォンをとったのは、『バットマン フォーエヴァー』『評決のとき』『依頼人』などのヒット作を手掛けたジョエル・シュマッカー監督。類い希な映像センスで、ラブストーリーの名作を、観客を釘付けにするサスペンスとドラマの世界へと導く。
■主演3人の圧倒的な歌唱力
名曲にふさわしい贅沢なサウンド
カリスマ的な魅力が問われるファントム役に選ばれたのは、『トゥームレイダー2』『タイムライン』と躍進めざましい若手俳優ジェラルド・バトラー。セクシーな歌声と存在感ある演技でこの物語を牽引する。これまでにない新しいファントム像は大きな話題と注目を集めるだろう。
可憐なクリスティーヌを演じるのは、『ミスティック・リバー』『デイ・アフター・トゥモロー』で印象的な演技を見せたエミー・ロッサム。7歳からニューヨークのメトロポリタン・オペラの舞台に立ったという経歴を活かし、美しい声を惜しみなく披露。弱冠17歳にして、ふたりの男の間で揺れるヒロイン役を見事に演じてみせる。
劇場版よりもアクティブなヒーローとして描かれているラウル役には、パトリック・ウィルソンが抜擢。「フル・モンティ」「オクラホマ!」などブロードウェイの舞台で主演する実力派で、叙情的なテノールを聴かせる。最近では映画『アラモ』にも出演。
主演3人、吹き替えなしの圧倒的歌唱力を引き立てるのは、総勢100人、大迫力のフルオーケストラ。誰もが耳にしたことのある甘美なメロディ、戦慄のテーマが、贅沢なサウンドで迫ってくる。
★【ストーリー】
■パリ、1919年。ドラマは過去へとタイムスリップを始める。 かつては豪華絢爛だったパリ・オペラ座。その栄華を偲ぶ品々が、廃墟となった劇場でオークションにかけられていた。そこには、老紳士ラウル・シャニュイ子爵(パトリック・ウィルソン)と年老いたバレエ教師、マダム・ジリー(ミランダ・リチャードソン)の姿があった。やがて、謎の惨劇に関わったとされるシャンデリアが紹介され、ベールが取り払われると、ふたりは悲劇の幕開けとなった1870年代当時へと一気に引き戻される。
■パリ、1870年代。オペラ座では奇怪な事件が続いていた。
オペラ「ハンニバル」のリハーサル中、プリマドンナのカルロッタ(ミニー・ドライヴァー)の頭上に背景幕が落下した。腹を立てたカルロッタは役を降板。代役を務めたのはバレエダンサーのクリスティーヌ(エミー・ロッサム)だった。喝采を浴びた彼女は幼馴染みのラウルと再会。だが、その喜びも束の間、仮面をかぶった謎の怪人・ファントム(ジェラルド・バトラー)にオペラ座の地下深くへと連れ去られてしまう。
■地下の迷宮。
クリスティーヌは、ファントムを亡き父親が授けてくれた‘音楽の天使’だと信じてきたが、地下の隠れ家で仮面をはぎ、その正体を知ってしまう。同時に彼の孤独な心と自分に対する憧れにも気づくのだった。その頃、オペラ座の支配人たちは、オペラ「イル・ムート」の主役にクリスティーヌを据えよというファントムからの脅迫状を受け取っていた。その要求を無視してカルロッタを主役に立てた舞台は大混乱。ついに殺人事件が起きてしまう。謎多きファントムの正体とは?そして三人はどのような結末をむかえるのか・・・?世界中を虜にした哀しくも美しい愛のドラマがはじまる---。
■ 主演女優 エミー・ロッサム(クリスティーヌ)
1986年9月12日、ニューヨーク生まれ。幼少よりオペラを学んできた彼女は、7歳の時からメトロポリタン・オペラの舞台に立ち、プラシド・ドミンゴやルチアーノ・パバロッティら世界的に有名なオペラ歌手たちと共演してきた。その後5年間、延べ20以上の演目に出演。主な出演作はイライジャ・モシンスキー演出「スペードの女王」(95)、フランコ・ゼッフェレッリ演出の「カルメン」(96)、ティム・アルベリー演出「真夏の夜の夢」(96)など。ジェームズ・レヴァイン指揮による「ファウストの劫罰」(97)では、カーネギー・ホールにも出演を果たしている。
99年、13歳のとき「As the World Turns」で本格的なTVデビュー。同じ年に出演したTV映画「ダブル・キャンパス/天才学者は13歳」ではヤングアーティスト賞のTV映画部門で助演女優賞にノミネートされる。翌2000年『歌追い人』で映画デビュー。この作品はサンダンス映画祭でコンペ上映され、特別審査員賞を受けた。劇中スコティッシュ・アイリッシュのバラードを見事に歌い上げ、力強くも美しい歌声を披露した彼女は、デビュー・パフォーマンス部門でインディペンデント・スピリット賞を受賞し、一躍ハリウッド注目の存在となる。
この年には、バラエティ・マガジンで「注目すべき10人」に選出されている。その後はオードリー・ヘプバーンの生涯を描いたTV映画「オードリー・ヘプバーン物語」(00)で若きオードリーを好演。本年度アカデミー賞を受賞したクリント・イーストウッド監督『ミスティック・リバー』(03)では主人公ショーン・ペンの娘を演じ、ニューヨーク・タイムズ紙で「釘付けにされてしまう」と評されるなど、各マスコミから絶賛を浴びた。
また同紙では「今後注目の6人」にも選出された。またSF超大作『デイ・アフター・トゥモロー』(04)で主人公の息子サムの恋人役を演じたのは、記憶に新しい。今後の活躍からますます目が離せないハリウッド期待の女優である
| 2005年03月08日(火) |
シモーヌ・ヴェーユの哲学 : 重力と恩寵 |
シモーヌ・ヴェーユの哲学 : 重力と恩寵
20世紀の女性哲学者の中では異彩を放つ存在である。 信念に生き,信念に従って行動した,その壮絶な生きざまと至高の愛には感動すら覚える。ユダヤ人として生まれた数奇な運命が独特の思想と信念体系を生み出したといえよう。日本でも,もっと評価されてよい哲学者である。
★【フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェーユの略歴】
1909 パリ在住のユダヤ系中流家庭に生まれる。アンリ四世校で哲学者アランに師事、パリ高等師範学校を卒業後、哲学教師としてリセで教鞭をとる。 1934〜35 未熟練女工として工場で働き、肉体労働者の境遇を体験。
1936 スペイン市民戦争が起こると義勇軍兵士として参加。
1940 ナチスによるパリ占拠後マルセイユに移住し、古代ギリシャ思想、キリスト教、カタリ派、道教、インドやエジプトなどの諸宗教について思索。
1942.5 両親とともに兄アンドレの待つニューヨークに亡命。
1942.11 単身ロンドンに渡り、ドゴール率いる自由フランス政府軍の対独レジスタンス運動に参加する。
1943 帰国の希望を断たれたまま、ロンドン郊外のサナトリウムで34歳の生涯を閉じる。
【シモーヌ・ヴェーユの言葉から】
★ 「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である」
★「美とは飽きがこないことである。飽きてしまったら,もはや美ではない」
シモーヌ・ヴェイユ 『重力と恩寵』(講談社文庫)より
●愛について
あるものが存在することを愛し、そこに自分の手を下そうとしないこと、これこそが愛である。このように神はわれわれを愛する。さもなければわれわれは瞬時にして存在しなくなるだろう。(カイエ�勝。陦横毅粥�
●悪について
想像上の悪は、ロマンチックで、奇想天外で、波瀾万丈である。実際の悪は、陰気で、単調で、無味乾燥で、退屈である。(カイエ�検。陦苅苅魁�
●痛みについて
ひとは苦しみによって身体を調教する。自分の悲惨さのひとつをとらえるたびごとに、もしそれに苦しむならば、身体はなにかを学ぶ。 (カイエ�検。陦苅隠魁�
●芸術家について
天才的な芸術家は、神を自分の芸術の意図にではなく、技巧の手順そのもののうちに位置づける。 (カイエ�将機。陦械僑亜�
芸術家たち。ある芸術の天分に恵まれた人間は、その芸術に関して、考えないという己れの能力に正確に比例した完成度に到達することができる。人生という芸術に関しても同様である。(カイエ�検。陦械牽院�
●解脱(げだつ)について
初期の禅宗の方法は、それ自体があらゆる執着にとってかわるほどまでに激しい真空(空無)への探求であるように思える。しかし、それは真空(空無)にあるのだから、能動的にそれが求められないかぎり、執着の対象ではあり得ない。そしてこの無益な探求の能動性も尽き果ててしまう。涸渇の状態が近づくとき、何らかの衝撃から解脱が生じる。(カイエ�察。陦苅牽供�
●謙遜について
ひとが自慢するもの、それはかならず、情況次第で奪われる可能性のあるものである。したがって自慢は虚言である。この虚言を自覚すること、それが謙遜の徳である。(カイエ�検。陦苅娃魁�
●言葉について
十字架の聖ヨハネ、言葉を慎むことの方が、断食や訓練より価値がある。 (カイエ�后。陦僑供�
●自分について
7+8=16というなら私は間違っている。ある意味で、7+8=16とするのは私だ。だが7+8=15とするのは私ではない。(カイエ�牽陦苅娃后�
●孤独について
この世の架空の王権をぬぎ去って、時間と空間の中で自分が占める点まで小さくなること。絶対の孤独。そのとき、この世の真実が得られる。 (カイエ�此。陦隠苅供�
●喜びについて
充実した喜びの中には「わたしが」は介在しないのである。それと反対に「わたしが」は苦しむ者である。(カイエ�此。陦横坑検�
喜びによって世界の美はわたくしたちの魂に浸透する。苦しみによって、世界の美はわたくしたちの体の中に入ってくる。喜びだけでは、ちょうど航海術の研究だけでは船長になれないのと同じように、神の友にはなれない。
●仏陀について
わたしたちの前にあらわれた仏陀は、どこからこられたのだろう。どこに行かれたのだろう。どこからこられたのでもなく、どこに行かれたものでもない。仏陀が生まれる原因が結集すれば出現なさり、その原因が離散すれば消滅なさる。ちょうど弦と弓に対する音のように。このことはあらゆる存在にも同じように当てはまる。(カイエ�察。陦毅娃粥�
日本の能。人間が高みを見あげるようにと樹木の枝に花を咲かせるのは 仏陀である。不幸な人びとが神が降りたもうことを悟るようにと月を波間に沈ませるのも仏陀である。(アメリカ・ノート�掘。陦横械掘�
●美について
必然と結びあわされた苦しみはわれわれを目的なき目的性へと導く。人間の悲惨の情景が美しいのはそのせいだ。われわれにとって美のほかに喜びの源泉はない。(カイエ�勝。陦械沓掘�
美しいものとは、変えようとは思えない何かである。(カイエ�将毅陦苅隠検�
●富について
シエナの聖カタリナ。この世の富とは、それを摘まないかぎりにおいてのみ芳香と美しさをとどめている花のようなものである。(カイエ�此。陦横械検�
●同情について
いかに冷酷な心の持ち主であっても、劇場で演じられる不幸を観て「同情」を抱かないような人間はいない。なぜなら、なにかを探したり獲得しようとしているわけではないし、さらに自分自身がなんらかの危険や感染にもさらされる怖れもないから、登場人物たちに自己移入できるからだ。現実の不幸ではないと知っているから、自分の「同情」を自由に作動させておく。現実の不幸であったら、その人は氷のごとく冷淡になるだろうに。何世紀にもわたってキリストの磔刑に涙してきたキリスト教徒たちの多くは、もしも現実に十字架上のイエスを見たなら無感動な態度をとったであろう。どれほど涙を流したとしても無意味である。(アメリカ・ノート�此。陦毅娃機�
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