散書
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今年はもう、夏コミ終わってたのですね。
まあ別に興味はなかったしどっち道行けなかったしでどうでも良かったのですけど。 そんなわけで、相変わらずトリックスターで遊び呆けております。思い出したように小説書いたり、思い出したように絵を描いたり、思い出したように本を読んだり。遊んでる割にはあんまりキャラも成長してないしお金も稼いでないですけど。なにしてるんでしょうね。ほんと。 最近は、トリックスターばかりで、以前はあんなにはまり込んでたギャルゲからも疎遠気味。時間の作り方もわかりつつあるので、今度は生活サイクルを改めなければなりませんね。
ライトノベルは一冊に時間もあれば読めてしまうのに、いわゆる文学的な小説はどうして一冊読むのにあんなに時間がかかるんでしょう。これが読み下しづらい文章というやつなんでしょうか。 ‥‥俺の小説に対する評価であった言葉です。がくり。
転がる転がる死ぬまでは。
今日はバイトに行く道すがら、とある神社で古本まつりの広告を見かけてしまいました。今日もきっちりフルタイムでバイトの予定だったのですが、運良くシフトの上がりを交代してもらえたので、嬉々として行って参りました。古本まつり。 京都市中の古本屋が全部集まってるんじゃないかという規模の合同古本販売市のような様相のこの古本まつり、俺が物心つく頃にはすでに始まっていて、今年で何回目だったのやら。今日は着いてさあ巡ろうというところでにわか雨に遭い、展示されてる本棚にブルーシートがかけられるなどして、まともに見て回れない有様になってしまったので、比較的雨の当たりにくい場所で傘差して座って持っていた本を読み、時間を潰し、本を読んでるところを観光客らしい女性二人連れから写真撮ってくれと頼まれたり、引き受けたはいいもののデジカメが電池切れ寸前だったのか急に画面がブラックアウトしたり、まあそれでも一応ちゃんと撮ってあげられて少なくとも形の上では感謝されてみたり、本読み終わってしばらくしてシートが外されたのでまた棚と棚の間をじっくり見て回ったり。 つーかまあ。規模が規模だけに、加えて、着いた時間が遅かった上に通り雨に邪魔されたりで、半分も、どころか、十分の一も見て回れませんでしたが。それでも、きっちり三千円近く使ってしまいました。 つーか。今月すでに、二十冊近い本を買ってるんですがどうするんですか俺。おかげで早くも懐ピンチですよ。今月は行けるかどうかは定かではないとはいえ、ティアも控えているというのに。 とかなんとか言いながら、明日からも、間に合うようなら、バイト終わってから自転車かっ飛ばして三十分でもまた古本漁りするつもりだったりするんですが! ‥‥一回、本で食費も出ないくらい痛い目見たら治るでしょうか。この計画性も押し退けてしまうほどの本好きは。
読むのも好きですが、文章を書くのも好きです。読みやすいように、とか、趣向を凝らして考えながら文章を書くのも好きですが、この日記のように、なにも考えずに思いつくままに言葉を並べるだけの文章の書き方も好きです。
今日の一番の掘り出し物は、クロード=モネの解説つき画集だと断言する。
喫茶コーナーではうどん屋かき氷、ジュースや酒も売ってたようです。買ってませんけど。
古本まつりは16日16時までは、朝十時から十八時までやってるらしいので、お近くにお立ち寄りの際は是非。
なにかがずれている、というような感覚が拭えない。
なにを思ったのか、最近、本をやたらと買ってしまいました。 ・『妖精結晶(フェアリーキューブ)��』 由貴香織里 ・『少女には向かない職業』 『推定少女』 桜庭一樹 ・『吸血鬼ドラキュラ』 ブラム=ストーカー ・『怪奇小説傑作集 ��』 H.P.ラブクラフト他 ・『精神分析医 (上・下)』 J・カッツェンバック ・『黒い雨』 井伏鱒二 ・『こころ』 夏目漱石 ・『人間失格』 太宰治 ‥‥我ながら、ステキな雑食具合ですね。ちなみに、『人間失格』は前回の日記でも書いた『“文学少女”と死にたがりの道化(ピエロ)』に触発された影響がそのまま出ています。こんなに影響されやすい人間が、どうして流行りモノに迎合しないのか、我ながら不思議です。 これだけ買っておきながら、読んだのは、まだ『少女には向かない職業』『妖精結晶(フェアリーキューブ)』の二冊だけだったりします。『こころ』は資料にするつもりで買ったので、できるだけ早く読みたいところ。 最近になってようやく時間をちまちまと作れるようになってきたのですが、その時間をトリックスターにつぎ込んでしまう日々が続いています。時間を作れるようになったので、次はいかにしてトリックスターの誘惑に抗うかが焦点です。
トリックスターといえば。 今、期間限定のガチャペットが出ていますが、リゾートエステルが欲しくて仕方ありません。手もとにあったガチャコイン使ってトライしてみたら、これがまた、アクアユフィカが当たってしまいまして。 ‥‥これでゆひかも出ていなければ、手もとにあったコイン使い切ったところで諦めがついたものを。と、一人で悶々としています。といって、ポイント買ってエステルさん当たるまでガチャにトライというのはいくらかかるか想像するだけで恐ろしいし。でもゆひか当たったから余計出そうな気がするし。でもそれでポイント買って、出ても、あるいはゆひか被っても、どっちにしても痛手になりそうだし。 と、延々悶えております。ああ、どうしよう。 以前、マジック・ザ・ギャザリングで破産する人の話とか聞いたけど、俺がガチャで生活壊れたりしそうで怖いところ。ああ、どうしよう。
結構忘れてることもいっぱいあるし、次の新人賞の締め切りも考えて、さくさく色々やっていかないと。そろそろ同人も復帰したいし、サイトも再編集したりしたいし。時間はいくらあっても足りませんね。
最近、朝と夜が色々厳しいので、ぼつぼつ寝ます。 ‥‥こんな時間に寝ようとするから尚更時間が足りなくなるのかな。とか。
| 2006年08月02日(水) |
生きるため、食事や睡眠よりも必要なもの |
心の糧。
あー。 呆けるくらいに満足感。 なんといいますか。しばらく前に買っておいて、読む時間を作れずにそのまま積んでいた小説を読んだのですが。 久し振りに、充足感のようなものを感じています。喩えるならば、美味しいものを腹いっぱいに食べたあとの満足感のような。 というわけで、““文学少女”と死にたがりの道化”を読んだのでした。 面白いお話、というのは今までいくらでも読んだのですが、ここまでスケールが大きくて重量感のあるお話は久し振りでした。 スケール、てのは、別にお話が長大だ、てことではないのです。ひとつのお話にいくつかのピースが詰め込まれていて、それが一般的なお話なら何話かにわけるところだってくらいのボリュームで、それをひとつに凝縮してるから密度があるという感じというかそれってスケールとは違うよねという気も今になってしてきましたが、まあそんな感じ。 まあそんな感じですので、かなり据わりの悪い未解決の断片もいくつかあったのですけど、あとがきによれば実はこれシリーズものだとかで。実に続きが気になります。
まあ本の帯にも書いてあることで、ネタばれ気にしなくてもいいことみたいなので書いてしまいますが。 物語のヒロインが、実際に本を食べるという、主人公からは妖怪呼ばわり(コミュニケーション上での冗談で、ですが)されている女の子でして。 心の糧を本を読むことで得る我々よりも、彼女はもっと直接的なアプローチで物語を摂取しているのです。 けれど物語を読んで心の糧を得るという意味において、物語を「食べる」というのは、この上なく適した比喩であると思えるのですね。それは心の養分を取り入れるということと同義なのですから。 だから、素晴らしい物語とは美味しい料理にも似て、空腹が満たされるのにも似て心が満たされるのだと思えて。食べ物を取り入れるのが体が生きるための力を摂取することなら、物語を取り入れることは生きる気力を充足させることであり、また、他の人にとってはどうかは知りませんが、俺にとってはそれがイコール創作意欲を掻き立てることにも繋がっていて。 早い話が、心が満たされているときほど、筆を走らせたくなるわけです。あー。けど時間が時間だし、仕方ない、寝るか。別に徹夜して書いてもいいんだけど、明日はなにも用事がないから多分寝るだけ寝てしまって目が覚めたら夕方だろうし、無理矢理起きても寝不足だと頭がすっきりしなくてまともに文章書けないだろうし、寝るのが無難。と。そういう結論になってしまう自分にちょっと損した気分。けどこればっかりは仕方がない。 あー、結論としては、お奨めなので読んでみれ、と。
余談。 「心が満たされる」というのは、なにに満たされてもいいと思うのです。幸福感でも、充足感でも、あるいは喪失感でも悲壮感でも、虚無感でも。 なぜなら、それが心にあるのなら、間違いなく心はその感覚に基づいて行動を求めることができるから。後は、求められた行動を吟味して、心にある感覚を手放さないうちに実行に移せるかどうか、だけ。物語を読んで得る感動は心の活力であり、心は間違いなく、行動への指針を示すものだから。逃避でさえも、そして停滞でさえも、それは行動の一選択肢なのだから。 ただし、心が満たされているときこそが、もっとも危険なときでもあるのも否定できない話。なぜなら、自分の心がいっぱいになってしまえば、それに阻まれて、周りに目を向けることを怠ってしまうから。回りの心に、目を向けるのを忘れてしまうから。 心は自分のものだけど、自分だけのものではない――底から活力を得るのは、自分だけではないから。 だから、本というのは物語を書き留め、ずっと残ってきたのではないか。だから、本に物語を記し、残す人というのがあとを絶たないのではないか。個人的に、そう思えて。 だから、自分もそのあとに続きたいのだと、それを再認識したのでした。
長い日記だな、おい。
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