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114 TRICK OR TREAT !!!!

今日は楽しいハロウィンだね!といっても日本にはあまりなじみのないイベントでもある。だってハロウィンで何かしたって記憶、あんまないもん。幼稚園のころは仮装とかしてたのかなぁ。おぼえてないな。お菓子はもらってた気がする。

でもこのイベントってなんか好きなんだ。イメージがいい。なんていうか、みんな笑顔なイベントって感じがする。みんな仮装して、ご近所にノックして、お菓子を強奪して??、パンプキンパイでも食べて。こんなに楽しそうなのに、なぜ日本ではまるでパーティーになんなにんだろう?

それ以前にみんなハロウィンがいつか知らないよね?何人かの友達に「Trick Or
Treat!!」ってメール送ったけど、「?」って返されちゃったよ。シクシク・・・。

ちなみに今日は俺の友達の誕生日でもあるのだ!たんじょうびおめでとぅ〜☆☆☆
2003年10月31日(金)

113 英語の日本語読み

俺は宇多田ヒカルの公式ホームページをたまにのぞいている。彼女のメッセージが定期的に更新されていて(たまにものすごく間があくけど、忙しいんだろう)、そのメッセージはときに彼女なりの理論があり、とてもおもしろい。そこで最近の話題が、英語を日本語読みしたときの間違いについてだった。

今、日本の松井選手が活躍するアメリカメジャーリーグの「ヤンキース」。これが「ス」はおかしいだろう!って話。正確には「ヤンキーズ」じゃないの?っていうね。

これにはすごく共感できるんだ。いや、別にヤンキースについて思っていたわけじゃないんだけど、例えば俺の場合で言うと、サッカー選手の名前ね。ヨーロッパのサッカー選手の名前をカタカナ読みしたとき、いろいろな読み方があって、雑誌によって書き方が違ったりする。単純にローマ字読みしただけではおかしいから、やはり聞こえてくる言葉を文字にしてみると、みんな聞こえ方が違う。このことに対する議論に結論があるわけじゃないと思うんだ。もともと言葉が違うものを、さらに文字におこしたところで、同じように伝わるはずもないよね。

こーゆーのっていろいろなところで言えることで、もっと根本的なものなんだよね。例えば、犬の鳴き声が日本では「ワンワン!」なのに、英語では「バウバウ!」とかね。あと、外国の曲のタイトルを、変な日本語にしてつけたりね。(でもこれは別問題か?)

言葉の違う国の文化を、言葉で伝えることは難しいってこと。できる限り向こうの言葉で伝えるか、それとも日本人に伝わりやすい形で伝えるか。俺はできれば前者がいいなぁ。
2003年10月30日(木)

112 オヤジ狩り

先日、俺の父親がオヤジ狩りにあった。普段あまり話をしない俺と父親だけど、この日は帰ってくるや俺を呼びかけ、話しかけてきた。おでこに怪我を治療したあとがあり、表情をみて、話し始めた言葉の雰囲気から、すぐに察した。会社から家に帰ってくる途中、3人組の若者に襲われたというのだ。暴行を受けながらも、なんとか走って逃げてきたらしく、怪我はそこまでひどいものではなかった。けど、その事情を説明する父親は苦笑いを続け、痛々しかった。母親や妹は俺なんかよりも全然ショックが大きかったらしく、朝ふたりに会うと、ものすごい勢いで「聞いた?聞いた?」とたずねてきた。どうやら俺は心のどこかでそういうことは起き得ることだという思いがあり、多少構えがあったんだと思う。それは父親が、ということよりも自分がそういう目にあうことはありえないことではないという思いだ。だから父親がそういう目にあったときに、驚きはしたものの、やはりありえる話だけに大げさには驚けなかった。

ほんと最低だ!許せねぇ!自分より力の弱いものを大人数で暴力を振るうなんて、見つけ出してぶん殴ってやりたい!でもやつらはわかっているんだ。どうやったって見つけ出せないことを。

やつらにあるのは、ちょっと強めの腕力と、卑怯な心と、群れにならなきゃなんにもできない弱さだけだ。そういう人間は昔から嫌いだった。一人では自分の意見を何ひとつ言えないくせして、集団になると人を罵り傷つけることをなんでもないと感じてしまう。あとでまた一対一になると、とってつけたような言い訳をし、ノリだから仕方がないなんて言ってのける。なんて弱い人間なんだといつも思っていた。

ちょっと反れてしまったけど、やつらの根本にあるのはそういう弱さだ。人の痛みを感じられない癖に、自分の痛みにはやたら痛がってケチをつけたがる。

まぁいまさら愚痴を言ったところでどうにもなるもんでもないけど、こういう行き所のない怒りを、せめてここにぶつけたかった。

あと、やはりニュースで流れているような事件というのは、怖くてもやはり人事であることが多いと思う。でもこうして知っている人間の肉親がこのような目にあったという事実でも人事となってしまい伝わらなければ、次に自分が本当に人事でなくリアルに感じられるのは、自分がそういう目にあったときでしかない。

俺の身の回りにこういうことがおきた。だからこのことを機に、これは起こりうることだと身に感じてくれたら幸いだ。女性は特に、そして男性も。日本も最近は治安が悪くなる一方だ。気をつけるにこしたことはない。
2003年10月29日(水)

111 音楽鑑賞歴��

え〜っと、洋楽ばっかり聴いている、音楽友達のいない少年まで話したんだね。うん。続きだ。

高校に入ってもそれは変わることなく、その後もCHICAGOやMichael Jackson、Air
Suplyなどにはまっていった。けど高校2年生あたりから、高校の友達とカラオケに行くようになり(それまではほとんど行ったことがなかった・・・)、邦楽を知った。邦楽界は俺が知っていたころとはまるで変わっていて、GLAYやCharaなんかが流行っていた。邦楽復活!!

高校生の頃は、とにかくHIPHOPを毛嫌いしていた。よさがわからなかったし、わかろうともしなかった。自分が好きなジャンルというのは確立されているように思えていたし、それは実際狭い範囲内(80年代バラードなど)ではあれ確立されていた。ハードではないロックを聴き、R&Bを聴き、およそポップスと呼べるものの範囲を抜け出ることはあまりなかった。それでもやはり俺が聴いていた洋楽は、周りの友達から見たら異質なものではあった。

大学生になってからかな?ジャンルによる選り好みは自分の幅を狭めるだけだと思い、これまで聴いたことのないジャンルを開拓しようと思い、Jazz,
Raggae, HIPHOP, Punk, Funkなどに手を出した。今はそんな風に開拓を続けている発展途上だ。

俺の音楽鑑賞歴で最も影響を受けたのが母親で、次に影響を受けたのが高校生のころの家庭教師の先生だ。家庭教師の先生は俺の好みを理解したうえで、さまざまな俺好みの音楽を教えてくれた。とにかく音楽好きの人で、大学では洋楽研究をしているようなサークルにはいっていた。現在Victorにつとめている。

こと音楽に関しては、人の影響は大きい。自分が好きであるという前提の上にのっかったものならば、全て受け入れられればと思うのだ。いつまでも自分が好きと思う音楽を聴き続けて行けたらいいな。
2003年10月23日(木)

110 音楽鑑賞歴��

さて、「読書歴」に続いては「音楽鑑賞歴」について語ろう。これまで聴いてきた音楽の歴史を見ると、その人の歴史が垣間見れるような気がする。俺は人の音楽鑑賞歴を聞くのが好きだ。なので、まれにいるかもしれない俺と同じく音楽鑑賞歴を聞くのが好きな人のためにも語ろう。

ほんと小さいころまでさかのぼれば、そりゃ〜童話だったりアニメソングだったりと、幼いころの音楽というものはある。まぁそれは抜きにしよう。俺の中での音楽の始まりは、みんなもそうであるように、親の影響が強い。俺の親(特に母親)は音楽が好きで、今だに俺はいい音楽を聴いているなぁと思う。耳が肥えているというか、母親がいいという音楽は本当にいい。小さいころ、全ての始まりは「サザンオールスターズ」であったと思う。とにかく母親が大好きで、洗脳してくるかのように脳みそにこびりついた。感謝している。そのほかに小さいころによく聴いたのが、「杏里」だ。杏里も今だに聴く、好きなアーティストだ。当時で言えば多少時代を先取りした感じで、アイドル最盛期?の80年代ではちょっと浮いた存在だった。まぁそのようにして少年時代は基本的に邦楽中心だった。小学校でもやっぱりB'zとか、プリプリとか、チャゲアスなんかが流行り、俺も普通にそれらの音楽を聴いていた。

母親が聴いていた洋楽を耳にしていたのはかなり前からで、「聴いたことある」と思える曲は山ほどあった。でもちゃんと記憶に残っている一番最初の衝撃的な洋楽は、QUEENの「Bohemian Rhapsody」だ。相当な衝撃で、ほんと参った。こんな音楽があるなんてってね。それが中学に入ったばかりのころで、それからは邦楽はまるで聴かず、ひたすらQUEENを聴きまくっていた。その後に出会ったのが、STARSHIP。彼らはアメリカのロックバンドで、これまたどっぷりはまってしまった。中学時代の音楽はそんな風にしてこの二つのアーティストを中心に洋楽を聴きまくっていた。ちなみに音楽を共感できる友達はまるでいなかった。。。悲しい。。。一人で好きな音楽を聴き続けた。そんな中学生だった。

結構書けたので、前後半にわけて、続きを次に。
2003年10月22日(水)

109 バイト話(カラオケ編�А�

カラオケのバイトで、仲間に霊感が強いという女の子がいた。彼女はかなり見えるらしく、彼女が霊感が強いというのは、店でも有名だった、らしく、俺はそのことをかなりあとから知った。俺はそういったことにまるで縁がなく、そういう話を興味深く聞いた。「どこで見えるの?」
彼女が言うには、この店にはほんと多いらしい。事務所の角にいつも子供が座っている、とか、フロントの周りを足だけがいつも駆け足でうろうろしている、とか、何号室に行くといつも背中にひっついてくる、とか。
そういう話はおもしろがって聞くんだけど、実際俺はそういう話をまるで信じない。というか、まるで何も感じられないから信じたくても信じられない。でもほんとにかなりハッキリといる!なんて言うもんだから、「う〜ん・・・ここにいるのか〜?」なんて思って、そのいるという空間にキックをした。「う〜ん・・・いねぇ・・・」俺には何も感じられなかったようだ。それでも彼女がいるという場所を見ると、ほんとにいるような気がしてうれしくなってきた。なんかかわいい気がして。
2003年10月15日(水)

108 Generation Gap !

この間母親がふいに言った。「あんたってニュージェネレーションなのかね?」「・・・・・・・は?」
ラジオで「ニュージェネレーションの境界線をどこで決めるか」という話題があったらしい。なるほどね。で、どういう境界線があったかというと、
・「テープを使っていたか?」
・「ポケベルを使っていたか?」
・「タトゥーの行動は許せるか?」
・「帽子をかぶったまま食事をするか?」
などがあるらしい。う〜ん・・・俺はどうやらオールドジェネレーションらしい。ていうかこれらに当てはまる世代って、今の中学生とかそんくらいじゃないの?テープは高校生まで使っていたし、ポケベルも高校生のときに番号で打つのめっちゃ早かったし、アンチタトゥーだし、帽子をかぶったまま食事はしないなぁ。
まぁ何はともあれ世代は移り行くものなのさ。しみじみ。。
2003年10月12日(日)

107 結婚!?

「独身3」というドラマを見た。俺はドラマはラブストーリーが嫌いで、月9なんかでやる高視聴率のコテコテの恋愛ドラマを見ない。ドラマはどたばたコメディ系が好きで、くだらないと思いつつ見る。深く考えなくていいものがいい。それでこの「独身3」もくだらないドラマで、どたばた系で、まぁまぁおもしろい。
このドラマでは29歳の独身男3人組が主人公で、もてない3人は合コンに命を懸けて、結婚できないことに焦っている。「だせ〜!」「くだらね〜!」なんて思って見ていたけど、もしかしたら将来自分がそうなっていないとも限らないかな?なんてね。
少なくとも今、俺には結婚願望なんてものはまったくなく、いくつまでに結婚したい!ということもなく、またそれ以前に結婚する気すらさらさらない。そんなことは高校時代から思っていて、今も大してその思いは変わってないんだけど、これからどうなるかはわからない。これまではあまりに現実味のないことだったから、深く考えないで言っていた、というのもあるんだけど、最近は結婚した昔の友達に出会ったり、彼女と長い付き合いをしている友達が結婚について考え始めたりと、現実味を帯びることに感じられてきた。だからといって結婚したいなぁなんて思っているわけは、まさかないわけだけど、そう言い続けて言い続けて、いつの間にか29歳になったときに、相変わらず焦りもなく同じことを言っていられるとは限らないかもな、とは思った。
昔から「絶対自分はそうならない!自分はそう思わない!」と心に誓ったことでも、実際に変わらないものもあれば、変わってしまうものもある。変わらなければいいとは言わない。そういう可能性も考えて、「少なくとも今は」と前置きをおいた上で考えると、先はまるでわからない。
今は結婚について考えることなんてないけど、これから先のことはわからない。みんな結婚願望ある?いくつまでに結婚したい?
2003年10月11日(土)

106 秋

もうすっかり秋だね〜☆秋は好きだよ。夏が終わって、みんな少し寂しそうで、そんな雰囲気が枯れていく木々を背景に街ににじみ出る。そんな街並みを見て、少し切なさを感じるくらいがいい。秋という季節そのものに風情がある。
秋というと、「食欲の秋」だとか「芸術の秋」だとか「スポーツの秋」だとか、いろいろ言われるよね。せっかくだからどれかひとつに絞らないで、全部手に入れたい。だって欲張りだからさ。去年の秋は男友達3人で、日光にあゆを食べに行って、温泉にもつかってきた。紅葉も楽しめたし、できることなら今年もやりたいねと、ただいま計画中。どこかに名産物を食べに行きたい。スポーツをするにもちょうどいい季節だね。暑すぎず、寒すぎず。今はサッカーを中心的にやっているけど、別にこだわらずいろんなスポーツをしてみたいと思う。芸術の秋はもう満喫しているかな?映画を観まくっている。「読書の秋」とも言うよね?読書してるよ〜!でも芸術の秋というからには、もっと芸術を楽しむのもいいかもしれない。どこかの美術館にいってもいいし、写真展とかね。
秋になって一番の楽しみはやはりファッション!なんだけど、新しく服を買う金がない・・・。夏には楽しめなかったアウターや、マフラーなんかの小物も登場して、楽しくなってくるね!でも金が・・・。
今年は夏が不甲斐なかったから、秋に期待だね!存分に楽しむぞ!
なんかイマイチまとを得ないVOICEになってしまった。。。
2003年10月09日(木)

105 皇族に対する敬語

これは思想の問題になるんだろうか、昔からわからないことがある。皇族という制度に対してだ。なぜ皇族に対してすべてが敬語なんだ?敬語どころか皇族に対してある特別な言葉。生まれてからずっと、そこまでの疑問を持たずにきたけど、現皇太子の娘が生まれたときに大きな疑問になった。生まれたばかりの赤ん坊にたいして「〜さま」と呼ぶのはどう考えてもおかしいことだよ。誰がどこで決めたルールかしらないけど、そんな得体のしれないルールに疑問をもっているのか知らないけど、従っている国民にも恐ろしいものがある。
彼らが俺らに何をしてくれるんだ?人間はみな平等だ、なんて誰が言ったか知らないけど、そんなことを古いナラワシひとつで吹っ飛ばしてくれてるよね。メディアがどうしてそうも徹底した言葉使いをするかは想像つくよね。使わなかったらどうなるか、そういう縦の構造ができあがってるんだろうな。でもね、メディアを製作する側が使いたくて使ってるんじゃなくても、やっぱりそういう皇室への敬語なんかを聞くたびに、俺は社会だとか日本という国だとかの強大さに怖くなったりするんだ。
実際にじゃあそういう制度をなくそう、となったら、それはそれで大変なことなんだろう。元は「王室」であり、今もそれが存在する以上、皇室への敬語がなくなったら存在できなくなってしまうのかもしれない。そういう意味では、その皇室への敬語という不自然さによってバランスが保たれているのかもしれない。
それを理解したうえで思うことはさ、せめてうちらはそんな不自然さを目の当たりにしたら、苦笑いをするくらいの姿勢でいてもいいんじゃないか、と思うんだよ。だって、生まれながらにして国民に敬語を使われるんだよ?皇室の赤ん坊に対して民衆が群がって、ちっちゃい日本の国旗を振って叫んでる人みるとさ、少なくともここは昭和だよな〜、なんて思っちゃうんだよ。ここで言う昭和ってのは悪い意味でね。もちろん今の日本でそんな人はごく一部なんだろうけど、それでも昔から国民に根強くある皇室に対する考え方は、なかなか変われないのかもしれない。
今こんなことを俺がもしメディアの前で口走ったら、どんな目にあうのかな?そんな国じゃないとは思いたいけど、まぁあまりよくない目にはあいそうだよね。俺が求めるのはさ、テレビなんかで、皇室に敬語を使う人もいれば、敬語を使わない人がいる、という状態がほしいってこと。結局どうするかは個人の自由なわけだから、だったら使わない人の存在だって認めなきゃ。ニュースのアナウンスなんかはいいよ。敬語を使えばいいさ。でも、それ以外でもその点に関して徹底されているのはやだな。
俺としての結論は、好きなものには敬意を払う。敬語は強要されるもんじゃないし、使わないからと言って罰を受けるもんでもない。俺は別に皇室が好きではない。ということ。
2003年10月05日(日)

104 読書歴

今、俺にとっての大きな喜びのひとつは「読書」だ。そこで「読書歴」について語ろう。
読書歴は小さいころから始まっていた。多くの人がそうであるかもしれないけど、うちは小さいころから親に読書を薦められた。そうすることは今の俺にはとてもよくわかることで、もし俺に子供ができたら、やはり読書は薦めると思う。でもやっぱり小さい子供にとって、読書は苦痛になってしまうことも多い。それが普通だったときはよかったんだ。でも、世の中には他にもたくさん楽しいことがあって、漫画を読みたかったり、ゲームがしたかったり、そのとき友達が遊んでいるものがほしくなる。そんなときに読書をすすめられてしまうと、それまでは普通に好きだった読書も嫌いになってしまう。誕生日プレゼントが本だったときはショックだったくらいだ。
それでも小学生のころ進んで読む本があった。歴史の本だ。歴史はずっと好きで、その本は小学生向けくらいの大きな字で書かれた、やさしいもので、歴史上の人物一人にスポットをあてて書かれたものだった。定期的に新しい本が出され、たぶん70巻くらいまであった本のほとんどすべてを読んだ。
中学生になると猛烈に本を読んだ。学校の図書館で本を借りるには、「読書カード」があって、それをいっぱいにするのがうれしかった。そのころの俺の興味は、伝記や童話などになっていた。三銃士がすごく好きで、いろいろな三銃士を読んだし、意味もわからずシェイクスピアを読んだりもした。中学のころに読んだ本の量は結構なものだった。
高校にあがると、読書の熱はすっかり冷めてしまっていた。たまにものすごく読みたい本なんかを見つけると、授業中にひたすら読み続けるということはあったけど、それ以外ではほぼ読書は皆無だった。
大学に進み、本を読まなきゃまずい!という意識が芽生え、本屋で名前が聞いたことがあるという安易な理由のみで、村上春樹の「1973年のピンボール」を読んだことで、今の俺の読書熱は復活した。
余談だけど、どの時代をとってみても、それこそ読書にのめりこんだ中学生時代でさえ、なぜか読書感想文となるとだめだった。課題図書に指定される本に、魅力が感じられなかったんだ。今となっては当時に課題図書に指定されていた本はとても興味深く、楽しく読むことができるんだけど、そのころの俺にとって日本文学やらはどうでもよかった。でもそれは、その年頃にあった本を選ぶべきだ。どんなにすばらしい内容の本であったとしても、興味を示すことができなければ意味がない。無理して難しい本を読んだって、自分にとってはなんの意味もない。それは今でも変わらずいえることだ。
2003年10月01日(水)

VOICE / マッキー

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