5月の連休前後に、両親に遊びに来てもらおうと考えた。 私の父は92歳、母は89歳、都内のケアハウスにいる。年なりの衰えはあるが、まだ元気である。 それぞれ、介護保険のサービスを受けながら、生活している。 今度家に、数日間滞在する場合の介護はどうなるのか、私の住んでいる市、親の住区、いま暮らしている施設、それぞれの答えはこうである。 私の市 市民の親であっても、住所が別の地区にある場合はこちらのサービスは受けられない。もし受けたければ、いったん住民票を移して再度ケアマネージャーに、ケアプランを立ててもらい、申請、決定、実施と言うことになる。この間、2週間ほどかかる。 親の住区 住民であるから当然、いまの介護は受けられるが、外出中の介護をどうするか、前例がないので、東京都と相談中である。 ケアハウス 外出の日、帰る日は、ハウスのケアが付いたことになるので、その日のサービスは、外出先には付かない。間の日は、自費でヘルパーを捜してほしい。 親が家にいる間、入浴に介助が必要な父のために、サービスを受けたいと問い合わせた答えが、以上のようなことであった。 これらの答えを総括してわかったのは、高齢の親が何らかの施設に入った場合、自由に外出したり、子どもの元に泊まりに行くことを、自治体などでは、あまり想定していないと言うことである。 行く日と帰る日云々と言うことには、思わず笑ってしまったくらい、妙な解釈なのである。つまり、私の親たちがハウスから出て、何日か私の家に泊まってまた帰るとき、家にいる何日間は親は存在していないという扱いなのである。 ハウスで受けている介護を、私の家でそのまま受けられると思うのは、おかしいのだろうか。介護というのは、その人個人に付いているのだから、日本全国どこでも、受けられるのが本当だろう。医療保険と同じではないか。 そう言うと、「役所というのはどうも・・」と、親の住区の係が言ったが、そんなことでは困るので、何とかしてくれと食い下がって、明日答えが来ることになっている。 いざとなれば自費で誰かを頼むしかないかと思ったが、考えるくらいはしてほしいので、関係者に宿題を出したわけである。 介護保険が大々的に鳴り物入りで登場して2年、親がいたときはまだ導入されておらず、私も役所関係をかけずり回って、訪問看護や、通所サービスなどを利用した。しばらくそう言うことと遠ざかっていたが、今度のことで、久しぶりに熱くなった。 2002年04月24日 23時44分43秒
インターネットは、主にボードを通じて、いろいろな人と交流を愉しむところである。 名前や顔を知っている場合もあるが、多くは、どこの誰ともわからずに、会話をするのである。それはとても面白い反面、一歩間違えると、とんでもない危険もふくんでいる。 ほんの些細な言葉のつかいかた、言い回しが、読む人の受け取り方で、全く違う意味に取られたり、誤解を生んだりする。 知らない人だからいいだろうというのは、間違いで、知らない人だから、知っている相手以上に、神経を使わねばならないことが多い。 それがわかってきたのは、パソコンを始めてしばらくしてからである。 まだメールの段階だったが、便利で手軽だと思っていたメールが、実は、手紙や電話、実際の会話よりも、難しいものだと言うことを感じるようになったのだった。 拝啓も敬具もなしのEメール機械のごとき言葉並べて これはそのころ作った下手な歌だが、私の実感であった。メール交信を始めた人と、よくケンカをしたからである。顔見知りではあったが、さほど話したことのない人と、メールで手軽に意思疎通が出来るようになって、とても嬉しかったのだが、簡潔に用件だけ書くのがメールであるらしいのに、私が、手紙と同じ性格を、メールにも期待したからであった。 「深読みのしすぎ」と、よく言われるくらい、省略の多いメールは、私には、時として不消化なものだったからである。 ちょっとした言葉の使い方に、過剰反応してしまい、相手に不快感を与えたこともあったと思う。 だんだん、メールというものがわかってくると、それなりの使い方にも慣れ、メールの利点を理解して使えるようになり、やはりずいぶん便利なものだと感じるほうが、最近は多い。 しかし、個人的なメールに比べて、世界に向かって開かれているインターネットは、もっと、いろいろな要素を持っている。 どこで誰が見ているかわからないインターネットの世界、たとえ、大々的に公開していなくても、その気になれば、忍び込めるらしい。だから、インターネットを愉しむには、多少のリスクも、背負うのだと言うことを、理解した方がいいかもしれない。 ホームページを持ち、ボードの運営もするようになって、そんなことをあらためて感じている。現実の自分とは違う人格が、ネットの中には生きているのだと言うことを、肝に銘じるべきだろう。 2002年04月23日 00時33分42秒
昨日、中央線のある駅でのことである。 エスカレーターを上ると、電車がホームに停まっていたので、急いで乗った。 若い頃のように、階段を駆け上ったりしない。エスカレーターがあれば、それに乗って、片側を空け、急ぐ人をやり過ごし、走れば間に合うようなときでも、一台見送るのだが、その時は、まだベルも鳴っていなかったので、間に合うと思ったのだ。 乗ってホッとして、すぐに発車するだろうと思ったら、電車はじっとしている。 急行を待ち合わせる場所ではない。 どうしたのかと思っていたら、ホームにアナウンスが流れてきた。急病人が出たために、担架を待っている、少しお待ちくださいという内容であった。 やがて、あわただしく担架がホームを走って、どこかの車両から、病人を降ろしたようだった。 その間も何度か、電車が遅れる理由をアナウンスが告げ、そのうちに騒ぎは収まって、電車は発車した。遅れた時間は、10分もなかったと思う。 走る電車の中にも、アナウンスが流れ、アクシデントでやむ終えず発車が遅れたこと、そして「大変ご迷惑をおかけいたしました・・・」と、繰り返し、詫びているのである。 このことに私は違和感をもった。 急病と言うからには、心筋梗塞とか、脳卒中とか、予期せぬ事態で、文字通り、急を要したのであろう。 担架で運ばれた人は、無事、病院に行ったのだろうか。命は助かったのだろうか。それも気になるが、そのようなときに、自分の頭上で流れたアナウンスを、その人は、どんな気持ちで聞いたのだろう。 電車が発車できない事情、遅れるわけ、それを簡単に乗客に知らせるのは、必要だったとしても、「お急ぎのところ、ご迷惑をおかけします」と言うことまで、繰り返しアナウンスする必要があるだろうか。 担架を待つために、数分遅れたからって、何度も謝らなければならないことなのか。急ぐ人は、別の電車を使えばいい話を、なぜ、あんなに繰り返して、詫びなければいけないのだろう。 秒刻みのダイヤルで動いている電車、その正確さは世界に誇るほどだ。でも、急病人や、何かのアクシデントがあった場合、そのための遅れを過剰なくらい、言い訳したり、謝ったりしなければならない社会というのは、ひどく人間的でない気がする。 知らない人であっても、病人を気遣い、適切な対応を受けて良かったと、言える社会でありたい。 2002年04月20日 00時39分26秒
田園都市線「鷺沼」というところに住む人の誘いで、晩春のハイキングを愉しんだ。 連れ合いの高校時代の友人とその配偶者、併せて男女10人は、年に2,3度、こうして日帰りの散歩や一泊旅行、また都心で食事やお酒の語らいの機会を持っている。 若い頃は、男同士で一杯飲んだりしていた。妻たちは、子育てなどで忙しく、あまりつきあいがなかった。 夫婦単位でつきあうようになったのは、それぞれの子供たちが成長し、独立し始めてからである。結婚前から私も知っていた2人に、一人ずつ参加者が増え、今は5組のカップルで、遊んでいる。 女性軍は、いずれも、夫の友人づきあいの縁で、入っているのだが、お付き合いという気持ちはなく、昔からの友達のように、仲がいい。こういうことは珍しいのではないだろうか。 男の人たちも、昔からの友達ではあっても、お互いに礼儀と節度、ほどほどの距離を保ちながら、思いやりの気持ちを忘れない。すばらしい人間関係だなあと、いつも感心する。 情に厚く、シャイで、ちょっと変わったリーダー格のN氏、私はこの人に示唆されて連句をやるようになったのだが、本人は、今、止めてしまい、どんなに私が誘っても、一緒にやろうといわない。 車の運転がうまくて、旅行の時に頼りになるK氏は、江戸時代から続く漆器屋の主、家族思いで、文芸にも詳しい。一時、連句もやっていたらしい。 現役時代は猛烈サラリーマンだったというA氏は、最近リタイアした。いつも、グループの会計係を買って出てくれる。今日のハイキングは、その夫婦の発案、自宅は、花いっぱいの庭がすばらしかった。 そして大酒飲みのW氏、少年たちに柔道を教えている。 我が連れ合いも、酒飲みだったが、最近は弱くなって、もっぱらカメラマン役を務め、行事のあとは、デジカメの写真を送信している。 男性たちは同じ年で、そろそろ仕事から身を引き、趣味や社会活動をしつつある。 秋には、どこかへ一泊旅行しようという話が出た。いつまでも、元気で、交友を続けたい。 2002年04月15日 02時25分37秒 文字通りのホームページ ホームページ作成ソフトの、新しいのを買った。付録として、5MBまでのスペースがついていた。 そこで、今まで作ったホームページと別に、我が家のファミリーページを作ることにした。きょうだい、子供とその配偶者の間の、近況報告や、連絡に、ちょうどいいと思う。 それぞれ仕事などで忙しく、滅多に会わないので、せめてネット上で、気の向いたときに、お互いの様子を知らせ合ったらいいんじゃないかと思った。 さしあたり、表紙と掲示板だけ作り、アップした。 連れ合いがまずメッセージを書き込んだ。 私の世代は、そろそろ暇になっているが、子供の世代は、電話もなかなか通じないくらい、忙しい。こんなものがあれば、あまり構えないで、伝えることができる。 表紙には、先日の中国旅行の写真を載せた。 2002年04月15日 23時27分48秒
連句の集まりの中に、発句の会というのがあって、年4回ほど集まっている。私は、発句がからきしだめなので、ずっと敬遠していたが、最近は、席題でやるようになったので、考えて行かなくていいからと、先回から出始めた。 そして最高点をとったので、気をよくして今日も出かけていった。 この会は、先生はおらず、集まった人たちの互選で選ぶことになっている。今日は12人の出席者であった。 逝く春や通奏低音転調し 切れ凧の糸泳がせる微風かな 掛け軸を入れ替えてみる薄暑かな 少し遅れて着き、10分ほどで急いで作ってだした句。 「凧」「奏」「行く春」が席題だった。 2002年04月14日 00時04分01秒
先週の中国旅行は、平均年齢70歳以上かと思うような、中高年者の集まりだった。唯一、女子大生が一人いたが、これは祖父母の旅行に付いてきたのである。 私たち夫婦は、最年少カップル、ほかに60代が、3人ほどいたらしいが、見たところは、75,6の、しかも男性が多かった。 海外旅行というと、女性の方が多いのに、なぜだろうとはじめ思っていたが、少ししてわかった。彼らは、太平洋戦争時、中国戦線に従軍した経験の持ち主で、中国には、何度も訪れたことがあり、特別な感慨があったらしいのである。 中国語ができる人が何人もいて、別に団体旅行でなくても良さそうなのに、ツァーに参加したのは、もう、一人旅にはきつい年になっていて、団体だと荷物や移動が便利だし、面倒な手続きもいらないし、食事の場を探す手間もいらず、何より、たぶん安心感があるのだろうと想像した。 奥さんを亡くしたり、いても付いてこないとかで、夫婦で共通の楽しみを持つことになじんでない年代かもしれない。 この中で、グループの人たちには普通なのに、添乗員や、現地ガイドに対して、高圧的なもののいい方をする人が2,3いて、何度か不快な思いをした。自分より下と思われる人に威張る人というのは、旅行でなくとも、時々いるが、私が一番嫌いなタイプである。 「この次は、70歳以上の男の人が参加するツァーには、行かないわ」なんて話していたら、そばにいた男性も同年代だったらしく、「いやあ、ああいうのはちょっと珍しいですよ。あまりいませんよ」と、言い訳をした。 以前にも、どこかのツァーで、威張る男性(やはり70歳以上)と一緒になり、私を会社の女の子扱いにして、ものを言うので、旅行の終わりに大げんかしたことがある。今回は、「俺がいるところでケンカするな」と連れ合いが言うので、我慢した。 でも、何日かたつと、そういう人たちも疲れてきたらしく、おとなしくなり、私の冷たい視線のせいかどうか知らぬが、文句も言わなくなってしまった。後半は、愉しく旅をすることができた。 旅にはハプニングがつきもの、少しばかり予定がずれたり、現地の事情で思うように事が運ばなくても、そのこと自体を楽しむというのでないと、自分も、周りもつまらないのではなかろうか。仕事や、会社の出張じゃないんだからと、私は言いたかった。無用の用という言葉があるが、旅は無用の用そのもの、人生にこれが多いほど、心は豊かになれると、私は思っている。 2002年04月11日 23時26分18秒
ウインドウズの再インストールをしたので、ホームページが、半分くらいやり直しになったが、シナリオのように、更新の必要のないものは、ウエブ上で表示されているものを、リンクさせて使えることがわかり、だいぶ助かった。 表紙を作り替え、ページ内のリンクを新たに設定し直して、何とか、元の形に近いものにした。 まる2日これにかかって、もうパソコンの顔も見たくないが、一時はやめてしまおうかと思ったホームページが、どうやら復旧できそうなのは、やはり嬉しい。 ただメモ帳に入れておいたエッセイなどはなくなったので、また細々と書いていくことになるが、あまりがんばらないことにする。 インターネットをやり始めてから、目がずいぶん悪くなったような気がするので、気になっている。良いはずはない。 朝1時間、昼1時間、夜2時間くらいにすれば、前にテレビを見ていた時間と同じくらいだから、と思ったりするが、なかなか難しい。 時間を過ぎたら罰金でも払うようにしようか(誰に?)なんて考えている。 来週から連句の5吟が始まる。今参加してくれそうな人4人、またまたホットな付け合いが愉しめそうである。もう一つのボードも、新しい人が訪問してくれて、こちらもなかなか手強い相手、そうそう休んではいられない。 嬉しい悲鳴と言うところか。 2002年04月10日 19時47分10秒
久しぶりに見る日本の晩春は、少し曇っている。 中国は、初夏のように、汗ばむ日々だった。持っていったコートやセーターを、ほとんど使わなかった。 10日間の旅の間、ずいぶん歩いたのに、疲れはあまり残っていない。行き帰りの飛行機に乗っていた時間が、3時間足らず、ヨーロッパなどに比べると、やはりずいぶん近いのだと実感する。 帰ってから、洗濯と、留守中の手紙の整理などに追われていたが、それもほぼ片づいた。 人、人、人の広い中国から帰ってくると、日本は静かである。 留守の間にチューリップが花を咲かせていた。あまり雨が降らなかったのだろうか、重たげに、頭をたれている。早速水をやった。 ネットと離れていて、それもいいなと思っていたが、帰ってくるとやはり、始めてしまう。ブロードバンドは麻薬だ。 旅行を期に、やめてしまおうかと思っていたホームページ、やっぱり捨てられそうもない。 少し方針を変え、ボード中心にやっていこうかと思う。ネットは、生き生きとした動きが命で、過去の古い作品を発表する場ではないような気がする。 人に見せることを主眼としているわけではないが、自分がひとのページを見ていて、そう思った。 2002年04月09日 13時10分45秒
先月29日から今月7日まで、中国江蘇州を旅して、昨日帰ってきた。 10日足らずの短い旅程だったが、いろいろおもしろい経験をした。初めて訪れた中国は、私の想像したものと、少し違って、なかなかエキサイティングであった。 その報告は、少しずつ、このホームページに載せるつもりである・・・と、ここまで書いて、私は正直なところ、ホームページをこのまま続けていくかどうか、かなり迷っているのである。 一つは、ホームページを更新するためには、まず、今、止まったままになっている私のパソコンのウインドウズを、インストールし直さなければならないと言う、技術的な問題がある。保存していないデータは失われるので、ホームページをまた1から作り直さねばならない。ボード以外の17ページ分を、新たに編集し、リンクさせる必要がある。これは、かなり厄介である。 もう一つ、こちらの方が大きいのだが、手で書いたものと違って、一瞬にして失われてしまう器械のむなしさを、この一月の間に3回も経験して、なぜこんなことに時間と精力をつかわねばならないのだろうという疑問、所詮虚構でしかない人のつながりに、はかなさと寂しさを感じてしまっていると言うことがある。現実の人間関係にも、傷つくことの多い私だが、ネットの世界でも、時として私は、同じように感じてしまう。よほどタフな神経を持ち、常に前を見て進んでいける人でないと、ネットで生きていくのは難しい。 中国のバスの車窓から見える、一面の菜の花を見ながら、そんなことを考えつつ、帰ってきた。そして、たまった雑用を取り敢えず片付け、深夜またこうしてキーボードを叩いている自分を、何か妙な気持ちで眺めている、もう一人の自分がいるのである。 活字の世界に戻りたい。 ドスとエフスキイや、魯迅の作品に浸りたい。 便せんに縦書きで、誰かに手紙を書きたい。 郵便受けにコトリと落ちる返信を、じっと待っていたい。 ほんの1年余り前の私は、そう言う世界に住んでいたのだった。 2002年04月08日 01時20分
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