南側に面した家が、建て替えることになり、今、解体工事中である。 いままで、110坪の敷地に、平屋の家が建っていた。 昭和30年代に建った、昔ながらの工法による木造の家である。 私の親と同年代の、明治生まれのご夫婦が住んでいたが、この5,6年の間に亡くなり、昨年後半は空き家状態で、時々、近くに住む男夫婦が、管理しに来ていた。 私たちがここに引っ越してきたのは、昭和47年、まだ若く、世間の付き合いに疎い私たちは、何かとサポートしていただいた。 特に私は、奥さんからは、親のように、相談相手になって貰い、つかず離れずの、良いお付き合いをさせていただいた。 ご主人は、社会的地位のある人だったが、少しも偉ぶったところが無く、道で会うと、向こうから挨拶してくれるような人で、私の連れ合いとも、時々話し相手になってくれた。 隣人というのは、こちらから選べないので、難しいものがある。 近所付き合いの下手な私だが、このご夫婦にだけは、イヤな思いをしたことが一度もない。 こちらから何かをするより、お世話になったことの遙かに多い関係だったが、何もお返ししないうちに、相次いで、故人になってしまった。 長男夫婦は、親たちが要介護状態になってから、半分泊まり込みで、世話をしていた。 ヘルーパーの手を借りながらであっても、毎日のように通ってくるのは、大変だったろうと思う。 私の親たちが引っ越してきたとき、ちょうど同世代なので、良いお付き合いが出来ればと思っていたが、少し遅かったようである。 双方とも、新しい人間関係を築くには、年を取りすぎていた。 両方の親たちを見て感じるのは、人が新しい環境なり、人との付き合いなりを、抵抗なく受け入れるには、エネルギーが要ると言うことである。 お隣のご夫婦は、終生自分の家で暮らせたことは、幸せだった。 そして、私の親たちは、ケア付きマンションで、暮らしている。 無人になった家が、この先どうなるのか、気になった。 転売すれば、大きな土地だから少なくも4軒の家が建つ。 どんな人たちが引っ越してくるのか。 我が家の、真南に面する家だから、そのあとのことを、大いに心配した。 しかし、今年になって、長男夫婦から「家を建て替えて住むことにしました」と聞き、ホッとした。 今までの平屋とは行かないから、2階建てにはなるらしいが、私たちとほぼ同世代、親たちと似て、いい人達である。 「よかったね」と喜んだ。 そして、先週から、いよいよ家の解体工事が始まった。 近隣に充分気を使って、工事をしている。 こういうことにも、注文主の人柄が現れるものである。 きっと住人に相応しい、良い家が建つことだろう。 沢山あった庭木のうち、大きい物はサルスベリだけ残し、あとは、数本を庭師にあづけ、大部分は処分するとのこと。 建物と庭木が無くなって、見通しが利くようになった道路から、人の通るのがよく見える。
今は、女性の社会進出が、普通のことになったから、男の人だけの問題ではないかも知れないが、会社や組織で、長年働いてきた人が、地域社会や、自主的な趣味の集まりなどで、何かをするとき、時に、男上位のタテ社会の論理をそのまま持ち込んで、うまく行かないことがある。 ことに、現役時代、何かの事情で、自分の理想や夢を充分果たせなかった人に、この傾向が強いようである。 その人たちは、違った場所で、それを取り返そうとするのかも知れない。 もう一昔前のことだが、女性が多くを占める地味なボランティアグループにいたことがあった。 グループとしては、15年を超える歴史があり、メンバーはほとんどが主婦達。 勿論、長となる人はいたし、会計や行事担当など、いくつかの役割はあったが、目的は地域のボランティア活動だから、みな、自分の出来る力で自主的に参加し、うまくやっていた。 そこに定年を迎えて、参加する男の人も、ぼつぼつ出てきた。 今までの、タテ社会から、肩書きの何も通用しない世界に、入ってきたわけである。 今までとは違うのだという意識を持ち、自分をまっさらにして、とけ込む努力が出来る人はいい。 しかし中には、新しい環境に張り切って参加したものの、それまでの、会社人間的資質をそのまま持ち込み、今までの価値観から抜け出せず、グループから浮いてしまう人もいた。 女性達は、実生活でも、男の人をうまく立てて、物事を運ぶことに、慣れているので、最初は、やさしく親切に、対応する。 しかし、それを当然と思って、偉そうな態度を取れば、みな、シラケてしまう。 男だから女の上に立つのが、当たり前だという態度は、もってのほかである。 大企業で働いてきた人の目で見て、如何に、稚拙な運営の仕方であっても、グループには、それなりに築いてきた経過があるのだから、まずは謙虚に学ぶという姿勢が大事であろう。 逆に、現役時代、かなりの地位にあった人が、ボランティア活動などでは、むしろ一番地味な作業を受け持って、生き生きとしていることがある。 多分、それまでの人生で、充分に仕事をし、思い残すこともなく、人を使う煩わしさから解放されて、新たな発見をし、新鮮な気持ちになれるのかも知れない。 営利団体ではない趣味の会でも、ある程度人が多くなると、多少はタテ社会のやり方で、まとめねばならない場面も出てくる。 定期的な行事、外の会との付き合い、会の名前ですることには、全体の合意が必要だし、そのための情報交換の手段も要る。 代表者、それを補佐する人、会報を作ったり、会計を受け持ったり、いろいろな役割がある。 一人で出来ることもあれば、チームを作ってやることもある。 中高年者が多数を占める団体の場合、そうした人事にも、とかく男性中心になり、女性が補佐役に廻ってしまうのは、これまでの、社会環境からして、仕方のない面がある。 何と言っても、男の人は、組織作りがうまいし、人脈も持っているのだから。 しかし、その中での、小さいチームで果たすことについては、男女を問わず、適材適所でやっていけばいいのだが、そこにも、男上位のタテ思考を持ち込む人がいると、チーム活動はうまく行かない。 ある程度のスケジュールや、方向性があったとしても、チーム内で、合意を測りながら、ゆっくりやればいいのである。 儲け話ではないし、それで、名を売るわけでもない。 たかだか趣味の会の、本来自発的なボランティアで参加している活動である。 民主的に話し合い、試行錯誤を重ねながら、よりよい物にしていけばいいというたぐいのことである。 役割分担はあるが、会社で言うような上下関係はないのである。 そんなところに、高圧的な態度で、仕切る必要がどこにあるだろう。 子どもの集まりではない。 それなりの人生経験を持った人たちのグループである。 物の言い方もわきまえず、まるで下請け会社をやり込めるような態度を取れば、ほかの人から反発を食らうのは当然であろう。 ボランティア活動に、妙な野心を持ち、功を焦る人は、ダメである。 そういう人は、結果がよければ、自分の手柄にするだろうし、うまく行かなければ、他人のせいにする。 たまたま私が関わった、ある事例を通して、痛感した。
山荘の軒下に、蜂が巣を作ってしまったことは前に書いた。 管理事務所に相談したら、表には見えない屋根の中に巣があるため、駆除するには、手間とお金がかかる。 そこで、そのままにして、秋に巣立つのを待つことにした。 幼虫が巣立ってしまえば、あとは空の巣が残り、蝋になるだけで、同じ場所には、巣が作られることはないと言う。 先週来たとき、蜂の巣のある場所を確かめ、そこにはなるべく近づかないようにし、家から出るときは、白い長袖シャツと白い帽子をかぶり、洗濯物は、離れたところに干した。 いったん東京に帰り、九日からまた来ている。 ところが、もう一つ、玄関下の近くの高床の下に、また一つ、蜂の巣が出来ているのを夫が見つけた。 今年はなぜか、蜂の巣が多いらしい。 みると、新しい巣は握り拳くらいの大きさである。 気を付けてみなければ見えない位置ではあるが、剥き出しである。 「これなら、退治できないことはないなあ、殺虫剤を買ってきて、暗くなったらやってみるか」と夫が言ったが、「刺されたら大変じゃないの。管理事務所に相談したほうがいいんじゃない?」と言うことになって、今朝夫が電話を掛けた。 やがて、管理事務所から、Sさんがやってきた。 山荘の水抜きやら、下草を刈ったり、雪折れの樹の始末など、何かと頼んでいる。 最近の大きな仕事は、雪で倒れかかった樹木の伐採で、家の屋根に倒れかかってきた数本の樹木を伐って貰った。 蜂の様子を見たSさんは、「まだ出来たてだから、すぐやっつけましょう。これはスズメバチだから危ないですよ」と言って、殺虫剤と、木の棒で、退治してくれた。 頭からすっぽりビニールのコートを被っての作業である。 巣は一日一日大きくなるので、見つけたら、早く処理した方がいいらしい。 「女王蜂を退治したから、もう大丈夫ですよ」と言う。 「仮面ライダーって知ってるでしょう。アレとそっくりの顔ですよ」と言いながら、なおも、殺虫剤をふりかけ、「暫く戻り蜂が来るけど、女王がいなけりゃ、そのうちに来なくなりますから」と言った。 「奥さん、今日一日は、近くに寄らないようにして下さいよ」と、家の中からこわごわ覗いている私に声を掛けた。 今年は蜂が多く、Sさんは、作業中に一度刺され、あとが大変だったらしい。 毒が体に残るので、2度、3度と重なるといけないという。 そんな中での作業なのに、「今日の分は、サービスだから良いですよ」と笑顔で、帰っていった。 たった一匹の女王蜂を中心に独特の社会を形成している蜂の世界。 「研究したいから、駆除しないでくれ」というひともいるらしい。 インターネットで調べてみた。 女王蜂と働き蜂の違い これはミツバチの生態について書かれているが、スズメバチその他も、基本の社会構造は同じであろう。 「女王蜂は成虫となった2週間前後で多数の雄と交尾飛行を行った後、雄蜂から受けた精子を体内に蓄えておき、巣からほとんど出ることもなく産卵を続けます。 1日に約2500個を生むことができるのです。」と言うところは、なかなか興味深い。
東京の暑さから逃れて、月曜日、標高1100メートルの高原にやってきた。 出発は午後になってしまったが、昼食や休憩をとっても、高速はすいていたし、途中で高原野菜も仕入れて、午後4時ごろ到着。 私には1年ぶりの高原である。 先週、夫が来ていたので、生活上のものは、置いてある。 ユーティリティも問題なし。 冷蔵庫の温度を少し下げる。 うちからノートパソコンを持ってきたので、インターネットに繋ぐ。 こんなもの、やらずにゆっくりすればいいようなものだが、もはや、ネットに毒されてしまった私たちには、必需品になってしまった。 びっくりしたのは、ノートパソコンの画面設定が横1900くらいになっているので、ホームページやブログが、字も画像もものすごく小さく見えること。 いつも使ってる私のパソコンは横1024。 新しいパソコンは、みな画面が大きいので、こんな感じで見ている人もいたのかと、改めて驚く。 私は、所属する文芸結社で、ホームページ作成担当になってしまったので、秋には、サイトをリニューアルするべく、準備中だが、自分のパソコンだけを普通だと思っていてはいけないのだと痛感。 でも、多くの人を対象とするには、まだまだ98を使ったりしている人も少なくないのだから、ホームページの画面は中央寄せにし、幅770くらいで作るのがいいともいわれる。 現在ビルダーで、トップページのサンプルを作っている。 高原に来て、一つわかったのは、うちの軒先に、蜂が3カ所ほど巣を作っていること。 駆除するのに10万円もかかるというので、刺激せず、秋に自然に蜂が巣立って、空になるのに任せることにした。 スズメバチの巣もあるらしく、気をつけねばならない。 外に出るときは、なるべく白いものを身につけるように言われた。 黒は攻撃の対象になるらしい。 窓もあまり開け放しにはできないのが残念だが、仕方がない。 心配は、その蜂が通りがかりの人を刺したりしないかということであるが、この辺は、蜂のみならず、いろいろな虫もいるところ。 都会のように家が建て込んでいるわけではないので、このまま何とか無事に夏が終わってほしいものだ。
|