韓国ドラマ、「オールイン」は面白い。 韓国ドラマのハシリ、「冬のソナタ」の、甘く美しくせつなく、と言うメロドラマの真髄を行くドラマに比べると、そのあとに登場した韓国ドラマ「美しい日々」は、かなり違和感があった 見るからに悪辣な顔をした悪役が沢山出てくるし、最初の場面で、あまりにも、暴力的なシーンがあったため、それきり見なくなった。 主役の男優イ.ビョンホンが、ぺ.ヨンジュンとはまるで違う硬派の役者だったし、冷たい感じが目について、乗れなかった。 そのあとに続いた「オールイン」も、同じ俳優とあって、興味がなかった。 しかし、「美しい日々」の再放送を何となく見ているうちに、イ.ビョンホンも悪くないなと、だんだん思い始め、最後まで見てしまった。 冷徹ながら、胸の内に熱い感情が息づき、人の愛情に飢えている現代青年の、屈折したキャラクターを、よく演じていると思った。 その前か後か「オールイン」も再放映されたが、こちらも、最初のうち、ヤクザばかりが出てきて、やはり暴力場面が多かったため、終わりの方しか見ていなかった。 私は、暴力的な場面がキライである。 特にテレビでは、あまり目にしたくないと思う。 昔の話でもないのに、韓国社会は、あんなに無法がまかり通っているのかと、ビックリする。 見るからに悪相の役者が沢山出てくるのは、ちょっと、単純過ぎると思うが、イ.ビョンホンは、「美しい日々」よりも、「オールイン」の方がいいと思った。 今年の春から、また再放送されているので、今度は最初から見ている。 イ.ビョンホンが登場する辺りから、だんだん見逃せなくなり、カジノの様子や、豪華なホテルなども、風景として興味があるので、次第に夢中になってしまった。 イ.ビョンホン。 ぺ.ヨンジュンのような甘さはないが、骨っぽく、男っぽく、演技もいいし、なかなかの魅力である。 悲惨な環境で育ち、辛酸をなめながら、仲間や弱い者にはやさしく、不当な暴力には、敢然と立ち向かって、決して卑屈にならない役柄に、ピタリとはまっている。 勿論「オールイン」は、国際的な舞台で展開されるストーリーが、よくできていて、波瀾万丈の運びが面白いからだが、主役の魅力が大きいと思う。 土曜日の深夜にかけての放映なので、寝るのが遅くなるが、欠かさず見ている。 今朝のNHKでは、このイ.ビョンホンの声を吹き替えている高橋和也が、出演していたが、こちらも、大変魅力的な人。 共通した良さがある。 声の出演というのは、一人で演ずるよりも、難しい面があるようだ。 イ.ビョンホンの近況を伝える最新映像をはさんで、ついつい、見てしまった。 「俳優は、他人の人生を生きるのが仕事」というイ.ビョンホンのことばが、印象的だった。 明日の夜は、「オールイン」の最終回である。
井上ひさし「小林一茶」を見た。 ひさしの芝居は大体見ている。 「頭痛肩こり樋口一葉」「人間合格」「薮原検校」「国語元年」「太鼓たたいて笛吹いて」「夢の泪」エトセトラ。 この人の芝居は、入れ子型の仕立てが多く、セリフに含蓄があり、なかなか複雑な筋立てになっていたりするので、時には同じ物を、二度、三度と見る。 今回も、初日と「ラク」と二回見た。 新作ではないので、すでに文庫本にもなっているが、芝居は、初めて見たときの感動が大事だから、敢えて、予備知識を持たずに行く。 「やれ打つな蠅が手を擦る足を擦る」「痩せ蛙負けるな一茶ここにあり」など、庶民感覚の俳句を沢山作った人として、教科書にも載っている。 派手な生涯ではなかったらしい一茶。 それをひさしが、どんな芝居に仕立てているか、興味津々で劇場に赴く。 初日の楽しみは、「初日乾杯」があることで、知った人は、これをアテにして、舞台がはねた後、ロビーで屯している。 最初の頃、わからなかったが、それは、作者を交えての、乾杯のためだとわかった。 観客が概ね帰り、後に残っているのは、出演者や演出家、井上ひさしを待つ関係者やファン。 私は関係者ではないが、ひさしのスピーチと、出演者を間近で見たいので、お互い顔見知りばかりらしい人たちに混じって、待っているわけである。 ややあって、缶ビールやジュースが配られ、衣装を脱いだ素顔の役者達が、次々現れる。 主役の北村有起哉は、長身で痩せ形の好青年。 北村和夫の息子だとのこと。 相手役の高橋長英。 この芝居唯一の女優キムラ緑子。 声がよく通り、素顔も美しい。 ひさし芝居は、一人で複数の役を持つことが多いので、役者の数は多くないが、それぞれに個性があり、確かな演技をしている。 今回の初日は、セリフに堅さやトチリがあって、前半はあまり良い出来ではないようだった。 ひさしは現れたものの、いつものスピーチがなかったのは、ちょっと不満だったからか。 業俳と遊俳。 一茶の日記に、ホンの数行記されている一つの出来事を廻って、ひさしの芝居は、劇中劇の仕立てで進んでいく。 セリフには、私が現在身を置いている連句の世界にも通じる問題が含まれていて、なかなか興味深かった。 ひさし自身が、連句をたしなんでいることもあって、俳諧の真髄にまで迫る劇に仕立てられ、凄い芝居になっている。 25日に千秋楽を迎えたが、役者もすっかり、人物になりきって、結構遊びもあり、楽しめた。 芝居のパンフレット。 いつもはケチって買わないが、今回は、文庫本と両方、芝居が終わってから手に入れた。
初めての選挙で、最年少の当選を果たした杉村さん、おめでとうございます。 投票用紙に、直接あなたの名前を書いた人が、一人もいないからと言って、ちゃんと公職選挙法に添って、自民党の公認を受け、比例で入ったのだから、そのこと自体は、何も問題ない。 堂々と胸を張って、議員バッジを付けていいのです。 26歳という若さも、被選挙権を行使した結果なのだから、過去にも、例は沢山あるし、誇っても良いのです。 若い人が政治に参加するのは、いいことです。 長年国会議員をやって、政治家としては手練れかも知れないが、その分、妙な権益の代表みたいになり、国民のことなど真剣に考えているとは思えないような、くだらない議員達もいる。 それに比べれば、全くの白紙状態で、政治の世界に飛び込んできたあなたは、垢にまみれていないだけ、期待が持てる。 当選直後の、やや浮わついた受け答えについても、もう、充分、いろいろな人からお叱りを受けたことだろうから、繰り返さない。 そんなあなたを公認した自民党の責任でもあるし、面白がって、見当違いのインタビューなどしたマスメディアも悪いのだから。 若いと言うことは、失敗も、愚かさも、付き物だから、これから、成長していけばいいのです。 思いがけなく国会議員になったと言っているけれど、応募したからには、何らかのこころざしがあるはず。 政治家は、信念とこころざしが一番大事だと私は思っているので、これから、あなたの活躍を期待しています。 ヘンに大人にならなくても良い。 不器用で結構。 ただし、他人に対して、自分の親を「お父さん、お母さん」というのだけはいただけない。 私の育った時代は、中学生になって、そんな言い方をしたら、大人達から注意されたものです。 今は、格好だけは一人前になっても、いい年した大人が、テレビで堂々とそんな言い方をするし、まわりの人も,教えてやらないから、まかり通っているけど、国民の代表になったあなたは、やっぱりそれだけは、止めた方がいいね。 これからも、いろいろな人に、よきにつけ、悪しきにつけ、注目されて、いろいろ言われると思う。 中には、反発を感じることもあるだろうけど、聞くべき耳は、持っている方が、得だし、心を解放して、前向きに、人の意見を吸収した方が、いいですよ。 大いに失敗し、恥を掻き、その中から学べることを見極め、政治家としてのこころざしを果たして行ってほしい。 昨日のテレビで、今までと打って変わって、神妙に記者会見に臨んでいる姿を見て、ちょっとエールを送りたくなりました。
ブログも、政治や社会などのタイムリーな話題を扱うと、途端にアクセスが増えるようである。 やはりインターネットは生き物だなあと感じる。 時事的なことには、みな関心があるし、地球のあちこちで、今起こっている現象について、自分がどう捉えるかと言うことは、一人一人同じではないが、他人がどう見ているかと言うことも、気になるので、コンセンサスを得るには、ネットは、格好の媒体だからであろう。 私は何ごとも、自分の身に引きつけてしか物を考えられない人間なので、大上段に振りかぶったような時事問題、特に政治経済は苦手である。 だから、それをメインにしているブログは、テレビニュースを補うものとして、よく見に行き、時にコメントも、させて貰うが、自分から、先だった意見を示すことはあまりない。 だから、私のような「無党派」層が今回の選挙で、コイズミさんを大勝させた一つの要素だと評論家達が指摘し、「衆愚政治だ」と、誰かが言い、それは、私のような「愚民」が多くを占めるからだと、言われれば、そうかなと思うが、一方では、だから、アタマの良い立派な人たちが政治に参加して、ちゃんと国を治めてくれなくちゃ、困るじゃないの、と言いたくなる。 そして、ブログでも何でもいいが、インターネットがこれだけ普及してきた今の時代、政治経済が得意な人たちは、プロの政治家とは違った視点で、意見なりアイデアなりを、どんどん発信してほしい。 「愚民」に向かって、「あんた達バカね」と嘲笑するよりは、余程建設的であろう。 そして「愚民」にも五分の魂はあるし、自分のことは自分で責任を持つくらいの気持ちはある。 何でも人のせいにする風潮は、私はキライである。 それから、お金という形での報酬はなくとも、社会を支えてきた人たちが、昔から沢山居ることも、忘れてほしくない。 ブランド物のスーツを着込んで、国会の晴れ舞台に立ちはしなくとも、大きな声で、存在を主張しなくとも、その人達が居たお陰で、日本の社会は、まあまあ、健全に保たれてきたし、欧米先進国に比べれば、犯罪率も格段に少なくて済んだ。 そこには、街の、フツーのおじさん、おばさんの力があったことを、忘れてはならない。 でも、これからは、多分、そういうわけにいかなくなるだろう。 お節介と言われながら、よその鍵っ子にも、目を注ぎ、「アンタ、そんなコトしちゃダメよ」と、注意してくれる人たちが、いなくなるのだから。 うっかり言えば、その親たちから白い目を向けられ、場合によっては、逆恨みされかねない。 もうコワイ思いをして、よそのガキに、注意など、しなくなった。 その親たちは、何か起これば、親の責任など感じるよりも、社会が悪い、システムが悪いというのだから。 言ってみれば、アメリカのようになる。 すでに、犯罪や、子どもの世界で、今までの日本になかったマイナスの現象が起きている。 敗戦から立ち上がって、焼け跡から日本経済を立て直し、高度成長期の基礎を作った、私の親たちの世代。 今、80歳を超えるその世代には、文句なしに、お疲れ様でした、有り難うと言いたい。 その人達を「高齢者が増えて、負担が大きくなった」などと、邪魔者扱いしたら、罰が当たる。 まだ元気なうちに、その先達から学ぶことは、沢山あるし、残してほしいことも、少なくない。 その子どもである私の世代の夫達は、高度成長期に社会に出て、それを引き継ぎ、先進国の一員として、国際的に認められるところまで来た。 それを陰で支えてきたのは、妻達である。 専業主婦が、大半を占めていたのは、ごく自然のことであった。 他人から報酬は得ない代わりに、夫の働きを支え、子育てをし、それで、一家の生活が、成り立っていたのである。 後に、跳ね返りの女権論者達から、「社畜の男達とそれを支えた専業主婦という奴隷構造」などと、揶揄されたが、ちっともわかっちゃいないなあと、私は思った。 同性でありながら、普通の女をバカにする女達に、ろくな人間はいない。 ただ、夫達が、家庭を顧みないほどに、働き、それを支えてきた妻達が、それが一段落したところで、自分の人生に対して、懐疑を抱くようになってきたことも、現象としては出てきたし、経済成長の側面で、公害問題も生じてきた。 物が増え、生活スタイルが、欧米風になり、一見豊かになったが、昔からある日本の良い面を、損なってきたことも、事実である。 そうした功罪を、今の時点で論じることは容易い。 今、60代半ばから70代半ばくらいの世代。 急激に変化した時代のさなかで、残っている古いものと、新しい価値観との狭間で、自分自身の老いも意識しつつ、まだまだ達観しきれないところがある。 私の子どもの世代になると、女性の社会進出は当たり前になった。 専業主婦はけしからん、年金の保険料は自分で払えと言う意見が、大勢を占めるようになると、もう、今までの価値観は変わって来るであろう。 時代に伴う意識の変化。 老後に、夫の年金で、充分、安心して暮らせると思ってきた私の世代の女性達は、戸惑っている。 「私たちは、親の面倒を見てるけど、自分たちは、子どもに頼れないわね」と、みな思っている。 私は、若い頃五年間会社勤めをしたが、出産を控えて、退職するとき、厚生年金を脱退してしまった。 もう、会社づとめをすることはないでしょう、一時金を貰って、脱退した方がいいですよと言われて、従ったのだが、当時は、子どもを抱えた女性が働くことは、稀だったので、あまり疑問を持たなかったのである。 年金を貰う段になって、そんな昔のことが、響くことを知って、悔しい思いをしている。 私は、第三号被保険者として、昨年から、わずかな年金を貰うようになったが、その分、夫の年金が減らされるので、あまり喜べない。 マクラのつもりが詰まらないグチになった。 本当は、今試しつつあるダイエットの話をしたかったのに、思わぬところに、筆が滑った。
あざらしサラダさんのところで、ニュートラ:適性・適職診断をトライしていたので、私も遊び半分でやってみました。 50の簡単な質問に、一つ10秒以内で答えるもの。 結果は下記の通りですが、半分くらいはその通りかなと思い、実際の人生はずいぶん違った道を来ているので、その意味では、ほとんど当たっていないと思います。 これから社会へ踏み出そうという若い人に向けたものなので、まあ、対象外なんでしょうけどね。 血液型と同じで、一つの話題にはなるかも知れません。 質問に、あまりマジメに応えていないし、イエスともノートも言えない項目が多かったので、ちょっと答を変えれば、全く違う結果が出ると思います。 私はこういうたぐいのテスト、好きな方なので、見つけると試してみて、面白がっています。 ついでに、「小泉さん支持層にはIQが低い」とか言うデータがあるらしく、私のところに、トラックバックしきた人がいますが、きっと、選挙に関する私の記事を見て、私のIQが低いと判断したんでしょうね。 左の脳ばかりが肥大した人に、人を侮る傾向があるのは、仕方ないかと思います。 私は、右脳人間なので・・。 ---------------------------------------------------------------------- 診断結果 仕事: 研究ひとすじに打ち込むか、こだわりの仕事で活きるタイプ 性格: 引っ込み思案の研究室タイプ 恋愛: 同じ価値観をもっていないと恋愛に発展しないタイプ 特に向いている職種は? 理学系の研究者、図書館員、学芸員、文献研究、調査発掘関係、翻訳、 税理士、公認会計士、執筆業、著述業、プログラマー、行政書士、メカニック系、歯科技工士など 守りでも攻めでもないタイプ。 自分がこだわっている分野では攻めのタイプ 内向性(ディフェンス型) 2■■□□□ 外向性(オフェンス型) 2■■□□□ 仕事・・研究ひとすじに打ち込むか、こだわりの仕事で活きるタイプ このタイプの人は早いうちから、自分に向いているこだわりの道を発見しているはずです。 人間関係が重視される組織には向きませんが、研究開発、調査、文献研究、 歴史や遺跡の発掘などで、素晴らしい能力を発揮できるタイプです。 学術系でなくても、自然食や食材へのこだわり、環境問題などで活躍できます。 組織力を活かすのではなく、自分の価値観に基づき、一人で仕事を仕上げていきますので、 周囲があなたに何を求めるか、何をさせるかがポイントとなるでしょう。 どんな分野で自分が活きるかを発見してください。 それが見つかれば、あなたは納得いくまでチャレンジしますので、成功するでしょう。 自信をもって進んでください。 性格・・引っ込み思案の研究室タイプ ちゃんと常識をわきまえて、物事を合理的、論理的に理解できますが、 自分の価値観や夢のなかに閉じこもってしまうタイプです。 普段はわりと引っ込み思案ですが、だからといっておとなしいタイプでもありません。 周囲に対する気配りややさしさには無頓着で、こうと自分で決めたことを忠実に実行していきます。 ただし、行動力にやや欠ける傾向がありますので、積極的に実行していくことは意外と少ないでしょう。 女性には少ないタイプですが、とくに理学系の研究者には男女ともに多いタイプです。 「好きなこと」より自分が「できること」、社会が自分に「させたいこと」を優先します。 研究や調査など、自分が決めた目標ひとすじというタイプですから、周囲からは変わっていると見られるかもしれません。 しかし、周囲の雑音をそれほど気にしないのもこのタイプ。 がんばり過ぎる傾向がありますが、本人にとっては苦になりませんのでいい成果を出すことができます。 恋愛・・同じ価値観をもっていないと恋愛に発展しないタイプ あなたの恋愛相手には、あなたと同じ価値観、あるいは同じような研究テーマをもっていることが求められます。 これはあなたにとって「好き嫌い」ではなく、「善し悪し」の問題なのです。 お付き合いする範囲が自然に狭くなってきますので、恋愛のチャンスは限られてしまいます。 また、自分のなかで恋愛に対するイメージを作り上げてしまっていると、 あなたが考える理想的な恋愛だけを追うことになりかねません。 それは現実にはまったく存在しない物語の世界ですので、単なる夢に終わってしまう傾向があります。 自分の世界以外の異性と、最初はお友だちから始めて、あなたの視野を広げてみましょう。 ---------------------------------------------------------------------- 「現実にはまったく存在しない物語の世界」ということばは、恋愛に限らず、私のすべてに渡って、よく人から指摘されるところです。 インターネットも、私にとっては、そんなようなものです。
うちは朝が遅いので、朝食時間にワイドショーを見ることが多い。 夫婦二人しかいないので、横並びに坐ってテレビを見る。 昭和58年の森田芳光監督、松田優作主演の「家族ゲーム」という映画で、家族が横に一列に並んで、食事をするところが何度も出てきたが、あれは、家庭崩壊の象徴として出てきた場面であった。 伊丹十三と由紀さおりの夫婦、それに二人の息子、家庭教師の松田優作が、全員横に並び、食事をするのだが、交わされる会話は、父親の一方的な話、それも息子の高校受験が中心。 ちっとも心の通わない家族の様子が、その場面に象徴的に現れていて、あれは、印象に残るシーンであった。 話が逸れたが、私たち夫婦は、もう子どもも独立して老後を平和に暮らしているわけで、テレビは、新聞を取っていない我が家には、重要な情報源であり、話のタネなのである。 朝のワイドショーでは、もっぱらフジテレビ小倉智昭の「トクダネ」。 なぜかというと、7,8年ほど前、「サッチー騒動」というのがあって、その時、どのテレビ局のワイドショーも、楽屋落ちにしか過ぎないような、一般視聴者と何の関係もない芸能人同士の、特定個人への怨念を話題にしたバカ番組を流していたときに、小倉さんは、「トクダネ」の新司会者でありながら、それらと一線を画して、比較的冷静な取り上げ方をしていたからである。 明けても暮れても、「サッチー」弾劾に終始したような民放テレビの、視聴者を侮ったあくどさ、くだらなさをつくづく感じたが、その頃、ブログというものがあったら、もう少し違う状況になったのではないだろうか。 ともかく、この時以来、朝のワイドショーは、小倉さんに決めている。 タイムリーな話題が主だが、割合に公正、かつ見識ある見方をしているように思う。 時々比較してみるのがテレビ朝日。 夫が好まないので、一緒にはあまり見ない。 鳥越俊太郎が出てきて、腕組みをすると、すぐチャンネルを変えてしまう。 腕組みをするというのは、相手を拒絶、あるいは見下したポーズだから、テレビで、こんなことをする人は、信用できないというのが、夫の持論である。 しかし、今朝のテレビ朝日は、ちょっと面白かった。 コイズミさんの、今回の選挙戦略と政治家としての資質を、作家の大下英治が、信長と比べて、分析しているのだが、なるほどと頷けるところがあった。 クールで、緻密な頭を持ったコイズミと言う見方、そして、信長と違うのは、明智光秀を作らないところだという。 コイズミさん自身も、自分を信長になぞらえているらしいが、何と、オカダさんの理想とする歴史上の人物も、信長だという。 片方は大勝利して、もう片方は惨敗。 同じ英雄をめざしながら、この違いはどこにあるのか。 当分は、その辺りの解釈を廻って、テレビ雀たちが、かまびすしいことであろう。
私はどちらかというと、政治にはそれ程関心の高い方ではない。 国民の代表たる国会議員が、良い政治をしてくれれば、それでいいのであって、その為に、税金も払っており、選挙にも行く。 普通の人たちが、安心して暮らせて、世界の人たちからも、バカにされず、対等にお付き合いしていける国であれば、本当はそれが一番良いのである。 しかし、折角選んだ政治家に、安心して国政を任せられない状況が、あるとしたら、そのこと自体、大変不幸なことである。 公僕ということばがあるが、今の国会議員のなかに、それを自覚している政治家がどのくらい居るのだろうか。 以上は本文のマクラ、いやマクラの本文である。 今回の衆議院議員選挙は、今までにないホットなものだった。 小泉首相の長年の悲願である郵政民営化に向けての、解散と選挙。 その為に、法案に反対票を投じた自民党議員の当選を防ぐために、敢えて、「刺客」と言われる候補者を、自民党公認で対立候補として送り込むことさえした。 その中には、多くの新人女性候補が含まれていた。 女性を、「マドンナ」とか、「刺客」などと扱うことには、本来私は反対である。 政治家は、適性とこころざしで選ぶものであって、男か女かは関係ないのである。 国会に一人も、女性議員が居なくても、一向に構わないと思っている。 いい素材がなければ、仕方ないのだから。 今まで、マドンナなどとおだてられて、閣僚なんかになっても、実は同性が見て、ガッカリするような働きしかしていない人もいるし、いい加減にしてよと言いたいくらいであった。 しかし、今回は、「刺客」と言われた女性候補の中には、なかなかの人材も居たようであり、ただのマドンナとは、ちょっと違うのではないかと、選挙戦を通じて、あるいは、選挙の結果を受けての、インタビューの中で、感じた。 中でも佐藤ゆかり氏は、私が応援したくなるような人材である。 彼女は、選挙戦のさなかに、週刊誌に、プライバシーに関わるような、誹謗中傷記事を書かれたようだ。 私は、電車の中吊りでタイトルを見ただけだが、明らかに、選挙妨害の目的で為されたことであろう。 中身を読まなくても、どういう意図かわかる。 この種の、特に女性をターゲットにした、人を貶める記事は、書いた人の品性が問われることはあっても、対象者の人格に響くものではないことは、心ある人ならわかる。 こんなものを鵜呑みにするほど、選挙民はバカではない。 今回少ない選挙運動期間の中で、いままで縁のなかった選挙区でありながら、予想以上の票を得たことで、選挙民の健全さが伺われ、逆に、佐藤氏にとっては、追い風になったようにも思われる。 小選挙区では、野田氏に負けたものの、比例での当選を果たし、テレビのインタビューに答えている佐藤氏の様子を見ながら、エールを送りたくなった。 政治家としては未知数だが、活躍を期待したい。 先週連句の席で、今回の女性「ヒットマン」に関連して、女性議員の話題になった。 コイズミさん支持派、オカダさんに肩入れする人、いろいろである。 深刻なバトルにはならないが、結構ホットな話になった。 誰かが、「女性議員を顔で判断しちゃいけないけど、長いこと、人を攻撃したり、非難ばかりしていると、だんだん顔つきが悪くなるわね」と言った。 「はじめはみなキレイなのにね。やっぱり人のあら探しをしたり、あげつらっているうちに、心根が醜くなるのかしら」と、別の誰かが言った。 「それは男だって、同じでしょう」と私は言ったが、内心、頷ける気持ちもあった。 「たおやかに美しく、しかもラジカルに、ということは、なかなか両立しないのかも知れないわね」と、また誰かが言ったが、その場にもし、男の人が一人でも混じっていたら、どういうコメントをしたであろうか。 今回の選挙で、予想を超えた圧勝をした自民党。 そして、当選を果たした新人女性議員の人たち。 しかし、本当の戦いは、これからである。 私などがブログで、政治記事を書かずに済むように、よい政治をしてほしい。
台風が次々来ている。 アメリカのハリケーンは、被害の面積としては比較できないくらい大きいようだが、これには、人災もあるようなので、人々の生活が復興するには、かなり時間が掛かるだろう。 日本は、年がら年中台風と向かい合っている国。 それなりの対策もあるし、慣れているところもあるが、一昨日の集中豪雨には、驚いた。 数時間の間に、今までにない量の雨。 私の住む地域は、低い土地ではないし、水はけの悪いところでもないが、一時的に、家の前の道路が川のようになった。 外出していた夫が、駅前から「今からタクシーで帰る」と電話があり、その前からかなりの雨だったので、なるべく濡れずに家に入れるようにと、大型の傘を持って、玄関先に出た。 門を開けて、前の道路を見ると、何と、水深20センチくらいはありそうに、水が流れているではないか。 ビックリした。 門に接した縁石は、流れる水に隠れている。 そこから、更に20センチくらい高くなって、我が家の門に続くのだが、そこまでは、水が来ていない。 しかし、タクシーを降りるときには、足首まで水に浸かってしまう。 ケータイで、状況を知らせようとしている間に、タクシーが停まった。 ドアから降りる夫に、傘を差し掛け、足を下に着けぬよう、手助けして、家の敷石のところに飛び乗って貰った。 その間の1分足らずの間に、私の方は、服を着替えねばならぬほど、濡れてしまった。 こんなことは、ここに住んで30年あまりの間で、はじめてのこと。 かなりの雨にも、台風にも、数え切れないくらい遭遇したが、道路が川のようになったことはなかった。 下水の処理能力を超えていたのだろう。 すでに夜中近くになっていた。 近所に、半地下のガレージを造った家があり、バキューム車が来て、ポンプで水をくみ上げていた。 多分、車が浸かってしまったのだろう。 かなりの音がしていた。 それから暫くして、雨音が弱まり、川のようになっていた水の流れも、消えてしまった。 地球温暖化の影響だろうか。 台風も、雨風も、従来とは違う顔を見せ始めたような気がする。 自然の仕返しと言うことかも知れない。
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