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2005年10月28日(金) ■ |
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物部日記・『ヘルレイザーは静かに十字を切り・4』 |
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「だって、死相が出てますもの」と言われても、ちょっと困る。瞬間『しそう』が漢字変換できなかった。
しそう? 思想? 歯槽 死相……。
まずい。考え付くうちで××が出てくるという意味で使えるしそうは死相しか思い浮かばない。
死相が出る。……なんだそれは? つまり、どういうことだ? それは何の暗喩だ? この隣の女の人は私に何を言いたいのだ?
人間、混乱するととるべき行動は決して取れない。意表を突いた台詞に私は沈黙して、ヘルレイザー鎌足さんも何も言わなかった。
ただ、次につなぐ言葉もないままに、二人はならんで国道沿いの歩道を歩いていた。
時折後ろから前へと過ぎて行く自動車を眼で追って、たまに前からくる自転車をよけて。
ばすんばすんとパンクしたタイヤの揺れる音と、二人の人間の足音だけが夜に響いている。
三十分。
馬鹿みたいに長い三十分。二キロメートルほど歩いただろうか。それでもまだ家路までは遠い。これはもう、しばらく帰れそうにない。無理矢理自転車に乗ろうかとも思ったが、一緒に歩いてくれている人がいるので、それはできない。
右を見る。まっすぐと前を向いて、どこを見ているのだろう。ヘルレイザー鎌足さんは歩いている。
ふと、いつもの物部が戻ってきた。 『別に、ヘルレイザーさんが私と一緒に歩く必要ないよな。夜中トラブッてる大学生なんか放っておいてもらって、その原付に乗って帰ってもらったほうがよくないか?』 そう、思った。
「あの、ヘルレイザーさん」 彼女は振り向いた。 「はい……?」 少し首をかしげている。私も心の中で首を傾げた。つーか、なんでヘルレイザー? それが名前でいいのか? なんか普通にこの人も答えてるし。確かホラー映画だよね、確か意味は……
「もう、遅くなるから先に帰ってもらって構いません。わざわざ歩いてくれてありがとう御座いました」 しかし先に言葉が出た。
ヘルレイザーさんは、私の言葉に少し驚いて。けれど笑った。 「まあ、ここまで来たら最後までお付き合いさせてもらいます。どうせ、今から帰っても遅い時間には変わりありませんもの」 確かに日付も変わろうとしている。
私はそれ以上彼女に要求できなくなった。
歩く。二人は歩く。
いつしか自動車もこなくなった。 さっきまでいたあのコンビニの光も、遠くに光る点となる。
……。
……。
……。
沈黙。うーん。ヘルレイザーさんは沈黙とか嫌いなのかなあ。やっぱり何か喋ったほうがいいのだろうか。うーん。
「物部さん」 「……」 「物部さん?」 「……あ、すいません。なんでしょうか?」 ヘルレイザーさんは奇妙な表情をしていた。 「訊かないのですね」 私も、どうやら変な表情をしているらしい。 「……。いや、なんかヘビィそうな話題になりそうだったから無視しました」 彼女は、笑わなかった。
「えーと、死相ってあれですよね。死人の顔って奴ですよね」 「はい」 「私に、その、死相が出ている?」 「はい」 「……まだ、私生きてますよね」 「はい」 「……私、これから死ぬんですか?」
何を訊いているお前は
ヘルレイザーさんは、少し口を閉じて 「まあ、人間誰でも死にます」 とおっしゃった。
うわーん
「あ、でもそういう意味じゃなくて」 ん? 「物部さん、表情に活力がないんですよ。見てると」
「はあ……」
彼女は笑った。 「物部さん。人に弱音を吐くのは恥だと思っているでしょう?」
どきっとした。
「う〜ん」 微笑でごまかした。でも、誤魔化しきれていない。 「自分が幸せになれないって思い込んでいる人のする表情ですよ。その死相は?」
心の中を、見られた。
「う〜〜〜〜ん」 それでも、笑って誤魔化そうとする。ここは、それしかない。 混乱している人間に、まともな判断などできない。
「私も職業柄幸せになれない運命の人には、よく会います。けれど、あなたは全然そんな人たちとは違いますよ?」 そんなお説教はいらないと思っていた。そんなことは誰よりも知っているつもりだったし、それでもどうしようもないことだってあると、私は思う。
「多分、あなたの周りにいる人達はあなたのそんな表情を見れば不幸せになります。それを、死相と言わずなんと言います?」
そんなことを言われても、ちょっと困る。
困るのだけれど……多分、その通りだ。
けれどなあ。
「そんな顔に見えるんですか?」 「ええ、最初にお会いした時はただ、疲れているだけでしたけれど、今は何かを溜め込んでいて、そしてそれを他人のせいにしている陰が見えています」 「……そんな風に見えるんですね」
この人何者だ?
「まあ、少しばかり多い人生経験による観察力です」
心を読まないで。
しかしまあ、なんだ。
ここまですっぱり言い切られて、それほどまでに読み切られてしまうと。
なんか癒される。
「ヘルレイザーさん」 「はい?」 「僕、辛いです」 「はい」 「やっぱ自転車は無理です。移動手段が欲しいです」 「はい」 「ちょっと周りでトラブル起こりすぎです。もっと普通に生活したいです」 「それは無理です」
他人に弱みを見せるのは、好きじゃないんだけれどなあ。
つづく
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