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海老日記
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2005年10月30日(日)
物部日記・『ヘルレイザーは静かに十字を切り・5』

 結局、ヘルレイザーさんは何者だったのだろう。


 突然引っ越してきて、突然いなくなった。


 あの晩一緒に帰った後。ヘルレイザーさんは「おやすみなさい」と言って部屋の中に入っていった。
 私は、それを見送った後、自転車に鍵をかけた。結局残り数キロメートルも一緒に歩いてくれた。最後の方は私の方が力尽きかけていた。



 その道程。私は日頃思っていることをぶつけ続けた。
 苦しいこと、楽しいこと。辛いこと。悲しいこと。嬉しいこと。泣きたいこと。笑うこと。
 考えることを整理もせずに、思いつくままに言い続けた。
 あんまり他人に愚痴をこぼしても仕方がないから、普段は笑い話にしたりおもしろおかしく日記に書くようなことも、ただこぼしつづけた。

 何もかも忘れて喋ったのは、久しぶりだった。


 ゆうさんや、佐々木女史。その他私を慕ってくれる人たちの気持ちがなんとなくわかった。彼らがなんであんなにも自分の心をさらけ出せるのか、少しわかる。
 みんな、こんな感じなのかなあ。そして、私は、みんなのヘルレイザー鎌足になっていたりするのだろうか。



 家が近付いて、私のつぶやきをひたすら聞いてくれていたヘルレイザーさんがやっと口を開いた。
「お疲れ様です」
 私は、
「聞いてくれてありがとうございます」
 それしか言わない。

 灯りの付いていない二階建てアパート。
 二階には同じクラスのZさんが住んでいて、もう一人住んでいるらしいがその顔は見たことがない。
 そして一階には蒸発した家族と私と……
「それでは、また時間の合う時に」
 階段を登るヘルレイザーさん。……? あれ?
「ヘルレイザーさん。二階に住んでるんですか?」
「ええ」
 でも、この前、隣に越してきたって。
「ああ、本当はお隣に住む予定だったのですが、もう先客がいらしていたからあきらめました」
「先客?」
「それで、仕方がないので物部さんの上の部屋に」
 上の部屋?


 はて?

 先客ってなんだ?


 ヘルレイザーさんは不動産屋を通して物件を借りているわけではないのか? 先客がいる?

 私の上の部屋には、誰も住んでいないはずだったのに。

 私の隣には、誰かが住んでいる?

 いや、しかし。
 誰もいないはずなのに……。


 隣から聞こえるのはヘルレイザーさんの物音ではない?

「じゃあ、私の部屋の隣に住んでるの……誰?」
「知らないはず、ないでしょう?」


 誰だ?


「物部さんのお部屋に最初に尋ねてきた人ですよ?」


 まさか。


「感謝してあげて下さいね。最初に物部さんの死相に気付いて、私に相談しにきてくれたんですよ?」


 私の知らないところで、御近所づきあいはあったらしい。

「今日も死なずにすみましたね」
「確かに、すっきり眠れそうです」
「いえいえ、さっき眠気全開で道踏み外して、自動車に轢かれそうになったでしょう」
「ああ、そっちですか。たしかに、死にかけました」

 ヘルレイザーさんは、静かに表情だけで笑った。


「あなた、何者なんですか?」
「それでは、おやすみなさい」

 ヘルレイザーさんが部屋に入ったのを見て、私は自転車に鍵をかけた。



 そして、隣人の名を口にする。


「そういや、どこに住んでるかまでは考えてなかったなあ」


 詳しくは過去の物部日記を探してみてください。


「リルリルさん」




 次の日、ヘルレイザー鎌足さんはもういなかった。
 死に掛けた夜から、もう四ヶ月経つ。
 上の部屋には誰かが住んでいる。
 けれど、誰が住んでいるのかは知らない。
 誰かが住んでいるのだけれど、いつ見ても窓がしまっていて、中が見えない。

 けど、誰かいる。

 もしかしたら、私がここに住み始めたころから、誰かが居たのかもしれないけれど、私には確かめる術はない。

 私の隣に住んでいる彼女も、本当はずっと昔からいたのかもしれない。


 今更ながら、どうもこのアパート変だ。