2002年02月26日(火) 家族

本日、酔っ払いのじーちゃんを乗っけた。
スナックのままに頼まれ、家まで送る。
スナックのままに頼まれるほどだから、足元おぼつかない。
言動も非常に怪しい。
内心、ガス馬車内に吐かれるのではないかとひやひやしていた。
(この、嘔吐という行為、人によって言い方が違うのが実は結構楽しい。パンチパーマのヤ○ザ上がりの人が、「げ〜」(←なんか幼児語っぽくてかわいくない?)という表現をしたり、無教養っぽい(失礼)人が、「嘔吐行為」(文語だろ、それ・・・)と表現したり・・・。似たような言葉に放送禁止用語があるかも(^^)
で、無事目的地に着き、降ろそうとすると立てない。
で、財布がないと言い出す。まあ、お金は、すでにスナックのママから貰っているのでよいのだけど。
「お金はもらっているからいいよ」
というと、
「お〜、そうかい、そうかい・・・んで、御代はいくらだい?」
わかってね〜(−−;
まあ、酔っ払ってるから仕方ない。
そういう問答が二、三回続いた後、やっと納得してもらったおいらは、車からおりるじーちゃんに手を貸す。
ううん、どうも足元がおぼつかない。お、転倒・・・。
抱き起こすと、一人で立てるから・・・という。
しかし、よろよろと家のほうに向かう途中、転倒。
だめだ、見てられん!
抱き起こし、寄り添いつつじーちゃんを玄関まで運ぶ。
かぎを開けてあり、土間まで入れてあげる。

「おじーちゃん、家族は?」
「・・・一人なんだよ・・・」
「そか。土間で寝ないようにね」
「・・・ありがとう」

おじーちゃんは、現在あの大きな(といっても決して新しい家ではないが)家に一人ぼっち。
伴侶がいて、すでになくなったのか、いなくなったのかは分からない。
生涯独身ではなかったのだろう。それは、見ていれば分かる。
一度伴侶を持った人間は、もう二度と、一人で生きていくことはできない、と聞いたことがある。
寂しくて仕方がないのだ。
恋だの愛だの、惚れた腫れたの世界を超越した、なにかが長年連れ添った夫婦にはあるのだという。
それは、良く乗せる妻を失った親父から良く聞く。
なるほど、そうなんだろうな、と思う。
伴侶を失ったとき、独りぼっちになるかならないか、というのは、子供の有無で決まる。

最近の風潮は、子供はいなければいないでいい、という風になりつつある。
でも、老後一人にならないためには、いたほうがいいのだろうか。
子供を作る理由は様々だろう。
けど、いることのメリットは大きいんかもしれない。

この件のあと、これからも、頻繁に親と連絡はとってやろう、と思ったのだった。
とりあえず、今のおいらに出来ることは、その程度だから。


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彩葉 [MAIL]

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