本日、酔っ払いのじーちゃんを乗っけた。 スナックのままに頼まれ、家まで送る。 スナックのままに頼まれるほどだから、足元おぼつかない。 言動も非常に怪しい。 内心、ガス馬車内に吐かれるのではないかとひやひやしていた。 (この、嘔吐という行為、人によって言い方が違うのが実は結構楽しい。パンチパーマのヤ○ザ上がりの人が、「げ〜」(←なんか幼児語っぽくてかわいくない?)という表現をしたり、無教養っぽい(失礼)人が、「嘔吐行為」(文語だろ、それ・・・)と表現したり・・・。似たような言葉に放送禁止用語があるかも(^^) で、無事目的地に着き、降ろそうとすると立てない。 で、財布がないと言い出す。まあ、お金は、すでにスナックのママから貰っているのでよいのだけど。 「お金はもらっているからいいよ」 というと、 「お〜、そうかい、そうかい・・・んで、御代はいくらだい?」 わかってね〜(−−; まあ、酔っ払ってるから仕方ない。 そういう問答が二、三回続いた後、やっと納得してもらったおいらは、車からおりるじーちゃんに手を貸す。 ううん、どうも足元がおぼつかない。お、転倒・・・。 抱き起こすと、一人で立てるから・・・という。 しかし、よろよろと家のほうに向かう途中、転倒。 だめだ、見てられん! 抱き起こし、寄り添いつつじーちゃんを玄関まで運ぶ。 かぎを開けてあり、土間まで入れてあげる。
「おじーちゃん、家族は?」 「・・・一人なんだよ・・・」 「そか。土間で寝ないようにね」 「・・・ありがとう」
おじーちゃんは、現在あの大きな(といっても決して新しい家ではないが)家に一人ぼっち。 伴侶がいて、すでになくなったのか、いなくなったのかは分からない。 生涯独身ではなかったのだろう。それは、見ていれば分かる。 一度伴侶を持った人間は、もう二度と、一人で生きていくことはできない、と聞いたことがある。 寂しくて仕方がないのだ。 恋だの愛だの、惚れた腫れたの世界を超越した、なにかが長年連れ添った夫婦にはあるのだという。 それは、良く乗せる妻を失った親父から良く聞く。 なるほど、そうなんだろうな、と思う。 伴侶を失ったとき、独りぼっちになるかならないか、というのは、子供の有無で決まる。
最近の風潮は、子供はいなければいないでいい、という風になりつつある。 でも、老後一人にならないためには、いたほうがいいのだろうか。 子供を作る理由は様々だろう。 けど、いることのメリットは大きいんかもしれない。
この件のあと、これからも、頻繁に親と連絡はとってやろう、と思ったのだった。 とりあえず、今のおいらに出来ることは、その程度だから。
|