ダメダメちゃむ日記
DiaryINDEX|past|will
2002年12月15日(日) |
愛なしでは生きられない |
葛山信吾さんソロ時代の歌のタイトルだけど、今、本当にそう思う。 昔、ドクターからもらった本にもあったんだ、ラストに「人は愛なしでは生きられない」って項目が……。
私のように「親」から十分な「愛」を与えられなかった人は、多分想像以上に多いと思う。「親」そのものが「愛」を知らないことは十二分に想定できる。そして、そういう「家庭」は、多分私が想像する以上に多いのだろう。
でもね、きっと巡り逢える! 敢えて私はそう言おう。「あなた」が生きていく以上、いつか必ず「愛」に巡り会える。いいえ、ただ「あなた」が気付いていないだけなのかもしれない。「あなた」の周りにある、沢山の、本当の「愛」に……。
ダーに出会うまで、僕は「愛」を知らなかったと思っていた。でも、本当は生まれた瞬間から、僕は本当の無条件の愛に包まれていたんだって、やっと今日(!?)気付いた。 哀しいけれど、ただ僕が理解できていなかっただけなのだけれど、それは、心が傷付いていた父と母からではなかった。いや、父は父なりに、母は母なりに僕を愛していたと、頭では理解できる。でも、それは僕の欲しかった愛じゃなかった。 無条件にただ僕が僕であるそれだけで、僕が納得できる形で愛してくれていたのは、父方の祖父母と叔父達と叔母達と、そして兄。 そんな、当たり前のことに気付くのに、37年掛かったり……。人間って、「愛」って、本当に難しい。でも、もつれた糸が解けてみれば、これほど簡単なこともなかったり……。本当に、生きていくって、あっけないくせにややこしかったりするんだよなぁ。
僕はずっと兄と一緒に育った。妹だったから、当然兄を見て育った。何をしたら怒られるのか、どうすれば褒められるのか。僕は兄を見て学習しながら育った。兄は父方では初孫だったから、そりゃあもう舐めるように可愛がられた。本当に純粋で思いやりがあって、優しかった。 2つ下の妹である僕は……哀しいけど純粋ではなかった。いつも幼心のどこかで計算していた。そして、自分でもそれを知っていた。自覚ある計算って、すごく哀しい。親戚に遊びに行くのも常に兄と一緒だから、「兄ちゃんと比べられている」っていう意識がいつもあった。兄は天然でも愛された。天使みたいな子だったから。兄はいつでもどこでも可愛がられた。「あの気の強い妹を可愛がるいいお兄ちゃん」だって。でもね、そうやって「あの」呼ばわりされていることを、哀しいほど聡い子どもだった僕は敏感に感じ取っていたんだよ。いつも比較されていることに、子ども心はとても傷付いてたんだよぉ……。ちゅーかさぁ、叔父ちゃん、叔母ちゃん、 「ホントにちゃむ(仮名)はどーしよーもねぇなぁ」 なんて言葉の裏が、「どーしよーもねーから可愛い♪」だなんて、子どもにわかる訳ねーじゃん!?(T_T)
37歳になった今なら、叔父ちゃんや叔母ちゃんの態度や言葉や目配せ一つでわかるよ! みんながどれだけ、僕を心配し、愛してくれていたか。でもさー、子どもにはわかんなかったんだよ!!
父の通夜や葬式で、 「愛情表現の下手だった親父が、いつも兄と『私』の自慢話ばかりしていて、どれほど愛していたか」 どーして話してくれなかったんだよぉ!? 「ちゃむ(仮名)ちゃんの合格発表の日は知ってたんだよ。楽しみにしてたんだよ。でも、それも聞かずに死んじゃってかわいそうだった」 なんて、何故19年経ってから言うんだよ!? 母にも聞けずに自分を責めて、悩んで苦しんで、ビョーキにまでなった俺は一体何なんだよぉ!?(TロT) その挙句、 「お前が『うつ病』のわけねぇ!」(≧∇≦)/ ハハハ かよ?(いや、叔父叔母には今日初めて病名を告ったんだが)叔父ちゃん、酔ってたけどさ、僕は確かに昔から、「人前では元気」な子だったけど、あの母に育てられたんだぜ!? あんたらみんな、知ってたんでしょ? 母がどんな人なのかって。誰が父を心の病気から死(ま、事故死だが)に追いやったのか。だから、俺のこと心配してたんでしょ? 俺が母に遠慮して顔出さなかったから、本当のことを何にも言わないから。だから、みんなすぐ納得したじゃん!?(笑) ……ちゅーか、俺より頻繁にこっちに顔出してた兄よ、妹への配慮はいいから、ちゃんとみんなに説明しとけ(笑)
乱暴な言葉の裏に無条件の愛情が隠されていたり、愛しているのにそれを上手く表現できない人がいたり、愛情を穿き違えている人がいたり、愛という名の従属を強いられていたり、愛という名の抑圧があったり……。難しいもんですな。
でも、だからこそ、人は「愛なしでは生きられない」ものなんですよ。
今日は、叔父叔母達への感謝を綴るはずだったのに、結局文句言っちゃったわ?ヽ(~〜~ )ノ ハテ? いや、人間て自分でも訳わからんもんです(笑)
|