ダメダメちゃむ日記
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ε- (^、^; はぁ〜〜 叔父ちゃんちに親族が集まり、ビールにご馳走にすっかり弾けてしまいました。 こんなに素で酔っ払うのはオフ会以来(笑) しかも、ウチの家族の事情まで知ってる身内だからねぇ、僕の愚痴大会ですよヾ(´▽`;)ゝ ウヘヘ 途中で泣き出した僕に、叔父ちゃんが言った。 「いいじゃねぇか。お前は37年掛かって、やっと自分と故郷(帰るべき場所)を取り戻したんじゃ。いつでも子ども連れてここに帰って来い。ここには自然もある、子どもの相手をする身内もおる。安心して帰って来ていいんじゃ。」 泣けた。親父そっくりの叔父ちゃんと叔母ちゃん達に、懇々と甘やかされて泣けた。 6才年下の従妹Mちゃんに、初めて僕は聞けた。 「子どもの頃のあんたから見て、『私』はどういう風に見えた?」 「何か偉い人。Tちゃん(私の兄)みたいには気安く甘えてはいけない人」@記憶曖昧(笑) ああ、やっぱりそうだったんだね。母から育てられた通りに、従妹弟達にもわかってたんだね。あの頃の僕。
「ホーム」いつでも帰って来られる場所。 昔読んだ「エイリアン通り(ストリート)」でシャールくんが欲しがっていた場所。最後に見つけた場所。 僕にもあった。それは、僕にとっての「実家」である母の家ではない。 祖父母が住んでいたあの田舎。叔父が立て直したあの家。今でも親族が集う家。そこが私の帰る家。
酔っ払って薬飲んでそのままこたつで寝ちゃった僕に、叔母ちゃんはそっと毛布を掛けてくれていた。 僕らが泊まるというので、折角客間に敷いてくれた布団3つに寝たのはダーリンだけ。 「お母さ〜ん」 と布団から抜け出した娘2人が僕と一緒にこたつで寝てしまっても、この家では誰も責めたりしない。 したいようにしていい、それがこの家のルール。 何て温かい家(ホーム)。
この家からすら、僕は母によって遠ざけられていた。 父母の不仲が決定的になった頃から、この家に来た記憶がない。 僕がこの家と再び会えたのは、祖父の葬儀が先だったのか、自分の結婚式が先だったのかすら思い出せない。
離婚が決定し、僕の親権者が母になってからは、ここは「僕が行ってはいけない場所」なのだと思い込まされてきた。 結婚式にすら、父方の親族を呼んでいいのか、悩んだ。母は、 「ばあちゃんを呼ぶんなら、私は結婚式には出ないからね!」 と永年の怨念を僕にぶつけた。父が他界した僕に、母の出席しない結婚式が挙げられる訳がない。27才の娘の門出にさえ、容赦なく怨念をぶつけた母。 兄に叔父叔母招待の件を相談すると、 「お前が『世話になった』と思うなら呼べ。そうじゃないなら、呼ばなければいい」 世話に……なった。僕が安心できる場所にいたのはあの叔父叔母達だ。 悩んだ挙句、母方の叔父叔母・会話すらしないいとこ全員は無条件で招待。父方は父の実弟妹である叔父叔母のみ招待した。 ちくしょう! 10年経った今初めて思う。私は自分の結婚式ですら、母に支配されていたのか。 祖母はどんなに、孫娘の晴れ姿を見たかっただろう!? 孫娘である僕の保育園への送り迎えをし、愛し、嫁との不仲で長男の家を出て行った祖母は。 姻戚関係とはいえ、子どもの頃からの僕を知っていた血の繋がらない叔父叔母だって見てみたかっただろう。 田舎で一緒に遊んだ従弟妹だって、見てみたかったに違いない。「あの」ちゃむ姐が結婚するなんて!?(笑) でも、僕には許されなかった。できなかった。 主治医の手を離れ、薬もカウンセリングもなしで、職業生活を送っていたはずの僕がそこまで母に支配されていたなんて。 10年間、思い出しもしなかった。 僕にとって、結婚披露宴なんて恥以外の何物でもなかったから、考えもしなかった。 あの時叔父がどんな思いで一生懸命ホームビデオで撮影していたか。 招待できなかった従妹が何故わざわざ隣県から、披露宴の合間のお色直しに僕に会いに来てくれたのか。 どうして叔父が撮ったビデオをばあちゃんと親族一同が何度も見ていたのか。 僕達のキャンドルサービスの写真を叔母が、何故わざわざ飾り皿に刷ってくれたのか。 母に「縁を切った」と宣告された親族のみんなが、どれほど僕を愛してくれていたか。 そんな気持ちを僕は何もわかってなかった。それは考えてはいけないことだったから。 結婚生活、家を建てる過程で、僕はダーから気付かされた。僕はもう母に盲従しなくていいのだと。いや、盲従していたのだと。
こんなことまで書くつもりはなかった。 穂積純さんの「甦える魂」が媒介となっているのか。 忘れていた筈の過去が感情を伴って蘇えって来る。 疲れた。 今日はここまで……。
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