ダメダメちゃむ日記
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2003年01月30日(木) |
疲労と絶望の果てにあったもの |
現実。 哀しい哀しい現実。
私の(私たちの?)悪いくせ。 例えどんなに無理解な言葉であっても、 善意で与えられる「がんばって!」という言葉に 素直に従ってしまうこと。 善意なら応えなければならないと思ってしまうこと。 どうして私は(私たちは?)こんなにも懲りないのだろう。 傷つくだけだとわかっているのに、 何度も信じようとしてしまう。 そうして「がんばる」姿にしか与えられない「理解」。
昨日も、一昨日も、心底!!疲れ果て、 パソコンは点けていても打ち込むことすらできず、 眠りの中に吸い込まれた。 睡眠障害を持った、 薬を飲まなければ眠れないはずの、 就寝前の薬を飲み忘れると禁断症状が現れる私には、 充分過ぎるほど危険なほどの疲労。 案の定夜中に目が覚めた。 どんなに身体的に精神的に疲れても、 薬なしでは熟睡できない私の睡眠障害。 禁断症状(首の神経がビリビリと痛いほど張り詰める)が恐くて 慌てて飛び起きて薬を飲んだ。 「7時に起きる! 7時に起きる! 7時に起きる!」 と、自己催眠をかけた。 快適な目覚めなど、昼まで眠れる休日以外に私に訪れることはない。 「遅刻してはいけないのだ!」 という切迫感で無理矢理に起きた。@勿論誰もがそうなのでしょうが。 気分は最悪。体調も最悪。 それでも「遅刻しては許されない」のだと言われたから、 無理をして少し早めに家を出た。 2日目に出勤印を押していたら、G教頭に言われた。 「2日も遅れんで来られたやない。ちゃんとやればできるんや。これからもがんばらな」
その瞬間に謎が全て解けた。 何故、学年部が私の連日の遅刻に過敏に反応したのか。 何故、2人の子どもが病気の日に「午後の授業に行きましょうか?」と電話した私にいつも優しいはずの学年長が「頼むわ」と言ったのか。 何故、他学年の障害児学級担任(分会長の1人)がわざわざ私に話をしたのか。 何故、遅刻しなかっただけで教頭が誉めるのか。
私が「担任」を希望したからだ。 ちゃんと担任ができるようにみんなで指導する態勢に入ったのだ。 そして、学校とは規律の指導が要求される場でもあるのだ。 学級担任はまず始業時間より早く教室に入るものだから。 「もういい!! 私には無理だ!!」 心の中で私は叫んだ。誰にも言わなかった。誰にも言えなかった。今も言っていない。 総合的な学習で障害者理解教育を学ぶ以前の問題だ。 教員とはがんばってきた人たちだ。がんばってがんばった結果として大学で教員免許を取り、教員採用試験に通り、教科とクラスと部活を持ち、時には家族を犠牲にしながらがんばって生徒に関わってきた人たちだ。 私には無理だ。やっと私本人が行きなおしを始めた段階だ。40人もの生徒の痛みと苦しみに「もっとがんばれ!」とは言えない。担任を持ってしまうと、私は彼女ら彼らが背負った辛さの為に家庭に入り込んで語ってしまうだろう。 しかし、まだ私自身が回復過程なのだ。娘はまだ幼い。親としての絶対的な愛情という生きる基盤を育てる段階だ。クラスの40人を背負うほど、教科の200人を背負うほど、私はまだ回復していない。 職場のほとんどは無理解だ。 ただ1人理解してくれるのは、私と違う病を抱いた○○先生だけだ。 「体調はどう? 無理しちゃあいけんよ。手抜きでいいんだよ」 苦しんでいる人しか理解してくれない現実。 メンタル疾患で休職したことがある同僚すら過去を忘れたいのか、私とコミュニケーションさえ取ろうとしない現実。
自分を愛することができず、自尊心すら持てない沢山の生徒。@しかもほとんどが自覚がない 立ち向うのか? この無理解な職場で……。傷ついた生徒を、教員全体が守ろうという態勢に、私がどこまで孤独な闘いを発言を続けなければならないのか!?
無理して無理して放課後の教室を回り、早朝指導(遅刻指導)で私が発見した悪質な文書。選りにも選って私が発見した――いじめ―― 疲労に鞭打って放課後教室の戸締りに回った。暗い廊下で偶然見かけたある生徒。 「他の先生みたいにがんばらなくちゃ!」と早朝指導で昇降口にいた時、遅刻した生徒との靴箱に手紙が入っていたのを本人と一緒に見つけた。不審な手紙だった。訝る生徒が封を開くのに立ち会った。信じられないほどの殺意と言えるほどの悪意がその中に書いてあった。見せてはいけない! 開封した瞬間に私は取り上げた。 「先生、見せて下さい!」 「こんなもの見る必要ない!」 副学年長・学年長にすぐに見せた。副学年長と担任が生徒のフォローに当たった。朝の打ち合わせで学年部に知らせた。学年全体としての指導態勢を話し合った。 傷ついた生徒が懸命に涙を隠して笑顔を作ろうとしていた。 担任と話し合う中で本人が疑惑を抱いたのは友達。 その理由と本人の家庭状況。 疑われた生徒の生活の様子、交遊関係。 そこまで追い詰められた2人が哀しくて哀しくて涙が出た。 聞けば聞くほど切ない学年会の中で、報告せざるを得なかった。 疑われた生徒を私は昨夕の見回りで靴箱のそばで目撃していたと。 無理しなかったら、私はその生徒を目撃しなかっただろう。 私が無理しなかったら、その手紙はただ1人の心を孤独に絶望に突き落としただろう。 ちくしょう! やっぱがんばんなきゃいけないのかよ!(><) ダーが帰宅した後、わんわん泣いた。切なくて切なくて、可哀想で可哀想で、本当に救わなきゃいけないのは、そこまで追い詰められた手紙の主なのではないのか? 傷ついた生徒も傷つけた生徒もどちらも救わなければいけないのではないか!? 2人の為に、子どもたちの為にただひたすらわんわん泣いた。
わかったよ! 私は歩き続けることを、決して諦めない!
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