ダメダメちゃむ日記
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今夕、支部の「両性の自立と平等」教育推進委員会があって、学習会やって、 終わってから受付に居座って「感想」のところに ISのことやセクシャル・マイノリティのこと書いてたら止まらなくなって、 受付に座っていた女性部の役員さんに、初めてこれまでのこと、話しちゃった。
もう十何年も県の自主サークル集会に関わってるのに、私、この支部で独りぼっち。 ジェンダー・フリーのために地元新聞社の差別コラムに抗議文書送って1人で戦ったこともある。 組合にも全部報告した。けれど、私はいつも1人。 それをメデイア・リテラシー&弁論(読む力少し・書く力・話す力)のために授業化したら、ある担任から、 (確かに過激な表現ではありましたm(__)m、校長にも報告していました。でも) 「その新聞社の関係者が生徒にいたらどうする気?事前に調べたんか? その新聞を配達している子の気持ちを考えたか? あんたのやったことは差別授業だ!」 と決め付けられて責められた。女性の先生方も 「そんな勝手なことやられたら困るわ。事前に担任に相談してもらわないと」 と一緒に私を責めた。 生徒に謝罪した。すると、 「あんたが生徒に謝ったから、俺が悪者になってるやないか!?」 と怒られた。 精神状態は完全に混乱し、うつ病が再発した。 ダーは単身赴任だった。 幼児2人と、仕事と家庭と、母による「しっかり母親もやるのよ!私のように!」というプレッシャー、 そしてこの人間関係のストレス。再発するなって方がムリでしょ?(笑) 年休を取って休まなければ自我すら崩壊しかけた。 年休を取ったら、分会長の女性から、 「(年休の)権利にもほどがあるけどね……」 と冷たく言われた。(※これは数年後かも?記憶曖昧ですw) 勤務が不可能になり、病休を取った。 病休を延長しようとしたら、管理職から、 「ボーナスが臨時の先生ではなくあなたに行くのは気の毒だ。何も変わらないから休職にしてくれないか?」 と言われたので休職にした。 メンタル休職明けには恐ろしく孤独でみじめな3ヶ月の「観察期間」が設けられていた。 偉そうで大嫌いな新教頭に毎日毎日日記を提出させられた。 授業すらもたせてもらえないのに「もっと生徒と関わりなさい」と指導された。 どうやって!? 勤務に復帰したが、体調は整わなかった。昇給は遅れた。(一生影響する) 体調・精神状態不良のため年休を取り過ぎたら、教頭から呼びつけられた。 「僕はあなたの観察期間を1人で観察し、記録し、教育委員会に報告をあげてきました。僕はまだ早いと思った(あなた医者?)のに、教育委員会はそ資料と面接を通して、あなたの復帰を許可した。まず、あなたはそのことに感謝しなければならない!!(<何故? 私の主治医が復帰可能と診断書を書いたのよ。私が専門医の面接を受けて承認されたのに?) それなのに、あなたは生徒と保護者の信頼を裏切った。(年次有給休暇を取ったから!)なぜだかわかりますか? そんなこともわからないんですか!? 学校に保護者から苦情の電話があったんですよ!!(<教科も教師名も言わない匿名の一本の電話が) あなた(何故特定できる? 入試の前日年休を取った3年の担任もいたのに?)の教師としての信頼はもう失われました!! 他の人の事情が今更わかっても、もう手遅れです!」 と教頭から宣告された。 「これから……精一杯、できる範囲で努力します」 と泣きながら言うと、 「これからしっかり見せてもらいます。だから、あなたもガンバッテクダサイ!!!!!」 と言われた。がんばって、がんばって、がんばって、限界すれすれまで頑張ってきたのに……(><) 「……お願いですから『がんばれ』って……言わないで下さい」 って、泣きながら言ったら、教頭はいきたり立ち上がって、 「じゃあ、あんたは生徒に『がんばれ』って言ったことはないんか!?」 と大声で私を怒鳴りつけた<この人が何言ってるのか意味わかんないよ!!(><) 涙をボタボタこぼしながら、 「お願いですから……うつ病の人間には『がんばれ』って言わないで下さい」 って言うのが精一杯だった。 こういう高圧的な指導が予想されたので同席をお願いした女性の分会長は、 その場でも後になっても私にも誰にも何も言わなかった。 あ、その指導の前に「学年部で酷い言われようだから、みんなの役に立つようガンバルのよ!」という ごコウイによる助言は受けた。 学年部の教員集団からの「あんたが年休取るのが迷惑!!」オーラが怖くて、 研究授業を引き受けざるを得なくなった。 研究授業への流れのために、インフルエンザと嘔吐下痢症の(保育園児)2人の娘に留守番させて、 午後出勤してきた、とその分会長に話すと、 「私もそうよ!」^^(よくがんばっているわね) と笑顔で褒められた。他の同僚も「当然でしょ?」という顔をしていた。 (ここは「どこ」なの!? この人たちが「教師」なの!?) 知的障害についての総合学習の研究発表の直後、 その教頭は、私に、 「まぁ、知的障害は最も理解されない分野ですよ。 私も障害児学校を担当したこともありましたけど、 全くわかりませんでしたからね。 失敗して当たり前ですよ。 私も教頭になって、うつ病とか躁うつ病とか、わけのわからない本もいろいろ読みましたけどね、 さっぱりわかりません!」 と自信満々に、うつ病の私に、きっぱり言い切った。 その人が今は校長になっている。 先日の出張ですれ違った時、身震いすら感じた。 上記に挙げた先生たちも今も市内で元気にご活躍中。 「家事が全くできない」と言うと、<もう言うなよ(T_T) 全ての教師が皆私に軽蔑の眼を向け、 ただひたすらダーだけを過剰に褒め称える。 私は自尊感情(セルフ・エスティーム)すら持てずに生きてきた。 それを生まれて初めてほんの少し感じることができたのは38才頃かな? 母をはじめとするほとんどの「教師」に私は傷つけられ続けてきた。 ……女だから。母親のくせに。 病気だから、つらいんです。きついんです。でも働きたいんです。 そんな思いをしているヤツもいるんです。 ……だから、資料を用意しますから、夏の研究集会に来てください……と、 誰かにどこかで伝えて下さい。
私は、何を言いたかったのだろう? 帰宅して、 トップに貼ったサイトさんのゲストブックから、 自分の書き込みを削除した。本当にすいませんでした。 でも、そうしなければ私のサイト(心)がバレてしまうから。
私は、まず「自分」を守ることが必要だから。
ここまで書き終わってから、 少しずつ、ダーにも話して、わんわん大声で泣き叫んだ。初めて。 苦しかった! 哀しかった! 悔しかった! ダーが抱きとめてくれて、大泣きしていると、 長女が背中をさすってくれた。 次女が「お母さん、どうしたの? 大丈夫?」と 姉の上から私を抱きしめて、一生懸命励ましてくれた。 本当に私は幸運過ぎるほどの幸せ者だ。 でも、同僚からは「お母さんの世話をしなきゃならないかわいそうな子たち」と言われている。 私たち家族はこんなに幸せなのに、どうしてウチの子は「かわいそう」なんだろう?
今日の学習会で 「『セクハラによってうつ病などが発症したら労働災害』と厚生省が通達(?)を出した」 と教えられた。「各分会の女性部員さんに是非伝えて下さい」と言われた。
…………え? じゃあ、私は!? 私の授業に抗議した彼らに受けた仕打ちはセクシャル・ハラスメントではなかったのだろうか? 職場の同僚に責められてうつ病が再発・悪化した私は、ローサイにガイトウするのかな?(笑) 私、がんばったもん!(><) 病気だったけど、できる限り最大限がんばってきたもん! だけどずっと責められ続けてきた!!!! 女性教師から「悪いけど、そんなこと(両性の自立と平等教育)なんかやる暇ないよね!」と言われた。 その女性が、今日の両性の自立と平等教育推進委員会に出席していた。 誰にも後ろ指なんか指される覚えはない! 「教師」が私を傷つけられてきたけど、「生徒」が私にたくさんの喜びをくれた。 だから、私はこの仕事を辞めたくない。 どんな女性教諭に冷たい視線であしらわれようが、どんな男性教諭に責められようが、 私はがんばってきた! 私は自分を誇ってもいい。 あなたたちが知りもしない、必要とも思わないことを、私は研究してきた。勉強してきた。 家事ができなくても、病気ごと私を理解し、対等に尊重し合えるパートナーを私は得ている。 ひがみ、ねたんで私をなじり、責め、嫌味を言い、軽蔑してみせることで、 自分のプライドを保とうとする卑怯な手はもう使わないで! 私は心の傷にも負けず、研究を続け、自分を高め、 生徒に生きる力をつけようと懸命に努力し続けることができる幸運な教師です。 でも、授業実践するのは、正直まだ怖いのです。 たった1人で、また教師からのジェンダー・バッシングに耐える自信は、まだ……ありません。 (13年前に、前支部の勤務校で男女混合名簿提案のための分会学習会を開いた時も、 「じゃあそれ(混合名簿)のせいで、何か問題(何?)が起こったら、 あんたは責任取れるんやな!?」と男性から詰問されて、挫折した) 夏に2日の集会でだけ、私は県下の「仲間」と再会することができます。 彼女たちに勇気と元気をもらって、また1年間がんばれるのです。 もう1人はイヤなんです。 さびしいんです。 でも……。
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