夢見る汗牛充棟
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地元な話題で相済まぬが、静岡市と清水市が近々合併しちまうわけだ。 もう決まっちゃってるんだ。新しい市の名前は『静岡市』である。 なんで、吸収といわないのか?
「悔しいなぁ、せめて『駿河市』がよかったなぁ」という 一清水市民の切ない胸の内、静岡市民に、わかってたまるか。 うちだけ住所が変わって手数なのが不公平だ、と言いたいわけじゃない。
育ってきた「おらがまち」は清水だったんであって断じて静岡じゃないんである。 わしは、清水に郷愁のにおいを嗅ぐ清水の人なんである。 静岡市の意味するところは、『県庁所在地』又は『買い物に行く賑やかな場所』 にすぎない。
「清水市」。 その名は、大樹の陰によりそう、小さい市の鬱屈した感情を育んだ名前だった。 でも、いいところだって在るもんね…、わしらは常に呟いてきたんだ。 ああ、こん畜生。悔しいな。憤ろしいなぁ。
やたらと小さい町や市同士がくっつきあうことが、流行らしい。 頑張って、最期まで村であり続ける、町であり続けることはそれ自体 一つの貴種としての価値を生み出す時代になったんじゃないか。 『地図帳、最後の村』とかね。
大きくなればいいってもんじゃないよ。 名前が変われば賑やかになるわけじゃない。 大きな都市の鄙びた一欠けらに変わるだけだ。
村には、村の価値がある。小さい市には小さい市の価値があった。 対等合併だなんだと言ってはいるが、対等だと何人の人が思っている? 小さいものが大きいものに飲み込まれるとき、そこに残るのは、吐息のような悲哀だけなんだ。 わしは、いいたい。それでも清水市はいい市だったよ。
でも、鬼がきて一口に食ってしまったんだ。
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