長きに渡るお盆休みも今日で終わり。 青森四日間の一人旅から無事に帰ってきて今日、震度6の地震のニュース。 たった一日ずれていたら、どうなっていた事か……。まあ、青森と宮城ではちょっと違うんじゃない? という話もあるけれど。 四日間の旅を振り返ってみて、改めて「胡蝶の夢」って実感した。 月並みな表現で「自分を見つめ直す」時間。 憑き物が落ちた、そんな気がする。 去年末辺りからずっと抱え込んでいた「何か」。 放り出したくて仕方のなかった「何か」。 その「何か」は、結局自分の一部であって、目を背けることも、放り捨てることも、どちらも出来ない。 自分であるためには、それさえも、目を背けないでこの腕で抱き締めてあげないといけない。 頭でわかっていても、実際は受け入れられずにいたものが、やっと正面から向き合えた気がする。 「蝶になって野原を楽しく舞っている夢を見て、目が覚めるとそれは束の間の夢だった。だが、ここにいる自分も実は夢の中の存在なのかもしれない。そう考えると、夢の中の蝶も現実の自分も同じ存在なのではないか」 荘子の有名な話、「胡蝶の夢」。 姿かたちがどうであれ、存在そのものは変わらず一つ。 「(「孫子の兵法」の作者の一人と言われている孫武の子孫であり、孫武と子孫の彼の著によって「孫子の兵法」は編纂されたと言われている)孫ビンを訪ねた。彼は捕虜として逃げ出さないように膝から下を切断され、自力では歩けないようにされていた。同情すると彼は笑ってこう言った。『(足を切断されて)おかげで立っていた時とは違った世界を見ることが出来た。何を恨もう。むしろ感謝こそすべきだ』と。」 これも荘子のお話の一つ。 へこんだ時、何度も何度も繰り返し読んでいた話の意味が、やっとしみてきた。 夢のようなひと時から、現実に戻る。 夢も現実も、一緒。 そこにいた自分も、ここにいる自分も、やはり一緒なんだ。
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