本名の自分、友達からの呼び名の自分、take4という自分、竹という自分。 それ意外にもきっと、沢山の自分がいる。 そのどれもが、根っこでは一つの存在。 だけどたまに、それぞれの自分が別人のような感覚がする時がある。 正論を振りかざす、反論ばかり口にする、ただ全てに頷いている、それも仕方ないさと大人びたフリをする。 例えばtake4と竹は、微妙に違う。 take4が言った事は必ずしも竹が言う事とは同じではなかったりする。 都合のいい互いの存在なのだろうか? 唯名論、唯物論の論争は、もはや終わり無きを呈している。 今、ここにいるのは多分「竹」。 TPOで微妙に違う自分になるのは普通の事だろう。 とは言え、いったいどれだけの自分が存在するのだろう? よく脳内会議で沢山の自我が議論を繰り返す。 それが当たり前だ! それが本当に出来るのか! そればかりがいいとは限らないぞ! そんな考えは間違いだ! そこにいるメンバー全てをひっくるめて、一人の自分。 まったく、お忙しい事で……。 本名の自分は、今日もまた、呆れたため息をこぼすばかり。 少しは、まっとうな自分はいないのだろうか……?
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