「隙 間」

2005年09月11日(日) 発言には責任を持て?!

最近テレビを観てて(深夜帯)思う事。
政治家や財界人など、それなりの立場にいる人達が番組に出て色々話をしている。
プライベートな事や真面目な事や、本当に色々と。
もちろん、全ての発言に対するシナリオを書いている人物がいるんだろうけれど、それでも昔に比べれば、かなり露出が増えているのは確かであって、発言の幅も広がっている。
ぶっちゃけ党内の誰と親しいかだの、誰々の事をどう思っているのかだの。
ところが、マイクを向ける人間が変わったとたん、そんな発言は許されなくなってしまう。
ふた言目には「不謹慎だ、軽率だ」と些細な事で揚げ足の取り合いが始まる。
政治家に限った事ではない。
例えば、あるトップ女性アーティストがライブの中で、ホントに盛り上がろうという善意のつもりで「座ってるみんなも、立って盛り上がろうよ!」と言った事があった。
それがどうしたって?
観客の中に招待した車椅子のファン達がいて「彼らに大して不謹慎な発言だ!」と、どこかのテレビでそう言われてた。
親しみを持ちたい持たせたい、と観る側も観られる側も色々やっているのに、どうしてこう、揚げ足の取り合いが好きなんだろう?
公共の場での発言、というのは確かに難しい、と思う。立場によるそれぞれの影響力の強さだってあるわけだし、ただ好きに話せば良いわけではない事もわかる。
靖国参拝問題だって、首相だからこそあれだけ問題になるのであって、個人が勝手に靖国神社に行ったって、誰も問題にはしない。
じゃあ、どこに境目があるの?
昨日までの考え方が、明日になったら別の考えに気付いて変わったところで、周囲はそれをあっさりと認めてもらえるの?
発言に対する責任?
責任に縛られて、その拘束から解き放たれるのはいつ?
責任を持って発言しなければいけない事は大切。
けど、ふと、こんな疑問を感じていた事があったのを思い出してしまった。


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