「隙 間」

2006年10月05日(木) 我が目を耳を疑え

 なんとか体調も落ち着いてきた今日この頃、いいところで落ち着いてもらいたい、などと他人ごとのように言ってしまうけれど(苦笑)
 ふとした弾みに、グンッと自分が引っ張られる感覚も、何だか楽しいアトラクションのように感じる……笑

 さて、小学生のイジメによる自殺事件、教育委員会が謝罪したねえ。遺書を「手紙」と言い通していたのも改めてきちんと「遺書」と言い直していたし。
 立場や時勢やいろんなことがあって、きっと「遺書」として扱うことに不明確なものがあったから、あえて当時は「手紙」と呼ぶことにしてしまったのだろうけれど、たしかにそれには無理があったんだろう。「手紙」と呼ばなければならなかった教育委員会の人も、きっと、辛かったのかもしれない。

 世論にニュースを伝える際、一番重要視されるのが本来は「客観性」だった。ところが、個性的なキャスターが注目を浴び、視聴率や人気を得てゆくために、「個性的」な発言、「共感を得られる」発言を求められるようにもなっている。

 たとえば、悲痛なニュースを伝えるキャスターは、決して明るい笑顔で伝えることは無く、むしろ、悲しみをあらわにして伝える。
 もし、ニュースのなんたるか、を考えた際、無表情・無機質に伝えることこそが本来の姿なのかもしれないと思う。

 ニュースを聞いた人間が、他者の私情や主観をまじえることなく、自分自身の感性でその出来事を捕らえなければならないはずだ。
 だけど、悲しいことにそんな伝え方では、視聴者が良いニュースなのか悪いニュースなのかの判断力が不足している、というのが現状ではないだろうか?
 一歩間違えれば、誤った正義感を真の正義だと、キャスターが口にしたニュースをそのまま鵜呑みにしてしまう愚かな人たちで溢れてしまう恐ろしさがある。

 そのキャスターが伝えようとしているニュースの是非は、本当に正しいの?

 自分が影響を受け易い性格だと自覚しているからこそ、常に斜めに物事をみることを忘れないように心掛けている……。
今日は
「11047」


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