重松清著「送り火」 を読んだ。
私鉄沿線に暮らす、ささやかな人たちのそれぞれのさまざまな日常をまとめた短編集。 やはり、感情、いや、想いを表現するのが、絶妙。 そうか、まさにそんな感じで、そういう感覚だよね、という表現が散りばめられている。たとえば……
自分の「家族」を思い描いてみてください、といわれたとする。 その「家族」 の中に、自分の顔はあるだろうか? 自分にとっての「家族」とは、自分以外の家族のことを思い、「家族」のため、と思うときには自分のことを考えないことがほとんどだと思う。 それぞれが自分のいない「家族」のため、と自分を犠牲にしていたら、そこには誰もいない「家族」という空の器があるだけになってしまう。 だけど、自分以外の「家族」のため、と考えなければ、ひとはなにも頑張れなくなってしまうのかもしれない。 でもそのせいで、あなたを「家族」と思い描いている家族の誰かの中のあなたが、勝手にいなくなってしまうことにもなってしまう……。
「家族」とは形にしようとすると、もろくて形にできないものなのだろう。 だからこそ、「家族」という言葉を口にするとき、「家族」という文字しか思い浮かべないようにしているのかもしれない……。
今日は 「12842」
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