| 2007年04月17日(火) |
「蹴りたい背中」と、どっちの強さ? |
綿矢りさ著「蹴りたい背中」
を読んだ。 「インストール」で芥川賞をとって一躍有名作家の仲間入りをし、その第二作目。
……おこがましいけれど、さぞ辛かっただろうと思う。
二作目を書かなければならない、作品として商品として書き上げねばならない。 しかも、芥川賞作家という重すぎる肩書きを背負って。 たかが十代の女の子が。
……きっとそれらの経験や想いをふまえて、最新作「夢をあたえる」が生まれたんだろう、と思わされてしまう作品だった。
何をどう描けばよいのか、いや、描きたいのかが、皆目わからなくなり、見えなくなってしまう。
……はかるべき物差しを疑いの思いを抱いた目でしか見れないことが、ままある。 自分の意思なのか、第三者的な意思なのか。 自分をほかの何よりも信じきる強さと、信じようと思う意思のつよさは、似て非なるものであり、また同種のものでもある。 無謀と勇気とが違うように、些細なことで一瞬にしてそれが入れ替わるように、ひとはそのどちらかを結果的に選んでゆく。 今は……
信じる強さ? 信じようとする強さ?
どっちだろう……。
思いっきり、背中を蹴っ飛ばしたい。
|