| 2007年07月07日(土) |
なんばで街をあるいてみた |
巷で話題になっていた「日本古武術」の日常への応用。 テレ朝の「ナンだ!?」で再び扱っていた。
で、
「なんば」
で街を歩いてみた。 同じ側の手足を揃えて前に出す歩法。 ただ前に出すのではなく、体全体の重心の動きをそれにきちんと合わせる。
階段を上るとき「なんば」のほうが楽だ、という。
そう、かもです。 右手右足を揃えて一段踏み出すと、そちら側に重心が乗ります。そしたら、軽くなった後ろ足を上げればよいのだから。
じゃあ、下りてみよう!
……気をつけてください。 重心を低い段のほうに、さきに預けるのだから、負担がでかいのは当たり前です。
「力」の使い方でたいへん有効なことはたしかです。
体の一部ではなく全体をまんべんなく使うことによって、負担も分散し、さらに逆に力は発揮されます。
さて、ここからは個人的な見解です。
古武術は、人間の体の使い方を巧妙に研究したものです。 優れています。
ここで武術のたどり着く奥伝の話は、置いておきます。一般人にはたどり着けない話ですから。
で、一般人の見解の中での表面的な考察として。
古武術は人間の体内における「力」の使い方を、いかに体内において用いるか、について優れているのかもしれません。 古武術には常に武器(刀、小刀)や暗器(鉄爪、針等)を携われている考えがあります。だから、必要以上の肉体の力を使わずに、効率よく相手の肉体を傷つけられればよいのです。 それ以上の不要な努力など、もってのほか(?)という非常に合理的な考えがあったりします。
交互に逆手を前に出す普通の歩き方は、重心を後ろ足に残して、前と後ろ半々に重心を移し、そして前足に重心を移す。 ここで、古武術が避ける「ひねり」があるわけです。
腰を、くいっと、くいっとひねるわけです。
そして、重心を後ろに残す、という動作もあるわけです。
「踏ん張る」という動作がとてももったいない、と某氏は説明していました。もちろん、その深奥には本当の別の意があるものだとしても、むむむ、と唸ってしまいました。
だって、せっかく、地面があって、重力があって、使えるものがあるのだから。
そして。
古武術とはいえども、万能ではありません。
人間は人間なのです。 スーパーマンになれるわけではないのです。
体の一部の力のみで何とかできるものを、ことさら分散させて普段使わない筋肉を使うことにもなるのだ、ということもありうるのです。
買い物袋を手に持つとき、小指をしっかりとかけて持つと、腕から肩にかけて全体の筋肉を使うことになるので負担が減り、楽になるそうです。
はい、肩凝りのほぐしに、よおく効く感じがします。
「なんば」
で歩くのは、やめにしておきます。
だって、腰をひねらないんですもの。
ウエストを、ひゅいっとひねって、引き締め効果を期待したいわたしとしては、こちらの体使いのほうが、重要なんですもの……。
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