「隙 間」

2007年08月19日(日) 吉原回顧録

 今日はお盆休み最終日。
 ということで、ぶらっと街歩きをしました。

 映画「さくらん」や芥川賞受賞作「吉原手引草」などの影響もあり、ふと、吉原って? と地図を調べてみました。
 そうして初めて、場所を知りました。

 なんやのん、ご近所(?)やないのん……汗

 すわ、吉原へ。

 谷中霊園を抜けて入谷鬼子母神を通り過ぎる。するとまずは新吉原花園池跡へ。
 ここは関東大震災時に大火に追われてここに逃げ込んできたというのに、後から後からつめかけてくる人たちに押し込められ溺死してしまう悲劇の場です。

 そして向かうは吉原大門跡。

 現在は交差点名として残されているだけです。
 ナビにまかせててくてく歩いていると……。

 あぎゃ。

 現在の吉原は、全国にも名だたる湯屋(?)の街になってます。
 そのメインストリートを通り抜けるべく、ナビされてました(汗)

 入口の前に立つお兄さんたちと目を合わせないように、頑ななまでに前を見て、わき目も振らずに歩きました。

 日曜の真昼間でも、この類いのお店ってやってるんですね……。

 でまあ、大門跡はわかってても「見返り柳」はどこかようわからん、と、ふと不安に駆られました。
 まさかここのお兄さんたちに聞きに戻ってくるわけにもいかないですし。
 そこでちょいと前を歩く、財布片手のお姉さんをつかまえて尋ねてみました。

「大丈夫ですよ。ここ真っ直ぐ抜けると大門の交差点で、その脇に生えてる柳がそれですから。ガソリンスタンドがあるからすぐわかりますよ」

 丁寧に説明してくれたお姉さんは、ふわりとよい香りを残してさってゆきました。
 たぶん、お店のお姉さんだったのでしょう……。

 おかげさまで無事(?)、吉原大門に辿りつき、たしかに「見返り柳」を発見。
 これは、吉原に遊びに来た客が帰るときに名残惜しげに振り返っていた、という由来の柳です。

 さて次は……。

 浄閑寺、です。

 浄閑寺は別名投込寺と呼ばれ、安政2年(1855)の大地震の際にたくさんの遊女が投げ込むように葬られたと伝えられています。

「生まれては苦界、
 死しては浄閑寺」

 と詠われた碑が刻まれています。
 永井荷風はたびたびこのお寺を訪れて、遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせていました。荷風の弟子である谷崎潤一郎ら四十二人がその師の気持ちを碑に刻んでもあります。

 さてさて、ひと通り吉原巡りを終えると、次は……。

 浄閑寺のある三ノ輪という街。

 じつは、私の本籍地、なんです。

 今は津田沼に実家があるのですが、父が幼少の頃を過ごしていた街、なのです。
 住所の地番表示が変わっているので現在のどこが本籍地の番町なのかがわかりません。
 交番に聞いてみても「新表示でしか案内してないので、ちょっとわかりません」とあしらわれてしまいました。

 素直に父に聞け(笑)

 で、聞いてその現在地に行ってみました。

 重松清さんの世界です。
 親子や夫婦の間にありつづける歯がゆい思い、また少年少女の形にしきれない思い、そして故郷への思い、をしみじみと感じさせてくれます。

 さて、帰りに合羽橋珈琲店にて一服……。

 一年前、退職直後の頃に、ここでときどきネタ書きしてました。
 でも、そのうち足が神保町に向くようになって、それ以来でした。
 なので、なんか不思議な感じ、です。

 さてさて、回顧(懐古)にうつつを抜かすのもここまでです。

 明日から社会復帰……できますように(汗)


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