| 2007年09月04日(火) |
博士の愛した数式的考察 |
さて、昨日無事(?)「3」のぞろ目歳になりましたが……。
「3」という数字には、こじつけだが縁があり、それに関係して出てくる数字同士にもまた縁がある。
博士の愛した数式的にいってみよう。
生年月日の全ての数字に「3」は含まれる。 「月日」は3の3倍の9月と3日。 「生年」もS49年で、この因数は1と7と49の「3」つである。 西暦でも四桁を足し合わせると21となり、これは3に上記の7をかけたものである。
小学校は田喜野井小学校第一期一年生として入学し、この学校は、前原小学校、薬円台南小学校、二宮小学校の「3」校より分離し、田喜野井小学校が新設された。 そして小学「3」年から少年野球を始め、初めての背番号は5「3」番。
中学校は「三」田中学校で、高校は受験科目がそれまで5科目だったのが私の年から「3」科目になり、おかげで入学できた。
高校の軟式野球部でのポジションは「三」塁手。 部活帰りはキャプテンと四番と私の「3」人で同じ津田沼駅まで一緒に帰っていた。
大学の付属高校は我が校合わせて「3」校あり、建築学科への推薦枠が8人の内、「7」人目だった。
理工学部の生田キャンパスは川崎市多摩区東「三」田1−1−1にあり、一年から院卒までの6年間通った。「6」は「3」の二倍。
最初に就職した会社は英字名が「3」文字であり、最寄駅のJR大塚駅の住所は豊島区南大塚「3」丁目。
次の会社、といっても「三」ヶ月で社員になるには部長になるまで待たねばならない上に、交通費の支払いが遅延していたりするということに危機感を覚えて、アルバイトだけですぐに辞めてしまったが、その会社も千駄ヶ谷「3」丁目にあった。
そして次の会社も文京区白山「3」丁目にあり、退職のときに所属していたのは設計「3」部。
前の会社も今の会社も今の出向先も「3」階のフロアにあり、最初の会社は「7」階だった。
私の本籍地は台東区「三」ノ輪であり、今の住所は谷中(やなか)だが、この辺りは「谷根千」と呼ばれ、谷中、根津、千駄木の「3」地域を総称して全国的に知られている。さらに我が家の番地は「3」である。 そうそう、実家の最寄り駅である津田沼駅も、主な町村であった谷津、菊田(久々田)、鷺沼の「3」文字の合成地名からなっている。 実家の住所の数字を足し合わせると12であり、「3」の倍数である。
個人的に忘れちゃあ、いけない。 akdの田喜野井の実家の部屋番号は「3」0「3」である。 その近所に建ってしまった私の我が子(?)であるデイサービスセンターの番地も「3」である。
ここまでくると、こじつけ放題である。
もともと「3」という数字はいろんなものに関連付けさせやすいものだけれど(笑)
しかし、私は気がつくと「3」ごとにものを数えていたりする。3、6、9、12……と。
ここまでくると、「3」のゾロ目の歳になる今年は、何か大きな転機が訪れて欲しい気がする。
転機ばかりの人生だけれど(笑)
おっ。
携帯番号も090以下の番号を全部足し合わせると「3」0だった(笑)
ついでに、実家の電話番号も、市内局番から足し合わせると「3」0に! 市外局番から足し合わせると45で、これも「3」の倍数。
どうか33(散々)な年になりませんように……。
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