西新宿へ向かう途中、ちょいと一服と寄ったコーヒー屋にて。
嘘か真かわからぬが、隣席のとある旦那様の思い出話。
私は航空士官学校出で、戦後はM商事の社長だった。 戦時中の中国で上官からのリンチを受け、死んだら地元民に襲われたことにするよう倉庫に放り込まれていた。 以前、地元のごろつきたちに強姦されそうになっていたところを助けた地元の女の子を助け、身寄りを戦争でなくし仕事もないなら兵舎で給仕として住み込ませてやって欲しい、と上官に頼み込んでそうしてもらっていた女の子が、こっそり手当てや食事を運んできてくれて、よしもうくたばったに違いない、と一週間くらい後に様子を見に来た上官を扉の前で待ち受け、すっかりピンピンになった姿で扉を開けた上官に敬礼を返してやった。 元通りに復帰させるわけにもいかない上官が、無理矢理シンガポールに配属先を決めて、所属も決まらないうちに現地に行かされた。 所属が決まっていないのだから、ヒマだった。 飲み屋やダンスホールに通い始め、そこでF銀行の副頭取と懇意になり、ゴルフ三昧の毎日になった。おかげで一ヶ月でシングルプレーヤーになった。
終戦後、職業軍人は大学を出直さなければ就職はできなかった。 そして通った大学で仲良くなったアメリカ人の留学生がいた。就職後、アメリカの航空会社の日本支社で働いていた知り合いの女の子がアメリカ本社へ転勤になり、知らぬ土地で言葉や生活が不安だと相談を受け、それなら深い付き合いだった知り合いがいるから、ともうとっくに帰国していた留学生に連絡し、安心していなさいと彼女の肩を叩いてあげた。 すると彼と彼女は結婚することになり、私に仲人をして欲しいと頼んできた。彼の家族に招待され、ともかく現地に向かった。 学生時代、彼は生活費の為に土方のバイト三昧で講義にろくに出られず、ノートを貸し借りしてやっていたが、私の知り合いの家に住まわせてやってバイト三昧から解放されて安心してたりの生活だった。 さてどんな家なのかと思っていたら、迎えに来たのが巨大なリムジン。 見たことのない大きな門扉を抜け、森やらテニスコートやらをいくつも通り過ぎてやっと着いたのは、宮殿のような家。 なんと彼は、自動車会社フォードの息子だった。
戦時中、軍隊で剣術、柔術を修めると剣道や柔道において高位の段を修めるのと同じことらしく、それをもとに私も空手の道場(清心流)を開いた。 西新宿の飲み屋街で若いごろつきに絡まれても返り討ちにして、新宿警察によくお世話になっていた。 私が直接世話にならないようになっても、門下生のとある若者が世話になることがよくあるようになり、身元引受人として呼び出されることが度重なり、「こんな様子じゃあ、お前は道場に顔を出すな」と言いつけた。 その後数年、若者は姿を現さず、やがて「熊殺し」で誌面を賑わせた。 海外赴任していた私が定例会で帰国していたそのとき、道場から「道場破りがきました。K館長は遠方に外出されてて戻りに時間がかかるそうで、ようやく他の方で連絡をとらせていただきました」と連絡があり、道場に駆けつけると、汚らしいボロボロの道着に伸び放題生え放題の髪と髭の彼が待っていた。 彼は名乗らずにいたがすぐにわかった。 着替えるのも面倒と上着を脱いだだけで対面し、立ち合った。 やがて私が彼を吹っ飛ばし、彼が「参った」とネを上げた。 「何が参っただ。お前はそんなタマじゃあないだろう、大山!」 自分も道場を開きたいが資金がないし開き方もわからない、という彼に、五軒続きの長家を世話してやり、そこを改装して道場にしろと資金と場所を用意してやった。 流派名を「北斗七星」や「北極星」のような名前にしたい、という彼に、「それなら『極真』なんてどうだ」とアドバイスした。
嘘か真かはわからない……。
けれども、充分楽しいお話だった。
そうそう。 退役後、本国には断りなく勝手に(?)今の日本の基礎を築いたマッカーサーは、当然、仕打ちを受け、厳しい暮らしを独りで送らされた。家族も彼から離れてしまい、駐留時に彼とその通訳らと親交があった「私」は、自分の会社に話をつけ、資金と住居を用意し、家族で住み込みで働ける者を募集し、面接までした。
らしい。
嘘か真かは、わからない……。
いや、その、まあ、ね(汗)
裏を取ろうと調べてみると、人名は確かなものだけれど、背景やら事情やらの辻褄が合わないようです。 大山倍達は「熊」ではなく「牛」だし、道場だって旦那さまのいう「清心流」との繋がりはないようにみえる。K館長というのは確かなものだけれど。 そしてマッカーサーは、晩年レミントンランド社会長となっているし。
いや、楽しい話(作り話だとして)を聞けただけ、得をしたと思う。
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