「隙 間」

2007年11月04日(日) 「狂人日記」と「輝ける女たち」と紫紺祭

 色川武大著「狂人日記」

 なんといえばよいか……。

 そう。

 もの凄く、

「共感」

 してしまった。
 色川武大さんは以前にも紹介したが、阿佐田哲也という別名で「麻雀放浪記」等の著作を残している。
 この作品は、著者自身のナルコレプシーによる発作症状をもとに描いた作品である。

 他人にはけっして伝えきれぬ症状、煩悶、孤独、つながりを欲し、つながりを築きえぬ因果。

「いっそ自分が自分であることがわからぬようになってしまえればよいのに……」

 もろもろを受け入れてもらえる、ということは難しいことであろう。
 健常者の立場から考えるに、やはり受け入れるのは難しいことであろうと思う。
 そのような煩悶が描かれ、さらりと胸に入り、ストンと底に落ちる。

 ナルコレプシー患者(国内で0.2%弱しかいないと言われているが)は、この作品を読んでみると、前に進めてはくれないかもしれないが、肩にそっと手を当ててくれるのを感じるかもしれない。

 そして。

 しぃ〜らぁ〜くぅ〜もぉなぁびくぅ〜

 母校、明大明治の駿河台最後の「紫紺祭」に、行ってきました。

 応援団のリーダー公演が始まってしまっていた時間にだけれど……。

「あ〜ら〜し〜のぉ〜……はぁ〜くしゅっ!」

 うん、これがよいんだよね。
 ツラい体勢で固定して、皆が「まだまだっ」と、次の動作に移るのを延ばさせる。
 最後の校歌をフルコーラス皆で歌ったけれど、八割がた歌えたことに驚いた(笑)
 見納めなんだなぁ、と男坂を見上げ、女坂までぐるりとまわる。
人生の半分ほど昔に過ごした場所。

 場所がなくなるから、ではない。

 かつての自分がそうしていた姿を重ね合わさせてくれる今の後輩たちの姿が見られなくなる、ということに胸が疼く。

 さて、三省堂で物色を終えて……

「輝ける女たち」

 をギンレイにて。
 キャバレーのオーナーの突然の死を迎え、彼の懇意にしていたものたちに遺産が相続されることになるが、我が子として愛されていたマジシャンとその娘、息子、元愛人、そして元妻、までが現れて、これまで顔を向かい合わせて話すことがなかったそれぞれの時間が動きはじめる。

 ただ生きる、ということに甘んじつつある。

 なにかのために、なにかに向かって、生きる、という生を忘れてはいないだろうか?

 一日をただ生きる、ということだって、相当たいへんなことであったりするのはわかっているけれど……笑


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