ドキュメンタリーで、
「代理母出産」
についてやっていた。 まだまだ縁はないけれど、だからこそ、思うことを。
自分たちの遺伝子を継いだ我が子こそを、と望んでの場合。 血よりも絆。 生まれるまでの過程を共に共有し乗り越えてゆきたい、とも違う。 現行法規では、自分たちの遺伝子であっても、実の父母にはなれない。 里親、養子の関係。 だからなんとかせねばならない、と。 小学校で自分と親の血液型やらを調べてみる授業など、やったりしているのだろうか。
人間を生殖のためにしてはならない。
と法。
代理母出産は、子供の売買に通じる恐れがある。
費用は保険医療費・法対応等込みで、およそ二千万円程度がかかるらしい。
好きなひと、愛するひとの子を、欲する。
代理母出産の問題のひとつに、当事者(生まれてくる子)の同意がないこと、がある。
どんな子だって、同意した覚えなんかないはずだ。
生まれたいかどうかではなく、どう生きたいか。
養子も実子も、親と子である。
親とは、子ができたからなる、ではなく、子とともに、なってゆく、のである。
ホストマザーになるのも、頼むのも、どちらも、半端な覚悟で、単なるボランティア精神(語弊があるやもしれないけれど)では、いけない、と思う。 人の生命にかかわる、ことなのだから。
そして、人生にも。
現行では、ホストマザーの資格に、既婚者であること、がある。 既に自分の子がいる場合、その子たちは自分の弟か妹が当然、できたものと思うだろうし、生まれた途端、知らない人にその弟か妹を奪われてしまうように思うかもしれない。 その理由を、意味や意義を本当に理解できるようになるまでにはかなりの年月がかかると思うし、途中、子どもができることに対して理解が中途半端な時期には、トラウマができてしまうかもしれない。
だから、そんなもろもろを覚悟して、選択することはすごいことだと思う。
偉い先生方の「生命の尊厳」に対する懸念やそのためにかなりな慎重さを要することもわかるし、子を欲することのどこが悪いのか、とも思う。
男だから「母」になることはできないし、父にも夫にもなっていないからこそいえるのかもしれないけれど。
養子(血の繋がらない)と実子って、そんなに違うのかしらん?
そりゃあ、お腹をいためて産んだ子、という絆はあるけれど、この場合は違うわけだし。
「普通」に妊娠して「普通」に出産して自分の血をひいた子どもが欲しい。 けど、その「普通」のことができないわたしが、自分の血をひいた子どもを望んではいけないのでしょうか。
との声。
親やら子やら、普通やら、かたちにはならないかたちのことを考えてみて、自分が、かたちにこだわらないのか、こだわれないのか、ないものねだりのあきらめなのか、よくわからなくなってくる。
自身の発言には、所詮まだまだ重みも力もないことをわかりつつ、あえて思ってみた。
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