| 2008年01月21日(月) |
「精神分析入門」と有閑倶楽部と接するということ |
ジークムント・フロイト「精神分析入門」(上)(下)
勢い、最後までいきました。
「ひとつ山越しゃ、 明かりが見える♪ ふたつ山越しゃ、あとすこし♪」
武田惣角先師が鼻歌まじりに会津のならず者たちを、ばったばったと放り投げたように……笑
あ、武田流合気柔術の開祖です。
真面目に学ぶ方々には申し訳ないほどに、流し読み(汗)
読んだ、とはとても言い難いかもしれません。
が。
こんばんは、りビドー・グランマニエです(はあと)
これが言いたくて、たまらなかったです。 ドラマはとっくに終わってしまいましたが。
内容にちょこっと触れて話しますと……まあ、ご存知の方もいらっしゃるやもしれません。
性的欲望こそ、すべてじゃあ! 幼児期こそ、すべてじゃあ!
と、甚だ乱暴な表現を(笑)
いや、これにはきちんと深い理由や意味がありますので、誤解なきよう。
エディプスやらイドやらエスやら……。
イドと言われると、遠きノスフェラスの谷を思い出してしまうのは、ぐいんファンのサガでしょうか?笑
まあ、分析には弁証法的手法(?)を用いたり用いなかったりして、個々の古き記憶や体験を追いかけてゆく、といったことでしょうか……?
まあ、エディプスコンプレックス云々のところはわからいでもなく、そんなもんなのかしらん、と徹底的に他人ごとでした。
簡単図解シリーズの別本をユングやらとあわせて立ち読みしたので、まあ、もう心理学的なものはしばらく遠慮しようかと(笑)
重松さんのコラム本が文庫で出てたんだよな……と、記憶の三省堂を振り返る。 買っておけばよかった、と後悔。
まあ、読みかけがあるのだけど……汗
そして。
先の内容に関連して……。
罹患者と医師の間におこる傾倒云々、というところがある。 このとき、とあるドキュメンタリーを思い出した。
知的障害をもつ少年少女に、友達として、仲間として、そとの社会、つまりはわたしたちが何気なく過ごしている社会にでて過ごそう、とひとりで活動している男性。
家族以外の、まして自分だけを自分のために、そとに連れていってくれる彼を、とある少女(とはいえ、二十歳以上だったと思うが)はまさに、「恋人」のように、外出から自宅に、家族のもとに送り帰して別れたあと、泣きじゃくり、窓から彼に向かってガラスを叩き、
「あした、会えるの? どうして、会えないの?」
と、彼女をなだめようとする母親に問い詰める。
それでも、また翌月、彼への信頼と娘の楽しみと社会へ触れるためにと、彼のところに依頼する。
彼自身、これはあくまでもボランティアではやりきれないのでビジネスとして料金を、必要経費プラス気持ち、だけ頂戴している。 少年のときもあれば、障害をもった仲間たち、というときもある。
彼は元保育士だったらしい。 個対個で接しえる限界に悩み、組織を飛び出すことにしたらしい。
踏み出した勇気、義気、は素晴らしく、信頼を得られる活動を続けていることも、尊敬する。
「セックスボランティア」を読んだとき、やはり同じようなドキュメンタリーを観たときの切な叫びも、まだ耳にある。
ひとと接する、ということは、無意識にできているものこそ、尊いものであるのだと思う。
だからこそ、それはうまくいかなかったり、うまくいったりするのだけれど。
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