| 2008年02月24日(日) |
「なぎさの〜2」と一線画すもの |
重松清著「なぎさの媚薬2 追憶の課外授業」
はい、今回は一時間強で読み終えてしまいました。 重松さんの官能小説作品です(汗)
やはりこれは、言葉や文字で直接表現しているだけにしか過ぎず、他の重松作品となんら変わりない紛れもない重松作品です。
ただ。
普通の作品と敢えて一線を画しているというならば、なぎさシリーズはあくまでも「官能」小説であり、読者は中高年のサラリーマンに重きをおいていることがあるため、 「男が主観的に主導的な感傷に満足」
できる世界として描かれている、という点でしょうか。
乱暴な言い方かもしれないのを承知で、男は単純に自己満足な生き物である、とするならば、自己満足するために必要な「根拠」が必要になります。 その「根拠」となるものがないかぎり、常にそれを求め続けなければすまないのです。 そしてそれは、けっして自らの内からは見つけることができないものなのです。
自分ではない誰か、何か、から与えられた「根拠」でなければなりません。
世間的な評価、テレビや雑誌でもよいし、知人友人からでも家族恋人からでもよいので、「よし」という根拠が必要なのです。
ただし、それは口にした当事者が真剣に熟慮し決断して発したものである必要は、「根拠」を求める男にとってはどうでもよかったりすることでもあったりします。
見た聞いた時点で、その先は自己満足へ流し運ばれてゆくベルトコンベアの上で勝手に加工されてゆくのですから。
ですからたまに、思い込みが原因で争いになってしまうこともあります。
こうしてあげることが当然だと思っていた。言われもしないのに勝手にそんなことしないでよ。
こうするのが当たり前だろ。 当たり前って誰にとって? あなたにとってだけでしょ?
自分がこうしておく、ということを相手に告げずに、自己満足で済ますことも男には往々にしてあります。そしてそれに気づいてもらえないと淋しい気持ちに陥ったりすることもあります。
わたし自身を自己弁護しているようにも思えてきましたが(汗)、おおよそ、そんなものなのです。
だから男は、社会における評価を求め、それを家族に認めてもらいたがり、そのためにさらにまた、社会でそのことを拠り所にして出てゆくのです。
わたしたちだけで幸せならそれだけで充分じゃない……。
たとえば女性がそう男を諭そうとしても、おそらく男は満足しきれないでしょう。 大概の男は、やがてその女性からの思いやりや優しさや本音であるそれらを歯がゆく思ってしまうような生き物なのです。
根拠もなにもないわたしですが……汗
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