| 2008年03月18日(火) |
最後のひと搾りつもり |
ショック
でした。 ドラマ性だとか、そんなもの、吹き飛びました。
いつから、あれほどまでに
人の死に態
を明瞭に露骨にまざまざと、映像にして流すようになったのでしょうか。
写真に関しては、受け止めねばならない史実の記憶として必要貴重なものであると。 しかし、茶の間の無差別にそれを目にする、純なる無垢なるもの、深き傷として封印し癒えぬまでも開くことなくすますことができていたはずのもの、単なる好奇のみでさらにはやしたてようとするものたちに、どう伝わるというのか。
流される時間帯云々ではない。
なぜ、あえて克明に制作したのか。
技術の進歩による、よりリアリティのある表現
に酔っていたのだとしたら、侮蔑する。
表現を追求することを蔑んでいるのではない。
追求したものを、いかなる媒体によって手法によって選別によって対象に伝えるか。
やはりおさまらぬ。
いったいどうしたというのだ……。
……と、最近までの溜まったものの最後のひと搾りをひりだしてみました(汗)
いや、ね?
東京大空襲
のお話ですよ。
めっちゃ、ご近所ですよ。 上野の山に葬られた数々の悲しみの中の、最たるもの、なわけですよ。
なぜ? あれを形として映像として突きつけなければならなかったの?
と。
あんな表現でしか伝えられないの?
残酷さがなければ伝えられないものって、いったいなに?
そんな表現を、言葉を使っているだろう稚筆な身かもしれません。 矛盾しているという自覚もあります。
でも。
それは、それがためだけのもの、ではないためのもの、のつもりではあるのです。
いつか、つもりがなくなるまで……。
|