「隙 間」

2008年05月05日(月) 見せること笑わせること、求めるために与える?

 銀座「柳祭り」のパレードを見かけました。
 高校生のマーチングバンドの行進を見たのだけれど……。

 隣同士の同じパートで、同じ条件、なわけです。

 ところが、一生懸命やっている表情と、それでも楽しげな表情と、これほどまでに見ているひとに与える印象が違うのか、と。

「見せる」というのは、とても難しいことだと思います。

 一生懸命は当たり前。
 歯を食いしばるのも、当たり前。
 いや、食いしばるものではなく、見せて輝かせること。

 わかっていたつもり、でした。
 それでも、どこか甘えがあったのでしょう。
 わたしは「一生懸命やってれば、それだけでいいじゃん」と、危うくそんな人の肩をやさしく叩いてあげようとしていたのかもしれません。

「見せる」「見てもらう」って、そういうものじゃないよね?

 と、自分に対しては時々(汗)考えたりしますが、こと他人(自分にまったく関係のない人)に対しては、その「ひたむきさ」だけでよし、としてしまいがちなところがあったのかもしれません。

 だから今日、そんなことに気が付かされたのでしょう。
 珈琲が苦く感じました……。

 書くだけなら、誰にでもできる。
 書くために、何をしているのか。

 知識を並べるなら、誰でもできる。
 その背景に、何を見てきたのか。

 実際のこの目で、肌で、感じることを怠けていたように思います。
 自分でできなくても、より身近でそれを感じること。

 肩書きがない人間がそんな現場に足を運ぶことは難しいかもしれませんが、物書きの肩書きなんて、自分で名刺を作れば、それでもう立派な物書きなわけです。
 それを表に出すことから逃げてたのかもしれません。

 自分がやっていることを大声で人に言えない。
 それは、自信がないことの証明だったり、逃げだったり……。

 そりゃあ、言えないことも多少はありますが(汗)
 
 もとい。

 名刺はともかく、なまじネットだ本だで他人の知識や経験を目にすることができてしまうので、自分の言葉ではないのに、さも自分のもののように振舞ってしまう、または振舞わねばならないこともあるわけです。
 振舞うことは必要ですが、振舞っていると感づかれてはならないのです。
 それはやがて、歯を食いしばることと、それでも笑顔を見せること、の違いにも通じることです。

 歯あ食いしばるって自己満足でしょ?

 笑顔で見せるということは、それが自然にこぼれる笑顔であるにこしたことはないけれど、そうであるように見ているものに対しては、とことんそうであるように見せなければならないのです。

 ダンスで頭の上まで蹴り上げた足がびしっと伸びていても、その顔が歯を食いしばっているより。
 蹴り上げた足が胸までしか上がっていなくっても、とことん笑顔のほうが、見ているほうは楽しくなれる。

 もちろん頭の上まで蹴り上げて笑顔、にこしたことはないのですが……。

「コメディアンは笑わせてなんぼ。笑われちゃあならねえ。
 だけど笑われるなら、なにくそと笑われまいとやっきになるのもいいが、
 とことん笑われてみろ。

 それに、

 笑ってくれるから笑わせる、なんてものじゃあないだろう?
 笑ってもらいたいから、笑わせたいのかい?
 笑わせたいから、笑わせるんだろう?

 それでも笑ってくれねえからって手前が難しい顔してちゃあ、
 だあれも笑っちゃくれねえよ。
 見返りを求める笑いは、笑いじゃあないね」

 ちょいと間違えれば自己満足になってしまいます。
 だけどこれは、歯を食いしばることではなく、笑顔で見せることとも通じることです。

 反応を求めるために与えるのではない。

 ということ、です……。

 ……?

 いや、反応、ください。
 わたしの作品には、まだまだ反応が必要なので……汗


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