「隙 間」

2008年07月06日(日) 虫干しと「ミリキタニの猫」とカルーセルだとしても

 今日はわたしの「虫干し」をすることにしました。
ここ最近、どうにもすっきりしないことばかりだったので、空気を入れ換えよう、と。
「虫干し」に出かけるのだからパソは持ち歩かないので、荷物はこぢんまり、のはず……。
 だけど天の邪鬼なわたしなので、読みかけの文庫と一緒にネタ帳とペンだけは忘れられません。
 書かない、考えないと決めたときに限って、やたら書きたくなったり、思い描いたりすることがままあるからです。

 洞爺湖サミットのおかげで、あさがお市やらの予定が再来週辺りにずれてしまったので、まあとりあえずギンレイに向かうか、とぶらりと足を向けることにしました。

 途中のラクーアで、黄色のビニルバッグを持った女の子たちがあふれている様を見て「なにごとかしらん?」と首を傾げつつ、ドームシティでその理由がわかりました。

「夏だ!ツアーだ!ワッハッハッ!関ジャニ∞」
 がドームで催されていたのです。
 ビニルバッグにプリントされていた黄色のハチを見て、「ハドソンのイベントにしては客層が違いすぎる」と思っていたのが、ストンと腑に落ちました(笑)

 この様子じゃ水道橋のマイカフェは大混雑だろうと、直接飯田橋に向かうことに。
 その前に、若者たちのエネルギーを目ぇいっぱい浴びてから、とドーム前広場をぐるっと回って(笑)、ついでに場外馬券売り場のおやじたちの中を通り抜けて、ちょうど中和されたかしらん、と(汗)

 昨日までのことが、とんと別の世界の出来事、または大昔の出来事のように思えています。

 まだまだその途中にいるというのに(汗)

 二年前の、普通の会社勤めはしばらく無理だろう、と不安のなかの安心のようなものを覚え、とにかく書くことだけで毎日を送った日々を思い出しました。

 たったの「二年前」の話です。

 年齢にしてみたら「たったの」なんて言えないのだけれど(汗)、ぐるりとひと回りして戻ってきたような気がしてます。

 どうか、篠原さんの「S」のごとく、であるかどうかは、自分でそうと信じることでしかそうと思えないのだ、と。

「虫干し」しつつ、思うのです。
 いや、だからこそ、思うのです。

 願わくば……と。

 そして。

「ミリキタニの猫」

 をギンレイにて。
 日系人ということで第二次世界大戦時に収容所に収容され、そこで米国の市民権を放棄させられる。
 以降、反骨の人生を送ってきた芸術家……ジミー・ツトム・ミリキタニ。
 9.11、ワールド・トレード・センターが崩れ落ちるなか、いつもと同じ調子でNYで筆を動かし続けていた。

 パスポートも社会保障も、米国のものなど要らない。

 路上芸術家の彼と猫。
 主人は誰でもない、自分。

 実は、戦時の市民権放棄は無効、という証明が政府から送られてきていたことを、当時その住居を出ていた彼は受け取ることができずに、ましてや知ることもなく、過ごしてきた。

 たったひとつの、ボタンの掛け違え。

 強制収容の件は残るにせよ、もしも、と考えたときにどうなっていただろうか。

 人生に「もしも」は愚問だ。
 全ては、訪れた今日によって明日がまた今日となるべく訪れ、それが繰り返してゆくものなのだから。

 今日を過ごさなければ、
 明日は、来ない。

 だけれども、

 明日を信じなければ、
 今日は生きれない。

 たとえばそれが、カルーセルの木馬の想うことだとしても……。


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