| 2008年08月01日(金) |
「闇の子供たち」と、命の選択 |
梁石日(ヤン・ソギル)著「闇の子供たち」
タイを舞台に、幼児売買春、密臓器売買問題を描く物語。 著者のことを「血と骨」という作品(映画化)で聞いたことがあるひともいるかもしれない。
この作品も今夏、宮崎あおいさん主演で映画公開されます。
タイの福祉センターで働く日本人女性・音羽恵子。 宮崎あおいさんだとわかっていても、なぜか、個人的に小西真奈美さんのイメージ……。
とにかく、全体を通して「歯痒い」何かがつきまといました。
思想と現実。 理想と現実。 希望と現実。
冷蔵庫やテレビの値段で十歳にも満たない子どもが親によって売られ、児童性愛者の玩具となるべく監禁され、ときにはホルモン剤や麻薬を用いられて要求に応えさせられる。 エイズに感染したら、伝染だけでなく、それ以上に「感染者がいる」という風評を怖れて、ゴミ袋にまだ生あるうちでも詰めてゴミ投棄場に捨てられてしまう。
買売春させられている子供は、人ではなく「玩具」であり「物」であり、生きたまま臓器移植の提供者として、臓器を摘出され、売られてしまう。
臓器移植を受けなければ助からない。 しかし、提供の順番を正規に待っていたら間に合わず、我が子の命が失われてしまう。 正規のルートではないとわかっていても、自らが移植臓器の手配をするわけではない。 しかるべき病院で、しかるべき医師の手で、しかるべき手術を受けるだけなのだ。
それによって我が子の命が助かる。
「あなたの子どもが助かるために、性のなんたるかもわからないうちから性の玩具として扱われてきた子どもたちのひとりが、意味もわからないままその命を奪われてゆくんです」
日本人の移植手術を待つ子をもつ母親に、直に乗り込んで説得しようと詰め寄る。
あなたは、どうする?
今のわたしは、
どちらでも、ある。 ずるい、のだろう。
我が子がいるわけでもない。 我が子でなくとも、大切なひとでもいい。が、それもいるわけではない。
自らが移植を要するならば……。
きれいごとを語り、そして窮したとき。
「くれるってんなら、出どころなんてわからなくていい。金で生きられるなら、頼むっ」
と、足掻きだすだろう。
まあわたしの場合は、えてして足掻くのが遅く、既に手遅れなのが常なのだが……。
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